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20.星を纏う猫たちと白き魔王の伝説 (前編)
しおりを挟むミオルカの街は星を敬い、月に願いをかける文化を持つ街だった。
特に今夜は「月の市(いち)」という星祭りの日。
夜になると、広場には提灯が灯り、街中に幻想的な光が揺れる。
「流星のお香はいかがかね~!火をつけると出てくる煙がキラキラと光って、流れ星の様に見えるよ!」
街の案内役をかってでてくれたマヌルは、目を輝かせながら屋台を案内する。
「こちらが月の市です!月や星に因んだものが色々と売られているんですよ!あ、香水屋さんとかもあって、そこのは特別な調香だという話です!」
「おやおやほうほうなるほどこれは……うんうん、中々、良い香りですねェ~」
タカチホは興味津々に香水の瓶を手に取り楽しそうに香りを確かめていた。
「ちょっとキツくねぇか…?それ……」
ワノツキは眉をひそめつつも、一歩引いた距離から観察していた。
マヌルはくすくすと笑いながら、メリィとネロの方を振り向く。
「……それから、この先に“風見猫”がいるんです。月の綺麗な夜に大切な人と一緒に願いごとをすると、恋が叶うって言われてるんですよ」
「恋……!?」
メリィの顔が一気に赤くなった。ネロもわずかに眉を上げると、「……どうでもいい」と呟いたものの、その耳はほんのり赤みを帯びている。
二人の様子をみたマヌルは満足気に耳をピコピコと動かしていた。
そして夜――。
屋台の喧騒から少し離れた小道を歩いていたネロとメリィは、いつの間にかマヌルの話していた“風見猫”の前へとたどり着いていた。
石造りの風見猫は、月明かりに照らされ、ゆっくりとその向きを変えている。風の流れに呼応するように、鈴の音が微かに鳴った。
「ここ……たぶんマヌルが言っていた、あの場所だよね」
「……ああ」
二人の間に静かな時間が流れる。
ネロは何かを言おうとして、口を開きかけた。
月を見ているメリィの横顔を見て、ほんの少しだけ視線を落とし、もう一度呼吸を整える。
「メリィ、俺は――」
「ちょ、押さないで!!ワノツキサン!バレる、バレてしまいますから!押さないでくださいってば!!………あ」
タカチホの声が草むらの奥から聞こえた瞬間、二人の視線が一斉にそちらへ向く。
「……ワノツキ」
ネロの声色は、今までに聞いたことがないくらい低く、表情は影で見えない。ワノツキの顔からは血の気が引き、ぶわわっと大量の汗が流れ落ちる。
「知らねぇ!コイツが勝手に連れてきた!!」
「小生だけに罪をなすり付けるおつもりですかワノツキサン!!小生、泣いちゃう…!」
「小生、月の市でどーーしても欲しいものを見つけたのですが、あぁ、悲しいかな、この非力な細腕では持ち上げる事も出来ず…どうかワノツキサンのお力をお貸しいただけませんかねェ?とか言ってここまで連れて来たのはどこのどいつだ!!」
「アレェー?小生そんな事言ってましたっけ?…でもワノツキサンも乗り気、だったでショウ?」
「それは…!!そりゃあ気にはなってたけどよぉ…」
二人のやり取りに耐えきれなくなったのか、くすくすと笑うメリィ。
ネロは額を押さえて溜息をついた。
「……もういい」
言いかけた言葉を思い出すネロのその耳は明らかに真っ赤だった。
メリィも笑う口元を隠していたが、ほんのりと赤く染まった頬が灯の下で淡く浮かんでいた。
その夜、宿屋の一室。
さきの事があり、気恥ずかしさから二人は背中合わせで布団に入っていた。
虫の音が聞こえるような静けさの中、メリィが小さな声でネロに話しかける。
「……ネロ…」
「どうした?メリィ」
「わたしね、風見猫の前でお願い事したよ」
「!?」
「お、おやすみ!!!!」
背中合わせの互いの熱が、やけに熱く感じる。
月明かりがカーテンの隙間から差し込み、部屋の中に静かに広がっていた。
翌朝。
昨夜の微妙な空気をまだ引きずるように、メリィとネロはどこかぎこちなく顔を合わせた。
