110 / 140
110.黒の魔王(後編)
しおりを挟む朝焼けの気配が湖面に淡く映る頃、一行は宿を出てワーネス湖へと向かっていた。
冬の空気は冷たく澄み渡っており、踏みしめる雪の音だけが静かに耳に届く。
「……着いた、かな」
メリィが呟く。目の前には、広く、静かにたたずむ湖が広がっていた。
風ひとつなく、鏡のような湖面。まるで、何かが眠っているかのように。
だがその湖畔、わずかに開けた岸辺に、ひとりの人影が立っていた。
黒のローブを纏った男。
その姿に一行が足を止めると、男はゆっくりと顔を上げ、真っ直ぐにメリィを見た。
「……アーク」
低く落ちる声だった。
それは呼びかけにも、独り言にも聞こえた。
男の瞳には、悲しみと、どこか懐かしさが混ざっていた。敵意も、殺意も感じられない。
「……もしかして、アナタが黒の魔王サンですか?」
タカチホが前へ出て問いかける。
男は一度、長く瞬きをした。
「……かつて、そう呼ぶ者もいた」
雪の中で、名乗るように口を開く。
「私の名は、カーラ」
「カーラ……」メリィがその名を呟く。
カーラはメリィの他に、タカチホ、ネロの顔を順に見た。
「お前たちから……アークの“残滓”を感じる。何故だ」
「オレ達も聞きたい」
ネロが一歩前に出る。
「あんた達、魔王って……結局なんなんだ?」
警戒しつつも、双子やシーダはズメウの背後からカーラをじっと見つめていた。
「魔王とは、かつて神に選ばれし者――神の子らの呼称だ」
カーラはゆっくりと語り始める。
「元は只人であった我らは、ある日、神からの“天啓”を受け、それぞれに使命を持たされた」
カーラの視線が湖へと向く。
冬の湖は、静かに波紋一つ立てず、ただ光を反射していた。
「天啓を受けた者には、それぞれ“色”が与えられた。私は、すべてを塗り潰す黒。アークは、すべてを浄化する白。……他にも赤や青、緑もいた」
「神は、使命という名で我々を縛り、人間たちに争いをもたらした。……この世界をただの“遊戯盤”としか思っていなかったのだ」
その声音には、怒りではなく――虚しさが滲んでいた。
「えっと、つまり神さまは実在して、元は普通の人だったカーラさま達を使い争い事を起こしていて…それが遊びだったという事ですか?」
メルルが驚き、少しだけ震えながら問い返す。
「神というものは、気まぐれに人を救い、気まぐれに壊す」
ズメウが重く口を開いた。
「私は、アークに出会うまでその事に気づかなかった。……使命に従い、多くの“同胞”を屠った。
私に下された天啓は破壊である“世界の粛清”。アークには“世界の安寧”。……相容れるはずもない」
カーラの目がふたたび、メリィたちに戻る。
「……だが、なぜお前たちが“アークの残滓”を持つ……?」
ネロが少し躊躇いながら答える。
「正直、よくわからない。ただ、オレは“悪夢”を食べることができる。……伝説にある“白の魔王”と、少しだけ共通点があるとすれば、それくらいだ」
「ふむ……」カーラは小さく唸る。
「小生は……白の魔王に、お会いした事がありますヨ」
タカチホの一言に、場が凍る。ネロとズメウ以外が一斉に彼を見る。
一瞬ためらいながら、タカチホは続ける。
「彼女には、彼女を慕う“使徒”と呼ばれる者たちがいました。眠る彼女の傍で、悪夢を少しでも減らすために……彼女に溜まった悪夢を、自分たちが引き受けた」
「……それによって、“使徒”は彼女の力の一端を使えるようになった」
「それが……“魔人”です」
空気が凍りつく。誰も、言葉を返せない。
「……なるほど」
カーラが目を伏せ、ゆっくりと頷いた。
「だからお前たちからは、アークの痕跡を感じるのか……だが、ならば――この娘は、なぜ?」
カーラの視線が、メリィに向いた。
「えっと……わたし、よくわからないんです。何となくわたにつつまれたみたいな感覚しかなかったからそうかはわからないのだけど、でも……」
メリィは胸に手を当てる。
「大怪我をした時、夢の狭間……っていう場所で……アークさんに、会ってたかもしれない。
……はっきりはしないけど、そんな気がしてるの」
その言葉に、カーラの目が大きく見開かれた。
「……ッ!」
ずん、と一歩メリィへ近づく。
「下がれ、メリィ!」
ネロがすぐさま庇うように前へ出る。
「待ってくだサイ。害意は感じられません」
タカチホが小さく言い、カーラは手を掲げて止まった。
「大丈夫だ。傷つけるつもりはない……ほんの少しだけ、触れさせてくれ」
カーラはゆっくりと手を伸ばし、メリィの額に触れる。
その瞬間――
カーラの目から、ぽたりと涙が落ちた。
「……ああ……そうか。そうなのか……」
