42 / 140
42.竜の酒(前編)
しおりを挟む陽光に照らされたワイナリーの街は、静かな賑わいに包まれていた。
通りにはぶどう棚の甘い香りが漂い、あちこちに小さな酒場やワインショップが軒を連ねている。石造りの建物の壁には、赤や白のワインボトルを模した看板が掲げられ、訪れる者の目を楽しませていた。
「……見事なもんだな。どの店もいい匂いがしてる」
ワノツキが感心したように鼻を鳴らす。彼の視線の先、店先の樽からは熟したぶどうの果汁が滴り落ち、陽光を受けて宝石のように光っていた。
「ふふ、これぞ芳醇の都といったところですネェ」
タカチホが目を細め、愉快そうに口元を緩める。
「ここに来れば、好みに合う一本が必ず見つかる……そんな言い伝えがあるほどですヨ」
「ズメウさんも……お好きですしネェ、ワイン」
にやにやと横目をやれば、当の本人――ズメウは「……うむ」と短く頷くだけだった。
「……だろうな。強そうな顔してるもんな。竜といやぁ、酒豪だろ?」
ワノツキが笑う。
タカチホがとても楽しそうな表情で話し出す。
「んふふ……それがですね、意外と酔うんですヨ?ちょっと飲むと……」
にやりと口角を吊り上げる。
「すごーーーく真っ直ぐな人になっちゃうんでス。面白いくらいに♪」
「……?」
メリィがきょとんとした顔で首を傾げる。
「それって……どういうこと?」
「ま、それは夜のお楽しみですネェ……ふふふ」
そんな会話を交わしつつ、街の酒場通りをぶらぶらと歩いていた一行。
ふと、タカチホが足を止め、ある小さな宿屋併設酒場の看板を見上げた。
「……さぁて。折角ですし、今夜はこの店で地元のワインをいただきますか」
「賛成だな。長旅だったし、いいタイミングだ」
ワノツキが即答する。
「マヌルは果実水でいいもん!」
「メルルたち、甘いのがいいです!」
双子も目を輝かせて店に入っていく。
メリィは苦笑しながら後に続き――
ネロとズメウも無言のまま、静かに店の戸をくぐった。
***
酒の香りと樽の匂いが満ちる小さな居酒屋。
テーブルには赤と白のワイン、地元特産の果実水が並べられ、料理の香ばしさが腹を満たす。笑い声と談笑、木の皿が重なる音――心地良い夜だった。
だが、その場で最も「危うい」空気を漂わせていたのは、他でもないズメウだった。
「……ズメウ?もうやめといたら……?」
メリィが心配そうに声をかける。
「うむ……大丈夫だ……」
ズメウはワイングラスを傾け、赤くなった頬でごくりと飲み干す。タカチホに煽られた彼は、随分と酒が進んでいた。
その目が、じっとメリィを捉えた。いつになく、まっすぐな――真剣な視線。
「……メリィ」
「ん?」
ズメウはメリィの両肩を掴み言う。
「……我の子を、産んではくれぬか」
一瞬、時間が止まった。
メリィはそのまま固まっている。
「ぶふぉっ!!!」
ワノツキが飲んでいたワインを盛大に吹き出した。
「ッ……っはっはっは!!こ、これは!小生聞き逃しませんでしたヨ!!」
タカチホが腹を抱えて笑い転げる。
「「……!?!?!?」」
「姉さまに……!!」
「姉さまに子供を……だなんて……!?」
双子は真っ赤になって慌てふためく。
だが、背後から感じるドス黒いオーラに双子の尻尾がブワッと膨らみその顔は青色へと変わってゆく。
「た、た、大変です!!ネロさまが!!」
バッと皆の視線がネロへ向く。
ネロは残っていたワインを一気に煽ると静かに立ち上がり、表の通りを親指で指差した。
「……表出ろ、ズメウ」
「構わんぞ。やろう」
「上等だ!!」
火花散る二人――今にも殴り合いそうな気迫に、酒場の客達がいいぞもっとやれと盛り上がる。
「姉さま……姉さまー!お二人を止めて下さい!!」
「だめです!もう完全にフリーズしてます……!」
その間にもズメウとネロは酒場の真ん中で睨み合い――ワノツキは机を叩いて腹を抱え、タカチホは涙を拭いながら高笑いを続けていた。
「ふはは……ズメウサン、正気じゃない……!これは……これは貴重な夜になりましたネェ……!」
混沌と化す酒場。誰もが収拾不能かと思ったその瞬間――ズメウがふ、と目を閉じ、椅子に座り込む。
「……うむ……眠い……」
ぐぅ、と微かな寝息を立て始めたズメウを見て、場は一瞬沈黙した。
「……酔い潰れたか」
ワノツキがため息交じりに言い、ネロも苦々しく視線を逸らす。
「こいつ…明日……覚えてないんだろうな、これ」
ネロが眉間を押さえたまま呟いた。
「んふふ、ほぼほぼ100%覚えてませんでしょうネェ」
タカチホが楽しげに答える。
「小生、やっぱり……アナタ達と旅に出て正解でした……♪」
再び酒場は賑やかな笑いに包まれるのだった。
***
酒場での騒動がようやく収まった頃――
完全に酔いが回ってしまったネロは、真っ赤な顔でふらふらと立ち上がった。けれど足元がおぼつかず、メリィが慌てて支える羽目になる。
「もう……ネロったら、珍しいね、酔う程飲むなんて……」
ネロの腕を肩に回し、なんとか二階の部屋まで連れて帰る。部屋の窓を開けるとひんやりとした風が入ってくる。街は、酔いの熱を冷ますような夜の静けさに包まれていた。
「……ほら、ネロ。部屋着いたよ」
声をかけても、ネロは「んん……」と唸るだけで、目を半分しか開けようとしない。
「もう……しょうがないなあ」
