没落令嬢は恨んだ侯爵に甘く口説かれる

如月一花

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第十八話

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 ***


翌日の昼頃、エントランスホールはにわかに慌ただしくなっていた。
噂されていた女性が現れたのだ。
ガウェインがすぐに出迎えて、イーニッドは部屋にいるように命じられた通りにしていた。
彼女がどんな女性なのか、何をするのか。
それは誰もが分かっていた。
自分では物足りないから招いたのだろうと、自嘲気味に笑うとイーニッドは涙が溢れて止まらなかった。
捧げるものがないと言ってキスをした。
それが精一杯だったのに、彼はその直後に女性と身体を重ねるのだ。
(嘘つきよ。大噓付きだわ)
 部屋に籠って泣き伏せり、ベッドに顔を埋めるとみるみるシーツは濡れていった。


  ***


「帰っていただけませんか」
 ガウェインはティールームに招いて、初めて見た女性にそう言った。
「お金を頂いておりますし、子を成せと命じられてもおります。私が何もせず村へ帰れば、ソレク候は村を見捨てるとおっしゃりました。絶対に帰れません」
 女性は震える手を必死に握り、潤んだ瞳で訴えてきた。
 彼女の言うことに偽りはないだろう。
 仕立てられたデイドレスは淡いピンクで胸元が大胆に開いたものだ。フリルをたっぷりあしらい、その場ですぐにでもことに至れと言わんばかり。
 アランが用意したものだろうが、震える女性に触れることすら憚られる。
「俺には妻がいます。その人以外に抱くつもりはありません。お金が必要ならば、それ以上お渡しします。村のことも、お任せください」
「……信じていいのですか?」
 訝し気な目をされて、ガウェインは胸が痛んだ。
 アランの息子というだけで、同じ人種だと思われてしまう。
 彼と同じように人を道具にしか思わず、蹴落とす、そんな風にはなりたくはない。
 そうして生きてきただけに、胸が痛くなる。
「妻にもそうして睨まれております。まだわだかまりが溶けておりません。知りませんか。私の妻はマッケンジー家の長女だと」
 女は目を見開き、小さく頷いた。
「存じております。それで、子を作らないと駄々をこねていると聞かされておりますから」
「駄々ではありません。ゆっくりと、互いの距離を縮めているのです」
 ガウェインはありのままを話す。
 まだ打ち解けたとは言い難いこと、結婚は強引であったこと、それでも妻を愛していること。女性は目を丸くして聞いていたが、頷いてくれていた。
「信じてくれますか?」
「信じるしか……ありません。私だって、村に好きな人がいます。村の為にその身を捧げろと、突然ソレク候が現れて……」
 思い出して泣き出したので、ガウェインはそっと手を握った。
 女性はドレスを着て髪を結えば、立派な令嬢だった。
 しかも、かなりの美人。村でも一番の美貌の持ち主をすぐに探したのだろう。輝く金髪と白い肌はまるで貴族のもののようだった。化粧を施し身綺麗にされたのだとしても、とても美しい。父が見初めただけはある。でも、イーニッドには敵わない。
 彼女がどんなに嫌だと言っても、村の為と言って説き伏せれば強引に連れてくることは可能だったろう。大金を渡し、村の者にも口を封じる為に金を持たせたはずだ。
「俺との関係は結んでいない。そう言ってください」
「でも、それじゃ……」
 泣きはらす目で見られて、ガウェインは一瞬困惑した。
 しかし、しっかりと女を目を見て話す。恐怖で瞳が震えている。
「俺は父を追い落とします。早急に。だから胸を張って村にお帰りを」
「でも……でもっ」
 信じられないのは分かる。
 まだ政権に関わっていないガウェインを信じろと言っても、無理な話だ。
 しかし、水面下ではかなり父の悪行を見つけ出し、集めている。
 それが露見すれば、王とて黙っていられないはず。
 事実を明らかにしても王が動かないのならば、もはや国の腐敗は近いだろう。
「大丈夫です。どうか、お帰りください。馬車で遅らせます。怖い思いをさせて申し訳ありません」
 ガウェインは手に金貨を沢山握らせようとすると、手が引っ込められた。
「私は、自分の村の安全が保障されていればいいのです。どうか、本気で取り組んでください」
「分かりました。これは、あなたの村に寄付をします」
 それでも女性はどこか不服そうな顔をするので、ガウェインは困ってしまう。
 やはり父と同じやり方はいけないと、お金の話はなかったことにした。
「必ず約束を守ります」
 そう言うと、女性に紅茶を勧めてお菓子を食べるように言った。
 手が付けられなかったそれに、おずおずと手が伸びて、女性が安堵の笑みを見せる。
「美味しい!」
 ガウェインはひと段落して、とりあえず胸をなで下ろした。
 しかし、その夜。
 イーニッドは寝室を客間に移して、口を聞いてくれなくなった。
 身体の関係を持ったのだと勘違いしているのは明白だ。
 彼女の部屋に会いに行っても、メイドに就寝中だと言って追い返されてしまう。
「夫でもダメなのですか?」
「イーニッド様は誰とも会いたくないと」
「誤解を解きたい。そこを退いてくれ」
「でしたら、明日以降にしてください。本当にお疲れなのです」
 メイドの言葉を信じて、ガウェインは引き下がるしかなかった。
 翌日、ガウェインはすぐに着替えてイーニッドの部屋に訪れた。
 朝食も食べておらず、部屋に持って行かせたのだ。ちゃんと食べているか心配でたまらない。イーニッドのことだから、きっと裏切られたと思い込んでいるだろう。
「イーニッド。話を聞いてくれませんか」
 扉をノックしていると、次第に自分まで余裕がなくなる。
 ガウェインは必死に女性とは関係がなかったと訴えたが、扉が開くことはなかった。
 メイドに事実を話そうと必死になるのだが、お疲れですので、の一点張りだった。
 結局、メイドを下がらせて自分で交渉するしかなくなった。
「本当に何もない。今から一緒にレストランに行こう。それとも、庭園がいいですか?」
 返事はなく、ガウェインは思い切ってノブを回した。
 すると鍵はかかっておらず、イーニッドはソファに座りぼんやりと窓の外を眺めていた。
「イーニッド。許してほしい。誤解を招くようなことをして申し訳ない」
「いいのよ。だって仕方ないでしょ。私、まだ乙女だもの。妻の勤めを果たしていないわ」
「そんなこと、すぐに望んでいないのです。あの女性は父の命令で来たのです」
 ガウェインが必死で言うが、イーニッドは「そう」と気のない返事をするだけだ。
 自分達の関係は、つい先日ようやく恋人同士のようなものになった。
 もっと愛を深めて、夫婦になりたいと思っていたのに、完全に誤解だ。
「何か欲しいものはありませんか? お菓子でも、宝石でも、ドレスでも」
 すると、イーニッドは苦笑した。
 そして、小さくため息を吐いている。
「お父さまにそっくりよ。そうして物で人の気持ちを動かそうとするところ。私との結婚だって、やり方は脅し。いずれ、同じになるわ。ねえ、私信じてもいいの?」
「信じてください。俺は……、父に反発しているのです。こうして許しを乞うことの何がいけないのです? 謝っても謝っても、許してくれないじゃないですか」
 ガウェインが必死に言うと、イーニッドがくすっと笑う。
「そうね……。だって許せないもの。他の女性と深い関係になっているなんて」
 ガウェインははっとした。
 今まで気のない素振りを見せられたせいで、片思いをしていたと思ったが、イーニッドもガウェインに好意を抱いてくれていたことが分かった。
 だからこそ、今回のことが余計に悔しい。また溝が出来てしまう。
 あの女性のことを素直に話すべきか悩むところだ。ガウェインは必至にイーニッドを見つめるが、目が合うことはなく、彼女は空を見つめるだけだった。
「信じてくれるか分かりませんが、私は、彼女を説得して村に帰ってもらいました。そもそも、彼女は村の娘で、村には恋人がいるのです」
 それを聞いて、イーニッドがようやく振り向く。
 自体を把握出来たのか、目が潤んでいた。話すべきか迷ったが、本当のことを打ち明けて良かったと、ガウェインは胸を撫でおろして、イーニッドの傍に寄り、ソファに腰掛けた。
 そして、今にも抱き寄せたい衝動に駆られる。
「その方は、大丈夫なの?」
「私が守ると約束しました。イーニッドだって同じです。あなた以外の女性を抱いたりしません。どうか、信じてください」
 ガウェインがそっと手を握ると拒絶されることなく、手を握り返された。
 そして涙目で、「ガウェイン」と呼ばれる。
 胸がきゅっと絞めつけられて、堪えきれずイーニッドを思わず抱き寄せた。
 しゃくりあげるように泣く彼女を見て、そっと頭を撫でる。
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