あまやどり

あまき

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…とまぁ、勢いに任せて来たはいいものの、どう考えてもよろしくないよな、とエントランスの前でもたつく。

「もー!二人はラブラブっすね!横峯さんによろしくっす!」とウィンクをしながらにこやかに去っていった織田くんを、全力で引き止めようとしてしまうくらいには、突然のお宅訪問に怖じ気づいてしまっている。つい一週間前までは自由に出入りしていたというのに。いや自由にってほど勝手なことした覚えはないけど。というより合鍵を使ったことを後悔したから返したというのに、なに合鍵があればピンポン鳴らさなくて済むのにとか思っちゃってるの私。

いい加減コンシェルジュさんのにこやかなウェルカムスマイルが引きつってきているので、諦めて呼び鈴を鳴らす。ここまでコンシェルジュさんを待たせておいて、やっぱり帰りますさようならなんてこと、私にはできない。

…ピーン、ポーン…

というか、律も律だ。連絡の一つも寄越さなかったくせに、花束なんて送ってきて。しかも面と向かって渡せばいいものをホテルなんかに預けちゃって。いやそれこそ責任転嫁というものか。私も私なんだから。それに合鍵を返した仲なのに、こんな突然来たりして、もし誰かいたら…

『…透?』
「あ、律。あの、ごめん…来ちゃった。でも、いきなりはまずかったよね…律の都合も聞かずにごめんね」
『…いえ、しかし今は…』

まずい。これは非常にまずいのかもしれない。

「…、あーだよね!突然すぎたよね!一報入れるべきだったよね…いいの!勝手に来ちゃったのがだめなの!律だって予定があって、他に、誰か…来ている人もいるかもしれないのに……」

他に、誰か来ているんだろうか。私は何を期待していたんだろう。自分で決着をつけたことだったのに。

「…ごめんね、花束嬉しくてさ。直接お礼言いたかったの…っ!あの、ほんとにありがとうね!大事にするね!……じゃあ、さような…」
『透』

ポーン…

「…えぇっと、これは、入っていいの?」
『はい』

これがほんとの敵陣だったのかもしれない。頭の中でまた法螺貝が吹き鳴らされる。大将は私。味方兵は、なし。






…ガチャ…ギィー…

あの日と同じ音をさせながら扉が開く。用心深い律が鍵を開けっ放しにすることなんてないから、どうやら開けておいてくれたらしい。入ってこいという意味を添えて。

「…おじゃま、しまーす」

日も沈んだ部屋の中は薄暗く、電気もついていない。
玄関の明かりは人感センサー付きで自動的に電気がつくはずだが、センサーが切ってあるのか、暗いままだ。仕方ないので手動で明かりをつける。

…パチ

「!!なに、これ…」

ここは、本当に律の部屋だろうか。もしかして間違えた?いや、最上階の角部屋なんて間違えっこない。
一週間前に来たときとは別の違和感が私を襲う。玄関には律の靴しかないのは確認済みだ。ここでハイヒールがあったら流石に心が折れていた。
でもそれ以上に衝撃なのが、玄関周りに散らばった郵便物。その先のトイレのドアは開けっ放しで、洗面所に続くドアの隙間からは布がはみ出ている。もしかして洗濯物だろうか。奥のリビングも真っ暗で、心なしか空気がどんよりしているように感じる。
律は毎朝起きると窓を開けて空気を通すから、夜に訪ねても爽やかな空気が充満しているというのに。郵便物が溜まっていることも、トイレのドアが開けっ放しなのも、ましてや洗濯物が見えてるのも、これじゃあまるで…

「…私の部屋みたい」



それから私は一つの確信を持って、リビングではなく寝室のドアをあける。うっすら明かりの見えるリビングに、律はいないと、直感が働く。

「…律。いるよね。入っていい?…入っちゃうよ?」
律の家の寝室には、大きなウォークインクローゼットがついていて、そこには私の服等の荷物も入れてあった。「私の家にもこんな大きなクローゼットがあったらなぁ」って呟くと、「きっと貴女じゃ整理しきれなくて、持て余しちゃいますよ」なんて言って、笑った律の顔が頭の中で広がる。

