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「…透?どうしました?」
目の端で、隣に座る律の手が固く握られた。
「…引っ越しが最重要項目に挙げられたことはよく分かりました。私もお話を聞いて、早めの引っ越しを目指して、すぐにでも動き出します。
…ただ、律の家には住みません。会社には迷惑をかけない範囲で自分でなんとかしますので、空想上の話をこれ以上勝手に進めないでください」
空気が凍ったのが分かる。でも、ここをはっきりしておかないとだめだ、と頭の中で私が叫ぶのだ。だってまだ私の脳裏にはこびりついたままなんだ。あのシワの寄ったワイシャツが…
「…分かった。協力できることはこちらも動くから、一人で抱え込まず、ちゃんと相談してくれ。とりあえず、受賞に合わせて関係者各位を招待する受賞パーティーを一週間後に予定しているから、それには参加してもらう。身内しか集まらないから、気軽に構えてくれ。いずれメディア向けの会見も開くことになるが、それはまぁ顔出しNGの気持ちは汲んで、より良い形を探していこう。それはまた後日話し合うということで、いいか?」
こういう時、決して冗談で済まさないのが本田さんという人なのだ。横暴で自分勝手な振る舞いをする人だけれど、今この場で私に寄り添って動いてくれるあたり本当にいい人で、だから私を含む彼の担当する作家は、彼を信じて付き進めるのだと思う。私も本田さんの「面白い」を心から信じられるし、彼以外に同じ事を言われても信じられない。本田さんのおかげでここまだこれたという確信が、また私に力をくれる。
「…ありがとうございます。それで大丈夫です。何かあったらちゃんと相談しますので」
「春ちゃん、何かなくても相談してね。僕たちは作家さんの一番の味方でいるんだから」
「……一番…」
「俺も!不動産回ったりとか!引っ越しの荷造りとか!手伝いますので!何でも言ってください」
「…はい。皆さんありがとうございます。受賞の件も…ほんとに、ありがとうございます。ちゃんと嬉しいです。びっくりして色々言いましたし、まだ実感もないですけど…ちゃんと喜んでいます。これからも精進します」
「それはぜひ精進してくれ。次の作品も期待している。じゃー俺らは帰るから。夜の速報ニュース、しっかり見ろよ」
そう言って、3人は帰っていった。玄関まで律と二人で見送ったけれど、その間もずっと律の拳が緩まることはなかった。私が一緒に住む件を否定してから、ずっと。
ちゃんと伝えるときがきたようだ。
「…律。あのね、私…聞いてほしい話があるの」
「カフェで話してたこと。あの大雨の日のこと。ちゃんと分かってるよ。さっきも言ったけど、律は私に対して不義理なことはしないって、私はそう思ってる。もし万が一、それが勘違いでほんとは違ったとしても、騙されてたって構わないって思う程には、私は律が好きだよ」
「…透。私は決して」
「うん。大丈夫。そんなこともあり得ないって、分かってる。でもね、律。私たち付き合って8年になるけど、やっぱりこのままじゃだめだと思うんだ」
…言え、言うんだ。
「私たちの関係を一度、整理した方がいいと思う」
「…関係を、整理ですか」
「…うん。私、校了前後はすぐ屍になるし、だらしないところもたくさんあって、律にはいつもお世話になりっぱなしで、これじゃダメだなぁって思ってたの」
校了前は、律がいなければ何日もお風呂に入らないなんてザラだし、ご飯は我が家で唯一冷蔵庫で冷えているビールのお供のチーズが主食になって、汗と涙でパリついた顔をしょぼしょぼさせながら、パソコンの光に目を焼かれている。そんな状態だから、原稿を渡した直後は玄関先で屍と化す、なんてことがルーティンになってしまっていた。
まだ付き合って年数も浅い頃、ちょうど私の本が売れだしたあたりから、コラムだエッセイだと仕事の量が増えた時があった。けれど執筆活動をする時間が極端に減ったものの締切は待ってくれない。そうやって人生で初めての屍となったときはろくに連絡も取れなくなった私を心配して、様子を見に来た律がいなければ、私は風呂場で溺死していただろうと言われている。
