果ての光~軍人侯爵の秘密と強制結婚の幸福~

百花

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第五章

第一七話

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 支えられなくなった彼の体をそっと地面に横たえてやる。開かれたままの瞼をそっと閉じると、限界を超えた自分の体はその場を動けなくなってしまった。
 後ろを振り向けば、ついて来たものは酷い状態だった。私が歩みを止めたので、皆も倒れるように立ち止まってしまう。
 誰も、彼も、一歩も動く事が出来ない。木の根元に座り込んだ者が、私に聞いた。

「ここが、我々の最後ですか?」

 長い旅だった。ずっと同じ景色ばかりの船内で、遠い昔の先祖が目にした星の最後を寝物語に、幕を閉じるに相応しい場所を求めて旅をしていた。

「そうかも、しれませんね」

 私の言葉に皆が泣く。この美しい星を、もう少し愛でたかったのだろう。

 貪欲な命が嘆いている。まだ死にたくないと。

 けれど体は疲れ切って、動く事さえ出来ない。
 松明の明かりが我々に追いつくのに、そう時間はかからなかった。
 後に人間と知る生き物は、生まれがまるで違うというのに我々と良く似た姿をしていた。
 その二本足で歩く体も、顔立ちも、そしてこちらに向ける怯える表情も。
 彼等は数十人の集団でしかなかったが、我々は抵抗出来るだけの武器も気力も何もなかった。
 言葉は分からないものの、それぞれ武器を我々に向けている事からも警戒している事が窺えた。
 口々に何かを言い合っている。勿論、理解は出来ない。
 遠くない内に殺されるに違いない。皆は怯えてそれぞれ身を寄せ合い、その時が来るのを覚悟した。
 やがて二人の男が、集団から離れて我々に近づいて来た。他の人間よりも上等な服を着る彼らは、身分が上の者に違いない。

『ハーヴィー様! 危ないですって! どう見ても悪魔ですよ!』

 どうやら茶髪の男はもう一人を引き留めようとしているようだ。危険だ、近づくな。そんなところだろう。
 しかし金髪の男はそれを全く意に介さず、我々の目の前まで歩いてくる。その目には怯えや怒りも何もなく、只穏やかにこちらを見ていた。

『……ダン。お前、彼らが悪魔に見えるのか』

『え? それはそうでしょう』

『そうか。……俺には酷く傷つき、それでもなお生きたいと願う哀れな生き物に見える』

 金髪の彼が静かに茶髪の男に言うと、周囲の人間達を取り巻いていた不穏な空気が変わった。
その男のたった一言で、怯えや恐怖から冷静な見極めようとする目に。それは私からすれば、奇跡のような変化だった。
絶望の中に、希望の光が僅かに灯る。けれどそれがか細い光である事も分かっていた。
決して敵対心を向けてはいけない。身動き一つさえ相手の警戒心を呼び覚ますかもしれず、息を止めて彼を注視した。

『何か食料を持っている者はいないか?』

 金髪の男が人々に向かって何かを叫ぶと、隣の男は呆れた顔をした。

『何をするおつもりで?』

『友好の証というのは、食べ物を分ける事から始まるだろう?』

 そして恐らく干し肉の切れ端を誰かから貰い、それを私に差し出した。
どうしろというのか分からずじっと見ていると、例を示す様に半分に割いて片方を自分で口にする。
 おずおずと同じように口にすれば、自分が極度の空腹であった事に気が付いた。
硬く塩味の濃いそれはとても上等な食べ物ではなかったが、それでも今は体に染み渡るようだった。
 金髪の男は、私が口にした事で酷く満足そうな顔をした。そして自分を指さし、同じ単語を繰り返す。

『ハーヴィー。ハーヴィーだ。分かるか?』

「ハーヴィー?」

 恐らく名前なのだろう。繰り返してみると、合っているという風に首を縦に振った。

『そこまで傷つき、疲弊している者を放っておくのは気が引ける。君達が何処から来たのかは分からないが、保護しよう』

 意味は分からなかったがその声色はとても優しく、今まで人間から向けられたどの声とも全く違う。

 彼は、私達を助けようとしてくれているのか。

 それは信じられないような善意だった。
 驚いてその顔を見上げれば、肯定するかのように彼は私の肩を労わるように触れた。
 その温かさに、熱い感情が涙に変わって込み上げてくる。この地で初めて触れた無償の愛が、胸に深く突き刺さる。
 どうすればこの感情が、少しでも彼に伝わるのか。
 とめどなく涙が溢れて赤子に戻ってしまったかのような私を、彼は馬鹿にするでもなく優しく撫でて慰めさえしてくれる。
 だから私は生涯初めて、何者かにひれ伏したのだった。
 




「彼はその地の領主の次男でした。気の良い人で、性善説を信じ、明るい彼の元にはいつも領民が集まっていた。我々を抱える事で難しい立場になると分かっていながら、それでも保護し続けてくれたのです」

 語るロードリックの表情は輝いて、どれほどその人を尊敬していたのかを私に伝える。
 私にはハーヴィーが四百年も昔の人の話のようには感じられなかった。ロードリックの中では今も彼が鮮やかな記憶で生き続けている。
 それなのに既に過去なのだと教えるように彼の眠る墓標は苔むしていて、ただの人間である私はその違いについていけない。

 これが。これが、ロードリックの生きる時間なのだ。

 私はその愕然として、足元が突然消えてなくなったかのような感覚になった。
 彼が人間を慕うという事は、こういう事だ。
 私は言葉だけでロードリックの長寿を理解した気になっていたが、今初めて私と彼の生きる時が違うのを痛い程に実感する。
 毎月、亡くなった日に墓参するのはどれほど心を占めていた人なのだろう。
きっと体の一部を失ったかのような喪失感。それが四百年間、色褪せることなく彼の中に存在する。


私を愛してなんて願える筈がない!


 今まで天来衆の皆が私を厭っていた理由が分かる。私は近づく程に、いずれロードリックに深い傷をつける。
 私を愛してしまえば、ロードリックは同じように悼むだろう。何百年、何千年という時間を。
 それは最早、罪だ。私のような短い時間しか持たない生き物が、それほどまでの時間彼を拘束して良いはずがない。
 泣き叫びたい気持ちを、必死で堪えた。ロードリックのハーヴィーの墓標に向けた視線が、私に向かわないように願いながら。
 穏やかな優しい風が頬を撫でていくのに、それさえもロードリックと眠る彼の為だけの物のような気がした。

 愛されてはいけない。

 静かに固い決意をする。この優しい人の心に、そんな深い傷をつける事を自分に許す事が出来ない。

「……貴女に会わせる事が出来て良かった」

 ロードリックが普段通りの穏やかな顔をして、私に手を差し出した。

「帰りましょう」

 仮面を被る。恋に泣く心がばれないように。

「……はい」

 繋いだ手はいつもと同じく温かかったが、それがかえって苦しいぐらい切ない。


 そしてこの日は、ロードリックの恩人の命日であるのを知ったのと同時に、私の恋心が殺された日になった。

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