18 / 45
第六章
第十八話
しおりを挟むハーヴィー様は非常に難しい立場だった。爵位を継ぐ筈の兄は生まれつき体が弱く、しかも兄の子供はその時まだいなかった。
彼らの父親は親族から養子を取るのを嫌い、それ故に次男のハーヴィー様は家を離れる事を許されなかったのだ。
けれどその雁字搦めの立場も彼は受け入れて、笑いながら親や兄から押し付けられる仕事をこなしていた。我々の山狩りへの参加も、その有象無象の仕事の一つだったのは私にとっては幸運だっただろう。
ハーヴィー様は自らの住まう古城に一族の者を招いてくれた。そこは古びて常に何処かが修理を必要としているような有様だったが、広さだけは十分にあった。
その一室で人に化ける練習をしていると、作業着のハーヴィー様が何処を直していたのか梯子を抱えて部屋に入ってくる。
そして形は人間に寄せたものの、自分の光を消しきれない私を見て困ったように笑った。
「本当にロードリックは一番下手なんだな」
一族の者は皆それなりに人に紛れる姿になったというのに、私は不器用でどうにもまだ失敗が続いていた。これをこなさねば外にも出られない。
「お恥ずかしい限りです。それより人手が必要なのでしたら、私にお申し付け下さい」
「ああこれか?」
そう言って自分の手に持った梯子を見せ、近場の壁に立てかける。
「北の塔の壁が少し崩れていてな。趣味みたいなものだから、気にしないでくれ」
ハーヴィー様はからから笑うと、疲れたように椅子に深く座り込んだ。
本当にそうなのだろうか。私は彼に恩を返したいと思うのに、ハーヴィー様は何でも自分でしてしまう。それがとても心苦しかった。
せめて紅茶を淹れてハーヴィー様の前に差し出せば、嬉しそうな顔をして口をつけてくれた。使用人の真似事をしてみても、全く足りないとしか思えない。
「ハーヴィー様、我々の為にお母様の遺品を一部売りに出したとお聞きしました」
私の言葉に彼の表情が苦いものに変わる。
「ダンか」
教えてくれた人を言い当て、大した事ではないとでもいうように片手をひらひらと振った。
「気にするな」
それは無理な話だ。次男であるハーヴィー様が自由に使える資金は限られている。我々の為に彼が持つ数少ない財産を手放してくれたのだろう。しかも今は亡き彼の母の遺品である。
こうして彼の善意を知る度に、私の心は締め付けられるように苦しくなった。
何故一族の為にこうも身を削ってくれるのだろう。我々は血縁のある一族以外は、利害関係が前提となるので、そんな人間の心理が理解出来ない。
ただハーヴィー様のその心に、むず痒く、またどうにも堪らない気持ちにさせられる。
どうすればいい。どうすればこの恩を返せる。どうすれば彼は喜んでくれる。
この地に来て初めて得た感情に振り回される。
それを解消する為に、導が欲しかった。
だから私は自分の心に従って、困ったように笑う彼に跪く。
「何か私に命じてください。貴方の恩に報いるために」
もしハーヴィー様が欲求を表したのであれば、私は迷いなくどんな困難でも身を捧げるだろう。
けれど切望したその願いは、あえなく却下された。
「迂闊にお前に言うと、永遠にやり続けそうだからなぁ。俺はお前を縛りたくないよ」
ああ、まただ。
彼が私を思いやってくれる程に、私の心は狼狽える。
これが全くの尊敬からなのか、崇拝からなのか、他の別の何かなのかも分からなかった。
「それを拘束とするか、導きとするかは私次第でしょう。ハーヴィー様。私にはそれが必要です」
「いつになくしつこいな。……そうか」
ハーヴィー様は食い下がる私に苦笑して、そしてふと気が付いたようだった。
「寿命の話でも何処かで聞いたのか?」
図星だった。知ってしまった人間の寿命は余りにも、余りにも短い。
それを知った瞬間から私には太い氷の刃が突き刺さって、今も血を滴らせている。
酷い焦燥感に苛まされて、何かをしなければ私自身が死んでしまうのではと思う程だった。
なのに当のその運命の上に生まれた人間は、平然な顔をして私を労わるのだ。
私は自分がどんな表情をしているのか自覚がなかったが、彼が眉を下げてハンカチを渡して来たのを見て、漸く泣いている事に気が付いた。
「……失礼を」
「俺からすれば、ロードリックの方が長すぎるんだがな。死に時に死ねない方が、哀れだろう」
そう言ってへらりと笑う彼を、涙を拭った後に瞬きすら惜しんで目に焼き付けた。
「まあ、そこまで言うなら何か考えておく。しかし、泣くとは」
後から思いかえせば、結局彼は私に何も命じてはくれなかった。
彼の言う通り、延々とその命令を守り続けるだろう私を哀れんだのか、それとも自分の死が本人が思うより早く来てしまった為かは分からない。
けれど彼の望みを聞き出す事が出来ていたならば、その後の時間は随分慰められたのにとは常々思う事である。
悲愴な顔をする私を慰めようとしたのか、ハーヴィー様は穏やかに笑みを浮かべて言った。
「知っているか? 人は生まれ変わるそうだ。死んであの世で記憶を洗い流し、再びこの世に生を受ける。だからまたロードリックとも会えるさ」
それはただの人間の妄想だった。長い時間を生きる我々は、死んだ者が二度と戻ってこないのを体感として知って
いる。
けれどそれが本当だったならどれほど良いだろう。時間に別れを強いられても、再会の希望を胸に生きていけるのだ。
だからハーヴィー様の言葉を否定せずに、まるであり得る未来だというように演じながら言う。
「では、お待ちしております。私を見つけて下さいますか?」
「はは、見つけるのは簡単そうだ」
「何故?」
「星屑の光がある」
「星屑の光?」
「お前の纏う光だよ」
「その頃には、もう少し上手くなっていますよ」
「どうかな」
からかうように笑う彼の笑みが浮かんで消えた。
全てが景色の中に紛れていってしまう。空間が暗転していく。何もかも分からなくなっていく。
