果ての光~軍人侯爵の秘密と強制結婚の幸福~

百花

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第十一章

第四十二話

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 ロードリックにはその瞬間、何が起きたか分からなかった。
 ただ隣で微笑んでいた筈のクラリスが突如として表情を強張らせ、自分の背後から庇うように手を広げたのだけが辛うじて見えた。

 
 パンッ

 
 聞きなれた銃声が耳に届く。けれど軍人として慣れ親しんだ武器であるにも関わらず、それが何を齎すのかが認識できない。
 崩れ落ちていく体を、反射的に手で抱き留める。
少し遅れて周囲の人々の悲鳴が上がり、バリエ少佐が恐ろしい形相で銃を構えている姿を見て漸く、何が起きたのかを把握した。
撃たれたのだ。

「捕らえろ!」

 自分が指示する前に、既に護衛をしていた一族の者達がバリエ少佐に飛び掛かっていた。
 群衆は蜘蛛の子を散らす様に逃げていき、視界が開けていく。
 護衛が素早くバリエ少佐を路上に引き倒し、更なる凶弾が放たれるのを銃を奪う事で防いだ。

「しくじったか……!」

 彼は私を仕留め損なったと知り、憎々し気な表情を向けた。
 いつかこういう事をしでかすかもしれないと危惧していた相手である。とうとう最後の一線を越えたのかという、そんな思いだった。
 しかし今は彼の事などどうでもいい。それよりも大事な事があった。

「クラリス!」

 数秒前まで微笑んでいた妻が、腹部を赤く染め上げて力なく目を閉じている。
 私は顔面を蒼白にし、華奢な体を抱え上げた。

 早く。早く。一刻も早く処置をしなければ。

 赤い色の命が着ていた服をじわじわと染め上げて、手から零れ落ちていく。
 私は迷子のように狼狽えながら、出血を抑える術を探して周囲を見渡した。

「長、こちらへ!」
「ニール」

 今日の御者をしていたニールが馬車をすぐ隣に停車させた。私はそれに乗り込み、クラリスを狭い椅子の上に横たわらせる。

「病院へ向かいます!」
「急いでください」

 ニールは心得たと言わんばかりに頷くと、馬を全力で走らせ始めた。
 私は酷く揺れる馬車内で立ちながら、服を脱いでそれを彼女の腹部に押さえつける。

「クラリス……」

 呼びかけても返事はない。今の彼女はまるで人形のようだ。
 焦燥が胸を焦がす。

「お願いです」

 神など信じない。けれど、祈った。
 この人がまだ私の手許から去らないようにと。

「早すぎるでしょう……!?」

 こんな馬鹿な事があって良い筈がない。私達は漸く思いを交わしたばかりなのだ。
 これから先も時を重ね、やがて来る長い悲しみの準備を二人でするつもりだったのだ。
 涙が溢れそうになり、唇を血が出る程噛み締める事でそれを堪える。
 泣くところは見たくないと、彼女が言ったから。
 馬車は最も近い病院の前に、他の馬車を蹴散らす勢いで停車した。
 血塗れのクラリスを抱えて駆け込み、医師に渡して助けてくださいと叫ぶ。
 私は自分の爵位さえ名乗り、金ならいくらでも出せると、出来る事なら何でもすると、そう無様に縋りついた。
 クラリスの状況を把握したその誠実そうな医師は難しい顔をして、全力を尽くすとだけ言って彼女を連れて奥へと消えて行ってしまった。
 病院の入り口に残された私は呆然として、クラリスが運ばれた扉から視線を外す事が出来ない。

「長」

 馬車を止めたニールが私の元へ駆けて来る。動けないでいる私の腕を引き、病院の隅の椅子に座らせてくれた。

「奥様は、きっと大丈夫ですよ」

 根拠のない言葉である。それを理解しつつも、私は力なくそれに頷いた。

「……ええ。そうですね」
「手を洗わないと……血がついています」

 言われて自分の手を見れば、クラリスの血がべっとりと付着している。
 それがどれだけの量の出血があったかを示すようで、恐怖の余り体が激しく震えだす。

「長、」

 初めて目にする私の異常な様子に、ニールは目を見開いて驚愕した。そして苦し気な表情になり、擦り切れるような声で言った。

「奥様は大丈夫です。長、きっと、貴方の元へ帰ってきます」

 私の恐怖を和らげようと、唯々同じ意味の言葉をニールは繰り返す。

「大丈夫です。長」

 その言葉に慰められるように、少しずつ体の震えは収まってくる。
 けれど立ち上がる事も出来ないままで、気を利かせたニールが水を絞った布を持って来てくれる有様だった。
 それからは、長い時間が過ぎて行った。
 私とクラリスを心配した一族の者達が何度も行き来をして様子を確認して行ったが、彼らの言う言葉を胸に留めておく事は出来なかった。
 全てが雑音として耳を通り過ぎていき、私は袖口に彼女の血をつけた格好で座り続けていた。
 日が落ちて、院内が暗くなっていく。他の患者達はあるべき所へと帰っていき、私と一族の者だけが残る事を許される。
 窓の外に星の明かりが煌めきだした頃、とうとう医師が疲れた顔をして私の前に現れた。

「クラリスは、どうなりましたか」

 私はこれまでの脱力が嘘だったかのように、鬼気迫る勢いで詰め寄った。
それに怯む事もなく、その医師は静かに言った。

「傷は塞ぎました。……けれど、血が流れた量が多すぎます」

 息を飲む。
 私が最後の希望を賭けた彼は一度目を強く瞑り、クラリスがいるだろう部屋を掌で示した。

「最後まで、傍にいてあげて下さい」

 ああ。

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