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…コトン…
「…ほら、穂起きて。まったく、いい年して朝帰りなんてするから」
「…いやほんと、カラオケオールなんてするもんじゃないね…」
頭がぼーっとしている私に俊兄が温かいコーヒーを出してくれた。昨夜カフェでコーヒーを一杯飲んだら帰るつもりでいたのに、まさかあの若者二人がエンジニア志望とは思いもよらず。プログラムの話をしだしたら止まらなくなっちゃってまんまとカラオケで一晩中語り明かしてしまった。真面目で知識量も豊富で、斬新な考え方を持つ彼らと話す内容はなかなかコアなものだったが、それが本当に楽しくて、思わず連絡先を交換してしまう程には仲良くなった。うちの会社に来てくれないかな。社長は鬼だけどいい会社だよって言っておいたから、就活始まったらエントリーしてくれるといいな。なんなら私がコネ入社させてあげたいくらいだ。そんな権力は欠片もないけれど。
「全く、知らないおじさんには付いていくなって言い聞かせてきたけど、知らない若者に付いていっちゃうとは思わなかったよ」
「俊の言うとおりだぞ。危ないことだとちゃんと分かってるのか?」
「そもそも会社の先輩と遊びに行って、なーんで学生とカラオケしてんの」
「情報工学部の子たちと語り尽くして楽しかったー、なんて言われて、よかったな、で済むと思ってるのか?」
「もちろん穂の身の危険だってあるけれど、若者とオールなんて下手したら穂が捕まっちゃうことだよ」
「相手が未成年じゃなくてよかったが、年長者としてはあまり感心できる行いではないぞ」
「…ごめんなさい、お父さんお母さん」
「お母さんだって?」
「だれがお父さんだ」
「「え?」」
「さーて、仕事行ってきまーす」
「寝てないんだし、今日は早く帰っておいでよ」と俊母さんの有り難いお言葉にあくびで返して家を出た。確かに眠さとだるさはMAX値を示しているが、それでも彼のことを考えなくていい夜を過ごせたのは私にとって幸いだった。
あのドリアのお店を出てから、冬木部長と金本さんがどうなったのかは知らない。ただ冬木部長からは何度か電話がきていたけれど、その時すでにカラオケで熱く語り合っている時だったから、当たり障りのないメッセージで返しておいた。どこにいるのかと連絡が来たが言えるはずもなく、結局最後には「また月曜日に」と締めくくられたメッセージを受け取って終わっている。彼から、特にあの件でなにかを言われることはなかった。微妙な感じで解散になったが、あれが正解だったと今でも思っている。私も彼も何も間違ったことはしていない。
ただ私の胸の奥は依然として乾いたままで、飲み込んでも潤されない箇所がじくじくと痛む。あぁやだなぁ、行きたくない。
「………会社、行きたくないなぁ…」
なんだか不穏な気持ちに陥っているのは、寝不足のせいだろうか。穏やかに一日が終えられるよう願いながら、会社のエントランスへと足を踏み出した。
「だーあー!もう、うまくいかねー!なんだなんだ何がおかしいんだー!」
お昼休憩中にも関わらず、PCにかじりつく蒼汰くんの叫び声がフロア中に響いた。
「うるっさいわよ蒼汰!お金の計算してんだから静かにしてちょうだい!」
「楓先輩交代してくださいよ、おれ経理するんで、こっちやってください」
「いやよ冬木と仕事なんて!考えただけで胃に穴が空くわ」
「もー俺痛めつけられすぎて血吐きそうっすよ。なんすかあの人。無茶しか言わねー」
「だから!人を人とも思わないどクズだって言ってんのよ!自分以外の人間は適度に動く駒か餌か位にしか思ってないのよあいつは!」
「もー無理。焼きそばパン買ってこいって言われる方がマシ」
「そんなこと言って、その内ホントに焼きそばパン要員にさせられても知らないわよ」
