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7話
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「おはよう、ミズキ」
「あ、おはよう茜」
朝、瑞貴が1階に降りると瑞貴のパジャマを着た茜が、テレビのニュースを見ていた。
どうやらテレビの扱いには、もうすっかり熟練したようだ。
そういえば、と瑞貴は思う。
茜は昨日何処で寝ていたのだろうか?
「どこって。普通にベッドでだけど。私用の部屋も、普通にあるしね」
昨日言っていた、世界のなんとかってやつだろうかと瑞貴は考える。
確かに。
泊っているのだから、部屋くらい用意されてないとおかしい。
瑞貴は何となく納得したような気になって、ソファーに座ってニュースを見る事にする。
「ミズキ、朝ご飯は?」
「食べる?」
「私はこれがあるから」
その手には、例のクリームパン。
瑞貴は栄養のバランス……と言いかけて、そういう普通の食べ物では無かった事を思い出す。
「人の心配より、ミズキは自分の食べなよ。朝を抜くのは良くない」
実を言うと、瑞貴はちょっとだけ期待していた。
もう朝ご飯が用意されている、さながら青春真っ盛りな光景を。
けれど、そんな様子は微塵も無い。
「甘いよ、ミズキ。世の中、そんなに甘くないから」
そんな容赦のないツッコミが、瑞貴の心にグサグサと突き刺さる。
トーストと、コーヒー。
簡単な朝食をテーブルに運ぶと、茜はソファーで瑞貴の携帯をカチカチと弄っていた。
「それ僕の……」
「ん」
意外にもあっさりと瑞貴へ携帯を返す茜。
イタズラされてないか見てみると……アドレス帳から綾香の名前が消えている。
まさか、昨日綾香のアドレスが消えてたのも茜の仕業だろうか……と瑞貴は茜をじっと見る。
いやいや、まさか。
そう考えつつも、瑞貴はその疑問を口にする。
「あのさ、茜。携帯のアドレス消してるのって、もしかして……茜?」
「まぁね。だって、私以外の女子のアドレスなんていらなくない?」
「そんなことないよ……」
今日学校に行ったら、綾香にまたアドレス入れてもらわないと。
そう考えて瑞貴は溜息をつく。
何と言い訳したものか、今から気が重くなってくるのを感じる。
「あと、そのパジャマも僕のなんだけど……」
「返そうか?」
上着のボタンを一つ外してみせる茜に、瑞貴は首をぶんぶんと横に振って否定する。
その反応も織り込みずみなのか、茜はニヤニヤと笑いながら自分の胸元を指さす。
「下は誰の着てるか、聞かないの?」
齧りかけのトーストが、テーブルに落ちる。
いや、まさか。
いくら茜が人をからかうのが好きだからって、そこまでは。
そう考えながらも、瑞貴は茜の胸元を凝視する。
そんなところを見たって何も分からないが、指し示されたら見てしまうのが人の習性というものだ。
「ミズキ。下着の柄にはもうちょっと、気を使ったほうがいいと思うよ」
背伸びする茜のズボンからチラリと見える獅子の顔。
あまりにも見覚えのありすぎる柄に瑞貴は、ガクリと肩を落とす。
瑞貴のお気に入りのトランクスに間違いなかった。
「返そうか?」
ニヤニヤ笑いを強める茜に、瑞貴はもう返事する気力すら無い。
父さん、母さん、ごめん。
僕の真っ白だった純情は今日、赤い悪魔に穢されてしまいました。
心の中でそう懺悔すると、瑞貴は深い溜息をつく。
「まあ、それはさておき。ミズキ、学校行ってる間は気を抜かないようにね」
「あ、うん」
反射的に返事してから、瑞貴は今言われた事を思い返す。
今言われた事は、もしかしてとても重要な事ではないのだろうか。
言葉の意味を瑞貴が考えていると、茜が立ちあがって手をパン、と叩く。
「ぼーっとしてたらダメだよ、ミズキ。ほら、歯磨いて。さっさと着替える!」
「え、僕まだ食べ終わってないんだけど」
「さっさとしないと、私はミズキの制服着るからね」
「ちょっと、それじゃ僕は何着ていけばいいのさ!」
「私の着ればいいじゃない。あ、いいなソレ。皆に嫌われて、私だけのミズキになれるよ?」
やりかねない、と瑞貴は思う。
そんな事をされたら、瑞貴の青春は確実に終了するだろう。
「冗談だよ、ミズキ。一割くらいは」
ほとんど本気なんじゃないか。
冷や汗を流す瑞貴を、茜はニヤニヤと見守っていた。
そして、何とか無事に男物の制服を着る事の出来た瑞貴と茜は二人で並んで家を出る。
学校は、瑞貴の家から少し歩いた場所にある。
「ミズキ」
「何?」
「電柱の陰に何がいるか知ってる?」
通学路で、ぴったりと瑞貴の隣を離れずに歩く茜が突然そんな事を口にする。
「なんだろう。何かのクイズ……とか? 電柱の陰にいるようなもの。いるっていうんだから生き物だよね」
犬とか、猫ではないだろう。
わざわざ聞いてくる辺り、相当捻くれた答えが用意されているのだろう、と瑞貴は思う。
「ストーカー?」
「半分正解」
半分、と言われて瑞貴は顔に疑問符を浮かべる。
「残りの半分って?」
「影追い」
影追い。
昨日の影法師の仲間だろうか、と瑞貴は思う。
そんな瑞貴の表情を読み取ったのだろうか。
茜はニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「影に潜むのが好きな連中でね。憧れとか、そういうのを食べてるらしいよ。洒落た連中だよね」
「そうかなあ……影に潜んでる時点で、そういうのとは程遠い気がするんだけどなあ」
瑞貴は試しに、電柱の陰に目を向けてみるが……誰も居ない。
「誰も居ないよ?」
「コラ、見ちゃダメだよ」
その途端、瑞貴は茜に制服の裾を引っ張られる。
あれ、ひょっとして見たら呪われるとか、そういうのだったのかな……と瑞貴は慌てて目を逸らす。
「連中、とにかく恥ずかしがり屋だから。あんまり見ちゃダメ」
「じゃ、じゃあ。なんで教えるのさ?」
瑞貴がそれなら最初から知らなければ見なかったのに、という思いを込めて抗議すると茜は意外だ、という顔をする。
「災難を避ける方法は、それ自体を知る事だよ、ミズキ。それがどういうものか知ってれば、避ける事は難しくないんだから」
裏道には近づくな、とかそういう類のものだろうか。
登校中に気を抜くなっていうのは、不意にそういう場所に近づくな……っていう茜の気づかいだったのかもしれない、と瑞貴は納得する。
「茜って、優しいよね」
僕がそう言うと、茜はまたニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「まぁね。私ほど優しい奴はそうはいないよ。ラッキーだね、ミズキ」
「そうだね。出会ったのが、茜でよかったよ」
「だが、俺と出会ったのが運の尽きだな」
野太い声と共に、背後から瑞貴の肩に手が置かれる。
「茜、妖怪ロンゲ野郎に出会った時にはどうしたらいいかな」
「さぁね。カツカレーでも奢ってみたら?」
ニヤニヤと笑う茜と、瑞貴の首を太い腕で絞めにかかる耕太。
「朝から女子と会話とか、どこのセレブだよ。独身貴族の誓いを忘れたのかよ」
「いや、普通に会話に混ざってくればいいじゃない!」
というよりも、独身貴族の誓いなどという不気味な誓いを交わした記憶は、当然ながら瑞貴には無い。
「朝から濃厚ジャムみたいなスイートトークしやがって。何処に混ざれってんだよてめぇ」
グイグイと瑞貴を絞める耕太に、後ろから綾香がチョップを入れる。
「アンタだってアタシと会話してたでしょうが」
「お前はなぁ……」
「何よ」
瑞貴の首から手を離した耕太は、大袈裟な手振りで溜息をついてみせる。
「ガキの頃からずっとだしなあ。むしろ男友達っつーか」
そんな耕太をジト目で見ると、綾香は瑞貴の手を取る。
「行こうか、瑞貴。遅刻するよ。あのアホは置いてこ」