呟きとともに、カーラは手を引く。
「……私たちは、まだ……盤上の上にいるのだな……」
そう呟いたカーラは、自分の胸元に手を当てた。
そこから、淡く光る黒い結晶が現れる。けれどそれは悪夢ではない。どこか、優しく、温かい色をしていた。
「空の者よ。……これを、お前に託そう」
カーラの声は静かだった。
「これは“悪夢”ではない。……私の、夢。……願い……のようなものだ。
長い長い時を嘆いていた。私も……そして、きっと彼女も。だから、お願いだ」
「お前の中にある“白”と……どうか、共に在らせて欲しい」
メリィは、ゆっくりと、こくんと頷いた。
その結晶が、そっとメリィの胸元へと吸い込まれていく。
カーラが微笑む。その頬に、また一筋、涙が流れる。
だがその身体が、突如として崩れ始めた。
「カーラさん!?」
「大丈夫……これは、ただの肉体の死。……私はもう、十分に生きた。
……私の心は、もうお前の中にある……それで、いい」
土のように崩れていくその姿は、どこか穏やかで、どこか――寂しげだった。
黒の魔王、カーラは静かに消えた。
残されたのは、わずかな塵と、凪いだ湖面だけ。
「……メリィ、大丈夫か?」
ネロが慌てて肩に手をかける。
「変な感じとか、不調は……?」
タカチホも覗き込む。
「ううん……不調はないよ」
メリィはゆっくりと頭を振った。
「ただ……」
ぽろり、と。メリィの目から、一粒、涙がこぼれ落ちる。
「……なんだろ。少し切なくて……でも、あったかいの」
「変だよね、こんなの……」
誰も、その言葉を笑わなかった。
カーラが遺したものは、悲しみではなかった。
確かに、そこに“願い”があった。
そして――
黒の魔王と出会ったこの日を、メリィたちは決して忘れないだろう。
それが希望であるか、絶望であるか。
答えはまだわからない。
それでも旅は――続いていく。
0
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」
公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。
死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」
目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。
「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」
隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。
そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……?
「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」
資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
神様の忘れ物
mizuno sei
ファンタジー
仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。
わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。
無関心夫の手を離した公爵夫人は、異国の地で運命の香りと出会う
佐原香奈
恋愛
建国祭の夜、冷徹な公爵セドリック・グランチェスターは、妻セレスティーヌを舞踏会に残し、早々に会場を後にした。
それが、必死に縋り付いていた妻が、手を離す決意をさせたとも知らず、夜中まで仕事のことしか考えていなかった。
セドリックが帰宅すると、屋敷に残されていたのは、一通の離縁届と脱ぎ捨てられた絹の靴。そして、彼女が置いていった嗅いだことのない白檀の香りだけだった。
すべてを捨てて貿易都市カリアへ渡った彼女は、名もなき調香師「セレス」として覚醒する。
一方、消えた妻を追うセドリックの手元に届いたのは、かつての冷たい香りとは似て非なる、温かな光を宿した白檀の香水。
「これは、彼女の復讐か、それとも再生か——」
執念に駆られ、見知らぬ地へ降り立った公爵が目にしたのは、異国の貿易王の隣で、誰よりも自由に、見たこともない笑顔で微笑む「他人」となった妻の姿だった。
誤字、修正漏れ教えてくださってありがとうございます!
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる