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第六十話
しおりを挟む痛くて辛い記憶が無理矢理に繰り返される。私はその感情の海に溺れ、自分を見失いかけていた。
苦しい。体が熱い。何の薬を与えられた? 痛い。骨を折られた。腕が動かない。繋がっているのに、使い魔を殺された。苦しい。息が出来ない。もう起き上がる事も出来ないのに、打ち据えられる。何で俺がこんな目に。苦しい。いつ終わる。この生は、いつまで続く。痛い。痛い。辛い。
『可哀想に』
何だ。誰だ。声が聞こえた。分からない。痛い。苦しい。助けて。誰か。
『こんな目に合わされて』
同情的な声が聞こえたかと思うと、少し感情の揺らぎが収まった。自分の認識が僅かに戻って来る。
髭の生やした男が、ヴァージルの腕を掴む。毎日のように。連れて行かれた先で、訓練用の剣を持たせられた。痣だらけの体にまた痣が出来る。
殺せと言われた。泣き叫び、命乞いをされた。どうしようもなかった。考える事を止めた。仕事は簡単だった。
狼の巣に放り込まれた。使い魔を増やせと。食らった。狼の方が余程上等な生き方をしていた。
『助けるから』
繰り返される記憶のループが止まった。灰色の記憶が進んでいく。
隷属の呪具がつけられているから、外に出された後も自由は無かった。言われた通りに、仕事をこなすだけ。
殺した。まっとうな人生を送ってきた男だった。
殺した。多くの人に慕われている女だった。
殺した。数えるのも面倒な数の傭兵の集団だった。
殺した。悪徳の限りを尽くした男だった。
ふと、景色が変わって見えた。人通りの多い市場を飾る布の色が鮮やかに見えた。
顔を撫でる風が優しく感じられ、道を進む足取りは軽い。
見慣れた店構えが見えてくる。ドアベルを鳴らして、隠れる事も無く正面から堂々と入った。
黒髪の女が笑いかけてくる。呆れる程無防備に、ヴァージルを歓迎する。
「……カナ」
勝手に顔が緩んでいく。
救われたと、思った。
気づけば私は、真っ白な空間で倒れていた。
シーグフリードによって繰り返させられていた壮絶な虐待の記憶によって、疲弊していて体が上手く動かせない。
『酷い目にあったな』
誰かが私の頭を優しく撫でてくれた。目を開いて誰だか見ようとしたが、その姿が光に紛れていて顔が見えない。
声を出そうとしたけれど、それさえも上手く喋れなかった。
『ずっと探していたけど、見つけられなかった。……こんな所にいたんだ』
その人はまるで子供を寝かしつけるように、ゆっくりと私を撫で続けてくれる。
大人になり切れていない少年の声だった。
『この世界は嫌いか?』
ああ、この人は。
私は泣きたくなってしまって、口を震わせながら首を横に振る。
だってあんな目にあったヴァージル自身が、恨んでいなかった。
私に会えた。たったそれだけの出来事で、彼は怒りや恨みを『どうでもいい』ものにしてしまえていた。
だから私は、堂々と彼と出会えたこの世界を好きだという事が出来る。
慰めてくれる少年の手が優しくて、堪えきれなくなった涙が零れ落ちて行った。
『……そっか。なら、俺はもう止めるよ』
ほっとしたような声だった。
『会えて良かった。……加奈』
頭を撫でてくれている手が、指先から消えていくのが分かった。
時間がない。震える唇を無理矢理に動かした。
「……お兄ちゃん。どうして……」
世界を呪いながら死んでしまったの?
温かで、切ない涙が降ってくる。
『知らなくて良い。カナ。知らないままで、幸せになってくれ。俺が起こしてあげるから』
もしもおばあちゃんに拾われなければ、どうなっていただろうか。
もしも神父さんに支えられなければどうなっていただろうか。
孤独に沈み、あるいは人の悪意に曝されて。私は自分を保てなかったかもしれない。
兄はきっと、酷い目にあったのだ。この世界で生まれた孤児ですら、地獄のような経験をする世界なのだから。
手を伸ばす。涙を拭おうとしたが、既に光に溶けかけた顔を指は突き抜けてしまう。
『大好きだよ。加奈』
笑ったような気配。それを最後に、白い世界は崩壊した。
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