果ての光~軍人侯爵の秘密と強制結婚の幸福~

百花

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第十一章

第四十三話

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 視界が歪む。
 ゆっくりと。先を見たくないかのように非常にゆっくりとした足取りで、その部屋へと向かった。
 寝台の上に、白い上掛けに包まれたクラリスが寝かされていた。
 その表情は穏やかで、ただ眠っているようにしか見えない。

「クラリス」

 私はそっとその白い頬に手を伸ばした。温かい。息をしている。生きている。
 私は寝台の上に乗り、彼女の上半身を起こして自分の腕の中に閉じ込めた。
 目を閉じて耳を済ませる。微かな、今にも止まってしまいそうな弱弱しい心音が聞こえた。

「……クラリス」

 いくら呼びかけても目覚めない。
 血の失せた白い肌に、現実を思い知らされていく。
 頬を摺り寄せ、腕に力を込めて隙間が無いようにクラリスを抱きしめる。五感の全てで彼女の存在を感じようとした。
 こうすればクラリスの行こうとしている場所に共に行けるような、そんな気がして。

 置いて逝かないでください。

 それが一族の者が考える筈のない、自死を望む心境である事には気付かなかった。

「ロードリック様」

 呼ばれた声に顔を上げると、コリンが正面に立っていた。いつから居たのだろうか、全く意識に入らなかった。
 コリンは酷く悲し気な表情をして、右手に持っていた銃を私に向かって突き付けた。

「……望むのなら撃って差し上げます。彼女の息が止まった、その瞬間に」

 それは酷く魅力的な誘惑だった。
 悪魔の声のように、コリンの言葉が脳内に響き渡る。
 いつの間に自分は死後の世界を信じようとする生き物に変わっていたのだろう。
 魂がある気がした。永遠がある気がした。
 しかし。けれども。

「お前に、私を背負わせる訳にはいきません」

 私は震える腕で銃を突きつけるコリンに、それを頼むことが出来なかった。
 生まれながらにして一族の長。滅びゆく皆を最後まで見届ける者。
 その役割を、自らの欲の為だけに放棄する事は許されない。
 コリンは顔をくしゃくしゃにして、銃を抱えてその場に蹲ってしまった。

「すみません……すみません、ロードリック様」

 その姿に、どれほど本能を抑えて私に銃を向けていたのかを悟る。
 彼のすすり泣く声だけが病室に響いた。やがて幾らか落ち着きを取り戻したコリンが、頭を下げて部屋を出て行く。
 私は愛しい妻を優しく撫でて愛でながら、静かにその時を待った。





 クラリスは夢の中で、村人に教えてもらったあの崖にいた。
 そしてその他にも、誰かが崖の先で海を覗き込むようにして立っている。
 教えてもらわずとも自然とそれが生みの母と、抱かれた幼い自分である事に気が付いていた。

「ごめんねぇ」

 思ったよりも若々しい母の声。子供を見つめて、涙を風に散らしながら微笑んでいる。
 疲れ果て、死こそが希望であると信じた目で、何も分かっていない子供をあやしていた。
 母は懐から小さな袋を取り出して、中に入っていた白い玉を子供の口に押し付けた。
 飴玉だろうと思ったのだろう。子供は母から与えられたそれを、口の中に入れて飲み込んでしまう。
 それを見届けて、安心したように母は笑った。

「それが、貴女だけでも天国へと導いてくれますように」

 最後に愛おしそうに子供を抱きしめて……全てを飲み込む海へと落ちて行った。





 それは……小さな変化から始まった。


 クラリスに触れていた指先が、仄かに熱を伝えてくる。
 ぴたりと寄り添っていた私はその違和感に体を離し、何が起きたのかを確認しようとした。
 閉じられた瞼。真っ白の肌。しかし撃たれた場所の腹部が、淡く光っている。

「これは……」

 息を飲んでクラリスの身に起きている事に目を奪われていると、その光はみるみるうちに強さを増して行った。
 脳裏に過る物があった。
 私は逸る気持ちでクラリスの入院着を開けさせる。厳重に巻かれた包帯を、負担をかけないように注意しながら解いていった。
 露わになった彼女の腹の中、肌を突き抜ける程の強い光で何かが煌々と光っている。

 小さな、真珠程の光の玉。



「宝珠」

 
 四百年前に手から離れて行った筈のその玉は今、一族の最後の長、私の妻の腹の中で役目を果たそうと光り輝いていた。
 どこかハーヴィー様を思わせる顔立ち、養子である事実、宝珠の輝き。
 この瞬間、全てを理解する。

「貴女が……ハーヴィー様の血統だったのですね」

 血統の最後の地から帰ってきて、泣いていたクラリスの涙の理由を知る。
 そんな事で私はこの手を離しはしないのに。いじらしく、可愛らしい。
 目の前で愛しい人の命が戻って来る。
 時が巻き戻るように肌が鮮やかな紅に染まり、弱弱しかった筈の鼓動が次第に力強く。
 手術の縫合の痕さえ小さく縮む。
 一族に残された最後の奇跡。それは正しく、私の上に祝福を齎した。
 やがて光が収まり、固く閉じられていた彼女の瞼が緩々と開かれていく。

「……ロードリック?」

 まるで今朝と同じような、私を呼ぶクラリスの声。

「はい」

 ぽたりと私の涙が彼女の頬に落ちた。
 クラリスは現状に戸惑いながらも、私に向かって手を伸ばす。

「泣かないで。ロードリック」

 私はその手を掴み、自分の頬に寄せながら万感の思いを込めて言った。

「これは嬉し涙ですよ。……クラリス」

 別れはまだ、二人の間にやってこない。
 時は重なる。愛と幸福を増やしながら。

 私は赤々とした小さな唇に、そっと自分の思いを重ねたのだった。

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