夢守りのメリィ

どら。

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4.沈黙の城塞、灰雪に沈む夢 (後編)

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重く閉ざされた城の扉を、ワノツキは無言のまま大槌で叩き割った。
鉄と石の砕ける音が、かつて威容を誇った城の広間へと響き渡る。

中は異様だった。
歪む空間、脈動する壁、足元には赤黒い染みがじわじわと広がり、悪臭すら漂っている。

「……悪夢が建物ごと侵食してる……!」

メリィが低く呟く。
ネロが短剣を抜き、後方のチェビオも警戒を強めた。

「早く本体を見つけるぞ。長居は命取りだ」


進むごと、元人間だったと思しき怪物たちが群れをなして現れる。
歪んだ顔、ねじれた関節、引きずるように歩くもの、獣のように跳びかかるもの――。

ネロとメリィ、チェビオが連携し、次々と道を切り開く。
ネロの刃が唸り、メリィの大鉈が叫び、チェビオの魔弾が空気を裂く。

「こいつらは“門番”か……!」

ネロが一体を切り裂きながら唸る。

「急げ!ワノツキ!」

「……わかってる」

ワノツキは無言で先へ走る。
胸の奥で、ひとつの予感が疼いていた。

――マーレがいる。

城の奥、かつての大食堂だった場所。
豪奢なはずの部屋は黒い瘴気に満たされ、空間が捩じれ、天井には黒い結晶がぶら下がっている。

その中心に――いた。

悪夢の中心となるもの…

その姿は――人ならざるものだった。

肌は蝋のように白く、赤い結晶をリボンの様に携えた髪は長く伸び落ちている。片目から黒い液体を流し、傾いだ顔の口元は笑っているのか苦しんでいるのか分からない。
手は鉤爪と化し、身体は小刻みにゆらゆらと揺れている。

「……マーレ……?」

ワノツキの喉が音を立てた。
メリィが小さく息を呑む。ネロが刀を構え直す。

「……俺の、妹だ……!」

ワノツキが二人を手で制し、一歩、また一歩と進み出る。

「オ兄チャン……?」

その瞬間、歪んだ声が漏れた。
マーレの顔が、ぎくしゃくと動く。

「ドウシテ……ドウシテイマサラ来たノ?……遅い……遅イ……遅イ!!」

瞬間、彼女が跳んだ。獣のような動き。
黒い爪が空気を裂き、ワノツキの肩を切り裂く――!

「ぐッ……!」

鋭い痛みが走る。だが、逃げない。反撃もしない。
ワノツキは立ち尽くし、妹を真っ直ぐに見つめる。

「マーレ……すまなかった。お前の気持ち……全然、わかってやれなかった」

「ウソダ……!」

叫び、マーレの爪が閃く。
今度は脇腹へ。深く食い込み、血が滴る。

「オ前は!“夢を見レバ幸せにナレる”ッテ言っタくせニ!!」
「夢ナンて見タカラ……こんナ、化け物ニサれタ……!!」
「ドうシて!?ドウして!?ドうシテ!!ドウシてドウシテドウシテ――」

異形の声が重なり、響く。
その声が次第に混ざり――低く冷たく、異質な何かの声になる。

『――ドウシテワタシハ幸セニナレナイノ』

彼女の爪が、今度はワノツキの胸元へ突き立てられた。
赤い血が噴き出す。視界が揺れる。

それでも、ワノツキは両腕を広げた。
――逃げない。
――殴らない。

「……お前と、ただ普通に生きたかった……」
「恋をして、誰かと幸せになって……兄ちゃんの手を離れていくお前を、見送るのが俺の夢だった……」
「……でも……ダメだったな……全部、俺の慢心だった……!」