「ハーヴィー様」
これが夢である事を自覚しつつ静かに問いかけた。
「……何処にもいないじゃないですか」
自分の声は余りにも弱弱しく、まるで疲れ果てた迷子のようだった。
0
あなたにおすすめの小説
行き遅れ王女、重すぎる軍団長に肉で釣られる
春月もも
恋愛
25歳、独身、第四王女システィーナ。
夜会でも放置されがちな行き遅れ王女の前に、ある夜突然現れたのは、ローストビーフを差し出す重すぎる第三軍団長だった。
形のない愛は信じない。
でも、出来立ての肉は信じてしまう。
肉に釣られ、距離を詰められ、気づけば下賜され、そして初夜へ。
これは、行き遅れ王女が重たい愛で満たされるまでの、ちょっとおかしなお話。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~
湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。
「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」
夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。
公爵である夫とから啖呵を切られたが。
翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。
地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。
「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。
一度、言った言葉を撤回するのは難しい。
そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。
徐々に距離を詰めていきましょう。
全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。
第二章から口説きまくり。
第四章で完結です。
第五章に番外編を追加しました。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
王宮地味女官、只者じゃねぇ
宵森みなと
恋愛
地味で目立たず、ただ真面目に働く王宮の女官・エミリア。
しかし彼女の正体は――剣術・魔法・語学すべてに長けた首席卒業の才女にして、実はとんでもない美貌と魔性を秘めた、“自覚なしギャップ系”最強女官だった!?
王女付き女官に任命されたその日から、運命が少しずつ動き出す。
訛りだらけのマーレン語で王女に爆笑を起こし、夜会では仮面を外した瞬間、貴族たちを騒然とさせ――
さらには北方マーレン国から訪れた黒髪の第二王子をも、一瞬で虜にしてしまう。
「おら、案内させてもらいますけんの」
その一言が、国を揺らすとは、誰が想像しただろうか。
王女リリアは言う。「エミリアがいなければ、私は生きていけぬ」
副長カイルは焦る。「このまま、他国に連れて行かれてたまるか」
ジークは葛藤する。「自分だけを見てほしいのに、届かない」
そしてレオンハルト王子は心を決める。「妻に望むなら、彼女以外はいない」
けれど――当の本人は今日も地味眼鏡で事務作業中。
王族たちの心を翻弄するのは、無自覚最強の“訛り女官”。
訛って笑いを取り、仮面で魅了し、剣で守る――
これは、彼女の“本当の顔”が王宮を変えていく、壮麗な恋と成長の物語。
★この物語は、「枯れ専モブ令嬢」の5年前のお話です。クラリスが活躍する前で、少し若いイザークとライナルトがちょっと出ます。
たとえ夜が姿を変えても ―過保護な兄の親友は、私を逃がさない―
佐竹りふれ
恋愛
重なる吐息、耳元を掠める熱、そして——兄の親友の、隠しきれない独占欲。
19歳のジャスミンにとって、過保護な兄の親友・セバスチャンは、自分を子供扱いする「第二の兄」のような存在だった。
しかし、初めてのパーティーの夜、その関係は一変する。
突然降ってきた、深く、すべてを奪うような口づけ。
「焦らず、お前のペースで進もう」
そう余裕たっぷりに微笑んだセバスチャン。
けれど、彼の言う「ゆっくり」は、翌朝には早くも崩れ始めていた。
学内の視線、兄の沈黙、そして二人きりのアパート――。
外堀が埋まっていくスピードに戸惑いながらも、ジャスミンは彼が隠し持つ「男」の顔に、抗えない好奇心を抱き始める。
「……どうする? 俺と一緒に、いけないことするか?」
余裕の仮面を被るセバスチャンに、あどけない顔で、けれど大胆に踏み込んでいくジャスミン。
理性を繋ぎ止めようとする彼を、翻弄し、追い詰めていくのは彼女の方で……。
「ゆっくり」なんて、ただの建前。
一度火がついた熱は、誰にも止められない。
兄の親友という境界線を軽々と飛び越え、加速しすぎる二人の溺愛ラブストーリー。
冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?
由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。
皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。
ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。
「誰が、お前を愛していないと言った」
守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。
これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる