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71.賑やかな一日
しおりを挟むふう、と一息つき、タカチホは手にしていた本を閉じた。
長い指で軽く背表紙を撫でながら、ふと視線をエンへと向ける。
「前に来た時には、見せていただけませんでしたね……このような本は」
珍しく、むすっとした声色。
表情こそ乏しいが、僅かに唇が尖っている。
エンは肩を揺らし、微笑む。
「収蔵物というものは、新しいも古いも、時と共に増すものじゃ。
主がここへ訪れなくなってから……いくつの日が昇り、いくつの月が沈んだと思うておる?」
「……さあ。時間には、無頓着なもので」
タカチホはそっけなく肩をすくめた。
その様子に「まあよい」とエンは軽く手を振る。
と、その横で。
「くそ……」
ワノツキが頭を抱えて呻いていた。
「コイツをモノにできりゃあ確かに便利だが……」
彼の手元には、簡易錬金術の本。
眉間にしわを寄せ、視線をページに落とす。
「自分の武器に陣を掘って……所有者の意で形を変える……。だがそのためには“所有者の一部”が必要……。一部って……目玉とか指……か?これ……」
完全に顔が青ざめている。
「なんじゃ、そんなことで悩んでおったのか」
エンが覗き込み、くつくつと喉を鳴らした。
「ちょい、そこの竜の者」
絵本を読んでいたズメウに声をかける。
「この本の陣を掘れるか?」
差し出されたのは本と、ワノツキの大槌。
「うむ」
ズメウは短く頷くと、すぐに爪を竜のものへと変じさせ、ページに記された通りに槌へと刻み始めた。
その速さと正確さに、ワノツキは目を見はる。
「次はこれじゃ」
エンはタカチホの袖から一本の針を抜く。
「少し借りるぞ」
「ちょ、待ってくださ——」
ぷすっ。
「いっ……!?な、何すんだお前!!」
ワノツキの指に小さな針跡。赤い血が滲む。
「これを、こうじゃ」
エンはズメウが刻んだ陣へとワノツキの指を触れさせた。
瞬間——陣が淡く光る。
「終わりじゃ」
「……え、一部って、こんなんで良かったのかよ……」
ポカンとするワノツキ。
「主とさえわかるものならよいのじゃ。さて、試してみよ」
エンの促しに、ワノツキはおそるおそる大槌を手に取る。
静かに目を閉じ、意識を集中する。
淡い光。
大槌はやわらかく形を変え、ツルハシの姿となった。
「マジか……!すげえ!!」
驚きと喜びに目を見開くワノツキ。
ズメウとエンは満足気に頷いている。
——だが。
「ああ、お喜びのところすみませんが」
タカチホの声が低く響く。
「ワノツキさんに刺したの、麻痺針でス」
「へ?」
ドターーン。
鈍い音を立てて、ワノツキが仰向けに倒れた。
大槌——否、ツルハシを手にしたまま、ぴくりとも動かない。
「……」
「……」
「ふは、図書館らしからぬ騒がしさじゃな」
エンは肩を小刻みに揺らし、愉快そうに笑った。
ーーー
夜の静けさが、宿の小部屋に落ちていた。
メリィはベッドに座り、今日読んだ本のことを振り返っている。
「……ねえ、ネロ」
メリィがふと、髪をとかす手を止めた。
「わたしが読んでいた日誌……もしかしたら、白の魔王が書いていたもの、かもしれないって思うの」
「えっ……!?」
武器の手入れをしていたネロが、身を乗り出す。
「最初は、ただの古い日誌かと思った。でも——」
メリィはそっと視線を落とした。
「その人も、“白の魔王”って呼ばれるまでは、きっと普通の人だったみたい。
大事な人が……悪夢に苛まれてしまって。どうにかできないか、どうすれば救えるのか……すごく悩んだ末に、“消すことも、なくすこともできないなら——食べてしまおう”って」
淡々と、けれどどこか胸の奥を掴むような声だった。
「でもそれは……とても苦くて、苦しくて、悲しくて、つらかったって。
大事な人は目を覚ました。けどそのあと、“悪夢を消せる”って噂を聞いて……いろんな人に助けを求められるようになった、みたい」
メリィの瞳に、読み終えた日誌の最後の行が浮かぶ。
「『空から星が降り、悪夢が溢れた。きっと、最後の日。愛しい人よ泣かないで。もうすぐ悪夢は晴れる』……そこで、終わってたの」
ネロは腕を組み、じっと考え込んだ。
「……オレが読んだのは、たぶん、その後の話だな」
低く、静かな声。
「“白の魔王”は、自分が眠りにつく前に——眷属たちへ力を授けたって書いてあった。
……たぶん、“悪夢を食べる”力。オレにある力とも、何か関係があるかもしれない……」
「うーん……知れば知るほど難しいね……!」
メリィはベッドに大の字に転がり、ぐでんと伸びた。
「頭を休憩させなきゃダメかも~」
——そのとき。
バーン!
勢いよく部屋の扉が開いた。
「おじゃましますヨ!!」
「タカチホ!?こんな時間にどうしたの!?」
驚いて上体を起こすメリィ。
だがタカチホは片手をひらひら振り、にっこり——いや、無表情で言った。
「いえいえ。どうぞそのままで」
ズカズカとメリィに歩み寄り、ベッドに上がり、そのまま押し倒す。
馬乗りになり、迷いなく服の裾を捲り上げた。
「な、ななな……何してんだタカチホ!!」
怒声を上げ、掴みかかろうとするネロ——だが。
「ちょっと大人しくしていてください」
タカチホがスッと投げた麻痺針が、ネロの肩にぷすり。
「……う、動け……っ」
がくりと膝をつき、その場に崩れ落ちるネロ。
「大丈夫ですよ。痛くはしませんから」
ひやりとした冷たい指先が、メリィの脇腹に触れる。
蛇のように静かに、滑るように——
「ひ……っ!」
思わずメリィは短い声を漏らす。
だがタカチホは低く優しく囁いた。
「……もうすぐ終わります。安心してください」
脇腹——あの時、深く傷ついた場所。
そこへ、じんわりとした熱が満ちていく。
内側から広がるような温かさに、メリィは身体を震わせた。
「……はい。もう大丈夫ですヨ!うんうん、小生、やっぱり万能~!!」
ぱっと手を離すタカチホ。
メリィの脇腹にあった傷跡は——あとかたもなく消えていた。
「えっ……これ……まさか、今日読んでた本の……!?」
「回復術、ですネ!」
タカチホは満面の笑み——いつもの飄々とした調子に戻っている。
「気の力を巡らせて、細胞の再生力をグングン上げるとかナントカ。いやぁ、うまくいって良かったデス!副作用もナシ!大成功~!!」
「……だったら…最初から…そう…言えよ……」
麻痺針のせいで動けぬまま、ネロが呻くように呟いた。
図書館での騒ぎに続き、宿の一室もまた賑やかな騒ぎに包まれ——
静かなはずの夜は、こうして喧噪のうちに更けていった。
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