寝室では、ベッドの上にもその周りにも、たくさん服が散らばっていた。それを目の端で捉えてから、クローゼットの中を目指す。

「…律、私も座ってもいい?」
クローゼットの奥には、律が座り込んでいる。
私は律の前に腰を降ろす。
「…ねぇ、律、あのね」
「どうして聞くんですか?」
「え?」

今まで聞いたことのないような震えた律の声に、私まで震えてしまう。ちらりと見えた目は、今にも降り出しそうなどんよりとした空の色を彷彿とさせた。

「突然の訪問を謝るのはなぜですか。勝手に来たことがだめだと言い張るのはなぜですか。いつでも自由に来てほしいと言ったはずです。それとも、勝手に関係を終わらせましたか。私は認めないと言ったのに」
「…律」
「家へあがることを言い淀んだたけで、私に他の女ができたと思いこむのは雨の日のせいですか。家が荒れているからなどという理由が微塵もよぎらないのは私に未練がないからですか。私は…貴女がいないだけでこんなにも情けなくなるということを、少しも想像しないのは…私をもう愛していないからですか。貴女は、貴女の残り香を求めて部屋を散らかす私を、情けないと思いますか…」

目の端に捉えた、ベッド周りに散らばっていた服は、全て私のものだった。お気に入りの下着、律とお揃いのパジャマ。律が私のために買ってくれたタオル。部屋着とお出かけ着。冬用のコートから夏のTシャツまで、全て私のものだ。

「…律、顔あげて」
「顔をあげたら何を言いますか。またお互いの道を進むべきだなんて、言うつもりですか。私が進むべき道など、貴女がいなければ見つけることすらできないのに。それでもお互いのためになんて残酷なことを平気で言って、私から離れるのですか。私の気持ちなんて全部無視して」
「っ…その気持ちを全部知りたいから、今日来たんだよ!会いたいって、律が初めて言ってくれたから…今会いに来たんだよ。……ねぇ律、私も貴方に会いたかっ、!…ん、」

律が伸ばした腕は震えていて、でも噛み付くようにキスする唇は力強かった。

長い時間、深いキスをした。不意に律の手が背中のジッパーを撫でるので、思わず体を強張らせてしまう。

「ん、ふ…ま、まって律、ぅむ…ふ…っん、まって!」

息苦しさと、普段とは違う律のキスに翻弄されながらも、体を捩って空いた手で律の胸を叩く。すると律もふと力を抜いてくれた。離れた唇に銀糸をまとわりつかせながら荒い呼吸を繰り返す私とは違って、律は息一つ乱れていない。

「はぁ…はぁ…あーっと、あのね、先に言っとくけど、嫌なんじゃないよ。私パーティ会場からそのまま来たから、その、もし、続きをするのなら、せめてシャワーを、ん…ふわっ…っん…っちょ、律!…」

「…とてもきれいです」
「…っん、!え…?」

途切れないキスの合間に、やっと律の声が聞けた。さっきとは違って、声色がしっかりしている。私が聞き慣れた、丁寧で優しい声。


「今日の貴女はとてもきれいです。きっとパーティ会場では、全員が貴女に釘付けとなったことでしょう。私はそんなことを想像するだけで嫉妬する」
「…律?どうしたの」
「…貴女が知りたいと言ったんです。黙って聞きなさい」
「うぇ、はい」