「お、おはよう……」
「……ああ」
気まずさが漂う中、場の空気を変えたのは、宿屋の下にある食堂から聞こえた地元民たちの会話だった。
「そういや最近、森の方に行った奴らが戻らねぇって話聞いたか?」
「また禁域絡みかね……」
「禁域?」
メリィが耳をそばだてると、タカチホが頷いた。
「小生聞いたことがありますヨ。ミオルカの街から少し離れた森の奥に、『白き魔王の祠』なるものがあるとかないとか」
「白き魔王ねぇ…随分とぶっそうな名前じゃねぇか?」
ワノツキが苦笑気味に呟く。
タカチホは首を傾げた。
「ご大層な名前の割には、随分と神聖視されているようですけどねェ?」
ちょうどそのとき、朝食を持って現れたマヌルが、「おはようございます~」とくるりと身を翻して一行と同じテーブルにぴょんと座った。
「禁域のことなら長老さまの所で聞けると思うので、今日案内しますね!」
そう言ってにこにこ微笑むマヌルは、星占い師の見習いらしく、首に星を模した小さな石飾りを下げていた。
ミオルカの外れ、小高い丘の上に建てられた白い石造りの建物。それが「星読みの館」だった。
星の文様が刻まれた丸天井の下、長老は静かに瞳を閉じ、星盤を前にしていた。
「長老さま、この方たちが“禁域”について知りたいそうです」
マヌルの声に長老はうなずき、瞼を開いた。
その眼差しは穏やかだが、鋭さも宿している。
「禁域……あの場所にある祠は、“白の魔王”を祀っておる。祠が建てられたのは遥か昔……この地に大いなる災厄が訪れた時のことじゃった」
一同が静かに耳を傾ける中、長老はゆっくりと語り始めた。
「穏やかな風が流れるミオルカ、ある日空から二つの星が落ちた時、空が割れ、大地が黒く濁り、夢が悪夢へと変わった。人々は希望を失いかけていたが──どこからともなく香る花の香りと共に白き魔王が現れ、それをすべて“喰らった”のじゃ」
「喰らった……?」
メリィが思わず言葉を繰り返す。
「うむ。魔王は“悪夢を喰らう者”だった。おかげで街は救われたが、代償として彼の者は力を使い果たし、あの地で眠りについた。以来、我らはあの場所を“禁域”と呼び、手出しせぬよう守っておる」
「その魔王ってのは、大層な名前だが……どんなやつだったんだ?」
ワノツキが興味を持ったように尋ねる。
長老は目を細め、遠くを見つめるように言った。
「闇夜を照らすような豊かな白銀の髪を持ち、星が輝く夜のような瞳は全てを見通すようであった……それ以上は、伝わっておらん。ただ悲しい事に、我ら星読みの間では『彼の者は夢の狭間に囚われている』とも言われておる」
ネロはその言葉に、どこか引っかかるような感覚を覚えていた。
悪夢を喰らう者
もし伝承と同じように限界があるのだとしたら、自分はいつかメリィを置いて行ってしまうのではないだろうか。
その時、タカチホが珍しく真面目な声で口を開いた。
「小生、すべてを知っているわけではありませんが……この“白の魔王”と“魔人”には、なにかしらの繋がりがあるような気がしてなりませんネ。根拠は、香りの残り方、古い文献、悪夢。──似通いすぎているんです」
長老は目を伏せ、小さく頷いた。
「……じゃが、それを確かめるために“禁域”へ踏み込むことは許されぬ。今はまだ、時が満ちてはおらぬのじゃよ」
星盤に触れながら語る長老の重々しい言葉に、一行は言葉を失った。
その日の帰り道。
マヌルは皆の沈んだ顔を見て、ふわっと笑顔で言った。
「“星が導く時”が来れば、きっと道は開かれます。星占いってそういうものなので…きっとそのうち行く事ができます!!」
いつもと変わらぬ明るさに救われるように、メリィが笑った。
「うん!ありがとう、マヌルちゃん」
マヌルは満面の笑顔で手を振ると、空を見上げた。
「もうすぐ、星が動く夜が来るよ──」
その瞳には、月ではなく、まだ見ぬ未来の星々が映っていた。
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