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第五章
第十五話
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「そうですね、それもいいかもしれません」
そう言うと私の手を掴み、書斎の中へ連れていく。初めて入室を許可されたその場所には壁一面の本棚、机、二人掛けのソファーが置いてあったが、それ以上にうず高く積み上げられた書類が私を圧倒した。机の上にも、床の上にも、紙が散らばっており辛うじて人が通れるスペースだけが確保されている。
こんな場所に私が入っていいとも思えなかったが、ロードリックは見るからに疲れ切っていてそれを判断する余裕もないのだろう。
私が口を滑らせなければいいだけだから、まあいいか。
ロードリックはソファーに私を座らせて、隣に自分も腰を下ろす。使用人に紅茶を持ってこさせて二人でそれを啜ったが、余程眠いのか会話が弾まない。
「凄い数の書類ですね」
「……ええ」
「美味しいですね、この紅茶」
「そうですね……」
この調子である。一回眠らない限り、頭も働かないのではないのだろうか。
「仮眠を取りますか?」
提案してみると、ロードリックも自覚があるのか素直に頷いた。
「そうします」
手にしていた紅茶を机の上に置くと、壁掛け時計を指さした。今はお昼を少し過ぎたぐらいである。
「三十分経ったら教えてください」
言うや否や、腕を組んで目を閉じてしまった。気絶のような速さで寝息が聞こえてくる。
えっと、三十分動かない方がいいのかしら。
折角眠る事が出来たロードリックを、身動きして起こしてしまうのも申し訳ない。置物の様に静かにしている事にした。
視線を部屋にさ迷わせると、暗号で書かれた書類や、細分化された各国の地誌がある程度種類に分けられて置かれていた。
大変な仕事をしているのを垣間見て、改めてロードリックを尊敬する。彼は一族と、この国を守る為に身を粉にして働いているのだ。
その重圧はどれほどだろう。辛いとは感じないのだろうか。
私が少しでも負担を減らす為に協力出来る事は無いだろうか。
そんな事を思いつつ身動きせずにいると、深い眠りに落ちたロードリックの体が私の方向へとずり落ちてくる。
驚いて隣を見ると、彼の寝顔が至近距離にあった。彼の頭が私の肩に乗って止まる。
本格的に身動きが出来なくなってしまった。
ロードリックの髪の毛が頬に当たり、そのこそばゆさが私の恋心を刺激する。
眠っている所、初めて見たかも。
寝室は未だに別だった。私が言えば彼は応えてくれるのかもしれないが、温情に甘えて恋人としての振舞いを要求するのも悔しいのでしていない。なりふり構わなくなるのは、まだ先でいいだろう。
なにせ既に立場としては妻である。だからこそ心の距離を詰めるのを一番優先したかった。
隣で寝てくれるって事は、少しは甘えてくれているのかな。
だとしたら嬉しい。込み上げてくる愛しさに一人笑みを浮かべる。頭を乗せた肩が固まっていくのを自覚しつつも、時の進みが遅くなるようにと願った。
「……ハーヴィー様」
それは秒針の音にも消されそうな程小さな寝言だった。起きたのかもしれないと思いロードリックを見てみるが、瞼はしっかりと閉じられている。
誰の事だろう。
今まで会った天来衆の人にはいない名前だった。様をつけて呼ぶのだから、身分としては同じか、それ以上の方だろうか。もしくはロードリックに尊敬されているのかもしれない。
あれこれ考えている内に、あっという間に言われていた三十分が経過してしまう。起こしたくない気持ちを抱えつつも声をかけた。
「ロードリック。時間になりました」
すぐに長い睫毛が震え、目がゆっくりと開かれる。そして体が私に寄りかかっていた事に気づき、驚いたようだった。
「すみません。重かったでしょう」
「いいえ、大丈夫です」
重さだけで言えば肩が凝るぐらいだったが、それ以上に幸せだったので勿論口に出さない。少し恥ずかしそうな顔をしているので、つい笑みを浮かべてしまう。
「……おかげで少しすっきりしました」
「良かったです」
ロードリックの顔色はさっきよりも随分マシになったように見えた。また直ぐに仕事に戻るのだろう。
顔を合わせられなくなる前に、忘れない内に疑問に思った事を聞いてみる。
「ハーヴィー様って誰ですか?」
私に聞かれてロードリックは驚いたようだった。
「何処で聞いたんですか?」
「えっと……寝言で」
ロードリックを指さしてみると、思いもよらなかったようで一瞬固まってしまう。そしてカレンダーに視線を向けて懐かしむような、愛おしむような、淡い笑みを浮かべた。
「……あの日が近いからか」
いつもの穏やかさの仮面が剥がれ、彼の目に宿る強い感情に驚く。それはまるで恋をしたかのような切ない表情でもあった。
ロードリックの心の中に、その人がいる。
胸が騒めいた。私が知らない彼の姿に、穏やかではいられなくなる。
長い間を生きてきたのだ。頭では色々な人と出会っているのを理解しているのに、いざ目の前で目の当たりにすると幼い嫉妬心が私を苦しめた。
けれど名前から察するに男の人である。本当に一体ロードリックにとってどんな人なのだろう。
首を傾げてロードリックの口から説明を待っていると、思いついたように彼は言った。
「そうですね、明後日空いていますか?」
「はい」
どうせ用事らしいものは私には無い。
「一緒に行きましょう。説明はその時に」
そう笑うロードリックはもう普段通りの穏やかさだ。思いもよらず一緒に外出する約束を取り付けたが、デートだと素直に喜べるような空気ではない。
何処に連れて行ってくれるのだろうか。
ふと、明後日の二十六日に毎月彼が私服で何処かへ行っていたのを思い出す。特に気に留めてなかったその事実が何故だかとても胸を重くさせる。
「……分かりました」
色々聞きたい気持ちを抑えて大人しく首を縦に振ると、ロードリックは兄の様に私の頭を撫でてきた。
いつか私にも、あの目を向けてくれますか?
そんな事、とても口に出せやしないのだった。
そう言うと私の手を掴み、書斎の中へ連れていく。初めて入室を許可されたその場所には壁一面の本棚、机、二人掛けのソファーが置いてあったが、それ以上にうず高く積み上げられた書類が私を圧倒した。机の上にも、床の上にも、紙が散らばっており辛うじて人が通れるスペースだけが確保されている。
こんな場所に私が入っていいとも思えなかったが、ロードリックは見るからに疲れ切っていてそれを判断する余裕もないのだろう。
私が口を滑らせなければいいだけだから、まあいいか。
ロードリックはソファーに私を座らせて、隣に自分も腰を下ろす。使用人に紅茶を持ってこさせて二人でそれを啜ったが、余程眠いのか会話が弾まない。
「凄い数の書類ですね」
「……ええ」
「美味しいですね、この紅茶」
「そうですね……」
この調子である。一回眠らない限り、頭も働かないのではないのだろうか。
「仮眠を取りますか?」
提案してみると、ロードリックも自覚があるのか素直に頷いた。
「そうします」
手にしていた紅茶を机の上に置くと、壁掛け時計を指さした。今はお昼を少し過ぎたぐらいである。
「三十分経ったら教えてください」
言うや否や、腕を組んで目を閉じてしまった。気絶のような速さで寝息が聞こえてくる。
えっと、三十分動かない方がいいのかしら。
折角眠る事が出来たロードリックを、身動きして起こしてしまうのも申し訳ない。置物の様に静かにしている事にした。
視線を部屋にさ迷わせると、暗号で書かれた書類や、細分化された各国の地誌がある程度種類に分けられて置かれていた。
大変な仕事をしているのを垣間見て、改めてロードリックを尊敬する。彼は一族と、この国を守る為に身を粉にして働いているのだ。
その重圧はどれほどだろう。辛いとは感じないのだろうか。
私が少しでも負担を減らす為に協力出来る事は無いだろうか。