それくらいひどい状態だった。その様子を知っている律とは以降合鍵を交換し、校了時期が近づくと家へ来てお世話をしてくれるようになった。それで生活環境が改善されて、私は穏やかに生活を送ることができたのだ。
ただ残念なことに、執筆速度に関しては言い難いものがあるため、屍になる事実だけは変えられないのだが、少なくとも一人で過労死することはなくなった。
ちなみにこの事実を一番喜んだのは本田さんで、どんどん仕事ができるな!と宣ったあの笑顔は、今でもホラー映画に出てくるゾンビよりも背中を冷やしてくれる。恐ろしい。
ただいくら私の生活環境がよくなったとはいえ、その負担が律にいってしまっているのは事実であり、甘んじて受け続けるわけにはいかないと思っている。
―ははは。恋人というよりまるで保護者のようだね。ね、春ちゃん―
ほんとそれ、笑えないんですよ、井上さん。
「律だって自分の仕事や生活があるのに、私だけぬくぬくとお世話してもらって仕事をしてるなんて、やっぱりだめだなぁと思うの」
だらしない私の尻拭いばかりを律にさせるわけにはいかない。前から思っていたことだけど、あの大雨の日にそれは色濃く思うようになった。
「だから、律、これからはちょっと、私たち」
「いやです」
「…律?」
いつもどんな時だって、最後まで私の話を聞いてくれる律が、初めて私の言葉を遮った。
「何を言い出すのかと思えば、くだらない」
「…くだらない?」
「えぇ本当にくだらないです。貴女はそんな実りないことを考えずに、私に甘えられるだけ甘えながら、本を作り上げていたらいい。貴女にできることはそれだけです」
…それだけ?
「…ちょっとまって…それだけ、ってなに?私は執筆だけしてろってこと?…それしかできないって?」
「えぇそのとおり。井上さんも言っていたでしょう。貴女の書くものは世間に潤いを与える。だから、貴女はいらないことは考えないで、執筆に重きを置いて励んでさえいればいい。後のことは今まで通り私が引き受けますから。何も心配しなくていい」
「…え、っと、まって」
「待つも何もありません。現に、貴女は私がいないと執筆もろくにできなかったでしょう。〇〇賞の受賞だって、私の助けがあってこそだと言っていたでしょう。今までもそうだったのだから、これからだっていくらでも力になります。だからそんなくだらない考え、今すぐやめなさい」
これは本当に私の知る律なのだろうか。
―私にとって、貴女は一番ですから―
そう言ってくれたのは本心からだったと、私を愛してくれているからだと、疑ってこなかったのに。
いつだって隣にいてくれる律を、私は信じていたのに。
「…律は、今までそう思ってきたの?」
「透」
「私には執筆しか脳がなくて、生活能力がなくて、律がいないと生きていけなくて…その唯一の執筆活動すら律がいないとできないって?」
「…!いや、そうではなく、」
「律がいないと、私は本を書くこともできないって?〇〇賞は律がいないと届かないものだったって?」
「透!そんなことはありません!」
「私が、私自身で、私を変えようと思うことは、くだらないことだって?」
「話を聞いて」
「私が!律との将来を!未来を!関係を!考えることは、いらないことだって?!」
「っ!…とお、る…」
貴方はいつも私の隣にいて支えてくれていたのに、いつから貴方はそんなに離れてしまっていたの。
「…私にとって律は恋人で、寄り添って歩んでくれるかけがえのない人だけれど、律にとって私は…っただの作家で、自分が気にかけてやっているだけの、もはや腐れ縁な関係ってこと?」
「っ!それは違います!私だって」
「だからあんな風に、女の人を自分のテリトリーに入れられるの?」
「…透?」
これ以上はいけないと、頭の中で鳴り響く。いけない。止まらなきゃいけないのに。
「その後輩の女の子は…あの日律の家が近くて、タオルを貸してもらえて、とても助かったと思う。人助けなんだから、間違った行動ではないよ。そんなことは分かってる…でも…っ!私は!その距離感に嫉妬したの!」
「…っ透!」
「どうして家に入れたの?どうしてシャワーを浴びたの?どうしてワイシャツを洗わせたの?私以外の女に!」
「…透、弁解をさせてください」
「律にとって…家に女を入れることも、女がいるのにシャワーを浴びることも、女にワイシャツを洗わせることも…なんてことないことないんでしょう?」
「話を」
「なら私が同じことをしても、貴方は何も思わないのよね?」
「!!それは…」
「今までもそんなことをしてたの?私以外の女があの家を出入りしてたの?私以外の女に貴方のワイシャツを洗わせたの?私は!貴方のワイシャツを洗ったことなんて一度もないのに?!」
「とお、る…」
「でもそんなこと…私はしなくていいのよね。執筆活動だけしていればそれでいいのよね。その他の面倒は貴方が見てくれるから。ねぇ…そんな関係って、ほんとに恋人なのかな?」
「っ!すみません!違うんです!」
「私はこれからも、律と歩んでいきたいと思っていた。事実律の支えがなければ、私はすぐくたびれてしまう。でも…私だって律を支えたい。律のワイシャツを洗いたい。律とは対等でいたい」
そう思っていたのは私だけなのだろうか。いつから律は、こんな風に思ってたんだろう。でも、このままではいけないのに…
「今の関係は決して対等とは言えない。私のお世話をさせるだけの、そんな関係を強いたいわけじゃない。今の律は、私の隣にいない」
「…っ!お願いです!それ以上は…!」
…これ以上は……それでも私たちは変わらなきゃいけない。
「…このままじゃだめだよ。律…お互いのために。今の関係をちゃんと整理して、それぞれ自分の道を進むべきなのかもしれないよ」
「透!やめてください!」
律の叫ぶような声が頭に響く。彼のこんな声を聞くのは初めてかもしれない。昨日から彼の初めてをたくさん知った。こんな機会じゃなきゃ知れなかったなんて、自嘲の笑みが止められない。
私は玄関にある、律とお揃いのキーケースから律の家の鍵を外した。この鍵がある限り、私は甘え続けてしまう。
「律、返すよ。うちの鍵も返してほしい」
「いやです。私は認めません。こんなの…認めたくない…」
律の持つ私の家の鍵はなかなか手放してもらえなかったけれど、近いうち引っ越すことを理由に返してもらった。
「透。私は認められません。貴女と離れることだけは決して」
「また連絡します」
そう律は言って帰っていった。
目の端で、隣に座る律の手が固く握られた。
「…引っ越しが最重要項目に挙げられたことはよく分かりました。私もお話を聞いて、早めの引っ越しを目指して、すぐにでも動き出します。
…ただ、律の家には住みません。会社には迷惑をかけない範囲で自分でなんとかしますので、空想上の話をこれ以上勝手に進めないでください」
空気が凍ったのが分かる。でも、ここをはっきりしておかないとだめだ、と頭の中で私が叫ぶのだ。だってまだ私の脳裏にはこびりついたままなんだ。あのシワの寄ったワイシャツが…
「…分かった。協力できることはこちらも動くから、一人で抱え込まず、ちゃんと相談してくれ。とりあえず、受賞に合わせて関係者各位を招待する受賞パーティーを一週間後に予定しているから、それには参加してもらう。身内しか集まらないから、気軽に構えてくれ。いずれメディア向けの会見も開くことになるが、それはまぁ顔出しNGの気持ちは汲んで、より良い形を探していこう。それはまた後日話し合うということで、いいか?」
こういう時、決して冗談で済まさないのが本田さんという人なのだ。横暴で自分勝手な振る舞いをする人だけれど、今この場で私に寄り添って動いてくれるあたり本当にいい人で、だから私を含む彼の担当する作家は、彼を信じて付き進めるのだと思う。私も本田さんの「面白い」を心から信じられるし、彼以外に同じ事を言われても信じられない。本田さんのおかげでここまだこれたという確信が、また私に力をくれる。
「…ありがとうございます。それで大丈夫です。何かあったらちゃんと相談しますので」
「春ちゃん、何かなくても相談してね。僕たちは作家さんの一番の味方でいるんだから」
「……一番…」
「俺も!不動産回ったりとか!引っ越しの荷造りとか!手伝いますので!何でも言ってください」
「…はい。皆さんありがとうございます。受賞の件も…ほんとに、ありがとうございます。ちゃんと嬉しいです。びっくりして色々言いましたし、まだ実感もないですけど…ちゃんと喜んでいます。これからも精進します」
「それはぜひ精進してくれ。次の作品も期待している。じゃー俺らは帰るから。夜の速報ニュース、しっかり見ろよ」
そう言って、3人は帰っていった。玄関まで律と二人で見送ったけれど、その間もずっと律の拳が緩まることはなかった。私が一緒に住む件を否定してから、ずっと。
ちゃんと伝えるときがきたようだ。
「…律。あのね、私…聞いてほしい話があるの」
「カフェで話してたこと。あの大雨の日のこと。ちゃんと分かってるよ。さっきも言ったけど、律は私に対して不義理なことはしないって、私はそう思ってる。もし万が一、それが勘違いでほんとは違ったとしても、騙されてたって構わないって思う程には、私は律が好きだよ」
「…透。私は決して」
「うん。大丈夫。そんなこともあり得ないって、分かってる。でもね、律。私たち付き合って8年になるけど、やっぱりこのままじゃだめだと思うんだ」
…言え、言うんだ。
「私たちの関係を一度、整理した方がいいと思う」
「…関係を、整理ですか」
「…うん。私、校了前後はすぐ屍になるし、だらしないところもたくさんあって、律にはいつもお世話になりっぱなしで、これじゃダメだなぁって思ってたの」
校了前は、律がいなければ何日もお風呂に入らないなんてザラだし、ご飯は我が家で唯一冷蔵庫で冷えているビールのお供のチーズが主食になって、汗と涙でパリついた顔をしょぼしょぼさせながら、パソコンの光に目を焼かれている。そんな状態だから、原稿を渡した直後は玄関先で屍と化す、なんてことがルーティンになってしまっていた。
まだ付き合って年数も浅い頃、ちょうど私の本が売れだしたあたりから、コラムだエッセイだと仕事の量が増えた時があった。けれど執筆活動をする時間が極端に減ったものの締切は待ってくれない。そうやって人生で初めての屍となったときはろくに連絡も取れなくなった私を心配して、様子を見に来た律がいなければ、私は風呂場で溺死していただろうと言われている。
それくらいひどい状態だった。その様子を知っている律とは以降合鍵を交換し、校了時期が近づくと家へ来てお世話をしてくれるようになった。それで生活環境が改善されて、私は穏やかに生活を送ることができたのだ。
ただ残念なことに、執筆速度に関しては言い難いものがあるため、屍になる事実だけは変えられないのだが、少なくとも一人で過労死することはなくなった。
ちなみにこの事実を一番喜んだのは本田さんで、どんどん仕事ができるな!と宣ったあの笑顔は、今でもホラー映画に出てくるゾンビよりも背中を冷やしてくれる。恐ろしい。
ただいくら私の生活環境がよくなったとはいえ、その負担が律にいってしまっているのは事実であり、甘んじて受け続けるわけにはいかないと思っている。
―ははは。恋人というよりまるで保護者のようだね。ね、春ちゃん―
ほんとそれ、笑えないんですよ、井上さん。
「律だって自分の仕事や生活があるのに、私だけぬくぬくとお世話してもらって仕事をしてるなんて、やっぱりだめだなぁと思うの」
だらしない私の尻拭いばかりを律にさせるわけにはいかない。前から思っていたことだけど、あの大雨の日にそれは色濃く思うようになった。
「だから、律、これからはちょっと、私たち」
「いやです」
「…律?」
いつもどんな時だって、最後まで私の話を聞いてくれる律が、初めて私の言葉を遮った。
「何を言い出すのかと思えば、くだらない」
「…くだらない?」
「えぇ本当にくだらないです。貴女はそんな実りないことを考えずに、私に甘えられるだけ甘えながら、本を作り上げていたらいい。貴女にできることはそれだけです」
…それだけ?