瑞貴の手を掴んだまま、走り出す綾香。
「わ……ちょっ、転ぶよ綾香、転ぶ!」
「ミズキ、私も」
慌てて瑞貴も走りだすと、追いついてきた茜が反対の手を掴んで併走する。
1人置いていかれた耕太は、般若の形相で追いかけていく。
「待ちやがれ瑞貴! てめぇにはまだ話があんぞコラ!」
そのまま学校に着くまで瑞貴達は爆走を続け……教室に入る頃には、茜以外は全員疲れきってしまっていた。
「体力あんなぁ、茜……」
「まぁね」
机に突っ伏している耕太と瑞貴を、茜がニヤニヤと見下ろしている。
その手にはいつ手に入れたのか、クリームパンがある。
とはいえ茜の手にある以上、それは普通のクリームパンではなく「瞬間の殺意」から生まれたものだ。
それを嬉しそうに齧る茜を見上げ、瑞貴は溜息混じりに呟く。
「……殺意って、簡単に出るんだなぁ」
「まぁね」
ニヤニヤとした笑みを浮かべながら、最後の一口を茜は幸せそうに呑み込む。
「何の話だ?」
「さぁね。それより、そろそろ授業だよ」
そう言うと、茜も自分の席へと戻っていく。
茜の席は、教室の左隅。
そういえばあの席は、前は空席だったんだっけ……と瑞貴は思う。
そして、鳴りだすチャイム。
瑞貴にとって退屈な時間がまた、始まってしまう。
でも、昨日は違っていた。
茜が瑞貴の前に現れて。
取り巻く世界は全部が変わった……と瑞貴は思っていた。
けれど、こうしてみればどうだろう。
瑞貴自身は何か、変わったのだろうか?
茜が、瑞貴の立ち位置は通行人だと言っていた事を思い出す。
その他よりは、少しマシで。
でも、主役には届かず脇役にもなりきれない。
結局。
瑞貴はまだ、何にもなれてはいないのだ。
せめて耕太と茜の席が交換とかになればいいのに、と考えて瑞貴が隣の席を見ると、耕太はすでに爆睡中だった。
そう、結局は。
いつも通りの日常が今日もやってきている。
だから瑞貴は、想像する。何度も何度も想像した、あの光景を。
想像する。
例えば、今授業を受けているこの教室に、瑞貴以外誰も居なくなったなら。
例えば、世界に誰一人として居なくなったなら。
何度も味わった、この感覚。
視界が、滲む。
世界が、歪む。
誰かが慌てたように立ち上がった音がするけれど、それも遠くなって。
そして瑞貴はまた、あの無音の教室に居た。
前は、隣の耕太の席に茜が座っていた。
赤に染まった、あの姿を思い出す。
でも今は、誰も教室には居ない。
瑞貴以外は、誰も。
瑞貴は椅子から立ち上がって、教室を歩き回ってみる。
コツン、コツン、コツン。
歩く音が、やけに大きく響く。
やってみると楽しかったけれど、すぐに飽きてしまう。
誰も居ない、無音で無人の世界
ダストワールド、と茜がこの世界を呼んでいた事を思い出す。
ここは、とても寂しくて。
茜が自分を呼んだ理由が、瑞貴には分かった気がした。
「……あれ?」
おかしい、と瑞貴は気付く。
茜は、向こうにいる。
ここは、無人の世界のはずだ。
つまり……瑞貴以外は、誰も居ないはずだ。
なら、瑞貴を此処に呼んだのは誰なのか?
「それは、貴方自身ですよ」
心臓が、飛び出しそうになるのを瑞貴は感じた。
此処に、瑞貴以外の誰かがいるというのだろうか?
今の声は、教室のドアの外から聞こえてきた。
閉じられたドア。
教室の前と後ろにドアはあるけれど、今の声は前のドアの方から聞こえてきた。
「面白いですね、貴方は。こちらと向こうに同時に存在してるなんて。でも、こっちの貴方は随分薄く感じる……誰かに引っ張られてきたのですか?」
「だ、誰?」
この世界に……瑞貴でも、茜でもない誰かがいる。
その事実に、瑞貴は強い興味を感じていた。
「あ、おはよう茜」
朝、瑞貴が1階に降りると瑞貴のパジャマを着た茜が、テレビのニュースを見ていた。
どうやらテレビの扱いには、もうすっかり熟練したようだ。
そういえば、と瑞貴は思う。
茜は昨日何処で寝ていたのだろうか?
