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【番外編】秋川透という女
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秋川透という人は、優しさと強さを兼ね備えた素敵な人である。これは好意という贔屓目を抜きにしても、彼女と出会う人誰もが感じることであろう。その凛とした佇まいは街中を歩けば視線を奪われる魅力があり、道端で困っている人に自然と声をかけられる様は敬愛に値する。そんな彼女と出会い、恋人という立場になって8年。やっと、やっとここまで来れた。
透と出会って、私は自身がどうしようもなく情けない男であることを思い知った。それまでは何をしても結果がついてきて、苦手なことなど特に見当たらず、周りから見ればそれなりに成功と言われる人生を送ってきたし、その自覚も私にはある。だが透のこととなると怖じ気づいてしまい、その結果もう二度と経験したくない辛く苦しい思いをすることになった。いや、あの時…あの雨の日、火種を撒いたのは自分なのだから、一番辛かったのは透であって私ではないし、私であってはいけない。だがやはりそれでもものすごく、透と離れたわずか一週間が、人生の大半をつぎ込んだかのごとく長く、とてつもなく寂しい日々だったのだ。もう二度と味わいたくないと思うと同時に、透から2度と離れられない、透を2度と離すことができないのだと思い知った。
あの後隣ですやすやと眠る透を見て、やっとここまで来たと思った。やっと等と言うといかにも自分の手柄のように聞こえるが、実際は透の頑張りによるものである。人生初のプロポーズを受けた時、渡されたのは指輪ではなく、一等地付きの婚姻届だった。あんなにも熱烈なプロポーズは他にあるだろうか、いやない。透は私と違って思い立ったら動く、脳と身体が一直線に繋がっているような、そんな行動力がある。だからそういう情熱的なプロポーズができるんだろう。透のおかげで私たちはもう一度やり直すことができたし、透のおかげで私たちは結婚することができた。やはり私には透しかいなくて、透がいないと生ていけないとさえ確信を持って言えるのだ。
「…いや流石に気持ち悪いから、律」
「なにがですか」
「婚約指輪を用意しておいたのに渡せずにいたら喧嘩しちゃって相手からのプロポーズで仲直りとか、こじらせてんのお前一人だけだから」
「プロポーズがどのようなものだったか、あなたが聞いてきたんでしょう?それを気持ち悪いだなんて」
「とおるさんの意気込みと優しさは尊敬こそすれ、律のとおるさんへの感情の話をしてるんだよ」
「透がいないと生きていけないと素直に言ったまでです」
「激重ずんずん丸かよ、お前は」
正宗に随分と失礼なことを言われているが、少しは自覚のある話なので否定も肯定もしない。
「……つーか今更だけど、俺今日参加してよかったのか?」
「?なぜ」
「だって集るのほとんど、とおるさんの知り合いだろ?俺馴染めるかなぁ」
正宗は私の書斎棚を見ながらぽそりと呟くように言った。今日は正宗と、本田さん、織田くん、それから日向さんを呼んで、私たちの新居検討会を行う日であった。これは透たっての希望で、いくらハウスメーカーの建築士から助言がもらえるとしても、私たち二人だけで間取りを決定してしまわずに、気心の知れた友人たちにも見てもらってアドバイスをもらいたいという意図だ。私もそう言われて、なるほどと即答した。ハウスメーカーとの打ち合わせが進む中で、家造りは思った以上に細かいことを決めなければならないのだと、二人して思い知ったのだ。最も重要な間取りや生活動線についてはよくよく話し合いを続けているが、他者の意見を聞くことでまた新たな発見があり、また助言がもらえるととても有り難く思う。本田さんたちと面識がない正宗は、少し緊張のわかる面持ちでいる。
「本田さんも織田くんも、気心の知れた編集さんです。本もお好きなので話も合うかと思いますよ」
「まぁな、あの『春野徹』の本を一緒に作ってる編集者に会えるなんて、今でも夢じゃないなと思ってるよ」
「もう一人来る透の友人も、気さくな良い方ですから、大丈夫ですよ」
「ま、気を楽にして臨むわ」
「ぜひ、そうしてください」
ピーン……ポーン……
「…おや、本田さんたちですね。透より先に来ましたか」
「話変わるけど、お前ん家呼び鈴からして重厚感あるよな」
「気に入ったのなら次、住みますか?」
「やめろ!世の中の奴がみんな自分と同じ給料だと思うな!」
ガチャ……
「お邪魔しまーす」
「織田くん、本田さん。今日はご足労いただきありがとうございます」
「いえ!お二人の将来を担う大事な打ち合わせに呼んでいただき光栄です!」
「あー織田、お前は張り切り過ぎなんだよ…あんまり暴走すんなよ。止めるの俺なんだから」
「暴走なんてしませんよ!俺!一生懸命考えますので!…ちなみに図書館で『間取りの工夫』と『家を建てるなら100の約束』って本借りて読み漁りましたから!本田さんと違って予習ばっちりですから!」
「クソ真面目に読んでる姿が想像できちまうな。普通に考えて100の約束って多すぎるから。売れねータイトルつけやがって」
「本田さん、いきなり編集者目線なるのやめてくれません?」
本田さんは大きく溜息を一つついて、「これ、よかったら」と手土産を渡してくれた。最近駅前にできた有名なドーナツ屋の包みに、微笑ましく思うのを表に出さないようにする。本田さんも今日は随分踏み込むつもりらしい。
「紹介が遅れました。こちら私の会社の同期で、河野正宗といいます。『春野徹』のデビュー当時からのファンなんです」
「河野です。『春野徹』の作品に携わる編集の方にお会いできて光栄です」
「本田です。春野から聞いていましたよ。熱烈なファンに会って、俄然やる気が出たと言っていました」
「えー!それは嬉しい!むしろ俺が嬉しい!!」
「今日はよろしくお願いします」とお互いに挨拶を交わしてからリビングへと足を運ぶ。そろそろ日向さんを迎えに行った透が戻ってくる頃なので、見越してお茶の準備を進める。正宗は本田さんたちと本の話題で盛り上がっているようなので、少しほっとした。
……ガチャ………
「ただいまー!律ー!日向来たよー!」
「お邪魔しまーす……やだなにこの玄関。広すぎ」
「日向のオフィスには負けるでしょ」
「オフィスと家を一緒にしないでよ」
久しぶりに聞く日向さんの声に玄関へ向うと、眩しいばかりの笑顔溢れる透がそこにいた。日向さんと会えるのは透も久しぶりのようで嬉しそうだ。初めてこの家を訪れた日向さんは周りをキョロキョロとしている。
「透、おかえりなさい。日向さんもご無沙汰しています」
「こちらこそ、すっかりご無沙汰しちゃいましたね。まぁ透から嫌ってほど話は聞いてたので、久しぶりな感じは全然しないんですけどね」
「私もです」
「遅くなりましたがご結婚おめでとうございます。これみんなで飲みましょう」
そう言っていただいたワインはとても高価なもので目を開く。「あ、お祝いはまた別途改めて。これはお土産です」なんてにっこり笑う日向さんに思わず苦笑してしまう。透の周りに集まる人は優しさに満ち溢れていて、透のことをとても大事に思っていることが伝わる。
「日向さん、こちら私の会社の同期で河野正宗といいます。『春野徹』のファンでして」
「あぁ!透から聞いてます。結構熱烈なファンなんですってね」
透が身支度を整えている間に、まず日向さんに正宗を紹介しようと連だって近づくと、正宗は持っていた本を手から落とし固まっていた。
「…おい、正宗」
「っ!は、はじめまして!河野正宗です!……めちゃめちゃお綺麗ですね…」
「えぇ?ふふ、ありがとうございます」
「いや、とおるさんも美人だけど、大前さんも美人すぎますね…」
「ふふふ、面白い人。日向って呼んでください」
「えええええ!そ、そんな恐れ多い………」
正宗がじたばたと汗をかいていると、織田くんが近づいてきた。どこかウキウキしているのは気のせいか…?
「あ、あの!俺織田翔平です!本田さんの元で、春野先生についてます!よろしくお願いします!」
「あぁ君が。聞いてたとおりかわいい子ねぇ」
「あ、あの、あの!!『Hyuga』創設者って本田さんからお聞きしたんですけど!」
「えぇ。そうね」
「……え?『Hyuga』ってあの…ブランドの?」
「あら、河野さんまでご存知なの?嬉しいわぁ」
「以後、ご贔屓に」なんてきれいに微笑む日向さんにノックアウトされた二人はそのまま地面にひれ伏していた。男が二人も横になると窮屈感が出るのでやめてもらいたい。
……ガチャ……
透が書斎のドアを開けて出てきた。手には今作成中の間取り図面を持っている。私も透も仕事の合間に図面を見ては、確実性が持てずに悩みに悩んで、また仕事に戻る生活を続けてきたので少し辟易としていたが、それでも未来ある話には希望や楽しみが詰まっていて、なんとかここまで形にすることができた。私たちの夢が詰まった図面を大事そうに抱える透に思わず、その額にキスをする。
「賑やかだねぇ。みんな仲良くて嬉しい~」
「…透、本田さんからドーナツをいただきましたよ」
「えぇ!これ!駅前にできた新しいとこ?!パリから満を持して日本に進出した、あの有名なドーナツ屋さんの!!」
「そうみたいです」
「わ~!ありがとう~!本田さん気が利くぅ!日向も
食べたいって言ってたよね~!」
「…そうね、嬉しいわ…ありがとう、本田さん」
「…いや。喜んでもらえてなによりだよ」
「………え、なにこのぎこちなさ。こんなだっけ?」
「さあ、どうでしょうね」
「え?律なにか知ってるの?なんなの?」
「お茶にしましょうか。それともワインがいいかな」
「え、なによ、なんなのよ、ねぇ!」
「透、ウォークインクローゼットが1つしかないってどういうことなの?足りないわ、最低2つは必要よ」
「そんなに服持ってないよ」
「書斎に続く部屋がまるっと本棚になってるの、ロマンだよなぁ、律」
「一部屋では本が収まりきらないので」
「わ~!キッチンダイニングが一帯型なんですね!夢溢れますね!うらやましいっす!」
「織田くんいいところに目をつけるわね!ちなみにキッチン台は律の背の高さに合わせてもらってるの」
「透あんたねぇ、料理くらいしなさいよ」
「日向さん、透はいつも私の横で応援してくれますから」
「………だれがここに砂糖を撒いたの。甘ったるくてやってられないわ」
各々目をつけるところは違って、やれコンセントが少ないだの、階段の位置が悪いだの、たくさん意見を出してくれる。その全てを透は真剣な表情で聞いていて、その度に「律、どう思う?」と首を傾げて悩んでいる姿に手が伸びそうになるのを抑えて、一緒に話し合う。
「本田さんは?なにかある?」
「………いや、よく考えられてると思うな。水回りの動線の確保のされ方が単純でいいと思う」
「わ、わかってくれるぅぅぅ?!」
「は?」
驚くなかれ、本田さんが指摘した部分は、校了明けの透が目の下に隈を積み重ねながら「書きながら思いついたんだよねぇ」と一心不乱に自ら図面に線を引いた、透の思惑が全て詰め込まれた、属に言う「いかに家事を辞められるか」がテーマの配置となっている。それは後日実際に形にしてくれた建築士も驚くほど利便性にかなったものであった。単純かつ簡単にまとめられた水回りは人の移動を極端に減らし、私たちの生活リズムに合わせたよりよい動線が張られているのだ。私もこれを見たときは贔屓目なしに天才が現れたかと思った。
「さっすがそこに気づくなんて!本田さんってば一番の年長者~!!」
「……やけにムカつくな、なんだこれ」
「いやぁあのときのアドレナリン分泌量は半端なかったね。搾り取られるかと思ったね」と胸を張る透に苦笑しつつ、お茶のお代わりを準備する。
「でも本田さん、間取りの図面とか見るの好きですよね。前も休憩中見てましたよね」
「おい織田、だまれ」
「あ、でもわかります。俺も広告で入ってくる家の間取りとか、結構見ちゃいますね」
「正宗さんも?まぁ確かに、私も家建てるってなってから広告とか見るようになったけど、結構楽しいよね~」
「二人に同意。あたしならここにこういう家具置きたいーとか考えちゃう」
「「わかるぅぅ~~」」
日向さんの言葉に透と正宗が激しく同意している。そんな様子を笑いながら見ている織田くんの横で、本田さんはある一点を見つめて目を離さない。
「…置きたい家具って、例えばどんな?」
「…え?」
突然の本田さんの言葉に、その視線の先にいる日向さんもその瞳を揺らしながら本田さんを見つめる。
「…ちょ、本田さん、どしたの急に」
「悪いな春野、少し黙ってくれ。……なぁ日向さん、あんたが置きたいと思う家具はどういうのだ」
「……………そうねぇー…あたしさ、和風でモダンな家具とか好きなのよね。和室には重厚感のあるカリモクなんか置きたいし、そこに生地やレースをたくさん並べて仕事がしたいわ」
「それから?」
「椅子の生活より、畳の上や質のいいカーペットの上で座って過ごしたいわ。ベッドルームも、背の低いベッドを置いて、床に和モダンなランプを置きたいの」
「……ほかには」
「……そのベッドはセミダブルね。繋げて2つ置きたいわ」
「それは却下だ。キングかクイーンサイズにしよう。そしたら1つで足りる」
「でもあたし夜遅くまで仕事しちゃう時もあるから、1つのベッドだと起こしちゃうわ」
「その時はどうせ俺も起きてる。俺は手を繋いで寝るんじゃなくて、君を抱きしめて眠りたい」
「本田さん…」
「それ以外の願いはすべて叶える。だからいい加減、名前で呼んでくれよ。……この前の返事を聞かせてほしい」
見つめ合う二人にようやく進んだかと内心ほっとする。初めて本田さんと日向さんが出会ったのは、透の2作目の本が出来上がったばかりの頃だった。1作目の売れ行きが透の想像よりは伸びたことから、2作目発売に向けて重版をかけるかどうか、弱気な透を本田さんが口説き落としているところに、日向さんがやってきた。その日は打ち合わせ後透と二人で出かける予定があったので私もいて、日向さんは仕事の都合がついてたまたま遊びにきたのだった。
日向さんと本田さんの初対面は今でも鮮明に覚えている。二人は唯一無二の運命の如く出会ったが、決してお互いに悟られぬようにしていた。傍から見ていた私には、お互いが一目で思い合ったことはよく分かったが、透は未だに気づいていないらしい。今も目を丸くして織田くんと二人で、キョロキョロと見ている。正宗はこれでも空気を読むことには物凄く長けているので、そっと静かにフェードアウトして間取りをじっくりと見つめていた。
「…さて、透、織田くん。お茶のおかわりですよ」
「え、ちょ、ねぇ、律、どゆこと」
「いいからいいから」
「うぇ、よ、横峯さん、これ、なんのどっきり…」
「いいからいいから」
「お、律!それさっき言ってたドーナツじゃん!うまそーもらっていい?」
「お好きなのをどうぞ。早いもの勝ちですよ」
「え、やだ!私も選ぶ!」
「あ、お、俺も!!」
秋川透という人は単純で、鈍感で、とても可愛らしい人である。年下の織田くんと並んで、二人してドーナツに目をキラキラさせていると、耳としっぽが付いているのかも疑ってしまう。このまま健やかに愛らしく、透が透らしくいられるように。その横には私がいつまでもついていられるように。これからも二人で歩んでいきたいと願っている。
「激重ずんずん丸かよ、お前は」
「そろそろワインの時間ですかね」
「それは俺も賛成」
その後、本田さんと日向さんがどうなったのかは、また後日改めて。
これまで毎日更新をしていましたが、
一度この話をもって更新が止まります。
まだ書きかけの番外編もありますので、
投稿した際は楽しんでいただけたら幸いです。
多数の感想、お気に入り登録、
本当にありがとうございました。
とても励みになりました。
これからも頑張ります。
今後とも五四餡をよろしくお願いします❀
こしあん
透と出会って、私は自身がどうしようもなく情けない男であることを思い知った。それまでは何をしても結果がついてきて、苦手なことなど特に見当たらず、周りから見ればそれなりに成功と言われる人生を送ってきたし、その自覚も私にはある。だが透のこととなると怖じ気づいてしまい、その結果もう二度と経験したくない辛く苦しい思いをすることになった。いや、あの時…あの雨の日、火種を撒いたのは自分なのだから、一番辛かったのは透であって私ではないし、私であってはいけない。だがやはりそれでもものすごく、透と離れたわずか一週間が、人生の大半をつぎ込んだかのごとく長く、とてつもなく寂しい日々だったのだ。もう二度と味わいたくないと思うと同時に、透から2度と離れられない、透を2度と離すことができないのだと思い知った。
あの後隣ですやすやと眠る透を見て、やっとここまで来たと思った。やっと等と言うといかにも自分の手柄のように聞こえるが、実際は透の頑張りによるものである。人生初のプロポーズを受けた時、渡されたのは指輪ではなく、一等地付きの婚姻届だった。あんなにも熱烈なプロポーズは他にあるだろうか、いやない。透は私と違って思い立ったら動く、脳と身体が一直線に繋がっているような、そんな行動力がある。だからそういう情熱的なプロポーズができるんだろう。透のおかげで私たちはもう一度やり直すことができたし、透のおかげで私たちは結婚することができた。やはり私には透しかいなくて、透がいないと生ていけないとさえ確信を持って言えるのだ。
「…いや流石に気持ち悪いから、律」
「なにがですか」
「婚約指輪を用意しておいたのに渡せずにいたら喧嘩しちゃって相手からのプロポーズで仲直りとか、こじらせてんのお前一人だけだから」
「プロポーズがどのようなものだったか、あなたが聞いてきたんでしょう?それを気持ち悪いだなんて」
「とおるさんの意気込みと優しさは尊敬こそすれ、律のとおるさんへの感情の話をしてるんだよ」
「透がいないと生きていけないと素直に言ったまでです」
「激重ずんずん丸かよ、お前は」
正宗に随分と失礼なことを言われているが、少しは自覚のある話なので否定も肯定もしない。
「……つーか今更だけど、俺今日参加してよかったのか?」
「?なぜ」
「だって集るのほとんど、とおるさんの知り合いだろ?俺馴染めるかなぁ」
正宗は私の書斎棚を見ながらぽそりと呟くように言った。今日は正宗と、本田さん、織田くん、それから日向さんを呼んで、私たちの新居検討会を行う日であった。これは透たっての希望で、いくらハウスメーカーの建築士から助言がもらえるとしても、私たち二人だけで間取りを決定してしまわずに、気心の知れた友人たちにも見てもらってアドバイスをもらいたいという意図だ。私もそう言われて、なるほどと即答した。ハウスメーカーとの打ち合わせが進む中で、家造りは思った以上に細かいことを決めなければならないのだと、二人して思い知ったのだ。最も重要な間取りや生活動線についてはよくよく話し合いを続けているが、他者の意見を聞くことでまた新たな発見があり、また助言がもらえるととても有り難く思う。本田さんたちと面識がない正宗は、少し緊張のわかる面持ちでいる。
「本田さんも織田くんも、気心の知れた編集さんです。本もお好きなので話も合うかと思いますよ」
「まぁな、あの『春野徹』の本を一緒に作ってる編集者に会えるなんて、今でも夢じゃないなと思ってるよ」
「もう一人来る透の友人も、気さくな良い方ですから、大丈夫ですよ」
「ま、気を楽にして臨むわ」
「ぜひ、そうしてください」
ピーン……ポーン……
「…おや、本田さんたちですね。透より先に来ましたか」
「話変わるけど、お前ん家呼び鈴からして重厚感あるよな」
「気に入ったのなら次、住みますか?」
「やめろ!世の中の奴がみんな自分と同じ給料だと思うな!」
ガチャ……
「お邪魔しまーす」
「織田くん、本田さん。今日はご足労いただきありがとうございます」
「いえ!お二人の将来を担う大事な打ち合わせに呼んでいただき光栄です!」
「あー織田、お前は張り切り過ぎなんだよ…あんまり暴走すんなよ。止めるの俺なんだから」
「暴走なんてしませんよ!俺!一生懸命考えますので!…ちなみに図書館で『間取りの工夫』と『家を建てるなら100の約束』って本借りて読み漁りましたから!本田さんと違って予習ばっちりですから!」
「クソ真面目に読んでる姿が想像できちまうな。普通に考えて100の約束って多すぎるから。売れねータイトルつけやがって」
「本田さん、いきなり編集者目線なるのやめてくれません?」
本田さんは大きく溜息を一つついて、「これ、よかったら」と手土産を渡してくれた。最近駅前にできた有名なドーナツ屋の包みに、微笑ましく思うのを表に出さないようにする。本田さんも今日は随分踏み込むつもりらしい。
「紹介が遅れました。こちら私の会社の同期で、河野正宗といいます。『春野徹』のデビュー当時からのファンなんです」
「河野です。『春野徹』の作品に携わる編集の方にお会いできて光栄です」
「本田です。春野から聞いていましたよ。熱烈なファンに会って、俄然やる気が出たと言っていました」
「えー!それは嬉しい!むしろ俺が嬉しい!!」
「今日はよろしくお願いします」とお互いに挨拶を交わしてからリビングへと足を運ぶ。そろそろ日向さんを迎えに行った透が戻ってくる頃なので、見越してお茶の準備を進める。正宗は本田さんたちと本の話題で盛り上がっているようなので、少しほっとした。
……ガチャ………
「ただいまー!律ー!日向来たよー!」
「お邪魔しまーす……やだなにこの玄関。広すぎ」
「日向のオフィスには負けるでしょ」
「オフィスと家を一緒にしないでよ」
久しぶりに聞く日向さんの声に玄関へ向うと、眩しいばかりの笑顔溢れる透がそこにいた。日向さんと会えるのは透も久しぶりのようで嬉しそうだ。初めてこの家を訪れた日向さんは周りをキョロキョロとしている。
「透、おかえりなさい。日向さんもご無沙汰しています」
「こちらこそ、すっかりご無沙汰しちゃいましたね。まぁ透から嫌ってほど話は聞いてたので、久しぶりな感じは全然しないんですけどね」
「私もです」
「遅くなりましたがご結婚おめでとうございます。これみんなで飲みましょう」
そう言っていただいたワインはとても高価なもので目を開く。「あ、お祝いはまた別途改めて。これはお土産です」なんてにっこり笑う日向さんに思わず苦笑してしまう。透の周りに集まる人は優しさに満ち溢れていて、透のことをとても大事に思っていることが伝わる。
「日向さん、こちら私の会社の同期で河野正宗といいます。『春野徹』のファンでして」
「あぁ!透から聞いてます。結構熱烈なファンなんですってね」
透が身支度を整えている間に、まず日向さんに正宗を紹介しようと連だって近づくと、正宗は持っていた本を手から落とし固まっていた。
「…おい、正宗」
「っ!は、はじめまして!河野正宗です!……めちゃめちゃお綺麗ですね…」
「えぇ?ふふ、ありがとうございます」
「いや、とおるさんも美人だけど、大前さんも美人すぎますね…」
「ふふふ、面白い人。日向って呼んでください」
「えええええ!そ、そんな恐れ多い………」
正宗がじたばたと汗をかいていると、織田くんが近づいてきた。どこかウキウキしているのは気のせいか…?
「あ、あの!俺織田翔平です!本田さんの元で、春野先生についてます!よろしくお願いします!」
「あぁ君が。聞いてたとおりかわいい子ねぇ」
「あ、あの、あの!!『Hyuga』創設者って本田さんからお聞きしたんですけど!」
「えぇ。そうね」
「……え?『Hyuga』ってあの…ブランドの?」
「あら、河野さんまでご存知なの?嬉しいわぁ」
「以後、ご贔屓に」なんてきれいに微笑む日向さんにノックアウトされた二人はそのまま地面にひれ伏していた。男が二人も横になると窮屈感が出るのでやめてもらいたい。
……ガチャ……
透が書斎のドアを開けて出てきた。手には今作成中の間取り図面を持っている。私も透も仕事の合間に図面を見ては、確実性が持てずに悩みに悩んで、また仕事に戻る生活を続けてきたので少し辟易としていたが、それでも未来ある話には希望や楽しみが詰まっていて、なんとかここまで形にすることができた。私たちの夢が詰まった図面を大事そうに抱える透に思わず、その額にキスをする。
「賑やかだねぇ。みんな仲良くて嬉しい~」
「…透、本田さんからドーナツをいただきましたよ」
「えぇ!これ!駅前にできた新しいとこ?!パリから満を持して日本に進出した、あの有名なドーナツ屋さんの!!」
「そうみたいです」
「わ~!ありがとう~!本田さん気が利くぅ!日向も
食べたいって言ってたよね~!」
「…そうね、嬉しいわ…ありがとう、本田さん」
「…いや。喜んでもらえてなによりだよ」
「………え、なにこのぎこちなさ。こんなだっけ?」
「さあ、どうでしょうね」
「え?律なにか知ってるの?なんなの?」
「お茶にしましょうか。それともワインがいいかな」
「え、なによ、なんなのよ、ねぇ!」
「透、ウォークインクローゼットが1つしかないってどういうことなの?足りないわ、最低2つは必要よ」
「そんなに服持ってないよ」
「書斎に続く部屋がまるっと本棚になってるの、ロマンだよなぁ、律」
「一部屋では本が収まりきらないので」
「わ~!キッチンダイニングが一帯型なんですね!夢溢れますね!うらやましいっす!」
「織田くんいいところに目をつけるわね!ちなみにキッチン台は律の背の高さに合わせてもらってるの」
「透あんたねぇ、料理くらいしなさいよ」
「日向さん、透はいつも私の横で応援してくれますから」
「………だれがここに砂糖を撒いたの。甘ったるくてやってられないわ」
各々目をつけるところは違って、やれコンセントが少ないだの、階段の位置が悪いだの、たくさん意見を出してくれる。その全てを透は真剣な表情で聞いていて、その度に「律、どう思う?」と首を傾げて悩んでいる姿に手が伸びそうになるのを抑えて、一緒に話し合う。
「本田さんは?なにかある?」
「………いや、よく考えられてると思うな。水回りの動線の確保のされ方が単純でいいと思う」
「わ、わかってくれるぅぅぅ?!」
「は?」
驚くなかれ、本田さんが指摘した部分は、校了明けの透が目の下に隈を積み重ねながら「書きながら思いついたんだよねぇ」と一心不乱に自ら図面に線を引いた、透の思惑が全て詰め込まれた、属に言う「いかに家事を辞められるか」がテーマの配置となっている。それは後日実際に形にしてくれた建築士も驚くほど利便性にかなったものであった。単純かつ簡単にまとめられた水回りは人の移動を極端に減らし、私たちの生活リズムに合わせたよりよい動線が張られているのだ。私もこれを見たときは贔屓目なしに天才が現れたかと思った。
「さっすがそこに気づくなんて!本田さんってば一番の年長者~!!」
「……やけにムカつくな、なんだこれ」
「いやぁあのときのアドレナリン分泌量は半端なかったね。搾り取られるかと思ったね」と胸を張る透に苦笑しつつ、お茶のお代わりを準備する。
「でも本田さん、間取りの図面とか見るの好きですよね。前も休憩中見てましたよね」
「おい織田、だまれ」
「あ、でもわかります。俺も広告で入ってくる家の間取りとか、結構見ちゃいますね」
「正宗さんも?まぁ確かに、私も家建てるってなってから広告とか見るようになったけど、結構楽しいよね~」
「二人に同意。あたしならここにこういう家具置きたいーとか考えちゃう」
「「わかるぅぅ~~」」
日向さんの言葉に透と正宗が激しく同意している。そんな様子を笑いながら見ている織田くんの横で、本田さんはある一点を見つめて目を離さない。
「…置きたい家具って、例えばどんな?」
「…え?」
突然の本田さんの言葉に、その視線の先にいる日向さんもその瞳を揺らしながら本田さんを見つめる。
「…ちょ、本田さん、どしたの急に」
「悪いな春野、少し黙ってくれ。……なぁ日向さん、あんたが置きたいと思う家具はどういうのだ」
「……………そうねぇー…あたしさ、和風でモダンな家具とか好きなのよね。和室には重厚感のあるカリモクなんか置きたいし、そこに生地やレースをたくさん並べて仕事がしたいわ」
「それから?」
「椅子の生活より、畳の上や質のいいカーペットの上で座って過ごしたいわ。ベッドルームも、背の低いベッドを置いて、床に和モダンなランプを置きたいの」
「……ほかには」
「……そのベッドはセミダブルね。繋げて2つ置きたいわ」
「それは却下だ。キングかクイーンサイズにしよう。そしたら1つで足りる」
「でもあたし夜遅くまで仕事しちゃう時もあるから、1つのベッドだと起こしちゃうわ」
「その時はどうせ俺も起きてる。俺は手を繋いで寝るんじゃなくて、君を抱きしめて眠りたい」
「本田さん…」
「それ以外の願いはすべて叶える。だからいい加減、名前で呼んでくれよ。……この前の返事を聞かせてほしい」
見つめ合う二人にようやく進んだかと内心ほっとする。初めて本田さんと日向さんが出会ったのは、透の2作目の本が出来上がったばかりの頃だった。1作目の売れ行きが透の想像よりは伸びたことから、2作目発売に向けて重版をかけるかどうか、弱気な透を本田さんが口説き落としているところに、日向さんがやってきた。その日は打ち合わせ後透と二人で出かける予定があったので私もいて、日向さんは仕事の都合がついてたまたま遊びにきたのだった。
日向さんと本田さんの初対面は今でも鮮明に覚えている。二人は唯一無二の運命の如く出会ったが、決してお互いに悟られぬようにしていた。傍から見ていた私には、お互いが一目で思い合ったことはよく分かったが、透は未だに気づいていないらしい。今も目を丸くして織田くんと二人で、キョロキョロと見ている。正宗はこれでも空気を読むことには物凄く長けているので、そっと静かにフェードアウトして間取りをじっくりと見つめていた。
「…さて、透、織田くん。お茶のおかわりですよ」
「え、ちょ、ねぇ、律、どゆこと」
「いいからいいから」
「うぇ、よ、横峯さん、これ、なんのどっきり…」
「いいからいいから」
「お、律!それさっき言ってたドーナツじゃん!うまそーもらっていい?」
「お好きなのをどうぞ。早いもの勝ちですよ」
「え、やだ!私も選ぶ!」
「あ、お、俺も!!」
秋川透という人は単純で、鈍感で、とても可愛らしい人である。年下の織田くんと並んで、二人してドーナツに目をキラキラさせていると、耳としっぽが付いているのかも疑ってしまう。このまま健やかに愛らしく、透が透らしくいられるように。その横には私がいつまでもついていられるように。これからも二人で歩んでいきたいと願っている。
「激重ずんずん丸かよ、お前は」
「そろそろワインの時間ですかね」
「それは俺も賛成」
その後、本田さんと日向さんがどうなったのかは、また後日改めて。
これまで毎日更新をしていましたが、
一度この話をもって更新が止まります。
まだ書きかけの番外編もありますので、
投稿した際は楽しんでいただけたら幸いです。
多数の感想、お気に入り登録、
本当にありがとうございました。
とても励みになりました。
これからも頑張ります。
今後とも五四餡をよろしくお願いします❀
こしあん
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その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
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