「焼きそばパンで思い出したんですけど、また俺のプリンないんですけど知りません?」
「知らないわよ!あんたプリン買いすぎよ!!」
「結局一回も食べれてないんだから、買うに決まってるじゃないっすか!」
仕事の愚痴を言うかと思いきや雲行きはどんどん怪しくなり、最終的には冬木部長の悪口に行き着くところが二人らしくて笑ってしまう。あのクールで卒なくなんなとこなす蒼汰くんが血を吐く思いで頑張ってるのを聞くと、彼の鬼神ぶりは噂に留まることはないのだろう。それにこの話を課長がにこやかに聞いていたのも見ると、冬木部長とはこの課長が育て上げた人だったなと改めて思い直すのだ。触らぬ神に祟りなしとはこのことだ。
時刻は12:47。
prrrr…prrrr……
「っ、来たわね…」
ガチャッ…
「っもしもし?!あんたねー、ほんといい加減に」
プッ…ツー…ツー
「だあーーーーー!もーーーー!なんなのよ!何が目的なのよ!もーーー!いやー!!!」
「穂先輩、コレなんとかならないんですか?」
「うーん……毎回かけてくる番号が違う以上、誰かを特定するのはなぁ…外線とかなら解析ソフト使ってもいいけど、多分この短さは間に合わないんだよね。もう少し通話時間を引っ張れたらいいんだけど」
「短気な楓先輩には無理な話ですね」
「おい聞こえてんだぞ蒼汰このやろう。あんたなんか冬木にこき使われて血反吐でも吐いてやがれ」
「やだやだやだもう仕事したくないあの人と組みたくないプロジェクト降りたい」
「だいぶメンタルやられてるわねあんた」
「俺のプリン」
「プリンは諦めな」
この無言電話については課長も上に報告してくれているが、いかんせん調査する人も足りておらず、後回しになっている結果、穂先輩は精神をすり減らしている。ついでになぜか蒼汰くんも企画開発部でもみにもまれて参っているところにプリン紛失事件も重なって、システム開発課には鬱々とした空気が流れていた。
「企画開発部いってきま~す」と項垂れながらフロアを後にした蒼汰くんを見送り、自身の仕事に取り掛かる。昨日のこともあり、知らず知らずのうちにため息をついてしまうのも、この空気の原因の一つだと思い至り、仕事は仕事と割り切ってPCに向かった。午後も頑張ろう、と気合を入れ直して。
ただ、こういう日に限ってトラブルというものは起きるのだと、後ほど身を持って知ることとなる。
ビー…ビー…ビー……システム異常あり…本機サーバーダウンします…ビー…ビー…ビー…
「っ!」
突然社内中にアラームが鳴り響くと同時に、すぐにファイルを開いて全PCの使用状況を確認する。全機各々の個人IDでログインさせているので、PCの識別番号やデスクの物品管理番号、それに連携されている個人IDのログを辿れば、トラブルの火元はすぐに分かる。未だ鳴り響くアラームに課長と楓先輩にも緊張が走った。社内中に鳴り響くよう設定してあるこのアラームが鳴っているのだ、無理もない。普段は課内でしか設定されていない警報音が全フロアに鳴るということは、これがすなわち最大級のシステム警戒アラームである。
prrrr…ガチャッ…
「はい。システム開発課山色です」
『、っ!穂先輩…!』
内線から聞こえてきた慌てた蒼汰くんの声に、すぐにスピーカーに切り替える。その場にいた課長と楓先輩も電話を凝視していた。
「蒼汰くん。どうしたの」
『…すみません、やられました。…発信源はここです』
この不快な音は社内システム及び本機サーバーにトラブル、それもハッキングやウイルスによる侵入を許した際に鳴るアラームだった。火元は企画開発部のPCからである。
「原因は?」
『当事者曰く、取引先からもらったらしいUSBを差し込み、ファイルを開いたそうです』
「…なるほどね」
『今侵入を抑え込むのに手一杯で…』
