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【番外編】ウサギだけは気づいている前編
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律と結婚してから、私たちはよく喧嘩をするようになった。喧嘩と言っても怒鳴り合ったり怒りをぶつけ合ったりするのではなく、お互いに何が嫌で今どんな気持ちで、これからどうしてほしいかどうするべきかをただ冷静にコンコンと話し合うのだ。
日向からは「それなんのディベート?」なんて言われてしまったが、今までどこか遠慮していた部分を律が見せてくれるようになったし、私も自身の中で完結させずに言いたいことを言えるようになったので、やはり私たちはこれらを喧嘩と呼んでいるのだ。
そんな私たちのとある“喧嘩”のお話。
「透、なんですかその格好は」
それは本当に些細なことだったように思う。いつものように何が嫌で今どんな気持ちで、これからどうしてほしいか、あるいはどうするべきかをきちんと冷静に話し合えば、いつものように穏便に終えられただろう。
「え?なんか変?」
「その服です。非常に不愉快です。今すぐ代替品の用意を」
ただ“喧嘩”を繰り返す中で見えてきたのは、お互いの中に“こればかりは譲れない”と思う部分が少なからず存在していたことで。そこは話し合いだけでは何ともならないということを、“喧嘩歴数カ月の”私たちはまだ分かっていなかったのだ。
「ど、どうして?日向のブランドだから見栄えは悪くないと思うけど」
「そうですね。日向さんの作られるものはやはり質も何もかも素晴らしいと、私も思います。ただ、これを着るのはやめてください」
今話しているのは、5日後に控えたとある授賞式で着るドレスのことである。自身の処女作『街角のパン屋』が映えあるハリウッド映画に起用され、脚本家も有名な方がついたおかげもあって大ヒットを遂げたことから、原作小説家として授賞式に呼ばれたのだ。そこで人生で初めてレッドカーペットを歩くことになったのである。
これまた突然のお話で、編集長である本田さんから話を聞いたときは頭が真っ白になったが、加えてその映画の主演男優に選ばれたハリウッド俳優からメッセージまでもらった時には、後1週間ほどの記憶を無くしてしまったくらいだった。
今や立派な編集者として私を支えてくれている織田くんが後日「先生が寝込んでいる間のことは全て横峯さんがやってくれたので、万事オッケーですよ!」なんてかわいいウィンク付きで言ってくれたものだが、全ての事とはなんだろうかと疑問を持ちつつも、もはやこの世の全ては横峯律がいれば解決するのではないかと、またしてもくらりと来たのは言うまでもない。
そして今回の名誉あるお話のことで暫くは慌てふためいていた私だが、一番困ったのは授賞式で着るドレスである。着るものに無頓着な私でも、流石に友人の結婚式で着るようなパーティドレスでは駄目だろうと言うことは分かっていたし、本田さんからも「早いうちに日向に相談しておけよ」なんて言われていたので、海外でも人気でセレブたちのレッドカーペットドレス事情にも詳しいデザイナー兼親友の日向に早々に泣きついたのだった。
日向は小説のコンセプトも大事にしつつ、今流行のスタイルも盛り込んで、日向自身がデザインから制作まで手掛けてくれたおかげで、私にとって世界に一つだけのドレスができたのだった。
「あんたにウェディングドレスよりも先に作るドレスがあるなんてね」と言いながらも届けてくれた今回のドレスは、一言では語れない程とてもすばらしい物だった。織田くんも目を輝かせてくれたけど、どうやら律は違うらしい。
「露出が激しすぎます。控えた方が良いかと」
「ろ、露出って…開いてるところなんて、背中くらいだよ」
「その背中のことを言っています」
日向が作ってくれたドレスはピンクベージュのシルク生地で、着心地も軽く素肌をサラリと滑って、歩くと生地が波打ち光沢が映える、シンプルでありながらも高級感溢れる素敵なものだった。首まであるハイネックとデコルテはシアーで隠され、絞られたウエストから足元を覆う生地はストンと自然に流れるようで洗礼されたデザインだった。前から見れば肩が見えているのだが、胸元が隠されていることで全体的に清楚感に溢れている。けれど、
「肩から腕が見えているのはまだしも、その背中の開き具合は少し、控えるべきでは?」
律の言うとおり、このドレスは前と足元の露出が少ない分、肩甲骨から背中、腰まで大きく開いたデザインになっていて、私もデザインを聞いたときは恥ずかしさが勝っていたが、実際にできたドレスは試着すると体によく馴染んで、とても美しく思えたのだ。
「っで、でも今回授賞は今までと違ってたくさんメディアも入るし、これくらいがいいって…ほ、本田さんも頷いてくれたし、取締の井上さんだって!」
「一万歩譲って井上さんのエスコートは許したとして、そのドレスを着ていくことだけは許せません」
強い口調でそう言う律に、開いた口が塞がらなくなる。許せないと言われるどおりが分からなくて、困惑しか残らない。
「そ、そんなこと……っで、でも!もう今更変更できない。明後日には旅立つんだし、」
「今すぐ日向さんに連絡しましょう。なんとかしてもらいます」
スマホを取り出しながら「日向さんを信用したのが誤りでした」なんて言う律に、急激に頭の中が真っ赤に染まった。せっかく親友が私のために作ってくれたのに。
「や、やめてよ!そんなことしないで!…て、ていうか!そんなに口出しするならドレス作りのとき律もいればよかったじゃない!」
「ちょうど繁忙期でスケジュールが空きませんでした。しかし本田さんも付いているならと油断した私のミスです。こんなことならなんとしても私も入るべきでした」
「ミスって…!こんなに素敵なドレス、一生に着れるかも分からないのに…!私が着たいと思って着るんだから!許さないなんて、律に言われたくない!」
自然と大きな声になった私を一瞥して、律は大きなため息をついた。
「そもそも、こんな露出の激しいものを着て、恥ずかしくないのですか。お互いもういい年ですよ」
私は今なんて言われたんだろう。さっきまではカッとなっていた頭の中が、今度は真っ白になった。
「なに、それ……っ似合わないなら、そう言えばいいじゃない…!」
「似合わないと言えば着ませんか?」
「いいえ、着るわよ。用意したもの。日向がせっかく作ってくれたもの!」
「日向さんの腕は信用しています。ですがこのドレスを私のいない…しかも海外で多くの男に囲まれる場で着るのは許さないと言っています。いい加減言うことを聞いてください」
プツンと糸が切れる音が、私の中で鳴り響いた。もう限界だ。これ以上は“話し合い”にならない。
「っいい加減にするのはそっちよ!私はこれがいいの!今回は折れないわよ!ばか律!」
「はぁー…ばかとはなんですか。子どもじみたことを言ってないで、少し冷静に話しましょう」
「だー!もう!うるさい!出てく!」
「…は?待て、待ちなさい、透…っ!透!」
「待たない!」
「透!一体どこへ行くつもり、」
「日向のところ!!」
「まさか、ほんとに?」なんて声が聞こえるけど知ったこっちゃない。私は財布とスマホだけ握って二人で建てた家を飛び出した。
ついさっきまで、律のいれてくれたコーヒーを飲んで、律の作ってくれたクッキーを食べて、向こうのお土産の話なんてして、楽しくすごしていたのに。つい昨日フィッティング後の最後の仕上げが終わって届いたドレスを開けることになってから、甘い雰囲気が一気に凍ってしまった。それが悔しくて仕方がなかった。
律は私の仕事を認めて、誰よりも理解してくれていて、自分が忙しいときだって私を支えてくれていた。今回の映画化だって、怖じ気づいて固まってしまった私を暖かく解きほぐしてくれて、一番喜んでくれたのは律だった。だから、あのドレスで着飾った私も、褒めてもらえるって…あの低く掠れた声で“美しい”って、言ってもらえると思ってたのに。
ただ“不愉快”と言われたことが酷く苦しかった。涙が滲みそうになるのをぐっと堪えて、まだ明るい昼時にお日様から顔を隠して、ただ浸すら足を動かした。
「……で、どうして家出先がここなの」
「だって……頼れる友だちなんて日向しかいないもん」
土曜日の昼下がりといえば、家族団欒恋人優先の時間だということはよく分かっていたが、ここに来ざるをえなかった事情だって分かってほしい。日向がいれてくれたお茶を、眉間にシワを寄せる本田さんと向かい合って飲むことになったとしても、あの家で律と二人っきりの状況よりは幾分もましだった。
事の発端ともなったドレスの作成者である日向に話すのは気が引けたが、それでも我が親友は口を挟むことなく最後まで話を聞いてくれた。
「…まぁねー…横峯さんにはちょぉーっと、刺激が強すぎたかしらね」
「そんなこと、ないと思うけど…」
「あんたのセコムに最終チェックしなかったあたしもいけなかったわね」
「な、なんで日向までそんなこと言うのよ…」
「仕切り直すかなぁ」なんて呟く日向に焦っていると、ずっと黙り込んでいた本田さんも口を開いた。
「あとはまー…エスコートが井上さんってのも嫌なんだろうなぁ」
「それはそうかもね」
「今からでも織田に行かすか」
二人の会話が理解できなくてますます不安になる。どう考えても頭の硬い律が悪いのにどうしてここで井上さんまで出てくるのか。無意識に首を傾げてしまう。
「…ほら見てこの透の顔、分かってないのがここに一人」
「鈍感の一言じゃ済まされねーぞ」
「な、なによ…!」
この二人、なかなか近づかない距離にやきもきしていたくせに、ようやく結ばれてからは言葉少なくもお互いの考えを理解し合っているようで、なんだかちょっぴり悔しく思えた。私と律はもうすぐ付き合って10年目を迎えるというのに、今日も意図を理解しきれないことで言い争ってしまった。
「………ほんとに、“喧嘩”しちゃった…」
私の小さな呟きを拾った日向が、そっと頭を撫でてくれる。
「だから言ったでしょう?今までのは喧嘩じゃなかったのよ」
「……あんなに、怒鳴っちゃった」
落ち込みが増す私に、日向がふふっと笑って言った。
「じゃあ…鈍感なあんたにヒントをあげる」
「………ヒント?」
「そ。横峯さんがあたしの渾身のデキを“不愉快”と言った、ヒント」
その言葉に目を見開いた。もしかして日向は、律の思っていることが分かるのだろうか。私には分からないのに、本田さんまで頷いているのを見て、ますます自信をなくした。
「……自分以外の人間が愛する妻の背中に、しかも素肌に触れるなんて、横峯さんは耐えられないのよ」
「…っそれって、!」
「ふふっ…ねぇ透。近すぎると見えないことも、結構あるものなのよ」
そう言って可笑しそうに笑う日向に、私の中で張り詰めていたものが緩んでいくのが分かった。そうか、私と律は近くにいすぎたのかも。
でも、今はこの距離じゃないともう安心できないのだ。
「…………ねぇ、本田さん。お願いが…あるんだけど」
「ん?」
こんなに愛のあるヒントをもらったんだから、私も動かなきゃ。上手くいくか分からないけど、今の私は日向のドレスも、律も、絶対に手放したくないのだから。
日向からは「それなんのディベート?」なんて言われてしまったが、今までどこか遠慮していた部分を律が見せてくれるようになったし、私も自身の中で完結させずに言いたいことを言えるようになったので、やはり私たちはこれらを喧嘩と呼んでいるのだ。
そんな私たちのとある“喧嘩”のお話。
「透、なんですかその格好は」
それは本当に些細なことだったように思う。いつものように何が嫌で今どんな気持ちで、これからどうしてほしいか、あるいはどうするべきかをきちんと冷静に話し合えば、いつものように穏便に終えられただろう。
「え?なんか変?」
「その服です。非常に不愉快です。今すぐ代替品の用意を」
ただ“喧嘩”を繰り返す中で見えてきたのは、お互いの中に“こればかりは譲れない”と思う部分が少なからず存在していたことで。そこは話し合いだけでは何ともならないということを、“喧嘩歴数カ月の”私たちはまだ分かっていなかったのだ。
「ど、どうして?日向のブランドだから見栄えは悪くないと思うけど」
「そうですね。日向さんの作られるものはやはり質も何もかも素晴らしいと、私も思います。ただ、これを着るのはやめてください」
今話しているのは、5日後に控えたとある授賞式で着るドレスのことである。自身の処女作『街角のパン屋』が映えあるハリウッド映画に起用され、脚本家も有名な方がついたおかげもあって大ヒットを遂げたことから、原作小説家として授賞式に呼ばれたのだ。そこで人生で初めてレッドカーペットを歩くことになったのである。
これまた突然のお話で、編集長である本田さんから話を聞いたときは頭が真っ白になったが、加えてその映画の主演男優に選ばれたハリウッド俳優からメッセージまでもらった時には、後1週間ほどの記憶を無くしてしまったくらいだった。
