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92.歯車と迷路②
しおりを挟む巨大な歯車の回転音と共に、迷路の入り口が開く。
街の奥、そびえ立つ大時計台。
その内部は「生きている迷路」と呼ばれる仕掛けだらけの迷宮だ。
一行は好奇心とほんの少しの不安を胸に、その中へと足を踏み入れた。
「おー……始まったか」
ワノツキが背後でゆっくりと閉じる扉を振り返る。
次の瞬間、ガコンという音と共に床が揺れ、仕切りが上下左右からせり出す。
迷路の意志により、六人はあっさりと三組に分断されてしまった。
「……面倒だな。壊してもいいか?」
ズメウが無表情に、壁の一角を鋭く指さした。
レンガの隙間からは蒸気が漏れ、内側に動く歯車の音が響いている。
「おいおい、やめとけ。迷路の意味なくなるだろうが」
ワノツキは慌てて手を上げて止める。
「効率が悪い」
「ダメだっつってんだろ!ここ壊したら他の奴らの道まで変わりかねねぇぞ」
ズメウは不満げに鼻を鳴らすと、渋々手を引っ込めた。
「……なら早く進むぞ」
「ったく、どこに出口があるんだか……」
「わぁ……!」
「すごいです!」
双子は目を輝かせ、きょろきょろとあたりを見回していた。
光る歯車や、動く床板。赤いランプが道を示すように瞬いている。
「マヌル、なんだかワクワクしますね!」
「メルル、クリアしましょう!絶対に!」
小さな手をしっかり繋ぎ、二人はぴょんぴょんと軽い足取りで先へ進んでいく。
前方には上下する床、回転する通路。
ふたりの耳と尻尾がぴょこんと揺れる。
「きっと一番にゴールしちゃいますよ!」
「ですね!」
意気揚々と笑い合い、双子は迷路の奥へと消えていく。
「え……?」
カチャン、という乾いた音。
不意にメリィの左手首とネロの右手首が、冷たい金属の枷で繋がれた。
「な、なにこれ……?」
驚いてネロを見るメリィ。
ネロは小さく肩をすくめ、苦笑した。
「離れないための保険だ。……前にタカチホから渡された」
ネロはタカチホが嬉々として話していた時の様子を思い出す。
——『んふふ!こういった制限があっても盛り上がるかと思いますのでネロさんにお渡ししておきますねェ!ご安心ください!夜お二人の部屋に聞き耳を立てるような事はしませんから!ええ、本当に!!』——
耳の先を少し赤らめため息をつくネロ。
メリィは繋がれたお互いの手を見て照れたようにはにかむ。
「うん……絶対離れようが無いね。なんだか安心するよ」
そう呟いたメリィは、手枷とは別にネロの手をそっと握った。
「……手も、繋いでていいかな?」
その一言にネロは大きく深呼吸をして、内心のざわつきを抑える。
ぎゅっと指を絡め、彼女の手をしっかり握り返す。
「……よし。行くか」
ゆっくりと歩き出す二人。
歯車がゆるやかに回転する音が、薄暗い迷路の中に響く。
二人を繋ぐ枷は意外にも邪魔にならず、かえって温もりと安心感を与えていた。
こうして三組はそれぞれ、迷路の深部へと歩みを進めていく。
この“生きた迷路”がどんな仕掛けを用意しているのか、それはまだ誰も知る由もなかった——
――
迷路の中、大柄な二人――ズメウとワノツキは、他の者たちと分かれた後も無言で進んでいた。いや、正確にはズメウが無言、ワノツキが時折声を上げていた。
「どわっ!っと……あっぶねぇ!!」
頭上から突然落ちてきた鉄球をワノツキが身をひねって避ける。目の前を横切った巨大な歯車の回転をしゃがんでかわす。迷路とは名ばかりの、まるで巨大な工場の中を歩かされているようだった。
その横でズメウは、まるで散歩でもしているかのように涼しい顔をして、静かに前へ進んでいた。迫りくる槍、横から飛び出す壁、足元からせり出す床――全てを半歩ずつずらすだけで軽々と躱す。
「おい……ちょっとは驚いたりしろよズメウ……!」
「……動きが単純だ。避けるまでもない」
ぼそりとズメウが答えたその直後、ギリギリと大音量で迫る回転ノコギリが横から突っ込んできた。
「ぬわっ!?マジかよこれ!死人が出るぞ!」
ワノツキは反射的に大槌を横に構えて弾き返す。鈍い金属音が迷路内に響いた。
ズメウはちらりとその様子を見やり、ふっと鼻で笑った。
「悪くない反応だ。だが――」
「だが、何だよ!」
「壁を壊せば進路が拓ける」
ズメウは前方の厚い鉄壁を指さした。鋲打ちされた重厚な鉄の扉。普通なら開かないだろうという無言の威圧感を放っている。
「ダメだろ!迷路の意味が無くなるだろが!」
「目標の無い迷路など、ただの牢獄。進むしかあるまい」
そう言うズメウの金色の瞳がわずかに細められる。視線はその鉄壁のさらに先――上方へと向けられていた。
「出口がどこにあるかの説明もねぇし……こりゃイカれてる迷路だぜ、ったく」
ワノツキもズメウの視線を追う。遥か上方、時計塔の中心部。巨大な歯車が幾重にも重なり、回転し、音を立てている。
「……なあズメウ。あの中心部……何かあるのか?」
「ある。夢と悪夢の気配が混じっている。あそこが中枢だ」
「夢と……悪夢?両方だと?」
ズメウは短く頷いた。
「この迷路の構造に不可欠なものとして――希望と絶望。対になる力を組み込んだのだろう。片方に寄れば均衡が崩れる。どちらにも偏らぬよう調整されている」
「マジか……迷路で遊ばせるために、夢も悪夢も利用してるってことかよ」
「愚かなことだ。だが……もし制御が利かなくなれば、迷路どころか街ごと呑まれるだろう」
ズメウの指が軽く宙を指す。迷路の奥、そしてその頂にある時計塔の中心――そこが問題の核だと。
「他の奴らは……気付いてっかねぇ」
「気付いておらぬなら、我らで叩けば良い」
ズメウはそう言って鼻を鳴らした。静かな声音とは裏腹に、その声には刃のような鋭さがある。
「結局壊すって事じゃねーか……」
ワノツキは肩をすくめ、頭上の大きな時計板を見上げた。歯車と蒸気と夢の気配。機械仕掛けの巨大迷路。その心臓部が、確かにそこにある――。
「ま、いいさ。派手にぶっ壊すのは嫌いじゃねぇしな」
ズメウは黙ったまま前方の壁に手をかける。指先が鉄に触れ、そこにわずかな振動が生まれた。
その時、また迷路が――音を立てて動き始めた。足元の床が沈み、道が回転する。
まるで何かが上部に来ることを拒んでいるかのように。
「……きりがないな」
ズメウの静かな言葉に、ワノツキも真顔になった。
「上には来させたくねぇってのがバレバレだな」
「なら、直接行くまでだ」
翼を出すズメウはワノツキの腕を掴む。
迷路の奥、そして塔の中心へと進んで行くのだった――。
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