「どこって。普通にベッドでだけど。私用の部屋も、普通にあるしね」
昨日言っていた、世界のなんとかってやつだろうかと瑞貴は考える。
確かに。
泊っているのだから、部屋くらい用意されてないとおかしい。
瑞貴は何となく納得したような気になって、ソファーに座ってニュースを見る事にする。
「ミズキ、朝ご飯は?」
「食べる?」
「私はこれがあるから」
その手には、例のクリームパン。
瑞貴は栄養のバランス……と言いかけて、そういう普通の食べ物では無かった事を思い出す。
「人の心配より、ミズキは自分の食べなよ。朝を抜くのは良くない」
実を言うと、瑞貴はちょっとだけ期待していた。
もう朝ご飯が用意されている、さながら青春真っ盛りな光景を。
けれど、そんな様子は微塵も無い。
「甘いよ、ミズキ。世の中、そんなに甘くないから」
そんな容赦のないツッコミが、瑞貴の心にグサグサと突き刺さる。
トーストと、コーヒー。
簡単な朝食をテーブルに運ぶと、茜はソファーで瑞貴の携帯をカチカチと弄っていた。
「それ僕の……」
「ん」
意外にもあっさりと瑞貴へ携帯を返す茜。
イタズラされてないか見てみると……アドレス帳から綾香の名前が消えている。
まさか、昨日綾香のアドレスが消えてたのも茜の仕業だろうか……と瑞貴は茜をじっと見る。
いやいや、まさか。
そう考えつつも、瑞貴はその疑問を口にする。
「あのさ、茜。携帯のアドレス消してるのって、もしかして……茜?」
「まぁね。だって、私以外の女子のアドレスなんていらなくない?」
「そんなことないよ……」
今日学校に行ったら、綾香にまたアドレス入れてもらわないと。
そう考えて瑞貴は溜息をつく。
何と言い訳したものか、今から気が重くなってくるのを感じる。
「あと、そのパジャマも僕のなんだけど……」
「返そうか?」
上着のボタンを一つ外してみせる茜に、瑞貴は首をぶんぶんと横に振って否定する。
その反応も織り込みずみなのか、茜はニヤニヤと笑いながら自分の胸元を指さす。
「下は誰の着てるか、聞かないの?」
齧りかけのトーストが、テーブルに落ちる。
いや、まさか。
いくら茜が人をからかうのが好きだからって、そこまでは。
そう考えながらも、瑞貴は茜の胸元を凝視する。
そんなところを見たって何も分からないが、指し示されたら見てしまうのが人の習性というものだ。
「ミズキ。下着の柄にはもうちょっと、気を使ったほうがいいと思うよ」
背伸びする茜のズボンからチラリと見える獅子の顔。
あまりにも見覚えのありすぎる柄に瑞貴は、ガクリと肩を落とす。
瑞貴のお気に入りのトランクスに間違いなかった。
「返そうか?」
ニヤニヤ笑いを強める茜に、瑞貴はもう返事する気力すら無い。
父さん、母さん、ごめん。
僕の真っ白だった純情は今日、赤い悪魔に穢されてしまいました。
心の中でそう懺悔すると、瑞貴は深い溜息をつく。
「まあ、それはさておき。ミズキ、学校行ってる間は気を抜かないようにね」
「あ、うん」
反射的に返事してから、瑞貴は今言われた事を思い返す。
今言われた事は、もしかしてとても重要な事ではないのだろうか。
言葉の意味を瑞貴が考えていると、茜が立ちあがって手をパン、と叩く。
「ぼーっとしてたらダメだよ、ミズキ。ほら、歯磨いて。さっさと着替える!」
「え、僕まだ食べ終わってないんだけど」
「さっさとしないと、私はミズキの制服着るからね」
「ちょっと、それじゃ僕は何着ていけばいいのさ!」
「私の着ればいいじゃない。あ、いいなソレ。皆に嫌われて、私だけのミズキになれるよ?」
やりかねない、と瑞貴は思う。
そんな事をされたら、瑞貴の青春は確実に終了するだろう。
「冗談だよ、ミズキ。一割くらいは」
ほとんど本気なんじゃないか。
冷や汗を流す瑞貴を、茜はニヤニヤと見守っていた。
そして、何とか無事に男物の制服を着る事の出来た瑞貴と茜は二人で並んで家を出る。
学校は、瑞貴の家から少し歩いた場所にある。
「ミズキ」
「何?」
「電柱の陰に何がいるか知ってる?」
通学路で、ぴったりと瑞貴の隣を離れずに歩く茜が突然そんな事を口にする。
「なんだろう。何かのクイズ……とか? 電柱の陰にいるようなもの。いるっていうんだから生き物だよね」
犬とか、猫ではないだろう。
わざわざ聞いてくる辺り、相当捻くれた答えが用意されているのだろう、と瑞貴は思う。
「ストーカー?」
「半分正解」
半分、と言われて瑞貴は顔に疑問符を浮かべる。
「残りの半分って?」
「影追い」
影追い。
昨日の影法師の仲間だろうか、と瑞貴は思う。
そんな瑞貴の表情を読み取ったのだろうか。
茜はニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「影に潜むのが好きな連中でね。憧れとか、そういうのを食べてるらしいよ。洒落た連中だよね」
「そうかなあ……影に潜んでる時点で、そういうのとは程遠い気がするんだけどなあ」
瑞貴は試しに、電柱の陰に目を向けてみるが……誰も居ない。
「誰も居ないよ?」
「コラ、見ちゃダメだよ」
その途端、瑞貴は茜に制服の裾を引っ張られる。
あれ、ひょっとして見たら呪われるとか、そういうのだったのかな……と瑞貴は慌てて目を逸らす。
「連中、とにかく恥ずかしがり屋だから。あんまり見ちゃダメ」
「じゃ、じゃあ。なんで教えるのさ?」
瑞貴がそれなら最初から知らなければ見なかったのに、という思いを込めて抗議すると茜は意外だ、という顔をする。
「災難を避ける方法は、それ自体を知る事だよ、ミズキ。それがどういうものか知ってれば、避ける事は難しくないんだから」
裏道には近づくな、とかそういう類のものだろうか。
登校中に気を抜くなっていうのは、不意にそういう場所に近づくな……っていう茜の気づかいだったのかもしれない、と瑞貴は納得する。
「茜って、優しいよね」
僕がそう言うと、茜はまたニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「まぁね。私ほど優しい奴はそうはいないよ。ラッキーだね、ミズキ」
「そうだね。出会ったのが、茜でよかったよ」
「だが、俺と出会ったのが運の尽きだな」
野太い声と共に、背後から瑞貴の肩に手が置かれる。
「茜、妖怪ロンゲ野郎に出会った時にはどうしたらいいかな」
「さぁね。カツカレーでも奢ってみたら?」
ニヤニヤと笑う茜と、瑞貴の首を太い腕で絞めにかかる耕太。
「朝から女子と会話とか、どこのセレブだよ。独身貴族の誓いを忘れたのかよ」
「いや、普通に会話に混ざってくればいいじゃない!」
というよりも、独身貴族の誓いなどという不気味な誓いを交わした記憶は、当然ながら瑞貴には無い。
「朝から濃厚ジャムみたいなスイートトークしやがって。何処に混ざれってんだよてめぇ」
グイグイと瑞貴を絞める耕太に、後ろから綾香がチョップを入れる。
「アンタだってアタシと会話してたでしょうが」
「お前はなぁ……」
「何よ」
瑞貴の首から手を離した耕太は、大袈裟な手振りで溜息をついてみせる。
「ガキの頃からずっとだしなあ。むしろ男友達っつーか」
そんな耕太をジト目で見ると、綾香は瑞貴の手を取る。
「行こうか、瑞貴。遅刻するよ。あのアホは置いてこ」
瑞貴の手を掴んだまま、走り出す綾香。
