毒婦と呼ばれた令嬢は、謎と恋を嗅ぎ分ける

赤紫

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第十章:解毒の先へ

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 春の終わり、王都フィルミリアはまばゆい光に包まれていた。遠征から帰還したクラリスとルークは、久方ぶりに石畳の大通りを歩いた。だが街の空気は、どこか重く淀んでいた。

「……空気が違う。まるで、緊張しているような」

 クラリスが呟くと、ルークは頷いた。

「近衛隊の連絡によると、王太子殿下が病に伏せたらしい。詳細は伏せられているが、“毒”の疑いがある」
「まさか……!」

 クラリスの脳裏に、ひとつの毒の名がよぎる。

 ――“魂縛の蛇毒”。


  黒の記録に記された、最終段階の毒。人の意志を奪い、身体だけを操る。

「王宮に、まだ“蛇の尾”の残党がいる……!」
 
 * * *
 
 王宮・内殿。アルヴィン王太子は、薄暗い部屋の寝台に横たわっていた。目は開かれているが、焦点が合っておらず、言葉も出さない。

「まるで、生きたまま抜け殻になったような……」

 医師は原因不明と告げたが、クラリスにはすぐに分かった。

「これは……幻覚でも毒気でもない。“精神”そのものを蝕む毒」

 ルークが厳しい表情で問う。

「解毒は、できるのか?」
「たった一つだけ、対抗できる可能性がある方法があるわ」

 クラリスは、母が遺した“灰の書”を取り出す。

「毒を封じるには、“解毒者自身の記憶”を媒介にするしかない。つまり、アルヴィン殿下に直接“感情”を注ぐ必要があるの」
「感情……?」
「ええ。毒によって奪われた“意思”を、感情の記憶で上書きするの」

 だが、それには術者に大きな代償が必要だった。――術を行う者は、自分の一部の記憶を“差し出す”のだ。

「つまり、私は……何か、大切なものを“忘れる”ことになるかもしれない」
 
 * * *
 
 夜、クラリスは、静かに術式の円を描いた。ルークはそれをじっと見守っていた。

「……やめてもいいんだぞ、クラリス」
「いいえ。私は、この旅の中で“毒の本質”を知った。それは、人を操る道具じゃない。“人を繋ぐもの”にもなりうるって」
「なら……」

 ルークはそっと彼女の手を取った。

「君の記憶がひとつ失われても、俺がずっと隣で覚えている。どんな君でも、俺にとっては君だから」

 クラリスは微笑んだ。

「ありがとう。――ルーク、これが終わったら……今度は、自由な旅をしましょう」
「約束だ」
 
 * * *
 
 術式が発動する。
 クラリスの記憶が、蒼い光とともにアルヴィンの胸へと注がれていく。幼い頃の笑顔、書庫で語り合った日々、涙と決意の夜――
 記憶のかけらが、確かに王太子の中に届いた。やがて、アルヴィンの瞳がゆっくりと動く。

「……クラリス……?」
「お帰りなさい、殿下」

 その瞬間、クラリスは膝をつき、ゆっくりと目を閉じた。
 
 * * *
 
 ──数日後。

 王都には再び、穏やかな春の光が戻っていた。クラリスは、王宮の庭園の一角で、ひとり読書をしていた。だが、彼女の目は文字を追っていても、ふとした瞬間に空を見上げる。

「……何か、忘れている気がするのよね」

 その言葉に、そばで花の鉢を持っていたルークが、ゆっくりと笑った。

「それでも、君は笑ってる。それなら、十分だ」
「……そうかしら?」

 クラリスは照れたように頬をかきながら、ルークの隣に腰を下ろす。

「なんだか、貴方とこうしていると、とても安心するの。不思議ね」
「それは“絆”だよ。記憶よりも深く、魂に刻まれるものだ」

 クラリスはそっと、ルークの手に自分の指を絡める。

「きっと……私たちは、何度だってここに辿り着けるわ」
 
 春風が吹き、王都の空に白い鳥が舞った。毒に始まり、毒を超え、愛と信頼にたどり着いた二人は――
  これからの旅路を、誰の命令でもない“自分たちの意志”で歩いていく。その先には、もう恐れるものは何もない。
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