6 / 21
6
しおりを挟む
「うーん…どの角度から見ても、言いたいこと言い切ったーすっきりー!って顔じゃないわよね」
「…それを言わないでよ…」
律と合鍵を返し合ったあの日から3日たった。あれから私は引っ越しをすべく、寝る間も惜しんでネットで調べ上げ、織田くんに頼んで不動産屋を回り、理想の住処を見つけたのだ。契約はしたものの、入居は都合上まだ先になるので、今は断捨離と言う名の部屋の片付けをしているところだ。今日は普段不定休な日向が珍しく休みの時で、家に来て片付けの手伝いと言う名の近況報告をしていたところだった。
「それで?あのイケメンスパダリスーパーエリートマンの彼氏と隣に並んでも恥ずかしくないように、ってこんなにから回ってるわけ?」
「人の頑張りをから回ってるなんて言わないでほしい…」
―私は、私を、変えなければならない!―
そう思い立った私は、自分を変えようと必死だった。一日で住む場所を決めた私が次にしたことは自分磨きだ。次の日には半年以上ほったらかしだった髪をばっさり切った。またその次の日には3ヶ月放置した脱毛エステサロンに行き、その日の夕方にはデパートを上から下まで回って服から下着、化粧品まですべてを買い揃えた。
今日は家にあるくたびれたTシャツやよれたパーカーを袋に縛っているところである。ちなみに午後はネイルサロンを予約してある。
「どこから見てもから回ってるでしょ。何このタイトスカートとハイヒール。あんたこんなの趣味じゃなかったよね」
「…大人の女性になりたかったの」
「あんた元はいいんだから、似合わないことはないけど。そんな背伸びしなくていいんじゃないの?」
「背伸びしたい、っていうより、こういう姿で彼の隣に立ちたいって基準で選んだの!」
「そんな彼とはもう終わったのに?」
「ま、まだ終わってない、と思う…し、それに、だからって嫌いになる必要はないでしょ…」
「嫌いになる必要はないけど、彼の隣に並ぶ理想の女になる必要はもっとないよね」
正論に正論が重なってもはや瀕死だ。日向とは言いたいことを何でも言い合える関係で、その関係が心地良いと思える間柄であるから、この状況も心は傷んでも不快なことはない。ただやはり呼吸し辛くなってきたのでそろそろ救急車を呼んでほしい。
「…まぁでもさ、その髪はいいと思う。あんたにすごく似合ってる」
「ほんと?前から気になってた美容院で、初めて行ったの。お店の人が丁寧に相談に乗ってくれて、私も自分ですごく気に入ってるの!」
勇気を出して行ってよかったーとほくほくした気持ちでいると、日向がじーっと私の顔を見てくる。
「…えっと、なに?」
「…インドアで、外に出る必要がなければ何週間でも引き込もれるあんたが、初めての美容院に足を踏み入れたなんて。それは空元気ってやつなの?それとも、ちゃんと「したい」って気持ちで動いてるの?」
「…したいって思ったからだよ。人並みにおしゃれは好きだけど、忙しさにかまけて自分を労ってこなかったのも気にしてたの。髪も切りたかったし、新しい服も欲しかった」
それは事実だ。律はそのままの私でいいって言ってくれていたけど、私はもっとキレイになりたかったし、大人になりたかった。着古したパーカーにジーンズを着て、律が作ってくれたご飯を食べるのももちろん幸せだったけれど、お化粧してワンピースを着て、堅苦しくないレストランで二人で気軽にご飯を楽しみたかった。最後にそんなことをしたのは、もうどれくらい前だったか。確実に思い出せないほど、古い記憶になりつつある。
「…ふーん。なら、あたしはあんたのその勇気、認めるよ」
「…日向…」
「女が変わりたいって思うのに、うだうだ理由なんていらないのよ。好きな服を着て好きな化粧をして、好きなものを食べて好きなことをする。それは人として当たり前の欲求なのに、できないからどんどん荒んでいくのよ。そんな欲求すらなくなったら、もうおしまいね。落ちるとこまで落ちてる証拠だわ」
「…ねぇ、私、まだ間に合うと思う?」
律の隣に、まだいられると思う?そう言いたかったけど、言えなかった。でも、日向はきっと気づいていたと思う。
「そーねー…とりあえず、そのタイトスカートとハイヒールはあたしがもらってあげる。あんたより私のが似合うから。そうと決まれば、あんたに似合う服!この日向様が全身コーディネートしちゃうわよ!」
「ほんと?あ、そういえば今週末、受賞記念パーティーがあるから、それなりな服が必要なんだけど…」
「ばかね!それを早く言いなさいよ!特別に日向様が、我がブランド総力をあげてあんたをプロデュースしてあげるわ!」
日向は字の通り、いつでも前向きで明るくて、人を導く力がある。それは日向の作るブランドにも影響していて、「『Hyuga』の服を着たら女度が増す」だとか
「胸を張って堂々と歩ける」とか、「元気をもらう服」だなんて言われて人気を誇っているのだ。これこそ日向の持つ魅力であると、私は常々思っている。自分の夢にまっすぐ突き進む日向が眩しくて、そんな日向が私は大好きだった。
「日向も忙しいのに、いいの?」
「こういうときに甘えられる女じゃないと、モテないわよ。あんたは印税で貯まった財布の紐だけ緩めておきなさい」
いよいよ受賞記念パーティーの日になった。日向に選んでもらったコーディネートと、美容院でセットしてもらった髪と化粧と、連日の自分磨きに励んだおかげで、見てくれはだいぶよくなったと思う。しかし驚くなかれ、中身がちっとも追いついていない。なのでこうして、織田くんに迎えに来てもらうまで待機しているこの1LDKの中で縮こまっている。この狭さが今の救いだ。たとえ本田さんに貶されようとも、この家に住んでいてよかった。やだあと20分もしたら織田くんが来ちゃう。人と言う字を何回飲み込んだら前を向けるんだろう。
「……結局…律から何も連絡こなかったな」
―また連絡します―
そう言って去って行った彼は、あれから音沙汰がない。自分からも連絡してないのだから責めているわけではないのだが。
「…もう終わりってことなのかなぁ」
緊張と不安が押し寄せて喉の奥が痛くなる。大丈夫。今は今日のあの場を乗り切ることだけ考えよう。会場は立食が美味しいって有名なホテルなんだから、美味しいもの食べてにっこり笑って挨拶して、スピーチを噛まずに乗り切って、とにかく笑って、笑って、笑ってさえいれば、なんとかなる。大丈夫。笑顔なら作れる。例え隣に、律がいなくても…
……ピンポーン…
「、!はーい!」
『お疲れ様です!織田です!下に車回してますので!もう出られますか?』
「うん。今行きます」
頭の中に法螺貝が鳴り響く。気分は大将。いざ尋常に、出陣だ!
「うわー!先生、とってもおきれいです!」
「ありがとう」
「おおー、様になってるじゃないか。今日はよろしくお願いしますね、春野先生」
「本田さんまでわざわざお迎えに来てくれたんですか。すみません、ありがとうございます」
「お前は今日の主役だからな。一番VIP対応しないといけないんだよ」
「あーなら今日は積年の恨みを晴らすべく、わがままし放題ってことですね?楽しみです」
「皮肉言う余裕があるなら結構。その余裕会場まで抱きかかえてけよ」
「…もうすでに放り投げたいですけどね…」
本田さんの顔を見たら少し緊張がほぐれちゃうのだから、現金な奴だなぁと自分でも思う。それでも車が動き出せばせっかくほぐれた緊張は膨らむ一方で、車の中で何を話したかいまいち思い出せない。会場に着く頃には、意識だけがふわふわと空高く飛んで、体が置いてけぼりになったように感じた。
「春野先生!この度は受賞おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「春野先生、先生の作品は本当に感銘を受けました。とても素敵な話で、すっかりファンになりました。誠におめでとうございます」
「そう言っていただけて、作家冥利につきます。ありがとうございます」
「春野先生!次回はぜひ、うちの部署とコラボ制作を、」
「機会がありましたら、また」
「春野先生、よろしければインタビュー形式で、別の先生との対談を雑誌に掲載させていただきたいのですが」
「担当に相談してくださいね」
「春野先生…」
「先生、…」
「春野先生!」
「…今日春ちゃん、会場に10人くらいいたよね。いたるところから名前が飛んでたし」
「一緒にいた井上さんも同じくらい呼ばれてましたけどね…でも、先生、ずっと笑顔で対応されてて、とても素敵でしたよ!」
「…織田、こいつも三十路になるんだから、愛想笑いの付き合いくらいさらっとこなせなきゃおかしいだろ」
「本田さん何言って…って、ええええ!春野先生って30なんですか?!見えない!」
「…ちょっとそこうるさいよ!ちなみにまだ30じゃないから!ぎりぎり20代だから!」
2時間に及ぶパーティーは無事に終了し、ホテルの控室に戻ってきた。井上さんと本田さん、織田くんも来てくれて、労ってくれると思いきや失礼な言葉の連発で、ちっとも休める気がしない。
でも今日はスピーチもうまくいったし、笑顔の対応もばっちりできた、と自分では思ってる。にしてもほんと疲れた。頬がかちかちの固まって、まだ自分の顔が微笑んでる気がする。日向が選んでくれた靴も立食向きにと太いヒールにしたが、それでも踵が高い分流石に疲れた。帰ったら湯船に使って足のマッサージして、そうだこの前もらった韓国の高級パックあけちゃおう。今日は自分をとことん労ろう。
「…さて、織田。そろそろ本日の功労者を送ってやれ」
「…あれ、本田さん、打ち合わせいいんですか?」
「へーぇー仕事する気なの?別にいいけど、打ち合わせしようか?」
「あーごめんなさいまた後日でよろしくすみません」
「春ちゃん、今日はゆっくり休んでね。また諸々のことは明日以降に連絡するよ」
「じゃー俺、車の手配してきますね!」
……コンコン…ガチャ…
「…失礼します。フロントのものです。春野徹様宛に、お花をお預かりいたしましたのでお持ちいたしました」
「…そういうのは今回断っていたはずだが、宛名はわかりますか?」
「はい。横峯律様からです」
………え?
「…律?」
「あーなら貰っておきます。今日はお世話になりました。ありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」
…パタン……
「サプライズで会場に花なんて、横峯さんってやっぱり素敵な人だね」
「関係者以外立入禁止のパーティーだし、邪魔にならないようフロントに預けていくのも、こっちのことよく分かってるなぁ」
「…まぁ邪魔者は退散しようか、本田くん。じゃあ春ちゃん、気をつけて帰ってね」
「そうだな。今日はおつかれさん。ゆっくり休めよ」
「あ、はい。あの、お二人とも、今日は本当にありがとうございました。またこれからもよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。じゃあね」
……キー…パタン…
律からの花束は、ピンク色がベースになっていて、赤いバラが顔を覗かせるブーケになっていた。主張しすぎず、それでも華やかさを纏った柔らかい花束。そこにある一枚のメッセージカード。
『春野徹先生
この度は〇〇賞受賞、おめでとうございます
この賞は全て、貴女の頑張りによるものです
なので堂々と、誇らしくいてください
一ファンとして、大変喜ばしく、嬉しく思います
横峯律』
きっと律はなんでもお見通しで、この花束を貰った私が取る行動だって分かりきってるんだと思う。それでも、スマホに伸びる私の手に迷いなんてない。
律、律。今何しているの?
連絡するって言ってから、一週間がたつよ。
私は今、貴方の声が聞きたくてたまらないよ
prrrrr…prrrrr…prrrrr…
prrrrr…ガチャ
『……はい』
「あ、律?私」
『…今日はお疲れ様でした』
「あ、うん。ありがとう。今日がパーティーだって知ってたんだね…あ、あの、お花ありがとう…嬉しかったよ」
『…喜んでもらえて何よりです』
「………あの、さ。律…」
『…はい』
声が聞きたいなんて、ほんとは会いたくてたまらない。
この一週間なにしてたの?