「わ……ちょっ、転ぶよ綾香、転ぶ!」
「ミズキ、私も」
慌てて瑞貴も走りだすと、追いついてきた茜が反対の手を掴んで併走する。
1人置いていかれた耕太は、般若の形相で追いかけていく。
「待ちやがれ瑞貴! てめぇにはまだ話があんぞコラ!」
そのまま学校に着くまで瑞貴達は爆走を続け……教室に入る頃には、茜以外は全員疲れきってしまっていた。
「体力あんなぁ、茜……」
「まぁね」
机に突っ伏している耕太と瑞貴を、茜がニヤニヤと見下ろしている。
その手にはいつ手に入れたのか、クリームパンがある。
とはいえ茜の手にある以上、それは普通のクリームパンではなく「瞬間の殺意」から生まれたものだ。
それを嬉しそうに齧る茜を見上げ、瑞貴は溜息混じりに呟く。
「……殺意って、簡単に出るんだなぁ」
「まぁね」
ニヤニヤとした笑みを浮かべながら、最後の一口を茜は幸せそうに呑み込む。
「何の話だ?」
「さぁね。それより、そろそろ授業だよ」
そう言うと、茜も自分の席へと戻っていく。
茜の席は、教室の左隅。
そういえばあの席は、前は空席だったんだっけ……と瑞貴は思う。
そして、鳴りだすチャイム。
瑞貴にとって退屈な時間がまた、始まってしまう。
でも、昨日は違っていた。
茜が瑞貴の前に現れて。
取り巻く世界は全部が変わった……と瑞貴は思っていた。
けれど、こうしてみればどうだろう。
瑞貴自身は何か、変わったのだろうか?
茜が、瑞貴の立ち位置は通行人だと言っていた事を思い出す。
その他よりは、少しマシで。
でも、主役には届かず脇役にもなりきれない。
結局。
瑞貴はまだ、何にもなれてはいないのだ。
せめて耕太と茜の席が交換とかになればいいのに、と考えて瑞貴が隣の席を見ると、耕太はすでに爆睡中だった。
そう、結局は。
いつも通りの日常が今日もやってきている。
だから瑞貴は、想像する。何度も何度も想像した、あの光景を。
想像する。
例えば、今授業を受けているこの教室に、瑞貴以外誰も居なくなったなら。
例えば、世界に誰一人として居なくなったなら。
何度も味わった、この感覚。
視界が、滲む。
世界が、歪む。
誰かが慌てたように立ち上がった音がするけれど、それも遠くなって。
そして瑞貴はまた、あの無音の教室に居た。
前は、隣の耕太の席に茜が座っていた。
赤に染まった、あの姿を思い出す。
でも今は、誰も教室には居ない。
瑞貴以外は、誰も。
瑞貴は椅子から立ち上がって、教室を歩き回ってみる。
コツン、コツン、コツン。
歩く音が、やけに大きく響く。
やってみると楽しかったけれど、すぐに飽きてしまう。
誰も居ない、無音で無人の世界
ダストワールド、と茜がこの世界を呼んでいた事を思い出す。
ここは、とても寂しくて。
茜が自分を呼んだ理由が、瑞貴には分かった気がした。
「……あれ?」
おかしい、と瑞貴は気付く。
茜は、向こうにいる。
ここは、無人の世界のはずだ。
つまり……瑞貴以外は、誰も居ないはずだ。
なら、瑞貴を此処に呼んだのは誰なのか?
「それは、貴方自身ですよ」
心臓が、飛び出しそうになるのを瑞貴は感じた。
此処に、瑞貴以外の誰かがいるというのだろうか?
今の声は、教室のドアの外から聞こえてきた。
閉じられたドア。
教室の前と後ろにドアはあるけれど、今の声は前のドアの方から聞こえてきた。
「面白いですね、貴方は。こちらと向こうに同時に存在してるなんて。でも、こっちの貴方は随分薄く感じる……誰かに引っ張られてきたのですか?」
「だ、誰?」
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