ワールドミキシング

天野ハザマ

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19話

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 時間が制止したような感覚を、瑞貴は味わった。
 予感しなかったわけではない。
 予想しなかったわけでもない。
 もう一人の赤マント。
 それがこっちに来る可能性は、当然あった。
 だが、こんなにも早く。
 瑞貴の頬を、汗がつたう。
 赤マント、古沢夕の行方不明。
 まさか、という考えが瑞貴の中をよぎる。

「落ち着いて、ミズキ」

 瑞貴の手を、茜が握る。
 それだけで、震えが少し収まる。

「まだ、大丈夫。アイツはまだ、こっちに来れてないから。狐が確認した。赤マントの匂いはあるけど、途切れてる。だから、まだ大丈夫」
「分からないよ。赤マントがまだ来てないっていうなら、どうして」
「神隠し。こっちから偶然あっちに迷い込むように、あっちからこっちに迷い込むことがある。でも、こっちにそういう風に来た奴は、すぐ揺り戻されるの。だから、今は此処には居ない」

 その意味を、瑞貴は考える。
 そして、思い出す。
 昨日琴葉が言っていた……こっちに来る、「偶然」の手段。
 神隠しという名の偶然。
 だが、それはすぐにあっちへ揺り戻されてしまう程度のもののはずだ。そうだ。赤マントが現れた事と今朝の話のことは、まだ繋がっていない。
 いくらなんでも、そんな偶然があるはずない。

「古沢夕は、あっちに連れていかれたみたい。たぶん、揺り戻しに巻き込んだんだろうね」

 繋がってしまった。
 古沢夕は、赤マントに連れて行かれた。

「こっちに来てすぐ……古沢さんを……?」
「偶然だろうね。たまたま迷い込んだ場所に出くわしたんだと思う」

 偶然。
 偶然でこっちに来た奴が偶然赤マントで、古沢夕が偶然出会ってしまった。
 それは、あまりにも理不尽だ。
 古沢夕は、なにひとつ悪くない。

「……助けなきゃ」

 瑞貴の中を、その思考が埋め尽くしていく。

「そうだ。僕は、あっちに……ダストワールドに行くことが出来るはずだ。まだ、古沢さんが死んだと決まってなんかいない。あの世界で逃げてる可能性だってある」

 瑞貴はそう考え付くと、古沢夕を連れ戻すべく意識を集中する。

「ダメ、落ち着いてミズキ。ミズキがダストワールドに行ったって、何にもならない」
「でも、助けなきゃ……そうだ、世界を混ぜて古沢さんを連れ戻せば!」

 そうだ。呼べばいい。
 瑞貴が琴葉の言っていたように、世界を混ぜて引き寄せる事ができるなら。
 古沢夕をこっちに連れ戻す事だって出来るはずなのだ。

「ミズキ、古沢夕は死んでいる。生きてる古沢夕を幻視する限り、引き寄せるのは無理だよ。万が一引き寄せられたとして……ここに死体がある状況を、なんて説明するの」

 死んでいる、と。
 茜はハッキリとそう言った。

「死んでるなんて、なんで」
「影追いが見てた。狐からの又聞きだけど、連れ去られる時点で古沢夕は瀕死。そんな状態でダストワールドに連れていかれたらどうなるか、分かるよね」

 当然、逃げられるはずもないだろう。
 なら、古沢夕はもう死んでいて。
 こっちには、戻ってくることはできない。

 茜の言う通りだ。
 瑞貴にはもう、何もできない。
 いや、もし瑞貴がその場にいたとしても。
 一体何ができたというのだろう。
 まだ弾き飛ばすどころか、引き寄せる方法すら分かっていない瑞貴に。