私は、話したいことがいっぱいあるよ。
「あのね、今日のね、パーティ、すごく頑張ったんだよ!スピーチも噛まなかったし!あーでもその前に、身なりも整えないとって、しばらくサボってた美容院とエステサロン行ってそれからネイルも行ったの!あ、そういえば!新しい美容院に行ったんだよ!前から行ってみたいなぁって話してたあそこ!入る前はどきどきしたけど、そこがすんごくよくて!」
『…はい』
「あ、あとね!服もいっぱい買ったの!日向にコーディネートしてもらってさ、今日のパーティドレスも『Hyuga』で揃えてくれて!迎えに来てくれた織田くんなんか、きれいだってべた褒めしてくれて!あ、ドレスは友だち価格とはいかなかったけど、お財布の紐もゆるゆるだったし、それに選んでるときも楽しくてね…」
『…透』
「それから…え?なに?なにか言った?」
『…会いたい』
「……え?」
『…会いたいです。透………』
プツ…ツーツー
………は?…切れた?え…いや、今のは…ねぇ律。ちょっとそれは、
「反則だろおおおおおお!!!」
「先生!車の用意ができました…って、どうされました?!」
「織田くん!至急!律のマンションまでお願いします!!」
「えぇ?!構いませんが、何かありましたか?!」
「私が!!律に!!会いたいので!!!!」
こうなることまで見越していたのなら、反則にも程がある。
「…それを言わないでよ…」
律と合鍵を返し合ったあの日から3日たった。あれから私は引っ越しをすべく、寝る間も惜しんでネットで調べ上げ、織田くんに頼んで不動産屋を回り、理想の住処を見つけたのだ。契約はしたものの、入居は都合上まだ先になるので、今は断捨離と言う名の部屋の片付けをしているところだ。今日は普段不定休な日向が珍しく休みの時で、家に来て片付けの手伝いと言う名の近況報告をしていたところだった。
「それで?あのイケメンスパダリスーパーエリートマンの彼氏と隣に並んでも恥ずかしくないように、ってこんなにから回ってるわけ?」
「人の頑張りをから回ってるなんて言わないでほしい…」
―私は、私を、変えなければならない!―
そう思い立った私は、自分を変えようと必死だった。一日で住む場所を決めた私が次にしたことは自分磨きだ。次の日には半年以上ほったらかしだった髪をばっさり切った。またその次の日には3ヶ月放置した脱毛エステサロンに行き、その日の夕方にはデパートを上から下まで回って服から下着、化粧品まですべてを買い揃えた。
今日は家にあるくたびれたTシャツやよれたパーカーを袋に縛っているところである。ちなみに午後はネイルサロンを予約してある。
「どこから見てもから回ってるでしょ。何このタイトスカートとハイヒール。あんたこんなの趣味じゃなかったよね」
「…大人の女性になりたかったの」
「あんた元はいいんだから、似合わないことはないけど。そんな背伸びしなくていいんじゃないの?」
「背伸びしたい、っていうより、こういう姿で彼の隣に立ちたいって基準で選んだの!」
「そんな彼とはもう終わったのに?」
「ま、まだ終わってない、と思う…し、それに、だからって嫌いになる必要はないでしょ…」
「嫌いになる必要はないけど、彼の隣に並ぶ理想の女になる必要はもっとないよね」
正論に正論が重なってもはや瀕死だ。日向とは言いたいことを何でも言い合える関係で、その関係が心地良いと思える間柄であるから、この状況も心は傷んでも不快なことはない。ただやはり呼吸し辛くなってきたのでそろそろ救急車を呼んでほしい。
「…まぁでもさ、その髪はいいと思う。あんたにすごく似合ってる」
「ほんと?前から気になってた美容院で、初めて行ったの。お店の人が丁寧に相談に乗ってくれて、私も自分ですごく気に入ってるの!」
勇気を出して行ってよかったーとほくほくした気持ちでいると、日向がじーっと私の顔を見てくる。
「…えっと、なに?」
「…インドアで、外に出る必要がなければ何週間でも引き込もれるあんたが、初めての美容院に足を踏み入れたなんて。それは空元気ってやつなの?それとも、ちゃんと「したい」って気持ちで動いてるの?」
「…したいって思ったからだよ。人並みにおしゃれは好きだけど、忙しさにかまけて自分を労ってこなかったのも気にしてたの。髪も切りたかったし、新しい服も欲しかった」
それは事実だ。律はそのままの私でいいって言ってくれていたけど、私はもっとキレイになりたかったし、大人になりたかった。着古したパーカーにジーンズを着て、律が作ってくれたご飯を食べるのももちろん幸せだったけれど、お化粧してワンピースを着て、堅苦しくないレストランで二人で気軽にご飯を楽しみたかった。最後にそんなことをしたのは、もうどれくらい前だったか。確実に思い出せないほど、古い記憶になりつつある。
「…ふーん。なら、あたしはあんたのその勇気、認めるよ」
「…日向…」
「女が変わりたいって思うのに、うだうだ理由なんていらないのよ。好きな服を着て好きな化粧をして、好きなものを食べて好きなことをする。それは人として当たり前の欲求なのに、できないからどんどん荒んでいくのよ。そんな欲求すらなくなったら、もうおしまいね。落ちるとこまで落ちてる証拠だわ」
「…ねぇ、私、まだ間に合うと思う?」
律の隣に、まだいられると思う?そう言いたかったけど、言えなかった。でも、日向はきっと気づいていたと思う。
「そーねー…とりあえず、そのタイトスカートとハイヒールはあたしがもらってあげる。あんたより私のが似合うから。そうと決まれば、あんたに似合う服!この日向様が全身コーディネートしちゃうわよ!」
「ほんと?あ、そういえば今週末、受賞記念パーティーがあるから、それなりな服が必要なんだけど…」
「ばかね!それを早く言いなさいよ!特別に日向様が、我がブランド総力をあげてあんたをプロデュースしてあげるわ!」
日向は字の通り、いつでも前向きで明るくて、人を導く力がある。それは日向の作るブランドにも影響していて、「『Hyuga』の服を着たら女度が増す」だとか
「胸を張って堂々と歩ける」とか、「元気をもらう服」だなんて言われて人気を誇っているのだ。これこそ日向の持つ魅力であると、私は常々思っている。自分の夢にまっすぐ突き進む日向が眩しくて、そんな日向が私は大好きだった。
「日向も忙しいのに、いいの?」
「こういうときに甘えられる女じゃないと、モテないわよ。あんたは印税で貯まった財布の紐だけ緩めておきなさい」
いよいよ受賞記念パーティーの日になった。日向に選んでもらったコーディネートと、美容院でセットしてもらった髪と化粧と、連日の自分磨きに励んだおかげで、見てくれはだいぶよくなったと思う。しかし驚くなかれ、中身がちっとも追いついていない。なのでこうして、織田くんに迎えに来てもらうまで待機しているこの1LDKの中で縮こまっている。この狭さが今の救いだ。たとえ本田さんに貶されようとも、この家に住んでいてよかった。やだあと20分もしたら織田くんが来ちゃう。人と言う字を何回飲み込んだら前を向けるんだろう。
「……結局…律から何も連絡こなかったな」
―また連絡します―
そう言って去って行った彼は、あれから音沙汰がない。自分からも連絡してないのだから責めているわけではないのだが。
「…もう終わりってことなのかなぁ」
緊張と不安が押し寄せて喉の奥が痛くなる。大丈夫。今は今日のあの場を乗り切ることだけ考えよう。会場は立食が美味しいって有名なホテルなんだから、美味しいもの食べてにっこり笑って挨拶して、スピーチを噛まずに乗り切って、とにかく笑って、笑って、笑ってさえいれば、なんとかなる。大丈夫。笑顔なら作れる。例え隣に、律がいなくても…
……ピンポーン…
「、!はーい!」
『お疲れ様です!織田です!下に車回してますので!もう出られますか?』
「うん。今行きます」
頭の中に法螺貝が鳴り響く。気分は大将。いざ尋常に、出陣だ!
「うわー!先生、とってもおきれいです!」
「ありがとう」
「おおー、様になってるじゃないか。今日はよろしくお願いしますね、春野先生」
「本田さんまでわざわざお迎えに来てくれたんですか。すみません、ありがとうございます」
「お前は今日の主役だからな。一番VIP対応しないといけないんだよ」
「あーなら今日は積年の恨みを晴らすべく、わがままし放題ってことですね?楽しみです」
「皮肉言う余裕があるなら結構。その余裕会場まで抱きかかえてけよ」
「…もうすでに放り投げたいですけどね…」
本田さんの顔を見たら少し緊張がほぐれちゃうのだから、現金な奴だなぁと自分でも思う。それでも車が動き出せばせっかくほぐれた緊張は膨らむ一方で、車の中で何を話したかいまいち思い出せない。会場に着く頃には、意識だけがふわふわと空高く飛んで、体が置いてけぼりになったように感じた。
「春野先生!この度は受賞おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「春野先生、先生の作品は本当に感銘を受けました。とても素敵な話で、すっかりファンになりました。誠におめでとうございます」
「そう言っていただけて、作家冥利につきます。ありがとうございます」
「春野先生!次回はぜひ、うちの部署とコラボ制作を、」
「機会がありましたら、また」
「春野先生、よろしければインタビュー形式で、別の先生との対談を雑誌に掲載させていただきたいのですが」
「担当に相談してくださいね」
「春野先生…」
「先生、…」
「春野先生!」
「…今日春ちゃん、会場に10人くらいいたよね。いたるところから名前が飛んでたし」
「一緒にいた井上さんも同じくらい呼ばれてましたけどね…でも、先生、ずっと笑顔で対応されてて、とても素敵でしたよ!」
「…織田、こいつも三十路になるんだから、愛想笑いの付き合いくらいさらっとこなせなきゃおかしいだろ」
「本田さん何言って…って、ええええ!春野先生って30なんですか?!見えない!」
「…ちょっとそこうるさいよ!ちなみにまだ30じゃないから!ぎりぎり20代だから!」
2時間に及ぶパーティーは無事に終了し、ホテルの控室に戻ってきた。井上さんと本田さん、織田くんも来てくれて、労ってくれると思いきや失礼な言葉の連発で、ちっとも休める気がしない。
でも今日はスピーチもうまくいったし、笑顔の対応もばっちりできた、と自分では思ってる。にしてもほんと疲れた。頬がかちかちの固まって、まだ自分の顔が微笑んでる気がする。日向が選んでくれた靴も立食向きにと太いヒールにしたが、それでも踵が高い分流石に疲れた。帰ったら湯船に使って足のマッサージして、そうだこの前もらった韓国の高級パックあけちゃおう。今日は自分をとことん労ろう。
「…さて、織田。そろそろ本日の功労者を送ってやれ」
「…あれ、本田さん、打ち合わせいいんですか?」
「へーぇー仕事する気なの?別にいいけど、打ち合わせしようか?」
「あーごめんなさいまた後日でよろしくすみません」
「春ちゃん、今日はゆっくり休んでね。また諸々のことは明日以降に連絡するよ」
「じゃー俺、車の手配してきますね!」
……コンコン…ガチャ…
「…失礼します。フロントのものです。春野徹様宛に、お花をお預かりいたしましたのでお持ちいたしました」
「…そういうのは今回断っていたはずだが、宛名はわかりますか?」
「はい。横峯律様からです」
………え?
「…律?」
「あーなら貰っておきます。今日はお世話になりました。ありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」
…パタン……
「サプライズで会場に花なんて、横峯さんってやっぱり素敵な人だね」
「関係者以外立入禁止のパーティーだし、邪魔にならないようフロントに預けていくのも、こっちのことよく分かってるなぁ」
「…まぁ邪魔者は退散しようか、本田くん。じゃあ春ちゃん、気をつけて帰ってね」
「そうだな。今日はおつかれさん。ゆっくり休めよ」
「あ、はい。あの、お二人とも、今日は本当にありがとうございました。またこれからもよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。じゃあね」
……キー…パタン…
律からの花束は、ピンク色がベースになっていて、赤いバラが顔を覗かせるブーケになっていた。主張しすぎず、それでも華やかさを纏った柔らかい花束。そこにある一枚のメッセージカード。
『春野徹先生
この度は〇〇賞受賞、おめでとうございます
この賞は全て、貴女の頑張りによるものです
なので堂々と、誇らしくいてください
一ファンとして、大変喜ばしく、嬉しく思います
横峯律』
きっと律はなんでもお見通しで、この花束を貰った私が取る行動だって分かりきってるんだと思う。それでも、スマホに伸びる私の手に迷いなんてない。
律、律。今何しているの?
