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11. 一番の弱点
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互いに真剣だからこそ、感情的になって衝突することもある。
「樹生さん。俺、そろそろ、短時間なら試合出てもいいですかね?」
術後半年を迎えた頃、神妙な面持ちと上目遣いで翔琉がおずおずとお伺いを立ててきた。
「そろそろ岡田さんが言ってくるんじゃないかと思ったので、前回来院時に画像も撮ったし、院長とも相談しました」
溜め息交じりに答える樹生の曇った表情に、翔琉はきゅっと口を引き結び背筋を伸ばす。
「結論から言います。もう一か月様子を見ませんか?
早く試合に出たい気持ちは僕らも理解しているつもりです。でも、今後長い目で見た選手生命のことも考えて、万全を期したほうが良い。これが院長と僕の意見です」
分かりやすく翔琉は苛立った表情を見せる。最後は食い気味に言葉を重ねてきた。
「今後長い目って……。俺ら、一生プレイできるわけじゃないんです。現役でいられるのは、どんなに長くても二十年だし、そのうち本当の意味のトップコンディションは、ほんの数年なんですよ!?」
もどかしそうにバスケットボールを両手で左右から腕が震えるほど強く押している。樹生は宥めるようにゆっくりと理由を説明する。
「僕らは、同じ怪我をしたスポーツ選手の同時期の画像と岡田さんの画像を比較しています。半年で試合に出た選手はいます。でも、その人より、岡田さんは怪我した時点でかなり重傷でした。手術もリハビリも順調でうまく行ってはいます。ただ、もともと重傷だし、岡田さんのほうが体格が良い分、運動し始めたら膝への負荷も高いです。だからこそ、もう少し待ったほうが良い。限りある選手生命の中の一番良い季節、一か月も惜しいという気持ちは分かります。でも、まだ岡田さんは入団三年目でしょう? これからも活躍し続けて欲しいと思っているからこその提案です」
苛立たしげに翔琉が頭をガシガシと掻く。
「……だったら、樹生さんが代わりに試合出てくれます? 俺は今、ありがたいことにエースだって言ってもらってます。その俺が出れずに、チームの成績がどんどん悪くなってる。今季の成績で、来季契約してもらえるか決まる瀬戸際のチームメイトもいるのに……。ここで巻き返さないと、サンダーズは今季最下位まで沈みかねないんだ! ……俺の気持ちも分かんないのに、偉そうに言うなよ!!」
彼が床に叩きつけたボールは、破裂しそうな音を立てて跳ねあがり、樹生の頬を掠めて体育館の後ろに飛んでいった。息を荒げ、こめかみには青筋が立っている。樹生は自分の胸元をぎゅっと握りしめる。
「……ああ、どうせ僕にはできないし、選手の気持ちは分からないよ。岡田さんも知ってるだろ? 喘息持ちで、ちょっと身体動かしただけで、すぐ具合が悪くなるからね」
押し殺した声で呟かれた樹生の言葉に、翔琉は瞬時に『しまった』という表情に変わった。冷静に言い返したつもりなのに、予想以上に自分の声が震えていて樹生は驚いた。
「だけど、岡田さんだって僕の気持ちは分かんないだろ? 完治させる方法も無いから、騙し騙し付き合っていくしかない。思い通りに身体を動かせることなんか、一生ないんだぞ? それでも未練たらしく理学療法士やってるのは、スポーツ選手を助けることで多少なり自尊心が満たされるからなんだ。……こんな喘息患者の気持ちが、健康なお前に分かるかよ!!」
樹生は叫んだ。喉から血が出そうだ。翔琉は眉を下げて唇を噛み締めている。彼が自分の先ほどの言葉を後悔している様子は手に取るようにわかる。しかし、一番の弱みを突かれ、どうしても樹生は我慢できなかった。握り締めていたノートを投げつけたが、翔琉の足元へも及ばず弱弱しく地面に落ちるだけだった。
翔琉はノートを拾い上げ、樹生に渡そうと歩み寄る。樹生は、その手を素っ気なく払った。翔琉は何も言わず、横に飛ばされたノートを再び拾う。
「ごめんなさい。俺、一番言っちゃいけないことを言いました。樹生さんの気持ちを考えずに自分の苛々をぶつけちゃって。喘息の人の苦労は知ってるはずなのに……」
心底申し訳なさそうに詫びる翔琉は、まるで飼い主にひどく叱られた犬のように項垂れている。おずおずと遠慮がちにタオルを差し出され、樹生は自分が泣いていることに気づいた。慌てて袖で顔を拭い、泣き止もうと試みたが、意識すればするほど余計に涙は溢れ、しゃっくりのように嗚咽が止まらない。
「もうやだ……」
持病も、
持病を苦にしていることも、
そんなコンプレックスとは無縁の健やかな翔琉の前で、子どものように泣きじゃくっていることも。
全てが嫌になる。踵を返して逃げ出そうとした樹生は手を掴まれ、そのまま背中から翔琉の胸に抱き留められた。
「ごめん、樹生さん。俺がバカなこと言ったから……。こんな気持ちにさせたのは俺のせいだ。ほんとにごめんなさい……」
「離せ……っ!」
切なげな声で謝り続ける翔琉の腕の中で、樹生はもがいた。
「お願いだから、許してください。樹生さんが俺を許すって言ってくれたら離します」
「何言ってんだ。……お前の顔なんか見たくない。こんな惨めな気持ちで一緒にいたくない。一人にしてくれよ!!」
「樹生さんは惨めなんかじゃない。一流の理学療法士じゃないですか。クリニックでも、老若男女に好かれて頼りにされてて。……俺、ホントに何でもしますから。許すって言ってください」
振りほどこうとしてもびくともしない強い腕と、弱気だが必死な懇願のギャップに、樹生は嗤った。
「……何だよ、それ。自分の役に立つから僕を引き止めたいだけだろ!? うんざりだよ、そういうの」
「違う! ……バスケ選手じゃない俺のことも、彼女とかより理解してくれてる。樹生さんは俺にとって大事な友達なんです」
翔琉の言葉に樹生は反撥を覚えた。幾ら自分が良き理解者として重宝されても、彼が家に帰って抱き締めてキスをして、同じベッドで眠るのは彼女なのだから。再び翔琉に抱き締められ、その腕の中の温かさに胸を揺さぶられた後だけに余計生々しく想像してしまい、苦しさで胸から血が噴き出そうだ。
「樹生さん。俺、そろそろ、短時間なら試合出てもいいですかね?」
術後半年を迎えた頃、神妙な面持ちと上目遣いで翔琉がおずおずとお伺いを立ててきた。
「そろそろ岡田さんが言ってくるんじゃないかと思ったので、前回来院時に画像も撮ったし、院長とも相談しました」
溜め息交じりに答える樹生の曇った表情に、翔琉はきゅっと口を引き結び背筋を伸ばす。
「結論から言います。もう一か月様子を見ませんか?
早く試合に出たい気持ちは僕らも理解しているつもりです。でも、今後長い目で見た選手生命のことも考えて、万全を期したほうが良い。これが院長と僕の意見です」
分かりやすく翔琉は苛立った表情を見せる。最後は食い気味に言葉を重ねてきた。
「今後長い目って……。俺ら、一生プレイできるわけじゃないんです。現役でいられるのは、どんなに長くても二十年だし、そのうち本当の意味のトップコンディションは、ほんの数年なんですよ!?」
もどかしそうにバスケットボールを両手で左右から腕が震えるほど強く押している。樹生は宥めるようにゆっくりと理由を説明する。
「僕らは、同じ怪我をしたスポーツ選手の同時期の画像と岡田さんの画像を比較しています。半年で試合に出た選手はいます。でも、その人より、岡田さんは怪我した時点でかなり重傷でした。手術もリハビリも順調でうまく行ってはいます。ただ、もともと重傷だし、岡田さんのほうが体格が良い分、運動し始めたら膝への負荷も高いです。だからこそ、もう少し待ったほうが良い。限りある選手生命の中の一番良い季節、一か月も惜しいという気持ちは分かります。でも、まだ岡田さんは入団三年目でしょう? これからも活躍し続けて欲しいと思っているからこその提案です」
苛立たしげに翔琉が頭をガシガシと掻く。
「……だったら、樹生さんが代わりに試合出てくれます? 俺は今、ありがたいことにエースだって言ってもらってます。その俺が出れずに、チームの成績がどんどん悪くなってる。今季の成績で、来季契約してもらえるか決まる瀬戸際のチームメイトもいるのに……。ここで巻き返さないと、サンダーズは今季最下位まで沈みかねないんだ! ……俺の気持ちも分かんないのに、偉そうに言うなよ!!」
彼が床に叩きつけたボールは、破裂しそうな音を立てて跳ねあがり、樹生の頬を掠めて体育館の後ろに飛んでいった。息を荒げ、こめかみには青筋が立っている。樹生は自分の胸元をぎゅっと握りしめる。
「……ああ、どうせ僕にはできないし、選手の気持ちは分からないよ。岡田さんも知ってるだろ? 喘息持ちで、ちょっと身体動かしただけで、すぐ具合が悪くなるからね」
押し殺した声で呟かれた樹生の言葉に、翔琉は瞬時に『しまった』という表情に変わった。冷静に言い返したつもりなのに、予想以上に自分の声が震えていて樹生は驚いた。
「だけど、岡田さんだって僕の気持ちは分かんないだろ? 完治させる方法も無いから、騙し騙し付き合っていくしかない。思い通りに身体を動かせることなんか、一生ないんだぞ? それでも未練たらしく理学療法士やってるのは、スポーツ選手を助けることで多少なり自尊心が満たされるからなんだ。……こんな喘息患者の気持ちが、健康なお前に分かるかよ!!」
樹生は叫んだ。喉から血が出そうだ。翔琉は眉を下げて唇を噛み締めている。彼が自分の先ほどの言葉を後悔している様子は手に取るようにわかる。しかし、一番の弱みを突かれ、どうしても樹生は我慢できなかった。握り締めていたノートを投げつけたが、翔琉の足元へも及ばず弱弱しく地面に落ちるだけだった。
翔琉はノートを拾い上げ、樹生に渡そうと歩み寄る。樹生は、その手を素っ気なく払った。翔琉は何も言わず、横に飛ばされたノートを再び拾う。
「ごめんなさい。俺、一番言っちゃいけないことを言いました。樹生さんの気持ちを考えずに自分の苛々をぶつけちゃって。喘息の人の苦労は知ってるはずなのに……」
心底申し訳なさそうに詫びる翔琉は、まるで飼い主にひどく叱られた犬のように項垂れている。おずおずと遠慮がちにタオルを差し出され、樹生は自分が泣いていることに気づいた。慌てて袖で顔を拭い、泣き止もうと試みたが、意識すればするほど余計に涙は溢れ、しゃっくりのように嗚咽が止まらない。
「もうやだ……」
持病も、
持病を苦にしていることも、
そんなコンプレックスとは無縁の健やかな翔琉の前で、子どものように泣きじゃくっていることも。
全てが嫌になる。踵を返して逃げ出そうとした樹生は手を掴まれ、そのまま背中から翔琉の胸に抱き留められた。
「ごめん、樹生さん。俺がバカなこと言ったから……。こんな気持ちにさせたのは俺のせいだ。ほんとにごめんなさい……」
「離せ……っ!」
切なげな声で謝り続ける翔琉の腕の中で、樹生はもがいた。
「お願いだから、許してください。樹生さんが俺を許すって言ってくれたら離します」
「何言ってんだ。……お前の顔なんか見たくない。こんな惨めな気持ちで一緒にいたくない。一人にしてくれよ!!」
「樹生さんは惨めなんかじゃない。一流の理学療法士じゃないですか。クリニックでも、老若男女に好かれて頼りにされてて。……俺、ホントに何でもしますから。許すって言ってください」
振りほどこうとしてもびくともしない強い腕と、弱気だが必死な懇願のギャップに、樹生は嗤った。
「……何だよ、それ。自分の役に立つから僕を引き止めたいだけだろ!? うんざりだよ、そういうの」
「違う! ……バスケ選手じゃない俺のことも、彼女とかより理解してくれてる。樹生さんは俺にとって大事な友達なんです」
翔琉の言葉に樹生は反撥を覚えた。幾ら自分が良き理解者として重宝されても、彼が家に帰って抱き締めてキスをして、同じベッドで眠るのは彼女なのだから。再び翔琉に抱き締められ、その腕の中の温かさに胸を揺さぶられた後だけに余計生々しく想像してしまい、苦しさで胸から血が噴き出そうだ。
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