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128.また、花畑で(前編)
しおりを挟む朝の光が街を優しく照らし始めた頃、一行は宿の前で出発の支度をしていた。
昨日までの喧騒がまるで幻だったかのように、空は穏やかに晴れ渡っている。
「こちら、お返ししておきますネ!」
元の飄々とした声と共に、男性の姿に戻ったタカチホが、メリィの胸元にそっとブローチを差し出した。
「え……いいのかなぁ、これ貰っちゃって……?」
メリィは遠慮がちに受け取りながら、視線をさまよわせる。
「またドレスコードのある場所に行く時に付けていけば良いのですヨ。それに……良い思い出にもなりましたしネ?」
タカチホはいつもの調子で言い、ふわりと笑ってメリィの手を包むように添えた。
「うん……ありがとう」
メリィは頷き、大切そうにブローチをポーチの奥にしまった。
一方、双子は宿屋の玄関で、ひとつのぬいぐるみをそっと手放していた。
昨夜カジノで手に入れた戦利品のひとつ。
彼女たちはよくしてくれた宿の店主、その孫にこっそりと贈ったのだった。
「こっちはリュックに入れて連れていきますよ!」
マヌルがタカチホに取ってもらったお気に入りのぬいぐるみだけは、今もリュックから顔を出している。
「ねぇねぇ見てください!雲がすごいです!」
「ふわふわで綿あめみたいですね!」
朝の道をスキップするように進む双子。
だが——その途中で、マヌルの足がもつれ、石畳に前のめりに転んでしまった。
「大丈夫か?」
ネロがすぐに駆け寄り、マヌルを支える。
「砂利でずるっといっちゃいました!」
マヌルは笑って立ち上がったが、その背中をメルルは心配そうに見ていた。
その夜。
小さな焚き火の光のもと、旅の仲間たちはそれぞれに疲れを癒していた。
「マヌル、調子が悪かったりしたらすぐ言わなきゃですよ?タカチホさまもいますし……」
「大丈夫ですよ、メルル!ほんとに、たまたま転んじゃっただけですから!」
いつもの元気な口調で応えるマヌルだったが、メルルの胸のざわめきは拭えなかった。
翌日——
その不安は、最悪のかたちで現実となる。
山道を越え、小さな宿屋にたどり着いた夕方。
布団に横たわるマヌルの頬は紅く火照り、額には玉のような汗が滲んでいた。
呼吸は浅く、意識も朦朧としている。
「マヌル……マヌル、大丈夫……?」
焦ったメルルが体を揺するも、返事は「うー…」と弱々しい唸り声だけ。
タカチホがすぐに診察に入る。額に手を当て、脈を測り、自分の上掛けから何本もの瓶を取り出しては慎重に確認し、難しそうな顔をしていた。
マヌルを安静にさせるためにとメリィ達の部屋へと場所をうつす。
「……マヌルの状況は……?」
震える声でメリィが訊ねる。
タカチホは深く息を吐き、重い口を開いた。
「マヌルサンは……命が尽きかけていまス」
その言葉に、部屋の空気が凍りつく。
メリィは何かを言おうと口を開くも、言葉が出なかった。
「どういう事だよ…それ……お前の薬で、どうにかできないのか……?」
ネロが低い声で尋ねる。
だが、タカチホは首を振る。
「病であれば、小生の薬でいかようにも出来たでしょう。ですが……コレは」
言いかけて、言葉を呑み込む。顔を伏せ、握りしめた拳が震えていた。
その沈黙を破ったのは、ズメウだった。
「マヌルも……“作られた存在”だったのだろう」
呟かれたその一言が、一行の胸を突き刺した。
双子の故郷、作られた別のマヌルとメルルがいたという“あの里”の話がよみがえる。
「そんなの……嘘です!!!!」
メルルが叫び、マヌルの眠る部屋へと飛び込む。涙が声に混ざっていた。
「メルル……」
傍で見ていたシーダが、苦しげな表情でその背を見送る。
「わたし、メルルの所に——」
立ち上がろうとしたメリィの腕を、タカチホがそっと掴む。
「……メリィサン。もし“白の魔王”の力を使おうとしているのなら……おやめなさい」
その声には、普段にはない、鋭い切迫があった。
「魂の再生は神の領域でス。アナタの力では救えません……」
そして——
「……それは、小生も同じですが……」
悔しさを噛み殺すように、タカチホはメリィの手を離した。
「そんな…そのまま見守る事しか出来ないなんて……」
メリィは肩を落とし、目には涙が溢れていた。
その夜。
誰もが眠れなかった。
重く、静かに——星が流れ落ちるだけの夜が、そこにあった。
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