連絡するって言ってから、一週間がたつよ。
私は今、貴方の声が聞きたくてたまらないよ
prrrrr…prrrrr…prrrrr…
prrrrr…ガチャ
『……はい』
「あ、律?私」
『…今日はお疲れ様でした』
「あ、うん。ありがとう。今日がパーティーだって知ってたんだね…あ、あの、お花ありがとう…嬉しかったよ」
『…喜んでもらえて何よりです』
「………あの、さ。律…」
『…はい』
声が聞きたいなんて、ほんとは会いたくてたまらない。
この一週間なにしてたの?
私は、話したいことがいっぱいあるよ。
「あのね、今日のね、パーティ、すごく頑張ったんだよ!スピーチも噛まなかったし!あーでもその前に、身なりも整えないとって、しばらくサボってた美容院とエステサロン行ってそれからネイルも行ったの!あ、そういえば!新しい美容院に行ったんだよ!前から行ってみたいなぁって話してたあそこ!入る前はどきどきしたけど、そこがすんごくよくて!」
『…はい』
「あ、あとね!服もいっぱい買ったの!日向にコーディネートしてもらってさ、今日のパーティドレスも『Hyuga』で揃えてくれて!迎えに来てくれた織田くんなんか、きれいだってべた褒めしてくれて!あ、ドレスは友だち価格とはいかなかったけど、お財布の紐もゆるゆるだったし、それに選んでるときも楽しくてね…」
『…透』
「それから…え?なに?なにか言った?」
『…会いたい』
「……え?」
『…会いたいです。透………』
プツ…ツーツー
………は?…切れた?え…いや、今のは…ねぇ律。ちょっとそれは、
「反則だろおおおおおお!!!」
「先生!車の用意ができました…って、どうされました?!」
「織田くん!至急!律のマンションまでお願いします!!」
「えぇ?!構いませんが、何かありましたか?!」
「私が!!律に!!会いたいので!!!!」
こうなることまで見越していたのなら、反則にも程がある。
0
あなたにおすすめの小説
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ヤクザのせいで結婚できない!
山吹
恋愛
【毎週月・木更新】
「俺ァ、あと三か月の命らしい。だから志麻――お前ェ、三か月以内に嫁に行け」
雲竜志麻は極道・雲竜組の組長を祖父に持つ女子高生。
家柄のせいで彼氏も友達もろくにいない人生を送っていた。
ある日、祖父・雲竜銀蔵が倒れる。
「死ぬ前に花嫁姿が見たい」という祖父の願いをかなえるため、見合いをすることになった志麻だが
「ヤクザの家の娘」との見合い相手は、一癖も二癖もある相手ばかりで……
はたして雲竜志麻は、三か月以内に運命に相手に巡り合えるのか!?
ソツのない彼氏とスキのない彼女
吉野 那生
恋愛
特別目立つ訳ではない。
どちらかといえば地味だし、バリキャリという風でもない。
だけど…何故か気になってしまう。
気がつくと、彼女の姿を目で追っている。
***
社内でも知らない者はいないという程、有名な彼。
爽やかな見た目、人懐っこく相手の懐にスルリと入り込む手腕。
そして、華やかな噂。
あまり得意なタイプではない。
どちらかといえば敬遠するタイプなのに…。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
年上幼馴染の一途な執着愛
青花美来
恋愛
二股をかけられた挙句フラれた夕姫は、ある年の大晦日に兄の親友であり幼馴染の日向と再会した。
一途すぎるほどに一途な日向との、身体の関係から始まる溺愛ラブストーリー。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる