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第十話

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「お願いね」
 メイドは頭を下げると、すぐに去って行った。
 馬を乗って王都に行くとなると、従者がひとり向かうことになるだろう。
 マッケンジー家の使いの者だと言って、門前払いにならないといいが。
 イーニッドはため息を吐きながらベッドに戻ると、その日は眠れない夜を過ごして、何度も寝返りを打った。


 ***


 王都で盛大な結婚式が開かれ、街は浮足だっていた。
 しかし、主役でもあるイーニッドは教会の控室で落ち込み、肩を落として、ベール越しに見る岩肌の壁をじっと見つめていた。
(もう後戻りはできないわ)
 ガウェインとの結婚が正式になれば、イーニッドは王都に住むことになる。
 同時に、父を追いやったアランとの同居でもあり、どんな嫌がらせの言葉を浴びせられるか分からない。
 今日この日に至るまで、マッケンジー家は何ひとつ決定権がなく、ソレク家の決めたことに従うしかなかった。
 王都での盛大な結婚式であり、パーティーはマッケンジー家の別邸を貸し切り夜通し夜会を開く。イーニッドはその相手をするように命じられ、ロバートは教会の出入りしか認められなかった。勿論、兄妹も。
 つまり、夜会という華々しいところには不要だと言われたのだ。
 それだけでなく、イーニッドは参列者の相手を命じられている。
 没落したことを知らないわけでない貴族を相手に、笑顔で応対しなくてはいけないのだ。
 完全に嫌がらせだと分かっていても、断ることは出来なかった。もうソレク家の妻になってしまったのだから。
(どんな顔をすればいいのかしら。ソレク家の関係者が多いというのに)
 落ち込んでも仕方ないと思いつつ、教会の控室で段取りを聞いて、結い上げた髪を丁寧に整えられる。
「お綺麗です。イーニッド様」
「ありがとう」
 メイドも、マッケンジー家からは連れてこられず、ソレク家のメイドがぎこちない笑みを向けてくれる。しかし、冷たい視線を感じないのは救いだし、何かと気が利いて居心地は悪くなかった。
「優しいわね」
「……どうしてそんなことを? メイドとして、こんな光栄なことはありません」
「光栄……?」
「ええ。ガウェイン様から色々聞いております。それに、綺麗にしてくれとも。今日この日が楽しみで仕方ありませんでした」
「そうなの?」
 信じられない言葉が飛び出し、嘘じゃないかと疑う。
 ガウェインに仕える者達が自分を敬うとは思えなかった。
 心の中で嘲り笑い、マッケンジー家が嫁いだのは王都に舞い戻る為に結婚を利用したと思っているだろう。それが、素直に光栄だのと言われて、イーニッドの方が困ってしまう。
 ベールを被せられると、時間になりすっと席を立つ。
 長いスカートの裾を持ってもらうと、控室から出た。
 メイドではなく、兄妹に裾を持ってもらいたかったが、この結婚はソレク家の言いなりになるしかなく、参列客に混じり席についている。
 ガウェインが牧師から言葉をもらっていて、教会中に牧師のよく通る声が響いた。
 イーニッドは静かに入り口に周り、タイミングを見計らって扉が開くのを待つ。
 目を伏せ、緊張で胸が鳴る。
「では、中にお入りください」
 イーニッドは小さく頷いた。
 扉が重く開くと、皆の視線がイーニッドに注ぐ。
 純白のドレスは華美な装飾はなく、胸元に一輪の花をイメージしたコサージュがあり、スカートのフリルやレースも華美なものでさりげなく施されたもの。
 代わりに仕立てのいい生地が光沢を放ち、目を引くものだった。
 誰かが「素敵」と呟いた。
 けれど素直に聞くことも出来ず、恐る恐る足を前に出す。
 どこかで兄妹の声が聞こえて顔をあげそうになるが、ガウェインの隣に行くまでは顔をあげてはいけないと言われていた。
 十字の前まで到着すると、ガウェインの広い胸元が視界に入る。
 顔を上げると、ガウェインの瞳がわずかに潤んでいた。
「綺麗です。俺だけのイーニッド」
「……」
 耳朶を染めて胸が勝手になる。恥ずかしさで何も言えなくなり、ぎこちなく笑顔だけを返す。もはや彼の気持ちは分からないわけじゃない。必死に無視を決め込むのだって大変なのだし、うっかり甘ったるい視線に絡め取られると胸が鳴って仕方なくなる。
 冷めてしまったと思っても、ガウェインの熱に浮かされていた。
 でも、素直に私も好きよ、なんて言える状況じゃないことくらい理解して欲しいものだ。
(そもそも、好きじゃないわ。これは政略結婚よ)
 自分に言い聞かせて、作ったようににこやかな笑みを見せると、ガウェインが頬を染める。
「本当に美しい」
 牧師が咳払いをすると、夫婦についての祝辞を述べてくれる。
 自分たちに夫婦とはと語られても意味はないのにと思ってしまう。
 仮初めの夫婦に大事な物などない。
 あるとすれば、干渉しないこと、ルールを守ること、世継ぎを授かることだけだ。
 どこかにいるであろう愛人との恋を邪魔することだってしないつもりでいる。
 ぼんやりと聞いていると、誓いのキスをと言われてしまった。
 その時まで、彼とはキスは手の甲のみ。
 キスをすることはまずないと思っていただけに、大勢の前で恥ずかしくてたまらない。
 イーニッドがガウェインの方を向くと、彼も照れたように目を細めている。
 腰を屈めてベールが捲られる。そのまま緊張して姿勢を正す。
「キスをしてもいいね?」
「な、なにを今更……」
「いいね?」
 押し問答を牧師の前でしたくないと、イーニッドは小さく頷き、自ら目を瞑った。
 すると、触れるだけのキスをされる。
 初めて感じる温もりに、イーニッドは息を飲んだ。
 彼の体温を感じたようで、どくんと胸が思い切り跳ねる。
 唇が離れていくのだが、緊張はほどけることなくイーニッドは目を固く瞑った。
「もう平気です、目を開けて」
「ご、ごめんなさい」
 緊張も手伝って、唇だけ未だにふわりとした感覚が残っている。
 上目でガウェインを見ると、くすっと笑ってくれた。
「そんなに緊張しなくてもいいですよ。いずれ慣れますから」
「……そんなわけないわ」
「俺の妻になったんです。いつでもキスくらいするでしょう?」
「……そう……よね」
 その言葉と共に胸がきゅっと掴まれる思いになった。
 妻なら何でもするだろう? と、この期に及んで脅されているような気がしたからだ。
 ガウェインなら、一定の距離を保ったまま、見せかけの妻でいさせてくれると期待したのだが。自分の扱いがこの先心配になりそうだ。
「では、指輪の交換を」
 手を取られて、大ぶりのダイヤが指に嵌められた。
 こんな豪華な指輪を貰える日が来るとは思わなかったが、引き換えに失うものはなんだろうと、なぜか気落ちしてしまう。
「俺との結婚が心配でしょう?」
 ぼそっと呟いた彼に、イーニッドは目を丸くした。
 自分の心を毎回覗かれているように、彼は察しがいい。
 こんなにも相手を察することが出来るのに、どうしてあんなやり方で結婚など――。
「安心とは思えないわ」
「必ず幸せにしますと、神に誓っているのに?」
「どんな人でも言えるもの」
「どんな人にも誓うよ。当たり前だ」
「……好きに言ってください」
 一瞬、気持ちがぐらついた。
 男性から言われたことがないせいだろう。
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