毒婦と呼ばれた令嬢は、謎と恋を嗅ぎ分ける

赤紫

文字の大きさ
10 / 12

第九章:母と娘、最後の対話

しおりを挟む
 薄闇のなか、クラリス・エルステッドは独り、石造りの牢にいた。天井の高いこの部屋は、かつて研究者の“儀式室”だったものだろう。
  魔力を吸い込む黒鉄の鎖に手首を繋がれた彼女の前に、今、ひとつの影が現れた。

 ──母。

「おはよう、クラリス。……よく眠れたかしら?」

 その声は、あくまで穏やかだった。だが、クラリスの目は鋭く細められていた。

「……眠れるはず、ないでしょう。自分の母親に、毒の協力を求められて監禁された娘が」
「言葉が過ぎるわ。これは“機会”なの。あなたが世界の本質を見抜くための」

 母は静かに椅子を引き、娘の前に腰を下ろす。

「貴女がここにいるのは偶然ではない。十年前から、私は貴女に“選ばせる”つもりでいたのよ。毒か、理性か。真実か、虚構か」
「……違うわ。選ばせる“つもり”だったんじゃない。最初から、私を“道具”として育ててきた。私の知識は、あなたの計画の一部だった」

 母の笑みが、ほんの少し揺らぐ。

「クラリス……それでも、私はあなたを愛していた」
「だったら、あなたが死んだと思って十年、私がどんな思いで生きてきたか、想像したことは?」
「……」
「毒の記録を読み、医師を疑い、社交界で“毒婦”と蔑まれながら、それでも私は、人を“守るため”に毒を学んだ。あなたのように、操るためじゃない!」

 声が、石壁に響き渡る。
 鎖が鳴るほどに身を乗り出したクラリスの瞳には、涙と怒りが同居していた。

「お母様。あなたが生きていたことは、私の一部を救った。でも……あなたのしてきたことは、私を殺し続けてきたのよ」

 母の表情が、ようやく揺れた。それは、威厳でも冷酷でもなく――、一人の“母親”としての、揺れだった。

「……ならば、ここで証明してごらんなさい。私を拒むなら、“私を殺す毒”を、貴女自身で調合してみせて」
「……!」
「私を超えなさい、クラリス。私の理論を否定するなら、それを壊すのも“毒”の力であるべきよ」
 
 * * *
 
 一方その頃、神殿外では――
 
 ルーク・ヴァルハルトが、静かに剣を抜いていた。

「……クラリスが自分の意志で戻ってくるなら、それでいい。だが、もし一瞬でも彼女が“自由を奪われている”と感じたら」

 彼は夜風に身を晒しながら呟いた。

「――俺は、全てを敵に回してでも、彼女を連れ戻す」

 近衛騎士団の叛徒と呼ばれようが、魔術結社の砦に一人で踏み込もうが、構わない。
  彼にとってそれは“使命”ではなかった。“誓い”だった。ルークは静かに森の影を縫い、裏口から神殿内部へと潜入する。
 
 * * *
 
 儀式室。
 クラリスは、差し出された試薬瓶の前でじっと沈黙していた。鎖はすでに解かれていたが、彼女は動こうとしなかった。

「……毒を以って、毒を断つ。あなたの論理は一見正しい。けれどそれは、答えを“力”で強引に押し通すやり方よ」
「それが“現実”なのよ、クラリス」
「でも私は、毒を拒むのではなく、“理解する”ことで解いてきた。人を操るためではなく、守るために」

 クラリスはゆっくりと、試薬瓶に手を伸ばす。

「……あなたを殺す毒は、調合できる。けれど、私はそれを“使わない”ことで、あなたを否定する」

 そして瓶を、石床に叩きつけて割った。砕けた硝子が散り、液体が蒸発する。

「これが、私の答えよ。私は、毒を“信じない”。毒に頼らない生き方を、私は選ぶわ」

 母は、しばらく沈黙していた。やがて、どこか満足げな微笑を浮かべて立ち上がった。

「……本当に、強くなったのね。クラリス」

 その声に、クラリスは動きを止めた。

「私は、毒でしか世界を変えられないと思っていた。……でもあなたは、毒の中で、毒に堕ちずに立ち続けた」

 母の目が、ほんの少し潤んだ。

「誇りに思うわ。……だから、もう行きなさい。貴女は、ここにいてはいけない」

 そのとき。神殿の扉が破られ、剣を構えたルークが駆け込んできた。

「クラリスッ!」

 彼の姿を見た瞬間、クラリスの身体が反射的に動く。

「ルーク……!」

 二人は駆け寄り、固く抱きしめ合った。

「……遅れて、すまない」
「ううん、間に合ってくれてありがとう」

 背後で母がゆっくりと口を開く。

「……行きなさい。あなたたちの“解毒の旅”は、ここで終わってはならない」

 その声に、クラリスは深く頭を下げた。

「ありがとう、お母様。……さようなら」
 
 * * *
 
 夜の森へ戻ったクラリスとルークは、焚火の前で静かに座っていた。

「……彼女は、“毒”に人生を賭けた。私はそれを否定した。けど……それでも母だったの」
「君は、十分すぎるほど戦ったよ。俺は、ずっと君を信じてた」

 クラリスはそっとルークに寄りかかった。

「私は、これからも毒を知り続ける。でもそれは、“誰かの自由を奪う”ためじゃない。“誰かの選択を守る”ために」

 ルークは、彼女の肩に腕を回し、静かに答えた。

「なら、俺も誓う。君がどんな選択をしても、俺はその隣で剣を抜く」

 夜空には星が瞬き、風がそっと葉を揺らしていた。毒の道を越えてなお、二人は進む。
  その絆は、母と娘の対話の先に芽生えた、真の“信頼”と“愛”だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」

歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。 「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは 泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析 能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り 続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。 婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」

『婚約破棄されたので北の港を発展させたら

ふわふわ
恋愛
王立学園の卒業舞踏会。 公爵令嬢アリアベルは、王太子カルディオンから突然の婚約破棄を告げられる。 「真実の愛を見つけた」 そう言って王太子が選んだのは、涙を流す義妹ヴィオレッタだった。 王都から追い出され、すべてを失った―― はずだった。 アリアベルが向かったのは、王国の北にある小さな港町。 しかし彼女の手腕によって港は急速に発展し、やがて王国最大の交易港へと変わっていく。 一方その頃、王太子と義妹は王都で好き勝手に振る舞っていたが―― やがてすべてが崩れ始める。 王太子は国外追放。 義妹は社交界から追放され修道院送り。 そして気づいた頃には、北の港こそが王国の中心になっていた。 「私はもう誰のものでもありません」 これは、婚約破棄された令嬢が自分の人生を取り戻し、 王国の未来を変えていく物語。 そして―― 彼女の隣には、いつしか新しい王太子の姿があった。 婚約破棄から始まる、逆転ざまぁロマンス。✨

婚約者に「愛することはない」と言われたその日にたまたま出会った隣国の皇帝から溺愛されることになります。~捨てる王あれば拾う王ありですわ。

松ノ木るな
恋愛
 純真無垢な侯爵令嬢レヴィーナは、国の次期王であるフィリベールと固い絆で結ばれる未来を夢みていた。しかし王太子はそのような意思を持つ彼女を生意気だと疎み、気まぐれに婚約破棄を言い渡す。  伴侶と寄り添う幸せな未来を諦めた彼女は悲観し、井戸に身を投げたのだった。  あの世だと思って辿りついた先は、小さな貴族の家の、こじんまりとした食堂。そこには呑めもしないのに酒を舐め、身分社会に恨み節を唱える美しい青年がいた。  どこの家の出の、どの立場とも知らぬふたりが、一目で恋に落ちたなら。  たまたま出会って離れていてもその存在を支えとする、そんなふたりが再会して結ばれる初恋ストーリーです。

あなたのことなんて、もうどうでもいいです

もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。 元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。

愛しの第一王子殿下

みつまめ つぼみ
恋愛
 公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。  そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。  クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。  そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。

「貧相な小娘」と罵った第一王子へ。番(つがい)は貴方ではなく、国王陛下(お父様)でした

しえろ あい
恋愛
「お父様、わたくし、あの方と目が合った瞬間、分かってしまったのです」 十六歳のデビュタントの夜、ルーセント侯爵令嬢フェリシアを待っていたのは、残酷な罵倒だった。第一王子カシウスは、可憐な白いドレスを纏った彼女を「貧相な小娘」と呼び、己の番(つがい)であることを真っ向から否定する。 会場に響く冷笑と、愛用の刺繍に込めた自信さえ打ち砕くような屈辱。しかし、絶望の淵に立たされた彼女を見つめていたのは、王子ではなく、圧倒的な威厳を放つ「ある男」だった。 魂を焦がすような熱い視線が重なり、静まり返る謁見の間。この出会いが、王室を揺るがす大事件の幕開けになるとは、まだ誰も知らない。自身の価値を否定された少女が、真実の愛によって世界で最も幸福な王妃へと駆け上がる、逆転溺愛ストーリー。 ※小説家になろう様にも投稿しています※

王子と公爵令嬢の駆け落ち

七辻ゆゆ
恋愛
「ツァンテリ、君とは結婚できない。婚約は破棄せざるをえないだろうな」  ツァンテリは唇を噛んだ。この日が来るだろうことは、彼女にもわかっていた。 「殿下のお話の通りだわ! ツァンテリ様って優秀でいらっしゃるけど、王妃って器じゃないもの」  新しく王子の婚約者に選ばれたのはサティ男爵令嬢。ツァンテリにも新しい婚約者ができた。  王家派と公爵派は、もう決して交わらない。二人の元婚約者はどこへ行くのか。

婚約破棄はあなたの意思でしたわね? ~王太子を廃嫡に追い込み、義妹を平民に落とした公爵令嬢は新時代の王妃になります~

鷹 綾
恋愛
王立学園の卒業舞踏会―― 公爵令嬢ヴェルミリアは、王太子アルヴァリオから突然の婚約破棄を言い渡された。 「俺は、君の義妹セシルを愛している」 涙を浮かべる“可哀想な妹”。 それを守ると宣言する王太子。 社交界はヴェルミリアを冷酷な姉と断じた。 けれど彼女は、ただ微笑んだ。 なぜなら―― 王家が回っていたのは、彼女の裏調整と資金管理のおかげだったから。 婚約破棄の翌日、王家の事業は次々と停止。 王太子の無責任な契約、義妹の盗用、不正資金の流れが暴かれていく。 守ると誓ったはずの義妹を、王太子は切り捨てる。 だがもう遅い。 王太子は廃嫡。 義妹は爵位剥奪のうえ平民落ち。 二人はすべてを失う。 そして―― 「責任を共有できるなら、共に歩みましょう」 冷静沈着な第二王子との正式婚約。 王国再建の中心に立つのは、かつて捨てられたはずの公爵令嬢だった。 婚約破棄はあなたの意思でしたわね? 選んだ未来の責任を―― きちんとお取りいただきます。

処理中です...