マーレの爪が震える。
その目から、黒い涙がこぼれる。

「……ウ、ソ……」

「怒れ。泣け。叫べ。お前の痛み、悲しみ、全部俺が受け止める……!」

マーレの体が痙攣する。
「イヤダ……ワタシ……お兄ちゃんヲ……傷ツケタクない……ノニ……」

黒い瘴気が彼女の背後から噴き出す。
空間が揺らぎ、悪夢が彼女を完全に呑み込もうとする――!
「アアアアアアア!!!!!!!」
「……マーレ!」

ワノツキは、そっと近寄った。
震える妹を一度抱きしめ――その手に、大槌を握り締める。

「……楽にしてやる。ごめんな……」

大槌がゆっくりと振り上げられた。
マーレの黒い涙が、最後の一滴を零す。

「お兄ちゃん……ありがと……」

一閃。

重たい衝撃音。
黒い霧が裂け、頭上で輝いていた赤い結晶が砕け散ると――空間が静まった。

ぱたん、と崩れ落ちる影。

その影が、かすかに震え、声を漏らした。

「……お、兄ちゃん……?」

灰色の髪の隙間から、小さな妹の目が見上げていた。
怪物ではない――人だった頃の、マーレの目だ。

「……マーレ……!戻ったのか……!」

ワノツキが駆け寄る。

だが――彼女の体が、黒い塵となって崩れ始めていた。

「……ごめん、お兄ちゃん……ほんとはね、嫌なこと……いっぱい言いたくなかったんだ……でも、苦しくて……言わなきゃ、壊れそうだったの……」

「マーレ……!」

手を伸ばす。
だが、その指の隙間から塵が零れ落ちていく。

「でも……わたし、あなたの妹で……ほんとうによかった……」

最後の微笑み。

黒い塵は宙に舞い、静かに、夕空へと消えていった。

城の中に、沈黙だけが残る。

「……もう一度、おまえをちゃんと笑わせてやりたかった……」

膝をついたワノツキが、ぽつりと呟いた。
メリィとネロ、チェビオは、静かに目を伏せていた。

――これが、悪夢の果て。

グラウスの空に、澄んだ朝日が昇る。

鉱石と灰の街にしては珍しく、風は穏やかで、空気も澄んでいた。
けれどそれは静けさというより――幕引きを告げるような気配だった。



街の外れ、凍てつく岩肌に囲まれた墓地。
ワノツキは妹のリボンをそっと墓標に結びつける。

妹・マーレの身体はすでに悪夢と共に塵となり、何一つ残ってはいない。
だが、確かにこの世に『マーレ』という少女が生き、悩み、夢を抱いた――その証として。

「……悪いな、マーレ。兄ちゃん、ちょっくら旅に出てくるぜ」

声は低く、静かに墓標へと落ちる。

「お前が“将来を誓った”って喜んで伝えてくれた、あの男。……どうして、あいつはあの場に居なかったのか。何故、お前をこんな目に遭わせたのか。……生きてやがんなら、一発ぶん殴らねぇと気が済まねぇ」

化け物にされた
彼女は確かにそう言っていた。

拳を握る手に力がこもる。
だがその表情は、昨日の絶望の色ではなかった。

「それまで――ここで待っててくれよ、マーレ。約束だ」

もう一本、残っていたリボンを大槌の柄に結びつける。
それはこれから進む旅路への、そして決して忘れぬ決意の証。

風が吹く。
リボンがひらり、ワノツキの肩越しに揺れた。




メリィは街の門前に立ち、白い息を吐いた。
鉱石の灰と冷たい霧の向こう、屋根に霜をかぶった街並み。
その一角から、小さな影が走ってくる。

「まったく……っ、人使いが荒すぎるぞマンクスの奴め!
ぼく様、この惨状の整理と報告書の山に埋もれておるというのに!次の領主ね選定などという仕事を更に増やしてきおった!」

ぷりぷりと怒りながらもやってきたチェビオに、メリィはふふっと微笑む。

「忙しいのにありがと、チェビオ。お別れ言いたかったから、来てくれて嬉しい」

そう言って、くいと小さな身体を抱きしめる。
チェビオは慌てて肩を震わせた。

「ば、馬鹿者!気安く抱きつくでない!ぼく様はそういうのは性に合わんと、何度言ったら……!うぬぬ~~!!」

口では怒りながらも、その小さな腕はメリィの背にそっと回されていた。

「……また来るのだぞ。良き旅路をここから願っておる」

ぽつりと落とされた言葉。
その声音には、不器用な優しさがにじんでいた。

「年中冷えておるこの街でも、お前がいると……ほんの少しだけ、あたたかくなる気がしたぞ」

メリィは嬉しそうに頷き、そっと離れる。

「必ず戻るね、チェビオ」

「べ、別に待ってなどおらんぞ!? ぼく様は多忙なのだからな!!」

そう言ってぷいっと顔を背ける小さな背に、メリィは手を振った。


少し歩いた所で――。

「待て!!」

後ろから聞き慣れた声。
ドスドスと駆け寄ってくる大柄な影――ワノツキだった。

「……俺も、一緒に行く。どうしても、どうしても納得できねぇんだ。マーレのこと……“あいつ”のこと……全部、決着をつけてぇ。だから、頼む。俺も連れてってくれ」

必死な表情で深く頭を下げるワノツキ。
その眼には昨夜までの影はなく、真っ直ぐな決意だけが宿っている。

メリィとネロが視線を交わし、メリィが微笑んで手を差し出した。

「これからよろしくね、ワノツキ」

「やれやれ……また面倒が増えるな」

苦笑しつつもネロも手を伸ばす。
ワノツキはその大きな掌で、ふたりの手をしっかりと握りしめた。

「――ありがとう。」
「じゃあ、行こう。次の街へ」

新たな仲間を加え、三人となった一行は、グラウスの街を後にした。

その背を、朝の光がやさしく照らしていた。







◆数時間後――

悪夢の爪痕が残る、ひと気のない城。
砕けた石壁、ひび割れた床、崩れた天井。

その中心――大広間に、白き獏族の影が佇む。
シュヴァル。
その足元には、室内とは思えない程の赤黒い花が静かに咲き誇っていた。

「君が“希望”を紡ごうとするたびに、“絶望”は深く、根を張る。
メリィ……君は知らない。夢に縋る者こそが、一番脆いということを」

微笑みながらも、その声には冷たい棘が刺さっている。

「“夢守り”である限り、君は負け続ける。……皮肉な役目だね」


コツ、コツ、と靴音。
影がひとつ現れる。

――グレーシャ。

かつてこの街の領主だった青年。
その目は深い闇をたたえていた。

「……あの娘の“夢”は……一つの布石となった」

掌で輝くのは、青く淡い欠片――マーレの夢の残滓。
それが彼の手の中で、じわりと赤黒く変色し、砕けた。

「君のような優れた者には、まだまだ役目がある」

シュヴァルがやさしく囁く。

「完成のためには、役者が足りないからね。君にはもっと、絶望の種を撒いてもらわないと」

グレーシャは何も答えず、ただ黙って頷いた。

「さあ……次の幕が上がるよ。
ああ、そういえばキミを忘れていたね」

花を一輪摘み取るシュヴァル。
まるで舞台の幕引きのように、微笑んだ。

「さようなら、チェビオ。君も、“完成”への礎となる名誉をあげる」

風もないのに、黒い花弁が舞う。

静寂の中、次なる悪夢の気配が、わずかに震えた――。
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