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第六十一話
しおりを挟むシーグフリードは剣で斬られた足をもつれさせ、血痕を岩窟の廊下に垂らしながら疾走していた。そんな状態であってもその速度は常人以上のものである。
背後から聞こえるヴァージルの足音に苦い顔をした。少しでも油断すれば追いつかれそうな速度だ。
岩窟内は細い廊下が延々と伸び、曲がりくねり、迷路のようになっている。怨嗟の玉とカナがいる部屋はその最深部だった。
蝋燭の明かりがより奥へ、より深い所へとシーグフリードを導いていく。
それはさながら、地獄へと続くかのような薄暗がりの道だった。
早く。少しでも早く。
背後から迫り来る男の足音が恐ろしい。呼吸は苦しく、血の滲む味がした。
それでもまだ、取り返しのつかない事にはなっていない。シーグフリードには、他の誰にも扱う事の出来ない怨嗟の玉があるのだから。
ヴァージルの投げた短刀が、シーグフリードの背中に突き刺さった。
「ぐ……っ!」
後ろを振り返る。もう、その姿が見え始めていた。
早く。早く。
シーグフリードは必死で足を動かす。汗を垂らし、生き延びようともがくその姿に、いつもの支配者然とした雰囲気は何もない。
とうとう扉が見えた。その先にはあの女がいる筈だった。
首を掴み、盾にしてやろう。そうすればヴァージルの剣は止まるに違いない。そこを今度は私が狙う。そしてヴァージルを女の前で殺せば、それで計画は元通りだ。
失ったものは多いが、手元の怨嗟の玉が二つになるならばおつりがくる。
金属の取っ手に手をかけて、勢いよく扉を開け放つ。
その瞬間、違和感がシーグフリードを襲った。
怨嗟の玉により充満している筈の、陰鬱な空気が何もないのである。
それに気を取られて数瞬その原因を探ってしまう。
目線の先に、恨みなど全て忘れたかのような白い頭蓋骨があった。
「な……」
ほんの僅かな動揺。
ドスッ
衝撃が横から来て視線を向ければ、蝋燭を除いた燭台の針をシーグフリードに突き刺すカナの姿があった。
何故、この女の目が覚めている?
カナに向かって手を伸ばそうとした。けれどそれを止めるように二度目の衝撃が体に走る。
問おうとした自分の口から血が零れた。
「ごふっ」
視線を下に降ろすと、剣で後ろから貫かれた自分の胸板が目に映る。剣先で玉を作る自分の血が、やけに鮮やかに見えた。
背後を見れば、そこには無表情のヴァージルの姿があった。
足に力が入らなくなり、膝立ちの状態になる。剣がずるりと引き抜かれて、自分の中心に大きな穴が開いた。
血が。血が抜けていく。
手で胸を抑えようとして、血を止める事が叶うはずもなく指の間を血液が滴り落ちていく。
とうとう膝立ちさえも出来なくなって、地面に体を横たえた。
温かな血と共に、命が体から抜けていく。力が入らなくなっていく。
視界の端で、今までシーグフリードの欲望を叶えて来た筈の怨嗟の玉を見た。
全てを恨み、世界を呪いながら死んだという異世界人の頭蓋骨。
私達は、同じだったでしょう……?
この世界は汚くて醜くて、だからこそ踏みにじっても良いのだ。
シーグフリードは精神を操る魔術を使うからこそ、人の闇をずっと目の当たりにし続けていつしか酷く嫌うようになっていた。
愚かで、滅びるに相応しい生き物。けれど数が多すぎて殺しきれないから、私が適切に管理してやっただけではないか。
怨嗟の玉と呼ばれるその異世界人も、それを喜んでいたに違いなかった。
それなのにどうして、今更只の白い骨になった。裏切られたような気がした。
ずるりと地を這いながら頭蓋骨に手を伸ばした。けれど届かない。
命が終わる。
自分が死んだ所で只の躯にしかなれないのを嘆きながら、シーグフリードは息する事を止めた。
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