今や立派な編集者として私を支えてくれている織田くんが後日「先生が寝込んでいる間のことは全て横峯さんがやってくれたので、万事オッケーですよ!」なんてかわいいウィンク付きで言ってくれたものだが、全ての事とはなんだろうかと疑問を持ちつつも、もはやこの世の全ては横峯律がいれば解決するのではないかと、またしてもくらりと来たのは言うまでもない。
そして今回の名誉あるお話のことで暫くは慌てふためいていた私だが、一番困ったのは授賞式で着るドレスである。着るものに無頓着な私でも、流石に友人の結婚式で着るようなパーティドレスでは駄目だろうと言うことは分かっていたし、本田さんからも「早いうちに日向に相談しておけよ」なんて言われていたので、海外でも人気でセレブたちのレッドカーペットドレス事情にも詳しいデザイナー兼親友の日向に早々に泣きついたのだった。
日向は小説のコンセプトも大事にしつつ、今流行のスタイルも盛り込んで、日向自身がデザインから制作まで手掛けてくれたおかげで、私にとって世界に一つだけのドレスができたのだった。
「あんたにウェディングドレスよりも先に作るドレスがあるなんてね」と言いながらも届けてくれた今回のドレスは、一言では語れない程とてもすばらしい物だった。織田くんも目を輝かせてくれたけど、どうやら律は違うらしい。
「露出が激しすぎます。控えた方が良いかと」
「ろ、露出って…開いてるところなんて、背中くらいだよ」
「その背中のことを言っています」
日向が作ってくれたドレスはピンクベージュのシルク生地で、着心地も軽く素肌をサラリと滑って、歩くと生地が波打ち光沢が映える、シンプルでありながらも高級感溢れる素敵なものだった。首まであるハイネックとデコルテはシアーで隠され、絞られたウエストから足元を覆う生地はストンと自然に流れるようで洗礼されたデザインだった。前から見れば肩が見えているのだが、胸元が隠されていることで全体的に清楚感に溢れている。けれど、
「肩から腕が見えているのはまだしも、その背中の開き具合は少し、控えるべきでは?」
律の言うとおり、このドレスは前と足元の露出が少ない分、肩甲骨から背中、腰まで大きく開いたデザインになっていて、私もデザインを聞いたときは恥ずかしさが勝っていたが、実際にできたドレスは試着すると体によく馴染んで、とても美しく思えたのだ。
「っで、でも今回授賞は今までと違ってたくさんメディアも入るし、これくらいがいいって…ほ、本田さんも頷いてくれたし、取締の井上さんだって!」
「一万歩譲って井上さんのエスコートは許したとして、そのドレスを着ていくことだけは許せません」
強い口調でそう言う律に、開いた口が塞がらなくなる。許せないと言われるどおりが分からなくて、困惑しか残らない。
「そ、そんなこと……っで、でも!もう今更変更できない。明後日には旅立つんだし、」
「今すぐ日向さんに連絡しましょう。なんとかしてもらいます」
スマホを取り出しながら「日向さんを信用したのが誤りでした」なんて言う律に、急激に頭の中が真っ赤に染まった。せっかく親友が私のために作ってくれたのに。
「や、やめてよ!そんなことしないで!…て、ていうか!そんなに口出しするならドレス作りのとき律もいればよかったじゃない!」
「ちょうど繁忙期でスケジュールが空きませんでした。しかし本田さんも付いているならと油断した私のミスです。こんなことならなんとしても私も入るべきでした」
「ミスって…!こんなに素敵なドレス、一生に着れるかも分からないのに…!私が着たいと思って着るんだから!許さないなんて、律に言われたくない!」
自然と大きな声になった私を一瞥して、律は大きなため息をついた。
「そもそも、こんな露出の激しいものを着て、恥ずかしくないのですか。お互いもういい年ですよ」
私は今なんて言われたんだろう。さっきまではカッとなっていた頭の中が、今度は真っ白になった。
「なに、それ……っ似合わないなら、そう言えばいいじゃない…!」
「似合わないと言えば着ませんか?」
「いいえ、着るわよ。用意したもの。日向がせっかく作ってくれたもの!」
「日向さんの腕は信用しています。ですがこのドレスを私のいない…しかも海外で多くの男に囲まれる場で着るのは許さないと言っています。いい加減言うことを聞いてください」
プツンと糸が切れる音が、私の中で鳴り響いた。もう限界だ。これ以上は“話し合い”にならない。
「っいい加減にするのはそっちよ!私はこれがいいの!今回は折れないわよ!ばか律!」
「はぁー…ばかとはなんですか。子どもじみたことを言ってないで、少し冷静に話しましょう」