「そっちで作業した方がいいわね。メインシステムと本機サーバーだけは守って。私もすぐに行く」
『っす』
……プツッ…
「楓先輩は、全社員向けにデータ保護のアナウンスをしてください。今より5分後に全機、サーバー解離後に強制シャットダウンします」
「わかったわ」
「なら僕は社長と人事部と話を詰めてくるよ。それで………相手がどこの誰かってわかるのかな」
「必ず」
課長の言葉は問いかけではなく決定事項だった。挨拶もなく不法侵入してきたならず者を突き止めることが私の任務だ。こういう時のために、私はここにいる。険しい顔の課長に一つ頷きを返して、鞄から自分のPCとディスクを一枚取り出した私は、エレベーターホールへと向かった。
楓先輩の社内アナウンスを聞きながら企画開発部のある4階につくと、そこはバタバタ走り回る足音や人の話し声で溢れかえっていた。中には「どう責任を取るつもりだ!」と怒鳴る声や「そんなつもりはなかった!」と叫ぶ金切り声も聞こえて思わず眉間にシワが寄る。また「責任」だ。責任追及の前にまず今すべきことがあるだろうに。
…コンコン……
「システム開発課の山色です」
「…、!先輩、こっちです」
「おい、山色って…あの?」
「あぁ。コネ入社で入ったっていう」
「社長のお気に入りじゃん」
入室と同時に一気に静まり返りひそひそと話される声と、じとりと見つめられる視線を気にせず、蒼汰くんのもとへ歩みを進める。問題となっているPCは真っ黒な画面に文字が羅列され、画面上部には数字のカウントが進んでいた。
「…USBを挿してファイルを開いたら、なんて…手口は簡単なものですけど、なかなかえげつないもん仕込んできましたよ」
「蒼汰くんが食い止めててこれ?相当だね」
画面上では毎秒10桁の数字がカウントされている。多少はましになるかと自作のアプリを入れたCD-ROMを差し込むと、忙しなく動く数字は落ち着きを見せ、毎秒1桁のカウントへと変わる。
「見たところ、部のフォルダまでは全滅かと」
「上等ね」
強制シャットダウンのアナウンスもそろそろかと腕時計を見たとき、左側の空気が揺れたと同時に頬に衝撃が走った。
バチン!………
「…ほんっと気にくわないわね!上等ですって?!」
「ちょ、先輩…!…っあんたなにやってんだ!」
「うるさい!全滅とか上等とか…っなにがシステム開発課よ!いつも閉じこもってこそこそいじってるだけのPCオタクが!早くどうにかしなさいよ!!」
フロアに向かう途中に聞こえた金切り声に既視感を抱いたのは、この人だったのかと納得した。金本美鈴。個人IDの解析によれば、この問題になっているPCの持ち主。
―さすが、冬木の"お気に入り"―
不意に楓先輩の言葉が頭をよぎって、急いで頭の中から消し去る。PCオタクだって?そんなこと3年前システム開発課ができた当初に散々言われた言葉じゃないか。
息を一つ吐いて整える。ざわつく周りと彼女から私を守るように前に立ちはだかる蒼汰くんの腕をとり、彼の顔を見て一つ頷きを返す。蒼汰くんの顔があまりに苦しそうに歪められているので苦笑した。殴られた私より痛そうな顔をする彼の肩を優しく撫でる。それから彼女の目をまっすぐ見据えて問いかけた。
「…この数字のカウントが分かりますか」
自分のしでかしたことへの反省があるのか分からないが、強気な口調と態度の裏側に怯えが見られる。
「は、はぁ?なによいきなり、」
「これは現在ハッキングによって書き換えられているファイルの数です」
「っ、え?」
「書き換えられたものは二度と戻りません。契約書、プレゼン資料、今まで社の人間が作り上げてきた実績が無作為に無くなっていき、今なお消え続けています」
「っだから!すぐなんとかしなさいよ!」
揺れる瞳になんの感情も抱けないあたり、私も冷たい人間だなと自嘲する。