「…ちょっとまって…それだけ、ってなに?私は執筆だけしてろってこと?…それしかできないって?」
「えぇそのとおり。井上さんも言っていたでしょう。貴女の書くものは世間に潤いを与える。だから、貴女はいらないことは考えないで、執筆に重きを置いて励んでさえいればいい。後のことは今まで通り私が引き受けますから。何も心配しなくていい」
「…え、っと、まって」
「待つも何もありません。現に、貴女は私がいないと執筆もろくにできなかったでしょう。〇〇賞の受賞だって、私の助けがあってこそだと言っていたでしょう。今までもそうだったのだから、これからだっていくらでも力になります。だからそんなくだらない考え、今すぐやめなさい」
これは本当に私の知る律なのだろうか。
―私にとって、貴女は一番ですから―
そう言ってくれたのは本心からだったと、私を愛してくれているからだと、疑ってこなかったのに。
いつだって隣にいてくれる律を、私は信じていたのに。
「…律は、今までそう思ってきたの?」
「透」
「私には執筆しか脳がなくて、生活能力がなくて、律がいないと生きていけなくて…その唯一の執筆活動すら律がいないとできないって?」
「…!いや、そうではなく、」
「律がいないと、私は本を書くこともできないって?〇〇賞は律がいないと届かないものだったって?」
「透!そんなことはありません!」
「私が、私自身で、私を変えようと思うことは、くだらないことだって?」
「話を聞いて」
「私が!律との将来を!未来を!関係を!考えることは、いらないことだって?!」
「っ!…とお、る…」
貴方はいつも私の隣にいて支えてくれていたのに、いつから貴方はそんなに離れてしまっていたの。
「…私にとって律は恋人で、寄り添って歩んでくれるかけがえのない人だけれど、律にとって私は…っただの作家で、自分が気にかけてやっているだけの、もはや腐れ縁な関係ってこと?」
「っ!それは違います!私だって」
「だからあんな風に、女の人を自分のテリトリーに入れられるの?」
「…透?」
これ以上はいけないと、頭の中で鳴り響く。いけない。止まらなきゃいけないのに。
「その後輩の女の子は…あの日律の家が近くて、タオルを貸してもらえて、とても助かったと思う。人助けなんだから、間違った行動ではないよ。そんなことは分かってる…でも…っ!私は!その距離感に嫉妬したの!」
「…っ透!」
「どうして家に入れたの?どうしてシャワーを浴びたの?どうしてワイシャツを洗わせたの?私以外の女に!」
「…透、弁解をさせてください」
「律にとって…家に女を入れることも、女がいるのにシャワーを浴びることも、女にワイシャツを洗わせることも…なんてことないことないんでしょう?」
「話を」
「なら私が同じことをしても、貴方は何も思わないのよね?」
「!!それは…」
「今までもそんなことをしてたの?私以外の女があの家を出入りしてたの?私以外の女に貴方のワイシャツを洗わせたの?私は!貴方のワイシャツを洗ったことなんて一度もないのに?!」
「とお、る…」
「でもそんなこと…私はしなくていいのよね。執筆活動だけしていればそれでいいのよね。その他の面倒は貴方が見てくれるから。ねぇ…そんな関係って、ほんとに恋人なのかな?」
「っ!すみません!違うんです!」
「私はこれからも、律と歩んでいきたいと思っていた。事実律の支えがなければ、私はすぐくたびれてしまう。でも…私だって律を支えたい。律のワイシャツを洗いたい。律とは対等でいたい」
そう思っていたのは私だけなのだろうか。いつから律は、こんな風に思ってたんだろう。でも、このままではいけないのに…
「今の関係は決して対等とは言えない。私のお世話をさせるだけの、そんな関係を強いたいわけじゃない。今の律は、私の隣にいない」
「…っ!お願いです!それ以上は…!」
…これ以上は……それでも私たちは変わらなきゃいけない。
「…このままじゃだめだよ。律…お互いのために。今の関係をちゃんと整理して、それぞれ自分の道を進むべきなのかもしれないよ」
「透!やめてください!」
律の叫ぶような声が頭に響く。彼のこんな声を聞くのは初めてかもしれない。昨日から彼の初めてをたくさん知った。こんな機会じゃなきゃ知れなかったなんて、自嘲の笑みが止められない。
私は玄関にある、律とお揃いのキーケースから律の家の鍵を外した。この鍵がある限り、私は甘え続けてしまう。
「律、返すよ。うちの鍵も返してほしい」
「いやです。私は認めません。こんなの…認めたくない…」
律の持つ私の家の鍵はなかなか手放してもらえなかったけれど、近いうち引っ越すことを理由に返してもらった。
「透。私は認められません。貴女と離れることだけは決して」
「また連絡します」
そう律は言って帰っていった。
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