「ミズキ。赤マントは必ず、こっちに来ようとするよ。直接の殺人の味を覚えたなら、今度は揺り戻されないように、自分の意志でこっちに渡ってくる。そうなったら……」

 そうなったら、被害はもっと拡大する。
 更に広く……更に酷くなるのだろう。
 赤マントは、方向性のない殺意。
 そんなものがこっちに来たら。

 瑞貴は、想像してしまう。
 真っ赤な血の赤に染まった世界を。
 悲鳴の響く、最悪の光景を。

 小さく震える瑞貴の腕を、茜がそっと掴む。
 ただそれだけの事で、震えは止まってきて。
 心配そうな顔で見つめる茜に、瑞貴は精一杯の笑顔を返す。

「ミズキ、これからは、出来るだけ私から離れないで」
「……うん」
「特訓も、中止したほうがいいと思う。ミズキの事を、悟られたくない」
「ダメだよ、茜」

 瑞貴は、茜の言葉を遮る。

「特訓しなきゃ。僕は、茜の足手まといになんてなりたくない」
「ミズキ……! そんな事言ってる場合じゃない。あっちから向こうは見えるけど、こっちから向こうは見えないんだよ!? 赤マントがこの近くを見てるなら、ミズキが世界を混ぜれば絶対に気付く。世界を混ぜられるなんて知られたら、きっとミズキを狙いに来る!」
「どっちにせよ、その赤マントが来るんなら……最悪の事態は考えなきゃ。少なくとも、時間を稼ぐか逃げ切れるくらいの力がなくちゃ、生き残れない。それに……僕を狙ってくれるなら、他の被害は出ないよ」
「……犠牲になるつもり?」

 睨む茜に、瑞貴は首を横に振って否定する。

「犠牲になんかならない。僕が世界を混ぜる事で、弾き飛ばす事だって出来るみたいだし。それなら、赤マントを弾き飛ばす事だってできる。何度来たって、そうして逃げ続けられるよ」

 茜は、迷うような……苦悩するような表情をみせる。
 ……瑞貴は自分のことを、酷い奴だと思った。
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 理由をつけて自分の意見を押し通そうとしている。
 嘘はついてない。
 そうしないと生き残れないと、本気で思っている。
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 茜に余計な重荷を背負わせたくはなかった。
 好きな子に頼り切って影に隠れてるだけの情けない自分には、なりたくなかった。
 だから、少しでも強くなりたい。
 茜の隣に胸を張って立てる、そんな自分になりたい。
 だからこそ瑞貴は、自分を押し通した。

「……茜、ごめん。でも、僕は」
「分かってる。ミズキの気持ちは、昨日聞いたもの。でも、一つだけ約束して」

 茜はそう言うと、瑞貴に指きりのジェスチャーをする。

「何があっても、無茶はしないって。約束して」
「……うん、しないよ。約束する」

 茜の小指に、瑞貴は自分の小指を絡める。

「……それと。ミズキは赤マントを弾き飛ばす機会なんて、こないよ」

 茜が小指に込める力が、強まる。

「そいつは、私が倒すから」

 茜の背中に、一瞬だけ……あの時見た赤いマントが翻って。
 けれどそれは、風に溶けるように消えていく。

「ミズキの憤りも、悔しさも。全部私が晴らしてあげる。ミズキを悲しませるものは、一つ残らず私が貫いてあげるから」

 小指の力は緩み、茜は瑞貴の小指から小指を離す。

「……さ、指きった。もうあんまり時間ないけど。食堂、行く?」

 昼休みが終わるまでは、十分程といったところだ。
 今から食堂に行っても、まともに食べる時間が残っているとは思えない。

「茜は?」

 クリームパンを掲げて見せる茜。
 そういえばそうだった、と瑞貴は思い出す。

「じゃあ僕も、今日はパンにしようかな」
「そっか。でも、まだ残ってるの?」
「……コッペパンくらいならあるんじゃないかな」
「栄養が偏るよ」
「お腹が鳴るよりはマシじゃないかなあ」

 瑞貴と茜は、並んで屋上をあとにする。
 風は、少しずつ黒い雲を運んできていて。
 この後の雨を、瑞貴に予感させていた。
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