「今はそのスピードを抑えていますが、それさえしなければ既にすべてのプログラムが書き換えられて、データ諸共盗まれているところです。盗まれるのは何もデータだけではありません。社員の個人情報…氏名住所から給与明細までコピーされて億単位の金で売買されるでしょうね。今や携帯電話番号1つでその人の仕事や家族構成まで全て把握できる時代ですから。……随分いい餌になりましたね」
「っ!!」
「だから、安易に外部ディスクを挿すなと規約にあるんですよ。ましてや外の人から貰ったUSBだなんて、"PCばかりいじってるオタク"からすれば、時限爆弾でしかないのに」
「っ!あ、あたし…そんなつもりじゃ…!」
「無知なあなたが、全社員の人生を脅かすようなことをした事実を、その目でしっかり見てくださいね」
ストンとその場に座り込んだ彼女を一瞥してデスクに座り目の前のPCに集中する。同時に個人PCも起動させていると、他の社員が話しかけてきた。
「あ、あんたは一体なにするんだ?」
「私の仕事をするまでです。"エンジニア"ですから」
「消えたデータってのは戻るのか!」
「どうでしょうね。…現段階ではこのPC内部の個人データと、部のフォルダ内のものが全滅しています」
「な、なんだって?!」
「ぶ、部長はどうした!」
「外です!既に連絡済みですが…」
「あああ、大変なことになった…」
一気にザワつく室内を尻目に腕時計を見やる。そろそろ準備ができたころか。それと同時にシステムアナウンスが鳴った。
『これより全機強制シャットダウンに入ります』
人の多い空間に慣れていない私にとって、今はこの機械めいた声の方が耳に心地良い。真剣な表情の蒼汰くんがこちらを見つめる。
「……どこまでやりますか」
「9割の復元と爆撃犯のつきとめまでかな」
メインシステムは守られている。それも蒼汰くんがすぐに対応してくれたおかげだ。彼ほどのエンジニアと共に仕事ができることを誇りに思う。でもここからは彼の分野ではない。私の仕事だ。
さて。はじめようか。
「…ほら、穂起きて。まったく、いい年して朝帰りなんてするから」
「…いやほんと、カラオケオールなんてするもんじゃないね…」
頭がぼーっとしている私に俊兄が温かいコーヒーを出してくれた。昨夜カフェでコーヒーを一杯飲んだら帰るつもりでいたのに、まさかあの若者二人がエンジニア志望とは思いもよらず。プログラムの話をしだしたら止まらなくなっちゃってまんまとカラオケで一晩中語り明かしてしまった。真面目で知識量も豊富で、斬新な考え方を持つ彼らと話す内容はなかなかコアなものだったが、それが本当に楽しくて、思わず連絡先を交換してしまう程には仲良くなった。うちの会社に来てくれないかな。社長は鬼だけどいい会社だよって言っておいたから、就活始まったらエントリーしてくれるといいな。なんなら私がコネ入社させてあげたいくらいだ。そんな権力は欠片もないけれど。
「全く、知らないおじさんには付いていくなって言い聞かせてきたけど、知らない若者に付いていっちゃうとは思わなかったよ」
「俊の言うとおりだぞ。危ないことだとちゃんと分かってるのか?」
「そもそも会社の先輩と遊びに行って、なーんで学生とカラオケしてんの」
「情報工学部の子たちと語り尽くして楽しかったー、なんて言われて、よかったな、で済むと思ってるのか?」
「もちろん穂の身の危険だってあるけれど、若者とオールなんて下手したら穂が捕まっちゃうことだよ」
「相手が未成年じゃなくてよかったが、年長者としてはあまり感心できる行いではないぞ」
「…ごめんなさい、お父さんお母さん」
「お母さんだって?」
「だれがお父さんだ」
「「え?」」
「さーて、仕事行ってきまーす」
「寝てないんだし、今日は早く帰っておいでよ」と俊母さんの有り難いお言葉にあくびで返して家を出た。確かに眠さとだるさはMAX値を示しているが、それでも彼のことを考えなくていい夜を過ごせたのは私にとって幸いだった。
あのドリアのお店を出てから、冬木部長と金本さんがどうなったのかは知らない。ただ冬木部長からは何度か電話がきていたけれど、その時すでにカラオケで熱く語り合っている時だったから、当たり障りのないメッセージで返しておいた。どこにいるのかと連絡が来たが言えるはずもなく、結局最後には「また月曜日に」と締めくくられたメッセージを受け取って終わっている。彼から、特にあの件でなにかを言われることはなかった。微妙な感じで解散になったが、あれが正解だったと今でも思っている。私も彼も何も間違ったことはしていない。
ただ私の胸の奥は依然として乾いたままで、飲み込んでも潤されない箇所がじくじくと痛む。あぁやだなぁ、行きたくない。
「………会社、行きたくないなぁ…」
なんだか不穏な気持ちに陥っているのは、寝不足のせいだろうか。穏やかに一日が終えられるよう願いながら、会社のエントランスへと足を踏み出した。
「だーあー!もう、うまくいかねー!なんだなんだ何がおかしいんだー!」
お昼休憩中にも関わらず、PCにかじりつく蒼汰くんの叫び声がフロア中に響いた。
「うるっさいわよ蒼汰!お金の計算してんだから静かにしてちょうだい!」
「楓先輩交代してくださいよ、おれ経理するんで、こっちやってください」
「いやよ冬木と仕事なんて!考えただけで胃に穴が空くわ」
「もー俺痛めつけられすぎて血吐きそうっすよ。なんすかあの人。無茶しか言わねー」
「だから!人を人とも思わないどクズだって言ってんのよ!自分以外の人間は適度に動く駒か餌か位にしか思ってないのよあいつは!」
「もー無理。焼きそばパン買ってこいって言われる方がマシ」
「そんなこと言って、その内ホントに焼きそばパン要員にさせられても知らないわよ」
「焼きそばパンで思い出したんですけど、また俺のプリンないんですけど知りません?」
「知らないわよ!あんたプリン買いすぎよ!!」
「結局一回も食べれてないんだから、買うに決まってるじゃないっすか!」
仕事の愚痴を言うかと思いきや雲行きはどんどん怪しくなり、最終的には冬木部長の悪口に行き着くところが二人らしくて笑ってしまう。あのクールで卒なくなんなとこなす蒼汰くんが血を吐く思いで頑張ってるのを聞くと、彼の鬼神ぶりは噂に留まることはないのだろう。それにこの話を課長がにこやかに聞いていたのも見ると、冬木部長とはこの課長が育て上げた人だったなと改めて思い直すのだ。触らぬ神に祟りなしとはこのことだ。
時刻は12:47。
prrrr…prrrr……
「っ、来たわね…」
ガチャッ…
「っもしもし?!あんたねー、ほんといい加減に」
プッ…ツー…ツー
「だあーーーーー!もーーーー!なんなのよ!何が目的なのよ!もーーー!いやー!!!」
「穂先輩、コレなんとかならないんですか?」
「うーん……毎回かけてくる番号が違う以上、誰かを特定するのはなぁ…外線とかなら解析ソフト使ってもいいけど、多分この短さは間に合わないんだよね。もう少し通話時間を引っ張れたらいいんだけど」
「短気な楓先輩には無理な話ですね」
「おい聞こえてんだぞ蒼汰このやろう。あんたなんか冬木にこき使われて血反吐でも吐いてやがれ」
「やだやだやだもう仕事したくないあの人と組みたくないプロジェクト降りたい」
「だいぶメンタルやられてるわねあんた」
「俺のプリン」
「プリンは諦めな」
この無言電話については課長も上に報告してくれているが、いかんせん調査する人も足りておらず、後回しになっている結果、穂先輩は精神をすり減らしている。ついでになぜか蒼汰くんも企画開発部でもみにもまれて参っているところにプリン紛失事件も重なって、システム開発課には鬱々とした空気が流れていた。
「企画開発部いってきま~す」と項垂れながらフロアを後にした蒼汰くんを見送り、自身の仕事に取り掛かる。昨日のこともあり、知らず知らずのうちにため息をついてしまうのも、この空気の原因の一つだと思い至り、仕事は仕事と割り切ってPCに向かった。午後も頑張ろう、と気合を入れ直して。
ただ、こういう日に限ってトラブルというものは起きるのだと、後ほど身を持って知ることとなる。
ビー…ビー…ビー……システム異常あり…本機サーバーダウンします…ビー…ビー…ビー…
「っ!」
突然社内中にアラームが鳴り響くと同時に、すぐにファイルを開いて全PCの使用状況を確認する。全機各々の個人IDでログインさせているので、PCの識別番号やデスクの物品管理番号、それに連携されている個人IDのログを辿れば、トラブルの火元はすぐに分かる。未だ鳴り響くアラームに課長と楓先輩にも緊張が走った。社内中に鳴り響くよう設定してあるこのアラームが鳴っているのだ、無理もない。普段は課内でしか設定されていない警報音が全フロアに鳴るということは、これがすなわち最大級のシステム警戒アラームである。
prrrr…ガチャッ…
「はい。システム開発課山色です」
『、っ!穂先輩…!』
内線から聞こえてきた慌てた蒼汰くんの声に、すぐにスピーカーに切り替える。その場にいた課長と楓先輩も電話を凝視していた。
「蒼汰くん。どうしたの」
『…すみません、やられました。…発信源はここです』
この不快な音は社内システム及び本機サーバーにトラブル、それもハッキングやウイルスによる侵入を許した際に鳴るアラームだった。火元は企画開発部のPCからである。
「原因は?」
『当事者曰く、取引先からもらったらしいUSBを差し込み、ファイルを開いたそうです』
「…なるほどね」
『今侵入を抑え込むのに手一杯で…』
「そっちで作業した方がいいわね。メインシステムと本機サーバーだけは守って。私もすぐに行く」
『っす』
……プツッ…
「楓先輩は、全社員向けにデータ保護のアナウンスをしてください。今より5分後に全機、サーバー解離後に強制シャットダウンします」
「わかったわ」
「なら僕は社長と人事部と話を詰めてくるよ。それで………相手がどこの誰かってわかるのかな」
「必ず」
課長の言葉は問いかけではなく決定事項だった。挨拶もなく不法侵入してきたならず者を突き止めることが私の任務だ。こういう時のために、私はここにいる。険しい顔の課長に一つ頷きを返して、鞄から自分のPCとディスクを一枚取り出した私は、エレベーターホールへと向かった。
楓先輩の社内アナウンスを聞きながら企画開発部のある4階につくと、そこはバタバタ走り回る足音や人の話し声で溢れかえっていた。中には「どう責任を取るつもりだ!」と怒鳴る声や「そんなつもりはなかった!」と叫ぶ金切り声も聞こえて思わず眉間にシワが寄る。また「責任」だ。責任追及の前にまず今すべきことがあるだろうに。
…コンコン……
「システム開発課の山色です」
「…、!先輩、こっちです」
「おい、山色って…あの?」
「あぁ。コネ入社で入ったっていう」
「社長のお気に入りじゃん」
入室と同時に一気に静まり返りひそひそと話される声と、じとりと見つめられる視線を気にせず、蒼汰くんのもとへ歩みを進める。問題となっているPCは真っ黒な画面に文字が羅列され、画面上部には数字のカウントが進んでいた。
「…USBを挿してファイルを開いたら、なんて…手口は簡単なものですけど、なかなかえげつないもん仕込んできましたよ」
「蒼汰くんが食い止めててこれ?相当だね」
画面上では毎秒10桁の数字がカウントされている。多少はましになるかと自作のアプリを入れたCD-ROMを差し込むと、忙しなく動く数字は落ち着きを見せ、毎秒1桁のカウントへと変わる。
「見たところ、部のフォルダまでは全滅かと」
「上等ね」
強制シャットダウンのアナウンスもそろそろかと腕時計を見たとき、左側の空気が揺れたと同時に頬に衝撃が走った。
バチン!………
「…ほんっと気にくわないわね!上等ですって?!」
「ちょ、先輩…!…っあんたなにやってんだ!」
「うるさい!全滅とか上等とか…っなにがシステム開発課よ!いつも閉じこもってこそこそいじってるだけのPCオタクが!早くどうにかしなさいよ!!」
フロアに向かう途中に聞こえた金切り声に既視感を抱いたのは、この人だったのかと納得した。金本美鈴。個人IDの解析によれば、この問題になっているPCの持ち主。
―さすが、冬木の"お気に入り"―
不意に楓先輩の言葉が頭をよぎって、急いで頭の中から消し去る。PCオタクだって?そんなこと3年前システム開発課ができた当初に散々言われた言葉じゃないか。
息を一つ吐いて整える。ざわつく周りと彼女から私を守るように前に立ちはだかる蒼汰くんの腕をとり、彼の顔を見て一つ頷きを返す。蒼汰くんの顔があまりに苦しそうに歪められているので苦笑した。殴られた私より痛そうな顔をする彼の肩を優しく撫でる。それから彼女の目をまっすぐ見据えて問いかけた。
「…この数字のカウントが分かりますか」
自分のしでかしたことへの反省があるのか分からないが、強気な口調と態度の裏側に怯えが見られる。
「は、はぁ?なによいきなり、」
「これは現在ハッキングによって書き換えられているファイルの数です」
「っ、え?」
「書き換えられたものは二度と戻りません。契約書、プレゼン資料、今まで社の人間が作り上げてきた実績が無作為に無くなっていき、今なお消え続けています」
「っだから!すぐなんとかしなさいよ!」
揺れる瞳になんの感情も抱けないあたり、私も冷たい人間だなと自嘲する。
「今はそのスピードを抑えていますが、それさえしなければ既にすべてのプログラムが書き換えられて、データ諸共盗まれているところです。盗まれるのは何もデータだけではありません。社員の個人情報…氏名住所から給与明細までコピーされて億単位の金で売買されるでしょうね。今や携帯電話番号1つでその人の仕事や家族構成まで全て把握できる時代ですから。……随分いい餌になりましたね」
「っ!!」
「だから、安易に外部ディスクを挿すなと規約にあるんですよ。ましてや外の人から貰ったUSBだなんて、"PCばかりいじってるオタク"からすれば、時限爆弾でしかないのに」
「っ!あ、あたし…そんなつもりじゃ…!」
「無知なあなたが、全社員の人生を脅かすようなことをした事実を、その目でしっかり見てくださいね」
ストンとその場に座り込んだ彼女を一瞥してデスクに座り目の前のPCに集中する。同時に個人PCも起動させていると、他の社員が話しかけてきた。
「あ、あんたは一体なにするんだ?」
「私の仕事をするまでです。"エンジニア"ですから」
「消えたデータってのは戻るのか!」
「どうでしょうね。…現段階ではこのPC内部の個人データと、部のフォルダ内のものが全滅しています」
「な、なんだって?!」
「ぶ、部長はどうした!」
「外です!既に連絡済みですが…」
「あああ、大変なことになった…」
一気にザワつく室内を尻目に腕時計を見やる。そろそろ準備ができたころか。それと同時にシステムアナウンスが鳴った。
『これより全機強制シャットダウンに入ります』
人の多い空間に慣れていない私にとって、今はこの機械めいた声の方が耳に心地良い。真剣な表情の蒼汰くんがこちらを見つめる。
「……どこまでやりますか」
「9割の復元と爆撃犯のつきとめまでかな」
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