宴会クローク、菱野でございます!

智月 千恵実

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第一章 曇った向上心

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 イスラエル館で買った小さな香水は、一瞬で舞香を高尚な気分にさせてくれたが、それも一ヶ月で終わってしまった。
 舞香は未練がましくボトルを逆さにしては、雫を伸ばして使ってみたが、そのうち雫もできなくなった。それ以降は、空っぽになった瓶の蓋を開けてかすかな残り香を楽しむだけだった。
 仕事が駅近だったこともあり、舞香は帰りはいつもショッピングモールに立ち寄った。同じ香りを探して歩き回ったが、なかなか見つからなかった。
 探すことも諦めていたある日、通りがかった店の棚に淡いピンク色のボトルが見えた。
 ムーンフラワーの香り、と表示されているクリアガラスのボトルは天井からのライトを浴びて輝きを放っていた。舞香が探しているものとは全く違ったが、手にとってみた。
 甘いながらも爽やかさを含んだ香りは、夜の砂漠に凛と咲く一輪の花を思わせた。


 ◇◇◇


 舞香はロッカーの鏡越しに、白のブラウスと紺のキュロットに身を包んだ自分を見る。
 リボンをどちらの色にするか少し考えた。リボンは黄色と灰色に近い青の二種類で、それぞれ柄が入っているのだが、いつもするのは黄色と決めている。リボンを付けて、ジャケットを羽織る。絵の具の原色みたいなジャケットの青には黄色のリボンが合っていると舞香は勝手に思っている。
 そして、リボンとお揃いのチーフを四角に折りポケットに入れた。
 ふわっと上がってくるムーンフラワーの香りに舞香はいつも通り癒されるはずだったが、今日は違った。
 香水というのは付けてから、いくつかの香りに変化しながら香っていく。ムーンフラワーの場合は、リンデン、フリージアのトップノートと呼ばれる香りからムーンフラワー、ジャスミン、ユリのラストノートと呼ばれる香りへとだんだん変化していく。

 ふいにリンデンの軽やかな甘さとジャスミンの濃厚な甘さが衝突したかのような香りが舞香を包みこんだ。それは脳みそを揺さぶられるほどの強い衝撃だった。

 舞香は台風の来る前や、雨が降りそうなどんよりとした日にたまに偏頭痛に見舞われる。そんなときは、自分の声さえも頭に響く。それと似たような状況で香りが思考を妨げた。
 舞香は眉をしかめた。「前途多難」という無機質な声が頭の奥で響いた。舞香は、はあとため息をつくと廊下を急いだ。「れいさん小言多いからな」と心で呟いた。業務に入る十分前に来る、というのが麗奈流の暗黙のルールとなっている。

 宴会課では各宴会の責任者をインチャージと呼ぶ。黒服を着ている人のことだ。クロークの場合はクロークインチャージで、それが小宮麗奈こみやれいなだ。みんな小宮さんではなく、れいさんと呼んでいる。
 麗奈は、今まで一度もミスしたことはないというくらいに完璧な仕事をする。そんな麗奈に対して、舞香は正体不明の苦手意識があった。
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