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75.オアシスの街に潜む影(前編)
しおりを挟む砂の色をした大地が、どこまでも続いていた。
乾いた風が吹き抜けるたび、肌にまとわりつく砂粒が舞い上がる。かつての草原のやわらかな匂いも、遠い森の気配も、ここにはない。あるのは陽射しの暴力と、焼けつくような大地の匂いだけ。
「……暑すぎる」
誰ともなく、ワノツキがぼやく。鍛えられた体にさえ、まとわりつく熱気が重くのしかかっていた。
「いくらタカチホの薬があっても……暑いものは暑い……」
メリィが額の汗をぬぐいながら、小さく息を吐く。
「申し訳ないですネ、砂漠向けの調合は効き目が穏やかで……これ以上強くすると今度は内臓に負担が……」
飄々と肩をすくめるタカチホの顔にも、珍しく汗の跡が滲んでいる。
それでも一行の足は止まらなかった。この砂漠を抜ければ、オアシスの街――ジスールが待っている。
「もうすぐだ。あの丘を越えれば、街の姿が見えるはずだ」
ズメウが低く呟く。
「やっと水と影と文明ってやつにありつけるな……」ワノツキが乾いた笑みを浮かべた。
そのとき、少し先を歩いていたメルルとマヌルがくるりと振り向き、ぱっと明るい声をあげた。
「見えました!ジスールの街、あそこです!」
「水が光ってます!本当にオアシスですよ!」
一行の視線が、一斉に丘の向こうへ向いた。
陽に輝く水面。その周りに、白い壁と尖塔を持つ街が広がっていた。
「……やっと、着いた……」
メリィが胸に手を当てて、ほっと微笑んだ。
ひと月――
あの日、双子の里での事を、全てを知った日から彼らはずっと歩いてきた。草原を越え、谷を渡り、こうして新しい土地へたどり着いたのだ。メルルとマヌルも、もう以前のように元気な笑顔を取り戻している。その無邪気さと明るさが、みんなの心をほぐしてくれていた。
ジスールの門をくぐると、街の熱気が迎えた。乾いた風と香辛料の匂い、果実の甘い香り、喧噪。広場には色鮮やかな布がひるがえり、店先には香料や装飾品が並んでいた。
「わぁっ……!見たことない服ばっかりです!」
「布がキラキラしてます!」
双子が目を輝かせる。
通りすがりの店の老婆がにこやかに声をかけてきた。
「あんたたち、そんな旅装のままじゃ暑いだろう?この辺りの衣装にした方が涼しくて楽だよ」
進められるままに、皆、現地の衣服を選ぶことになった。メリィは淡い青の長衣と刺繍入りのベルト。ワノツキは胸元を開けた白のゆったりとした服。ネロは砂色の軽装。タカチホだけは「小生の上掛けは必需品ですので」と手放さず、いつもの上掛けを羽織ったまま。
「うわあっ……これ、すごく涼しいです!」
「姉さまも似合ってます!!」
双子が嬉しそうに跳ねる。メリィの裾をひらひら持ち上げては「これもかわいいです!」と大はしゃぎ。
通りには干した果実や香辛料たっぷり入った料理の香りが流れ、ランプ屋には異国めいた細工物が並ぶ。双子はあっちへこっちへと走り回り、ネロが苦笑しながらその後を追う。
「忙しねぇなあ!ま、こいつららしいがな」
ワノツキが後ろで目を細めた。ズメウも静かにうなずく。
やがて宿屋に着くと、穏やかな顔をした女主人がミントティーを運んできた。
「さぁ、どうぞ!旅人にはこれが一番さ」
鮮やかな緑色の葉から、ふわりと爽やかな香りが立つ。
「……あったかいのに、スーッとします……!」
「不思議です!冷たくないのに涼しいですよ!」
双子がティーカップを両手で持ち、きらきらした目で飲む。
「ミントは清涼効果があるので、小生も調合によく使いますヨ。あと……虫除けにもなるのでス。便利でしょウ?」
タカチホがいつもの笑顔で説明する。
「良い飲み物だ……」ズメウも湯飲みを手に取り、ほっと息をついた。
夕暮れの色が、石造りの壁を淡く染めていく。メリィとネロは自室へと向かう。
ネロはタカチホに呼び止められた。
「じゃあ、わたし先に部屋に行ってるね」
「……ああ。すぐ行く」
神妙な顔でタカチホはネロに話しかける。
「で……最近、メリィサンとはどうなんですか?」
「……どうって……普通だ。普通」
ネロは目を逸らし、わずかに頬を染める。
「ほう。では――“あれ”以来進展は無いと」
タカチホがにぃっと意地悪く笑う。
「おまえ……何を考えてやがる」
「いえネ、こういう機会でないと渡せないモノがありまして」
「……?」
タカチホはにこにこと悪戯っぽい笑みを浮かべながら、小さな瓶をポン、とネロの手に置く。その小瓶には見覚えがあった。
「これ……」
「そう。以前、あなたにお会いした時――ほら、あの薬と一緒のモノですヨ」
その言葉を聞いた瞬間、ネロの顔がピクリと引き攣った。あの時、初対面で飲まされた“例の薬”――まさかと思ってタカチホを見ると、彼はニイッとさらに邪悪な笑みを浮かべた。
「なんてもん渡してやがる……!」
顔を赤くし、思わず手のひらの瓶を見つめるネロ。
「ご安心を。使うも使わぬもネロサン次第デスから。ふふ……健闘を祈りますヨ?」
そう言うとタカチホはくるりと身を翻し、他の仲間たちの方へ軽やかに歩いて行った。背中からはニコニコとした気配だけが漂ってくる。
そんな二人を見ていたワノツキがじとっとした視線を送る。
「おい、タカチホ……今の、何渡したんだ」
「秘密ですヨ、秘密」
「ぜってー怪しいな、オイ……」
ネロは顔を赤くしながらその小瓶を懐にしまい、ようやくメリィの待つ部屋へと歩き出すのだった――。
ネロが自室の扉を開けると、メリィが窓辺に立っていた。
夕暮れの光。乾いた風。メリィの巻き毛がふわりと揺れ、異国の衣装の淡い布がひらめく。
幻想的――思わず、ネロは息を呑んだ。
そっと背後に近づき、その脇腹の深いスリットに手を伸ばす。
「――きゃっ……!?」
驚いて振り向くメリィ。
「ネロ……だったの?」
「警戒心が足りないんじゃないか?」
優しく背後から抱きしめる。
「……傷、なくなって良かった」
フィズから受けた傷のあった場所を、そっとなぞる指。
「……こ、こそばゆい……!」
メリィが腕の中でもがくと、ネロは低く笑った。
「今はこれでいい。ゆっくりでも……」
そっと額をメリィの肩に預ける。
その様子を――
「やっぱり、へたれさまですね」
「メリィ姉さま、あんな可愛い服着てるのに……」
「今度は……盛るしかないですかね。媚・薬☆」
「やめとけ。後が怖えぞ」
扉の影。
双子が顔を寄せ合い、タカチホが悪戯っぽく微笑み、ワノツキが腕を組んでじと目を光らせている。
夜のジスール。ランプの灯りが、柔らかく路地を照らしていた。
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