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120.闇に咲く赤
しおりを挟む火の手が、街のあちこちから立ちのぼっていた。
小さな悲鳴が、怒号が、空気を震わせるように宵闇に散っている。
バクストの高台に建つ屋敷。その最上階にある書斎のバルコニーで、ひとりの青年が静かに夜風を受けていた。
白く艶めく髪に月光が落ち、整った横顔に血のような紅が差す。眺める先は燃える街。その様子をまるで、炎に照らされる絵画でも見るようにじっと見つめている。
「……君の小鳥達は、随分と好戦的なようだね」
小さく笑みを浮かべたシュヴァルが振り向く。その瞳は、夜の色を映し出していた。
部屋の奥、薄闇の中に二つの影があった。
一人は初老の男、厚手のローブを羽織り、片手に古びた杖を持っている。
ボア教授。学者の風体をしてはいたが、その瞳には純粋な探究よりも、もっと歪んだ執着と陶酔が宿っていた。
その隣には少年。否、少年の姿をした、異質な存在——フィズ。
紅い目がじっと、誰ともわからぬものを見つめている。
「あなたのご協力のおかげで、実験は成功しましたよ。シュヴァルさま……いや、シュヴァル」
そう言って笑ったボア教授の顔が、月光に照らされる。
その微笑には満足と共に、もはやこの男に利用される段階は過ぎたのだという優越感が滲んでいた。
「おや……?躾がなっていないのは、小鳥達じゃなくて君だったようだね」
シュヴァルが一歩、室内に戻る。
その足元に、花が咲いた。
真紅の花。血の色に近いそれは、木の床から音もなく芽吹き、静かに咲き誇っていく。
まるでシュヴァルの感情と連動するように。
「やれ、フィズ」
ボア教授のその言葉に、フィズの瞳がわずかに揺れた。
次の瞬間、風すら切らぬ速さで、少年が身を翻す。
爪のように鋭い指先が、ボア教授の胸から腹に掛けてを斬り裂いていた。
何が起きたかもわからぬまま、彼の体は壁に叩きつけられ、血飛沫を描いて倒れ込む。
「な……なぜだ……フィズ!……シュヴァル…何を、した……!」
震える指で傷口を押さえ、血を流しながらよろめき床へと倒れた教授に、シュヴァルはゆっくりと近づいた。
顔には笑み。だがその瞳には、一切の情がなかった。
「ちょうど、駒がひとつ欠けていたんだ。手頃な替えを連れてきてくれてアリガトウ。ボア教授」
靴の音が、血の床を踏みしめる。
床を這うボア教授が顔を上げると、そこにあったのは、漆黒の靴のつま先。
「きみの小鳥達は——僕が飼ってあげる」
ボア教授の頭をシュヴァルは踏み付ける。
「サヨウナラ」
振り下ろされる細剣。
やめろ、と掠れた声がこぼれる。
けれどその願いも虚しく、頭蓋が床を打ち、首が傾ぎ、赤い血が広がった。
部屋に、深い沈黙が落ちる。
フィズは何も言わない。
命じられた通りに動いただけだというように、また元の場所へと静かに立っている。
シュヴァルは、赤に染まった床の先——バルコニーから見える空を見上げた。
炎の煙と、風と、星々。その向こうに、彼の目は何かを捉えていた。
「もうすぐ、また会えるね……メリィ」
その声は、どこまでも優しく、けれど残酷だった。
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