ぐいっと彼を引き寄せ、ベッドへ座らせようとする。けれどその瞬間――
「わっ……!」
ネロの腕が、ぐいとメリィを引き寄せた。
「ちょ、ちょっとネロ!?」
バランスを崩し、そのままベッドに倒れ込む。ネロの腕はしっかりと彼女の腰を抱き、離してくれない。
「ネロ~、離してよ~……!」
もがけばもがくほど、背中から回された腕の力は増すばかり。
「ん……メリィ……」
低く、熱のこもった声。いつもの冷静な面影はなく、どこか甘えるような気配さえ漂っている。
「もー……!酔っ払い……!!」
脱出しようにも腕はびくともしない。肩にあごを乗せられ、耳元にゆっくりと寝息まで落ちる始末。
メリィは観念して、ため息をひとつ。
「……仕方ないなぁ。今夜はこのまま……寝るしかない、か」
腕の中はあたたかく、少しだけ心地良い。酔ったネロの、滅多に見せない無防備な横顔を見ながら――
メリィはそっと目を閉じた。
外では夜風がそよぎ、街のざわめきが遠ざかっていく。
静かな夜が、二人だけの時間を包み込んでいった。
***
騒がしく賑やかだった酒場の夜も明け、メリィたちはワイナリーの主の案内で、広大なぶどう畑と醸造所、そして貯蔵庫の見学に訪れていた。
「いやぁ、よく来てくれたな旅の方々。ここは百年以上続くワイナリーだ。芳醇な香り、柔らかな酸味……どんな好みの舌にも合う一本が揃っているぞ」
主人は誇らしげに笑い、磨き抜かれた木樽や、整然と並ぶボトルの列を指差す。ぶどうの甘酸っぱい香りがほんのりと漂い、石造りの床は冷んやりと涼しい。
「おお……これは見事ですネェ……」
タカチホが目を輝かせて樽のラベルを覗き込む。双子も珍しそうに首を伸ばしている。
「……うん、いい香り。これが……この街の味、なんだね」
メリィがふわりと微笑む。
そのとき――
「……待て」
ズメウがふと立ち止まった。壁際に積まれた古い木箱の隙間に視線を向け、鼻をわずかにひくつかせる。
「ふむ……ここから、風の流れを感じる」
「え?」
メリィが驚いて振り返る。
ズメウは木箱に手をかけ、ぐっとずらした。ゴゴ……と石の擦れる鈍い音が響き、隠されていた小さな扉が姿を現す。
「……こりゃ……隠し通路か……!?」
ワノツキが目を剥く。
ワイナリーの主も駆け寄り、目を見開いた。
「な、なんだこれは……?こんな扉、聞いたこともねぇぞ……!」
「随分……古い作りですネ。かなり、長く使われてなかったご様子……」
「この風の流れ……どこかに続いてるな」
ズメウが低く呟く。
主人はしばし扉を見つめた後、深いため息をついた。
「……悪いが、その通路……どこに続いてるのか確かめてくれないか?俺たちじゃ用心も装備も足りん。もし道の先に獣でも棲み着いてたら……」
「あぁ……我らで行こう」
ワノツキが肩をすくめる。
「面白ぇ。探検だ」
「……狭そうだな」
ネロがぼそりと呟く。
「姉さま……こ、こういうのって……出るんですか?おばけとか……」
「こわいですー……こうもりとか……」
双子がぴったりメリィにくっついてくる。
「大丈夫、大丈夫。ネロもいるし、ズメウもいるし……ね?」
ズメウが小さく頷いた。
こうして、一行は隠されていた通路へと足を踏み入れることになった。
***
石造りの狭い通路は薄暗く、湿った土と苔の匂いが漂う。手元で揺れるランタンの明かりだけが頼りだ。
「うう、狭いです……」
「暗いですぅ……」
双子がきゅっとメリィの背中にしがみつく。前を行くネロとズメウは静かに周囲を警戒し、ワノツキとタカチホが後ろを固める。
「……こうもりだ」
ズメウがふいに呟いた。直後、ぱさり、と何かが頭上をかすめ――
「きゃああっ!!」
「いやあああ!!」
双子の悲鳴が響く。
「わっ、わっ、落ち着いて!」
慌ててメリィが振り返ると、コウモリが数羽、天井の裂け目から抜けて飛び去っていくところだった。
「……まったく。騒ぐな」
ネロが短く言う。
そんなやり取りの後――通路はやがてゆるやかに広がり、大きな空間へと出た。
その空間は、どこか奇妙だった。
天井の高いホールのような場所。壁の隙間から差し込むほのかな光と、何故か置かれたままの古びたランタンの灯りが、空間をぼんやりと照らしている。
「……なんだここ……?貯蔵庫じゃねぇな」
ワノツキが眉をひそめる。
「床、見て」
メリィが指差した。
石床のあちこちに――白く乾いた骨が、散乱している。
「骨……?動物のか?」
ネロがしゃがみ込み、そっと一本拾い上げる。
「……違う」
ズメウが低く呟いた。
「これは……竜の骨だ。しかも……」
その瞬間――
カラ……カラ……と乾いた音が、空間の中央から響いた。誰もいないはずのその場所で、骨がひとりでに動き、積み重なり、形を成していく。
「……!」
一同が構える中――ガラガラと大きな音を立て、骨は大きな背骨を、四肢を、尾を、首を、そして骸の頭部を作り出した。
「……魔物へと成り果てた、古き……我が同胞か」
ズメウが低く呟く。
完全に姿を現した“それ”は――白骨の竜。
あり得ぬはずの骸の喉から、凄まじい咆哮が響き渡った。
「……くるぞ!」
ネロの声が響き、メリィは大鉈を構える――
0
あなたにおすすめの小説
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
完結【進】ご都合主義で生きてます。-通販サイトで異世界スローライフのはずが?!-
ジェルミ
ファンタジー
32歳でこの世を去った相川涼香は、異世界の女神ゼクシーにより転移を誘われる。
断ると今度生まれ変わる時は、虫やダニかもしれないと脅され転移を選んだ。
彼女は女神に不便を感じない様に通販サイトの能力と、しばらく暮らせるだけのお金が欲しい、と願った。
通販サイトなんて知らない女神は、知っている振りをして安易に了承する。そして授かったのは、町のスーパーレベルの能力だった。
お惣菜お安いですよ?いかがです?
物語はまったり、のんびりと進みます。
※本作はカクヨム様にも掲載しております。
クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双
四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。
「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。
教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。
友達もなく、未来への希望もない。
そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。
突如として芽生えた“成長システム”。
努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。
筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。
昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。
「なんであいつが……?」
「昨日まで笑いものだったはずだろ!」
周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。
陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。
だが、これはただのサクセスストーリーではない。
嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。
陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。
「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」
かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。
最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。
物語は、まだ始まったばかりだ。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
アリエッタ幼女、スラムからの華麗なる転身
にゃんすき
ファンタジー
冒頭からいきなり主人公のアリエッタが大きな男に攫われて、前世の記憶を思い出し、逃げる所から物語が始まります。
姉妹で力を合わせて幸せを掴み取るストーリーになる、予定です。
ギルド回収人は勇者をも背負う ~ボロ雑巾のようになった冒険者をおんぶしたら惚れられた~
水無月礼人
ファンタジー
私は冒険者ギルド職員ロックウィーナ。25歳の女で担当は回収役。冒険者の落し物、遺品、時には冒険者自体をも背負います!
素敵な恋愛に憧れているのに培われるのは筋肉だけ。
しかし無駄に顔が良い先輩と出動した先で、行き倒れた美形剣士を背負ってから私の人生は一変。初のモテ期が到来です!!
……とか思ってウハウハしていたら何やら不穏な空気。ええ!?
私の選択次第で世界がループして崩壊の危機!? そんな結末は認めない!!!!
※【エブリスタ】でも公開しています。
【エブリスタ小説大賞2023 講談社 女性コミック9誌合同マンガ原作賞】で優秀作品に選ばれました。
『異世界に転移した限界OL、なぜか周囲が勝手に盛り上がってます』
宵森みなと
ファンタジー
ブラック気味な職場で“お局扱い”に耐えながら働いていた29歳のOL、芹澤まどか。ある日、仕事帰りに道を歩いていると突然霧に包まれ、気がつけば鬱蒼とした森の中——。そこはまさかの異世界!?日本に戻るつもりは一切なし。心機一転、静かに生きていくはずだったのに、なぜか事件とトラブルが次々舞い込む!?
【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革
うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。
優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。
家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。
主人公は、魔法・知識チートは持っていません。
加筆修正しました。
お手に取って頂けたら嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる