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第二章:仮面の毒と微笑
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王宮では夜ごと、豪奢な宴が催されていた。
春の終わり、夏の到来を祝う“星迎えの祝祭”は、五日間にわたって続く王国伝統の行事である。
貴族たちは色とりどりの仮面をつけ、素顔を隠して踊り明かす。
──その夜、クラリスもまた仮面をつけていた。
群青色のドレス。右目だけを覆う、銀糸で編まれた仮面。仮面舞踏会の招待状は、近衛騎士団名義で届けられたものだ。表向きには「毒婦」などと揶揄される彼女も、事件の調査員として、名目上は“招待”されたのだ。
「私がここにいることを、不快に思う者は少なくないでしょうね」
壁際に立ち、ワインの入ったグラスを傾けるクラリスに、隣から静かな声がかけられた。
「誰よりも美しい人を、不快に思える者など、そういない」
振り返ると、そこにはルークがいた。
「その仮面、よくお似合いですよ。貴族らしい」
「皮肉?」
「本音です。……けれど、気をつけて。王宮には“仮面”のまま本性を隠し通す者が多すぎる」
その言葉に、クラリスはわずかに目を細める。
「貴方は、どうなの?」
「私は仮面をつけるほど器用じゃない。剣と盾しか持っていませんから」
言いながらルークは、そっと手を差し出した。
「今夜は、踊っていただけますか。形式的なものでも構わない」
「……では、一曲だけ」
クラリスは手を取られ、静かにフロアへと踏み出す。
楽団の奏でる緩やかな旋律。舞い踊る仮面の群れ。その中にあって、ルークとクラリスの踊りは、まるで空気のように自然だった。
──だがその視線の中に、彼らを見つめるもう一つの影があった。
「ずいぶん楽しそうね、クラリス」
艶やかなワインレッドのドレスを纏った令嬢が、笑みを湛えて現れる。金糸混じりの栗色の髪。薔薇を模した仮面。そして、完璧な微笑。
リリーナ・ベルサリエ侯爵令嬢。王太子の新たな婚約者。
「まさか毒婦と呼ばれた貴女が、舞踏会の中心で踊るなんて」
「皮肉は結構よ。舞踏会は、仮面をつけた者同士の舞台でしょう?」
「ええ、仮面をつけていれば、何でも許される。毒も、裏切りも」
クラリスの頬が僅かに強張った。
リリーナは、王太子の腕を取って現れていた。アルヴィンはクラリスとルークの姿に、明らかに動揺している。
「クラリス……」
「殿下。ご機嫌麗しゅう」
淡い声でそう告げたクラリスに、アルヴィンは何かを言いかけ──だが、その瞬間、会場の片隅から叫び声が上がった。
「誰か……! 誰か、医師を──!」
振り返ると、若い貴族の青年が苦悶の表情を浮かべ、床に倒れ込んでいた。その手元には、飲みかけのグラスが落ち、ワインが絨毯に赤く染み出している。
「また、毒……っ?」
クラリスはすぐに駆け寄り、青年の様子を確認した。
「呼吸が浅い……瞳孔が収縮してる。これは……“虚影の滴(ホロウ・ティア)”」
「……また、記録から消された毒か」
ルークが歯を食いしばる。クラリスは静かに立ち上がり、リリーナと視線を交わす。
「誰が、どのようにこの毒を運び、混入させたのか。仮面の下では、誰もが“別人”になれる。けれど──私には、香りで分かるの」
「……まさか。香りで?」
「毒には、その製法に応じた“癖”がある。貴女が今日つけている香水。ローレライ花の精油。その中には、微量の“夜香草”が混ざっているわ。これは……ホロウ・ティアの調合に必要な成分よ」
リリーナの微笑がわずかに歪む。
「私を疑うの? それとも、“偶然”だと思ってる?」
「……まだ、“断定”はしないわ。けれど、香りは真実を裏切らない」
* * *
その夜、仮面舞踏会は途中で打ち切られた。貴族たちは混乱しながらも、表面上の体裁を保ったまま散っていく。
控えの間。ルークとクラリスは、事件の報告書をまとめていた。
「今日の毒……おそらく標的は不特定よ。警告、あるいは試薬の試験かもしれない」
「試している……?」
「ええ。誰かが、王宮内で“無毒化されない毒”を実験している。私たちが知らぬ間に、これまでの“常識”はもう通じない段階に来ているのよ」
ルークはクラリスをじっと見つめた。
「あなたは、それでもこの王宮に立ち向かうのか?」
「ええ。……私は、置き去りにされたものを、拾い上げるためにここにいるの」
「置き去りにされたもの?」
「私自身よ。捨てられた婚約。消された知識。……でも、私はここで“価値”を証明する。たとえ誰にも理解されなくても」
その声は、柔らかく、それでいて確かな炎を宿していた。
「……なら、俺も付き合おう」
静かにそう言って、ルークは椅子から立ち上がった。
「あなたを、もう“置き去り”にはさせない」
仮面の下で微笑んでいたのは誰か。毒を嗅ぎ分ける花嫁は、愛と真実の香りを選び取ろうとしていた。
春の終わり、夏の到来を祝う“星迎えの祝祭”は、五日間にわたって続く王国伝統の行事である。
貴族たちは色とりどりの仮面をつけ、素顔を隠して踊り明かす。
──その夜、クラリスもまた仮面をつけていた。
群青色のドレス。右目だけを覆う、銀糸で編まれた仮面。仮面舞踏会の招待状は、近衛騎士団名義で届けられたものだ。表向きには「毒婦」などと揶揄される彼女も、事件の調査員として、名目上は“招待”されたのだ。
「私がここにいることを、不快に思う者は少なくないでしょうね」
壁際に立ち、ワインの入ったグラスを傾けるクラリスに、隣から静かな声がかけられた。
「誰よりも美しい人を、不快に思える者など、そういない」
振り返ると、そこにはルークがいた。
「その仮面、よくお似合いですよ。貴族らしい」
「皮肉?」
「本音です。……けれど、気をつけて。王宮には“仮面”のまま本性を隠し通す者が多すぎる」
その言葉に、クラリスはわずかに目を細める。
「貴方は、どうなの?」
「私は仮面をつけるほど器用じゃない。剣と盾しか持っていませんから」
言いながらルークは、そっと手を差し出した。
「今夜は、踊っていただけますか。形式的なものでも構わない」
「……では、一曲だけ」
クラリスは手を取られ、静かにフロアへと踏み出す。
楽団の奏でる緩やかな旋律。舞い踊る仮面の群れ。その中にあって、ルークとクラリスの踊りは、まるで空気のように自然だった。
──だがその視線の中に、彼らを見つめるもう一つの影があった。
「ずいぶん楽しそうね、クラリス」
艶やかなワインレッドのドレスを纏った令嬢が、笑みを湛えて現れる。金糸混じりの栗色の髪。薔薇を模した仮面。そして、完璧な微笑。
リリーナ・ベルサリエ侯爵令嬢。王太子の新たな婚約者。
「まさか毒婦と呼ばれた貴女が、舞踏会の中心で踊るなんて」
「皮肉は結構よ。舞踏会は、仮面をつけた者同士の舞台でしょう?」
「ええ、仮面をつけていれば、何でも許される。毒も、裏切りも」
クラリスの頬が僅かに強張った。
リリーナは、王太子の腕を取って現れていた。アルヴィンはクラリスとルークの姿に、明らかに動揺している。
「クラリス……」
「殿下。ご機嫌麗しゅう」
淡い声でそう告げたクラリスに、アルヴィンは何かを言いかけ──だが、その瞬間、会場の片隅から叫び声が上がった。
「誰か……! 誰か、医師を──!」
振り返ると、若い貴族の青年が苦悶の表情を浮かべ、床に倒れ込んでいた。その手元には、飲みかけのグラスが落ち、ワインが絨毯に赤く染み出している。
「また、毒……っ?」
クラリスはすぐに駆け寄り、青年の様子を確認した。
「呼吸が浅い……瞳孔が収縮してる。これは……“虚影の滴(ホロウ・ティア)”」
「……また、記録から消された毒か」
ルークが歯を食いしばる。クラリスは静かに立ち上がり、リリーナと視線を交わす。
「誰が、どのようにこの毒を運び、混入させたのか。仮面の下では、誰もが“別人”になれる。けれど──私には、香りで分かるの」
「……まさか。香りで?」
「毒には、その製法に応じた“癖”がある。貴女が今日つけている香水。ローレライ花の精油。その中には、微量の“夜香草”が混ざっているわ。これは……ホロウ・ティアの調合に必要な成分よ」
リリーナの微笑がわずかに歪む。
「私を疑うの? それとも、“偶然”だと思ってる?」
「……まだ、“断定”はしないわ。けれど、香りは真実を裏切らない」
* * *
その夜、仮面舞踏会は途中で打ち切られた。貴族たちは混乱しながらも、表面上の体裁を保ったまま散っていく。
控えの間。ルークとクラリスは、事件の報告書をまとめていた。
「今日の毒……おそらく標的は不特定よ。警告、あるいは試薬の試験かもしれない」
「試している……?」
「ええ。誰かが、王宮内で“無毒化されない毒”を実験している。私たちが知らぬ間に、これまでの“常識”はもう通じない段階に来ているのよ」
ルークはクラリスをじっと見つめた。
「あなたは、それでもこの王宮に立ち向かうのか?」
「ええ。……私は、置き去りにされたものを、拾い上げるためにここにいるの」
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「私自身よ。捨てられた婚約。消された知識。……でも、私はここで“価値”を証明する。たとえ誰にも理解されなくても」
その声は、柔らかく、それでいて確かな炎を宿していた。
「……なら、俺も付き合おう」
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