そんな事を思いつつ身動きせずにいると、深い眠りに落ちたロードリックの体が私の方向へとずり落ちてくる。
驚いて隣を見ると、彼の寝顔が至近距離にあった。彼の頭が私の肩に乗って止まる。
本格的に身動きが出来なくなってしまった。
ロードリックの髪の毛が頬に当たり、そのこそばゆさが私の恋心を刺激する。
眠っている所、初めて見たかも。
寝室は未だに別だった。私が言えば彼は応えてくれるのかもしれないが、温情に甘えて恋人としての振舞いを要求するのも悔しいのでしていない。なりふり構わなくなるのは、まだ先でいいだろう。
なにせ既に立場としては妻である。だからこそ心の距離を詰めるのを一番優先したかった。
隣で寝てくれるって事は、少しは甘えてくれているのかな。
だとしたら嬉しい。込み上げてくる愛しさに一人笑みを浮かべる。頭を乗せた肩が固まっていくのを自覚しつつも、時の進みが遅くなるようにと願った。
「……ハーヴィー様」
それは秒針の音にも消されそうな程小さな寝言だった。起きたのかもしれないと思いロードリックを見てみるが、瞼はしっかりと閉じられている。
誰の事だろう。
今まで会った天来衆の人にはいない名前だった。様をつけて呼ぶのだから、身分としては同じか、それ以上の方だろうか。もしくはロードリックに尊敬されているのかもしれない。
あれこれ考えている内に、あっという間に言われていた三十分が経過してしまう。起こしたくない気持ちを抱えつつも声をかけた。
「ロードリック。時間になりました」
すぐに長い睫毛が震え、目がゆっくりと開かれる。そして体が私に寄りかかっていた事に気づき、驚いたようだった。
「すみません。重かったでしょう」
「いいえ、大丈夫です」
重さだけで言えば肩が凝るぐらいだったが、それ以上に幸せだったので勿論口に出さない。少し恥ずかしそうな顔をしているので、つい笑みを浮かべてしまう。
「……おかげで少しすっきりしました」
「良かったです」
ロードリックの顔色はさっきよりも随分マシになったように見えた。また直ぐに仕事に戻るのだろう。
顔を合わせられなくなる前に、忘れない内に疑問に思った事を聞いてみる。
「ハーヴィー様って誰ですか?」
私に聞かれてロードリックは驚いたようだった。
「何処で聞いたんですか?」
「えっと……寝言で」
ロードリックを指さしてみると、思いもよらなかったようで一瞬固まってしまう。そしてカレンダーに視線を向けて懐かしむような、愛おしむような、淡い笑みを浮かべた。
「……あの日が近いからか」
いつもの穏やかさの仮面が剥がれ、彼の目に宿る強い感情に驚く。それはまるで恋をしたかのような切ない表情でもあった。
ロードリックの心の中に、その人がいる。
胸が騒めいた。私が知らない彼の姿に、穏やかではいられなくなる。
長い間を生きてきたのだ。頭では色々な人と出会っているのを理解しているのに、いざ目の前で目の当たりにすると幼い嫉妬心が私を苦しめた。
けれど名前から察するに男の人である。本当に一体ロードリックにとってどんな人なのだろう。
首を傾げてロードリックの口から説明を待っていると、思いついたように彼は言った。
「そうですね、明後日空いていますか?」
「はい」
どうせ用事らしいものは私には無い。
「一緒に行きましょう。説明はその時に」
そう笑うロードリックはもう普段通りの穏やかさだ。思いもよらず一緒に外出する約束を取り付けたが、デートだと素直に喜べるような空気ではない。
何処に連れて行ってくれるのだろうか。
ふと、明後日の二十六日に毎月彼が私服で何処かへ行っていたのを思い出す。特に気に留めてなかったその事実が何故だかとても胸を重くさせる。
「……分かりました」
色々聞きたい気持ちを抑えて大人しく首を縦に振ると、ロードリックは兄の様に私の頭を撫でてきた。
いつか私にも、あの目を向けてくれますか?
そんな事、とても口に出せやしないのだった。
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