上 下
39 / 64

第三十九話

しおりを挟む

 ダフネさん達と共にアストーリ領へと赴けば、侯爵家の住まうミラダ城へと案内された。
 謁見室にてダフネさんの父であるアストーリ侯爵は久々の娘との再会を喜び、そして連れて来た私達に隠しようのない訝し気な視線を送って来たのだった。

「ふむ。彼らが?」
「はい、父様。暴食のヴァージル。灰燼のオズワルド、そしてシレネの町で薬草店を営んでいたカナさんです」

 私の紹介がとても場違いで、恥ずかしく思いながら頭を下げる。
 しかし隣のヴァージルは頭を下げるどころかどうでもよさそうにしているし、オズワルドはまるで友人に対するように片手をあげてアストーリ侯爵に気さくな挨拶をした。
 もしかしなくても二人共社交性がゼロだった。
 いたたまれなくなって身を小さくする。
 幸いな事にその無礼は咎められる事はなく、寧ろアストーリ侯爵はその堂々とした態度に少し感心さえした様子だった。

「ならば、彼らの事は騎士団に任せよう。ロンメル」
「はっ」

 呼ばれて一人の騎士が前に進み出た。四十歳ほどだろうか。逞しく鍛え上げられた筋肉と、見事な鎧を身に纏っていた。

「彼は騎士団長を任せているロンメルだ。エルダードラゴン退治には共に戦う事になるだろう。この件は彼に一任する」

 ロンメルさんは真面目な表情で一礼した。

「期待している。これ以上我が民をドラゴンに蹂躙させる訳にはいかないのでな」
「ははは、お任せください。ヴァージルならやってくれます」

 ヴァージルは他人事のように言うオズワルドを右手の拳で床に沈めた。
 侯爵を前にした奔放な振る舞いの彼らにダフネさんが額を抑えており、私もとても申し訳ない気持ちになった。
 ロンメルさんは咳払いをして空気を換える。

「では、私に付いて来て下さい。騎士団の施設を案内します」

 私達は彼に連れられて、ミラダ城の近くにある訓練場へと移動する。
 そこには多数の騎士達が既に集まっており、土の上で刃を潰した剣を手に訓練しているようだった。
 ロンメルさんと共にいる私達に気付くと、好奇心に満ちた視線を向けてくる。
 私達が何者であるかを既に聞いていたのだろう。遠くからも「あれが」とか「七刃」などと言った単語が漏れ聞こえてきた。
 そして広々とした訓練場の中心でロンメルさんは立ち止まると、ヴァージルとオズワルドの二人に向かって言った。

「主君の決定です。これまであなた方がしてきた悪行も、今は責めないでおきましょう。しかし、偽物かも分からないのに突然来られて信じろと言うのも無理な話です。まずはその実力を見せていただきたい」
「ロンメル。私が頼んだのだぞ」

 ダフネさんが厳しい表情でロンメルを見たが、彼はそれを受け入れなかった。

「それであっても。戦場では命を預けるのですから」

 ロンメルのいう事も尤もだった。しかし私は二人を見て、心配せずにはいられなかった。
 ヴァージルは必要あるのかとか言ってるし、オズワルドは笑顔のポーカーフェイスである。

「是非、手合わせを」

 ここは、私がお願いするしかないのだろう。
 オズワルドに頼むと彼の戦闘スタイル上、訓練場が消し飛びかねない。だからヴァージルに向かって上目遣いを意識して言ってみた。

「……お願い。ヴァージルの恰好いい所、見たいな」

 ああ、恥ずかしい。

 顔が赤くなるのが分かる。けれど、効果は抜群だった。

「お前のおねだりには、応えてやらねぇとな」

 ヴァージルは口角を吊り上げ、笑みを浮かべた。手渡された訓練用の剣を手にロンメルの方へと向かう。

「……助かる」

 ダフネさんが私の羞恥を見て、肩に手を置いて労ってくれた。

「はは……これぐらいしか、出来ませんから」

 ヴァージルにお願いするしか、自分に出来る事はない。

「そんな事はないさ」

 本心か、建前か分からないが彼女はそう言ってくれた。
 ロンメルさんとヴァージルとの戦いを見れるとあって、騎士たちが円状に集まってくる。
 まるで闘技場のような熱気に包まれてくるが、矢張り片方が団長だけあって、皆ロンメルさんを応援していた。

「行きます」

 ロンメルさんが剣を構えて宣言し、足に力を込めてヴァージルに向かって跳躍した。
 横薙ぎに振られた剣を、ヴァージルは横に僅かに動いて避ける。そしてそのまま剣をロンメルに向かって脳天に振り下ろしたが、ロンメルさんもそれを剣で防いだ。
 しかし受け止めた剣の重さに顔色を変え、冷や汗をかいて後ろに逃げる事で解除する。
 対するヴァージルは余裕の笑みで、得意げに言った。

「そもそもの力が違ぇんだよ」

 肉体改造をされているヴァージルは、人間の腕力を逸脱している。それは最早、モンスターと同等の怪力だった。
 剣を普通に交えるだけではヴァージルの相手にならないと察し、ロンメルさんは魔力を練り上げて開放した。
 熟練の剣士は己の肉体と魔力を合わせる事で、剣技を魔術のように操る事が出来る。
 ザカライアの剣撃が大地をえぐり、剣の長さ以上のものを斬るのも同じ原理だった。

「『破斬』!」

 ロンメルさんが四つの剣撃をヴァージルに飛ばす。ヴァージルはそれを剣で叩き落したが、一つが僅かに頬を掠めて傷をつけた。
 遊んでいるかのようだったヴァージルの目つきが鋭くなる。
 ロンメルさんが飛ばした更なる破斬の刃を一気に潜り抜け、腕に魔力を込めて止めようとしてきたロンメルさんの剣を払いのけた。
 そしてその長い足で腹部を蹴り飛ばす。どれだけの脚力なのか、ロンメルさんは何メートルも後ろに飛ばされ背中に土をつけたのだった。

「このぐらいにしておこうぜ。俺は手加減するのが苦手だし」

 ヴァージルは剣を肩に乗せ、攻撃の意思がない事を示して言った。

「使い魔が無くて、これか……」

 ロンメルさんがふらつきながら立ち上がる。
 どうやら彼は実力を認めてくれたようだったが、周囲の観客達の様子は団長が負けて悲しむでも、戦いに興奮するでもなかった。
 余りにも鮮やかにヴァージルは勝利してしまったのだ。ロンメルさんが弱かった訳ではない。ただ、格が違った。

「化け物」

 周囲の騎士が囁く声が聞こえてしまった。
 彼らはまるでモンスターを見るような目つきで、ヴァージルを見ている。これが、暴食のヴァージルに対する普通の人の反応なのだ。

 ……だからヴァージルは、他の人を拒絶するのか。

 自分がどれほど無知で、能天気にヴァージルを受け入れたのかが分かる。
 私は今更ながらに壁を理解してしまって、切なさを感じずにはいられなかった。
 それが伝わってしまったのだろう。ヴァージルが訓練用の剣を地面に突き立て、私の元へ戻って来る。

「どうした?」

 感情が伝わっても、理由までは分からなかったらしい。私は誤魔化す笑みを浮かべた。

「ちょっと、お腹が減っちゃって」
「……そうか。なら、なんか食いにいくか」

 きっと違うと分かっているだろうに、ヴァージルは聞かずにそう言ってくれた。
 どうやったら、皆に彼を受け入れてもらえるのだろう。
 私は悔しさを感じながら、差し出された彼の手をそっと掴んだのだった。
しおりを挟む

処理中です...