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72.星落つ里
しおりを挟む朝の食堂にはパンとスープの香りが広がり、宿の小窓からは柔らかな光が差し込んでいた。
朝食をとり終えた一行は、その足で再びエンの元を訪れていた。
「エンさま……その、“リクレ”って……」
メルルが難しい顔で切り出す。
「もし、それがエンさまの言う意味なら……メルルたちの里で伝わっていたもの、だいぶ違うかもしれません」
マヌルも頷く。
「“アクリェム”もそうです!全然違います!!間違いだらけです!!」
顔を見合わせ、双子はしっかりと頷きあった。
「……時の流れというのは、不思議なものだな。故意か、偶然か。どこかで歪み、いつの間にか“聞こえの良いもの”へと形を変えてしまう」
エンは少しだけ寂しげな表情を浮かべた。
その言葉を受け、双子はスッと立ち上がり、メリィのもとへ駆け寄る。
「姉さま!」
「マヌルとメルル、一度里に戻ります!!」
真剣なまなざしで見つめるふたりに、メリィは少し驚くも、すぐに微笑みを浮かべた。
「……わかった。気をつけて行っておいで」
「姉さまのところに、すぐ帰ってきます!!」
嬉しそうにメリィへ抱きつく双子。その髪をやさしく撫でながら、メリィは頷いた。
「ならば……我が送って行こう」
低く静かな声とともにズメウが立ち上がった。
「わぁ!嬉しいです!!ズメウさまがいてくれたら、ビューンって行ってピューンって帰れますね!!」
双子はくるくると楽しそうに回りながら跳びはねる。
「ズメウ。二人のこと、頼んだぞ」
ネロが歩み寄り、ズメウと拳を合わせる。
「……任された」
ズメウはふとメリィへと視線を向けた。
「メリィ。これを持っていろ」
差し出されたのは、一枚の美しい鱗。光に揺らぎ、鈍銀色に輝く。
「……これ、ズメウの?」
そっと手のひらに乗せて問うと、ズメウは無造作に「ああ」と頷く。
「ちょっと、ズメウさん!!」
思わず声を上げたのはタカチホだった。
「あなた……それ、意味わかって渡してます!?」
ズメウはきょとんとした顔で首を傾げる。
「何のことだ?」
「……いや、知らないんなら……いいんですけどネ……」
何か言いたげなタカチホを横目に、双子は元気よく手を振る。
「行ってきます、姉さまー!!」
竜の姿へと変わったズメウの背に乗り、双子の小さな姿はぐんぐんと空高く遠ざかっていく。
「賑やか担当が、いなくなっちまったな……」
ぽつりと呟くワノツキ。
「うん……早く戻ってきてほしいね」
メリィも、そっと手を振りながら微笑んだ。
その横で、タカチホがにやりと笑う。
「そういえばメリィさん……先ほど言いかけましたがネ」
「何?」メリィが首を傾げる。
「竜が自分の鱗を渡すのは、基本的に――“自分の番”への証、ですヨ」
「――えっ?」
メリィが目を瞬かせる。
「まあ、ご本人……無自覚だったようですがネー!!」
かんらかんらと笑うタカチホ。
「……ズメウ、まじかよ……」
ネロも思わず苦笑いする。
ひとしきり賑やかな空気が流れた後、静かに空を見上げるメリィの手のひらで、鱗は柔らかに光を放っていた。
ーーー
里に帰り着いた頃には空から日の光は消えていた。
双子は、そのまま足を止めず長老の屋敷へ向かった。ズメウも無言でその背についていく。
いつもの景色、いつもの道。けれどそのすべてが、どこか冷たく色褪せて見える。
「長老さま。……メルルたち、聞きたいことがあります」
いつになく真剣な顔のメルルに、長老はゆったりと顔を上げた。突然戻って来た事に驚く様子も無い。
「ほう……何をじゃ?」
「エンさまに教えていただいた古代語……リクレもアクリェムも、メルルたちが里で習った意味と違っていました。全然、違っていました!」
マヌルが食い気味に言う。声が震えていた。
「もし本来の意味のままだとしたら……姉さま達を禁域へ行かせようとした理由も、マヌルたちを一緒に旅させた理由も……全部、全部――」
そのとき、長老は片手を上げ、二人の言葉を遮った。
「……そこまで気付いておるのに、まだ問うか。愚かな」
その目に、悲しみも、後悔もない。澱んだ黒の底に、ただ冷たい諦観だけがあった。
「――姉さまを……依代にするつもりだったのですか!!」
マヌルが叫び、長老へと飛び掛かろうとする。その前に――屋敷の奥から二つの影。
双子の両親が現れた。どこかいつもと違う、仮面のような微笑みを浮かべて。
「やめなさい。メルル、マヌル」
母の声だった。
「……母さま……?」
「何も驚くことはないでしょう。私たちの里は代々、“白の魔王様”を崇め、その加護で生き延びてきたのよ。そうやってここまで栄えてきた」
「……どういうこと?」メルルが戸惑いに声を震わせる。
「古の災厄のとき――この里の先祖は、“白の魔王様”を導いて生き延びた。あの方はこの世界を救ってくれたの。だからまた、あの方に助けていただくしかない。厄災の星が輝こうとしている今、再び――」
父の声は穏やかだった。だがその目には狂信の色。
「……それが、姉さまを依代にしようとした理由……?」
「他に誰がふさわしいの?」母が笑う。
「空の者。里の血を引かない。だから最適。私たちの里を滅ぼす厄災の器になどさせないわ」
「……だからって、姉さまを――!」
「マヌル、メルル」父が肩に手を置く。
「……お前たちだって役目はわかっているだろう? そのまま彼女達と旅をして、“時”が来たらここに連れてくる。それでいい」
マヌルはその手を強く払った。
「お断りです!!父さまたちの言う事なんて、もう聞きません!!」
「……失敗作だったか」
長老の声は冷たい。
「だが、問題ない。代わりはいる――」
背後の扉が開く。奥の部屋から出てきたのは――二人の少女。メルル、マヌルとまったく同じ顔、同じ髪、同じ尾。けれどその瞳は何も映していない。感情の色を失った“器”だった。
「……な……に、これ……?」
双子の視界が揺れる。思考が追いつかない。
「君たちの“次”さ」父が優しく微笑んだ。
「使える遺伝子を抜き出し、培養し、増やす。役目を果たさぬ失敗作なら、すげ替えればいい」
「……そんな……マヌルたちは……」
その時だった。
「……ズメウさま……」
見上げるメルルの声が震える。
竜の影が二人の前に立つ。巨大な気配。
ズメウは静か、双子の母親を見る。
「竜の方よ、お願いできませんか?」母親が微笑みを浮かべて近寄る。
「この“失敗作”ではない二人を代わりに連れ帰って――」
バチィン!!
尾が地を叩く。火花が散る音。地面が抉れる。
「――それ以上、我に近付くな」
冷たい声。
その眼光に、空気が凍り付いた。
「我が背に乗せるは、我が認めた者のみ。邪法に染まったお前達など――論外だ」
ズメウはその視線を“もう一組の双子”へと移す。感情のない瞳のコピー達。
「……醜悪。命を、心を、モノと見なすか。恥を知れ」
「……何が悪い?」父が笑う。
「里のためだ。思想に沿わぬ個体など不要。正しい者にすげ替えればよいだけ。理に適っている」
ズメウの鱗が音を立てた。竜の力が膨れ上がる。
「メルル。マヌル」その声は低く、深く――何かを決意した響き。
「……我はこれより、お前たちにとって酷なことをする。恨むなら恨め………今は一時、目を伏せていよ」
双子は何も言えず、震える肩を寄せ合い手を握り合い、ただ目を閉じた。
ズメウは、一歩、二歩と前へ出る。
竜の姿へと変じ、その巨体が里の空を覆う。
「……我が、まとめて消そう。偽りも、穢れも――」
大地が震え、空が裂ける。
咆哮とともに、蒼い炎が里を包んだ。長老も、両親も、培養された“偽物”も。全てを焼き払い、薙ぎ倒し、痕跡すら残さない。狂った信仰者も、歪んだ思想家も、ここにはもう存在しない。
――その日、一つの街が滅びた。
静まり返った灰の原に、竜が降り立つ。
目を伏せていた双子の肩に、優しくその尾が触れた。
「……行こう。もうここに、戻る必要はない」
涙をぬぐい、メルルとマヌルは小さく頷いた。
その目はまっすぐ前を向いていた。
――旅路の先にいる、大切な仲間のもとへ。
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