夢守りのメリィ

どら。

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42.竜の酒(前編)

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陽光に照らされたワイナリーの街は、静かな賑わいに包まれていた。
通りにはぶどう棚の甘い香りが漂い、あちこちに小さな酒場やワインショップが軒を連ねている。石造りの建物の壁には、赤や白のワインボトルを模した看板が掲げられ、訪れる者の目を楽しませていた。

「……見事なもんだな。どの店もいい匂いがしてる」
ワノツキが感心したように鼻を鳴らす。彼の視線の先、店先の樽からは熟したぶどうの果汁が滴り落ち、陽光を受けて宝石のように光っていた。

「ふふ、これぞ芳醇の都といったところですネェ」
タカチホが目を細め、愉快そうに口元を緩める。
「ここに来れば、好みに合う一本が必ず見つかる……そんな言い伝えがあるほどですヨ」

「ズメウさんも……お好きですしネェ、ワイン」
にやにやと横目をやれば、当の本人――ズメウは「……うむ」と短く頷くだけだった。

「……だろうな。強そうな顔してるもんな。竜といやぁ、酒豪だろ?」
ワノツキが笑う。

タカチホがとても楽しそうな表情で話し出す。
「んふふ……それがですね、意外と酔うんですヨ?ちょっと飲むと……」
にやりと口角を吊り上げる。
「すごーーーく真っ直ぐな人になっちゃうんでス。面白いくらいに♪」

「……?」
メリィがきょとんとした顔で首を傾げる。

「それって……どういうこと?」

「ま、それは夜のお楽しみですネェ……ふふふ」

そんな会話を交わしつつ、街の酒場通りをぶらぶらと歩いていた一行。
ふと、タカチホが足を止め、ある小さな宿屋併設酒場の看板を見上げた。

「……さぁて。折角ですし、今夜はこの店で地元のワインをいただきますか」

「賛成だな。長旅だったし、いいタイミングだ」
ワノツキが即答する。

「マヌルは果実水でいいもん!」
「メルルたち、甘いのがいいです!」
双子も目を輝かせて店に入っていく。

メリィは苦笑しながら後に続き――

ネロとズメウも無言のまま、静かに店の戸をくぐった。

***

酒の香りと樽の匂いが満ちる小さな居酒屋。
テーブルには赤と白のワイン、地元特産の果実水が並べられ、料理の香ばしさが腹を満たす。笑い声と談笑、木の皿が重なる音――心地良い夜だった。

だが、その場で最も「危うい」空気を漂わせていたのは、他でもないズメウだった。

「……ズメウ?もうやめといたら……?」
メリィが心配そうに声をかける。

「うむ……大丈夫だ……」
ズメウはワイングラスを傾け、赤くなった頬でごくりと飲み干す。タカチホに煽られた彼は、随分と酒が進んでいた。
その目が、じっとメリィを捉えた。いつになく、まっすぐな――真剣な視線。

「……メリィ」

「ん?」

ズメウはメリィの両肩を掴み言う。

「……我の子を、産んではくれぬか」

一瞬、時間が止まった。

メリィはそのまま固まっている。

「ぶふぉっ!!!」
ワノツキが飲んでいたワインを盛大に吹き出した。

「ッ……っはっはっは!!こ、これは!小生聞き逃しませんでしたヨ!!」
タカチホが腹を抱えて笑い転げる。

「「……!?!?!?」」
「姉さまに……!!」
「姉さまに子供を……だなんて……!?」
双子は真っ赤になって慌てふためく。
だが、背後から感じるドス黒いオーラに双子の尻尾がブワッと膨らみその顔は青色へと変わってゆく。

「た、た、大変です!!ネロさまが!!」

バッと皆の視線がネロへ向く。
ネロは残っていたワインを一気に煽ると静かに立ち上がり、表の通りを親指で指差した。

「……表出ろ、ズメウ」

「構わんぞ。やろう」

「上等だ!!」

火花散る二人――今にも殴り合いそうな気迫に、酒場の客達がいいぞもっとやれと盛り上がる。

「姉さま……姉さまー!お二人を止めて下さい!!」
「だめです!もう完全にフリーズしてます……!」

その間にもズメウとネロは酒場の真ん中で睨み合い――ワノツキは机を叩いて腹を抱え、タカチホは涙を拭いながら高笑いを続けていた。

「ふはは……ズメウサン、正気じゃない……!これは……これは貴重な夜になりましたネェ……!」

混沌と化す酒場。誰もが収拾不能かと思ったその瞬間――ズメウがふ、と目を閉じ、椅子に座り込む。

「……うむ……眠い……」

ぐぅ、と微かな寝息を立て始めたズメウを見て、場は一瞬沈黙した。

「……酔い潰れたか」
ワノツキがため息交じりに言い、ネロも苦々しく視線を逸らす。

「こいつ…明日……覚えてないんだろうな、これ」
ネロが眉間を押さえたまま呟いた。

「んふふ、ほぼほぼ100%覚えてませんでしょうネェ」
タカチホが楽しげに答える。
「小生、やっぱり……アナタ達と旅に出て正解でした……♪」

再び酒場は賑やかな笑いに包まれるのだった。


***


酒場での騒動がようやく収まった頃――
完全に酔いが回ってしまったネロは、真っ赤な顔でふらふらと立ち上がった。けれど足元がおぼつかず、メリィが慌てて支える羽目になる。

「もう……ネロったら、珍しいね、酔う程飲むなんて……」

ネロの腕を肩に回し、なんとか二階の部屋まで連れて帰る。部屋の窓を開けるとひんやりとした風が入ってくる。街は、酔いの熱を冷ますような夜の静けさに包まれていた。

「……ほら、ネロ。部屋着いたよ」
声をかけても、ネロは「んん……」と唸るだけで、目を半分しか開けようとしない。

「もう……しょうがないなあ」

ぐいっと彼を引き寄せ、ベッドへ座らせようとする。けれどその瞬間――
「わっ……!」
ネロの腕が、ぐいとメリィを引き寄せた。

「ちょ、ちょっとネロ!?」
バランスを崩し、そのままベッドに倒れ込む。ネロの腕はしっかりと彼女の腰を抱き、離してくれない。

「ネロ~、離してよ~……!」
もがけばもがくほど、背中から回された腕の力は増すばかり。

「ん……メリィ……」
低く、熱のこもった声。いつもの冷静な面影はなく、どこか甘えるような気配さえ漂っている。

「もー……!酔っ払い……!!」

脱出しようにも腕はびくともしない。肩にあごを乗せられ、耳元にゆっくりと寝息まで落ちる始末。
メリィは観念して、ため息をひとつ。

「……仕方ないなぁ。今夜はこのまま……寝るしかない、か」

腕の中はあたたかく、少しだけ心地良い。酔ったネロの、滅多に見せない無防備な横顔を見ながら――
メリィはそっと目を閉じた。

外では夜風がそよぎ、街のざわめきが遠ざかっていく。
静かな夜が、二人だけの時間を包み込んでいった。

***


騒がしく賑やかだった酒場の夜も明け、メリィたちはワイナリーの主の案内で、広大なぶどう畑と醸造所、そして貯蔵庫の見学に訪れていた。

「いやぁ、よく来てくれたな旅の方々。ここは百年以上続くワイナリーだ。芳醇な香り、柔らかな酸味……どんな好みの舌にも合う一本が揃っているぞ」

主人は誇らしげに笑い、磨き抜かれた木樽や、整然と並ぶボトルの列を指差す。ぶどうの甘酸っぱい香りがほんのりと漂い、石造りの床は冷んやりと涼しい。

「おお……これは見事ですネェ……」
タカチホが目を輝かせて樽のラベルを覗き込む。双子も珍しそうに首を伸ばしている。

「……うん、いい香り。これが……この街の味、なんだね」
メリィがふわりと微笑む。

そのとき――

「……待て」
ズメウがふと立ち止まった。壁際に積まれた古い木箱の隙間に視線を向け、鼻をわずかにひくつかせる。

「ふむ……ここから、風の流れを感じる」

「え?」
メリィが驚いて振り返る。

ズメウは木箱に手をかけ、ぐっとずらした。ゴゴ……と石の擦れる鈍い音が響き、隠されていた小さな扉が姿を現す。

「……こりゃ……隠し通路か……!?」
ワノツキが目を剥く。

ワイナリーの主も駆け寄り、目を見開いた。

「な、なんだこれは……?こんな扉、聞いたこともねぇぞ……!」

「随分……古い作りですネ。かなり、長く使われてなかったご様子……」

「この風の流れ……どこかに続いてるな」
ズメウが低く呟く。

主人はしばし扉を見つめた後、深いため息をついた。

「……悪いが、その通路……どこに続いてるのか確かめてくれないか?俺たちじゃ用心も装備も足りん。もし道の先に獣でも棲み着いてたら……」

「あぁ……我らで行こう」

ワノツキが肩をすくめる。
「面白ぇ。探検だ」

「……狭そうだな」
ネロがぼそりと呟く。

「姉さま……こ、こういうのって……出るんですか?おばけとか……」
「こわいですー……こうもりとか……」
双子がぴったりメリィにくっついてくる。

「大丈夫、大丈夫。ネロもいるし、ズメウもいるし……ね?」

ズメウが小さく頷いた。

こうして、一行は隠されていた通路へと足を踏み入れることになった。

***


石造りの狭い通路は薄暗く、湿った土と苔の匂いが漂う。手元で揺れるランタンの明かりだけが頼りだ。

「うう、狭いです……」
「暗いですぅ……」
双子がきゅっとメリィの背中にしがみつく。前を行くネロとズメウは静かに周囲を警戒し、ワノツキとタカチホが後ろを固める。

「……こうもりだ」
ズメウがふいに呟いた。直後、ぱさり、と何かが頭上をかすめ――

「きゃああっ!!」
「いやあああ!!」
双子の悲鳴が響く。

「わっ、わっ、落ち着いて!」
慌ててメリィが振り返ると、コウモリが数羽、天井の裂け目から抜けて飛び去っていくところだった。

「……まったく。騒ぐな」
ネロが短く言う。

そんなやり取りの後――通路はやがてゆるやかに広がり、大きな空間へと出た。

その空間は、どこか奇妙だった。

天井の高いホールのような場所。壁の隙間から差し込むほのかな光と、何故か置かれたままの古びたランタンの灯りが、空間をぼんやりと照らしている。

「……なんだここ……?貯蔵庫じゃねぇな」
ワノツキが眉をひそめる。

「床、見て」
メリィが指差した。
石床のあちこちに――白く乾いた骨が、散乱している。

「骨……?動物のか?」
ネロがしゃがみ込み、そっと一本拾い上げる。

「……違う」
ズメウが低く呟いた。
「これは……竜の骨だ。しかも……」

その瞬間――
カラ……カラ……と乾いた音が、空間の中央から響いた。誰もいないはずのその場所で、骨がひとりでに動き、積み重なり、形を成していく。

「……!」
一同が構える中――ガラガラと大きな音を立て、骨は大きな背骨を、四肢を、尾を、首を、そして骸の頭部を作り出した。

「……魔物へと成り果てた、古き……我が同胞か」

ズメウが低く呟く。

完全に姿を現した“それ”は――白骨の竜。

あり得ぬはずの骸の喉から、凄まじい咆哮が響き渡った。

「……くるぞ!」

ネロの声が響き、メリィは大鉈を構える――
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