「だー!もう!うるさい!出てく!」
「…は?待て、待ちなさい、透…っ!透!」
「待たない!」
「透!一体どこへ行くつもり、」
「日向のところ!!」
「まさか、ほんとに?」なんて声が聞こえるけど知ったこっちゃない。私は財布とスマホだけ握って二人で建てた家を飛び出した。
ついさっきまで、律のいれてくれたコーヒーを飲んで、律の作ってくれたクッキーを食べて、向こうのお土産の話なんてして、楽しくすごしていたのに。つい昨日フィッティング後の最後の仕上げが終わって届いたドレスを開けることになってから、甘い雰囲気が一気に凍ってしまった。それが悔しくて仕方がなかった。
律は私の仕事を認めて、誰よりも理解してくれていて、自分が忙しいときだって私を支えてくれていた。今回の映画化だって、怖じ気づいて固まってしまった私を暖かく解きほぐしてくれて、一番喜んでくれたのは律だった。だから、あのドレスで着飾った私も、褒めてもらえるって…あの低く掠れた声で“美しい”って、言ってもらえると思ってたのに。
ただ“不愉快”と言われたことが酷く苦しかった。涙が滲みそうになるのをぐっと堪えて、まだ明るい昼時にお日様から顔を隠して、ただ浸すら足を動かした。
「……で、どうして家出先がここなの」
「だって……頼れる友だちなんて日向しかいないもん」
土曜日の昼下がりといえば、家族団欒恋人優先の時間だということはよく分かっていたが、ここに来ざるをえなかった事情だって分かってほしい。日向がいれてくれたお茶を、眉間にシワを寄せる本田さんと向かい合って飲むことになったとしても、あの家で律と二人っきりの状況よりは幾分もましだった。
事の発端ともなったドレスの作成者である日向に話すのは気が引けたが、それでも我が親友は口を挟むことなく最後まで話を聞いてくれた。
「…まぁねー…横峯さんにはちょぉーっと、刺激が強すぎたかしらね」
「そんなこと、ないと思うけど…」
「あんたのセコムに最終チェックしなかったあたしもいけなかったわね」
「な、なんで日向までそんなこと言うのよ…」
「仕切り直すかなぁ」なんて呟く日向に焦っていると、ずっと黙り込んでいた本田さんも口を開いた。
「あとはまー…エスコートが井上さんってのも嫌なんだろうなぁ」
「それはそうかもね」
「今からでも織田に行かすか」
二人の会話が理解できなくてますます不安になる。どう考えても頭の硬い律が悪いのにどうしてここで井上さんまで出てくるのか。無意識に首を傾げてしまう。
「…ほら見てこの透の顔、分かってないのがここに一人」
「鈍感の一言じゃ済まされねーぞ」
「な、なによ…!」
この二人、なかなか近づかない距離にやきもきしていたくせに、ようやく結ばれてからは言葉少なくもお互いの考えを理解し合っているようで、なんだかちょっぴり悔しく思えた。私と律はもうすぐ付き合って10年目を迎えるというのに、今日も意図を理解しきれないことで言い争ってしまった。
「………ほんとに、“喧嘩”しちゃった…」
私の小さな呟きを拾った日向が、そっと頭を撫でてくれる。
「だから言ったでしょう?今までのは喧嘩じゃなかったのよ」
「……あんなに、怒鳴っちゃった」
落ち込みが増す私に、日向がふふっと笑って言った。
「じゃあ…鈍感なあんたにヒントをあげる」
「………ヒント?」
「そ。横峯さんがあたしの渾身のデキを“不愉快”と言った、ヒント」
その言葉に目を見開いた。もしかして日向は、律の思っていることが分かるのだろうか。私には分からないのに、本田さんまで頷いているのを見て、ますます自信をなくした。
「……自分以外の人間が愛する妻の背中に、しかも素肌に触れるなんて、横峯さんは耐えられないのよ」
「…っそれって、!」
「ふふっ…ねぇ透。近すぎると見えないことも、結構あるものなのよ」
そう言って可笑しそうに笑う日向に、私の中で張り詰めていたものが緩んでいくのが分かった。そうか、私と律は近くにいすぎたのかも。
でも、今はこの距離じゃないともう安心できないのだ。
「…………ねぇ、本田さん。お願いが…あるんだけど」
「ん?」
こんなに愛のあるヒントをもらったんだから、私も動かなきゃ。上手くいくか分からないけど、今の私は日向のドレスも、律も、絶対に手放したくないのだから。
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