「…パーティの装いを日向さんではなく、私が用意したかったと言ったら…貴女はどう思いますか」
「っ!律…」

「貴女のその仕上がった姿を、織田くんより先に…誰よりも一番に見たかったと言ったら、誰よりも先にきれいだと言いたかったと言ったら、貴女はどう思いますか」

「その髪も、肌も爪も…整えたその日に一番に見て、触れて、愛でたかったと言ったら」

「それだけじゃない。貴女が小説家になることを迷っていたとき、日向さんより先に私が背中を押していたなら…私は貴女の一番になれましたか」

「貴女が関わる仕事相手の名前と顔を常に把握し、私のことも認知してもらうように働きかける私に気づいていましたか」

「まるで母親のような世話を貴女にし続けることで、貴女が私に依存すればいいのにだなんて…邪な思いからしてきた行動を情けないと思いますか」


私の知らない律が溢れかえる。驚きと同時に胸の奥から温かいものが湧き上がる。


「この一週間、貴女は何度私のことを考え、思い出しましたか。…私は貴女のことしか考えられなかった。
今何をしているのか、この時間はもう寝ているのか、ご飯はどうしているのか困っていないか、部屋は散らかってないか整理されているか。……もしかしたらもう誰かが、貴女に飯を作り部屋を掃除していたら、そこまで考えては気が狂いそうになっていた私を、貴女は知らない。だからここに他の誰かがいるかもなんて考えに及ぶんです」
「……律…ごめんね…」


「貴女に飢える度に、貴女の私物を一つずつ広げていったが…何も満たされない。貴女の匂いは微かにすら残っていない。その事に絶望して…それでも貴女がここにいた証を広げたくて、貴女の下着を抱きしめて眠っていた私を軽蔑しますか」

「こんなに貴女はあっけなく、私の元から消えるのかと思うと気が気でないくせに…連絡一つ送れない私を哀れだと思いますか」

「…貴女の今後を思えば、傍にいない方がいいのではないかなんて、何万回とよぎった。それでも認めない、認められない。貴女の傍に私以外の誰かが居座ることなんて、想像しただけでも許せない。そんな強欲な男を、貴方は愛せますか」


「…透…私は、透の一番になりたい」


律の言葉が全身に響き渡る。ちょっと聞きづてならないこともあったけど、それでも律の独白は、私にとっての最大級の愛の告白でしかなかった。じんわりと浸透した律の思いに、私の体は一気に酔いしれる。律は普段、私を大切に思ってくれていることは伝えてくれるけれど、それ以外のことを自分から話すことはない。だから、こんなにも内をさらけ出した言葉を浴びるのは初めてだ。8年も一緒にいたくせに、と自嘲する。私は、律の何を見てきたんだろう。ちゃんと見つめ合えば気づけたはずなのに。この律のきれいな瞳の奥に潜む煮えたぎった思いに。


「…何言ってるの。律はとっくに、私の一番だよ」
「…透…ですが、貴方には一番がたくさんいる」
「…そんな風に拗ねた律を知るのは、きっと私だけだね」
「そらさないでください」


律は私がどれだけ同じ気持ちなのか気づいていない。私の体の奥で燻ぶらせてきた覚悟を、知らない。


「本が売れることも、受賞したことも、確かに嬉しいことだけど、私にとって大事なのは、私の一番の律が、私を一番だと言ってくれることだよ」

「律の一番になれたことが、私の人生の中で、唯一無二の誉れなんだよ」

「情けないとか、哀れだとか、思わせてよ。いろんな律を私に見せて」

「軽蔑なんてしない。だから残り香じゃなくて、私を愛でて、愛して」

「律、愛してる」

―貴方が最大級の愛をくれるなら、私も最上級の愛で応えるよ―

そう言うと、啄むようなキスが降ってきた。キスの合間に、律は何度も私の名前を呼ぶ。愛してると囁く。その声を聞くたびに、私の心は痺れていく。
何度も繰り返したキスは、どんどん深いものになって、私も律も、お互いしか求めていない。でもさっきまでの荒々しさはなく、私を優しく包み込んでくれる律のキスに、私は待ったが効かなくなる。


「…っふ…ん…ねぇ、律」
「…はい」

律の唇は濡れそぼって、ひどく扇情的で唆られる。けど、ちゃんと誤解は解ききらなきゃいけない。

「…こないだから思ってたけど、勘違いしているのは律の方だよ」
「…どういうことです?」
「私は関係を整理したいって言ったけど、それは終わらせたいってことじゃないんだよ」
「……ですが、鍵を返したでしょう…それは、つまりこのまま終わりという意味では…」
「それはね、………あのね、律。あの日からずっと、貴方に渡したいものがあるの。…受け取ってくれる?」
「……貴女からいただけるものなら、なんなりと…」

優しい律に甘えてばかりではいけない。私も覚悟を決めるときが来たようだ。





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