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第8話 『縁』
しおりを挟む二年の月日を経て、大学卒業間近に迫っていた三月半の夜12時。俺は友人数人らと共に、スマホの画面を凝視し、日にちが変わる時間に更新される、大学のポータルサイトにて、オンライン上で公開される四年時の成績発表を待っていた。聡を含めた数人は三年時には九割型の単位は取得しており、今年フル単を取らなければ留年が確定してしまう俺を笑いものにするために集まっていた。
「蒼真、ドキドキするだろ?お前の成績どうなるか、ほんとに気になるなぁ」
聡がニヤリと笑って言った。
「うるさいな、もう。お前ら全員余裕だろ、こっちは命がけなんだよ」
俺はそう言いながらも、少しだけ焦った気持ちを隠すことができなかった。
友達たちは俺が苦しんでいるのを見て、わざと挑発してきているのだろう。でも、正直言って、今の俺にはそれが少しだけ嬉しかった。何もかもが変わり、何もかもがうまくいかない中で、こうして友達といる瞬間が、少しだけでも安堵を感じさせてくれる。
「おい、もうすぐだぞ。覚悟しろよ、蒼真!」
聡が、ますます楽しそうに画面を見つめながら言った。
その時、ようやく画面に成績が表示される。「おおっ!フル単だ、フル単!」
誰かが叫び、皆が一斉に歓声を上げる中、俺は心の中でドキドキしながら自分の結果を見た。
「……ああ、よかった。ギリギリセーフだな。」
少しホッとしたが、同時にその場にいた友達たちが、「おおっ、やったな蒼真!」と声をかけてきたのが、逆に恥ずかしくて、ちょっと嬉しくなかった。
「お前、ほんとにギリギリだな。来年からは心に余裕持てよ。」
聡は笑いながら俺の肩をポンと叩いた。
「お前ら、ほんとに…」
俺は少しだけ照れ臭そうに笑った。
その時、ふとエリカの顔が頭をよぎった。もうしばらく会っていない。忙しさにかまけて、連絡すらも疎かになってしまっていた。今、この瞬間も、エリカは夜の街で一人、どんな気持ちで過ごしているのだろうか。
「でも、大学生活もあと少しだな。」と、誰かが言った。そう言われて改めて実感が湧いてきた。まるであっという間だったように、もうすぐ四年生が終わる。こいつらとも、この大学とも、そして…これまでの出会いも。
「今日は飲むぞ!」
蒼真がグラスを掲げると、周りの友人たちも一斉にその言葉に反応して笑いながらグラスを合わせた。大学生活最後の夜、卒業を祝って乾杯するこの瞬間が、蒼真にとっては特別なものになっていた。
「ようやく、これで解放だな。お前、ほんとに大変だったからな」
聡が蒼真に向かって言うと、周りも頷きながら笑う。確かに、蒼真の大学生活は少し波乱万丈だった。何度も成績のことで悩み、試験に追われてきたが、ここまで来たのだ。
「ほんと、よくここまで来たな。お前、留年寸前だったのに」
友人の一人が冗談を交えて言うと、蒼真は照れ笑いを浮かべる。
「ま、まあな。でも、終わってみればそれも良い思い出だ」
蒼真はそう言いながら、グラスに注がれたビールを一気に飲み干した。
「この日が来るのをずっと楽しみにしてたよ。飲みすぎないようにしような!」
聡が心配そうに言いながらも、蒼真が酔っていく様子を見て笑っている。
夜が深くなるにつれて、皆の会話は弾み、笑い声が溢れ始める。卒業という大きな節目を迎えた蒼真は、思わず未来について考える時間が増えていた。
「さあ、今度は本気で就職だな。お前、社会人になったら、こんな飲み会も減るだろ?」
友人の一人が言った言葉に、蒼真は少し寂しさを感じた。
「まあ、そうだな。仕事が始まったら、飲みに行く時間も減るだろうし…」
蒼真はふっと黙り込み、グラスを持ちながら考え込んでしまう。
でも、今日はそれを考える日じゃない。今はただ、この瞬間を楽しむべきだと自分に言い聞かせる。
「とりあえず、今日は楽しもう!」
蒼真はまた笑顔を浮かべて言うと、再び乾杯の音が響く。
夜が更け、次第に酔いも回り始める。友人たちとの会話の中で、蒼真は少しずつ心を解き放ち、長い大学生活を乗り越えた達成感を感じていた。
時間は朝5時を回り、始発が動き始める頃合い。大学生活最後ということもあり、飲み会は終わりを迎えることなく、二十数人規模で今だに席を占領していた。そんな中、団体から抜け、蒼真と聡はカウンター席に移動した。二人だけの静かな空間になり、気持ちも少し落ち着いた。
「さて、もうちょい飲むか?」聡がグラスを持ちながら言う。蒼真も頷き、再びグラスを手に取る。
「お前と二人で飲むの、久しぶりだな。大学生活最後だから、なんか感慨深いな」蒼真は少し照れくさそうに言った。
聡はニヤリと笑う。
「確かに、こうやってしっぽり飲むのは久しぶりだな。お前、大学入ってからずっとバタバタしてたもんな。そういえば、海行った時のこと覚えてる?」
「海か…あれは楽しかったな。あの時、昼間の暑さに耐えられなくて、結局みんなで海の家に避難してビール飲んでたよな」
「そうそう、で、お前が焼けすぎて腕が真っ赤になってたよな。あれ、ちょっと焦ったよ。もう少し日陰で休んだほうがよかったんじゃないか?」
「いや、焼けた方が雰囲気出るかなと思って無理してたんだよ…結局、夜は腕が痛くて寝れなかったけどな」
蒼真は苦笑いしながら言う。
聡は大きく笑った。
「あの時、お前が昼間は元気だったけど、夜になると顔色が悪くなってたの見て、ちょっと心配だったよ」
「でも、夕飯は美味しかったな。海の幸を堪能できたし、あれは最高だったよ」蒼真は思い出すように言う。
「うん、あの海鮮丼、今でも忘れられないわ。あと、スキー行ったときも面白かったな」
「スキー!あれは完全に笑いっぱなしだったよな。俺、初めてスキーやったんだけど、全然うまくいかなくて、最初はすぐ転んでばかりだった」
「いや、お前、転んでばかりの割には、意外と上手くなってたろ?最後の方はもう少しスピード出せるようになってたし、びっくりしたわ」
「いやいや、最初の転び方が異常だったよ。あれはスキーよりも体力的に消耗したわ」蒼真は顔をしかめて笑った。
「でも、スキー場の後の温泉が最高だったな。あの時のサウナ、最高だっただろう?」
「ああ、サウナで汗かいて、その後の冷水シャワーがめちゃくちゃ気持ち良かったな。温泉から出た後のビールも最高だったし」
「お前、温泉でもビール飲んでたな。あれ、ちょっと感動したわ」
聡はにやっとした顔で言う。
「いや、温泉ってビールが合うんだよ。俺、絶対に温泉に行ったらビール飲むって決めてるんだ」
蒼真はどこか自信満々に言う。
聡は一瞬、遠くを見つめてからゆっくりと口を開いた。
「でも、あんな風にいろんなとこ行ったな。あの頃は、毎日が楽しくて、何しても面白かったよな。お前といると、どんなことでも楽しめるし」
「そうだな。あの時は、無駄に思えることも、全部楽しみながら過ごしてたよな。社会人になったら、あんな風に無邪気に遊ぶこともなくなるのかな」
蒼真は少し寂しそうに呟く。
「まぁな。でも、お前は大丈夫だろ。お前はどこ行っても、どんな仕事しても楽しみ見つけられるタイプだし」
聡は蒼真に向かって真剣な表情で言う。
「それもそうだな…ありがとう、聡」
「だからこそ、もっといろいろなとこ行って、また新しい思い出を作ろうな。仕事が忙しくなったら、俺たちもまた飲みに行こうぜ」
蒼真は微笑んだ。
「うん、絶対に。お前との思い出は、これからも忘れないよ」
その後、聡は少しだけ酔いが回ったようにニヤリとした。
「そういえば、二年のあの頃、春季の期末な。教科書ねーだなんだで、落としかけた単位とかあったな。あれ落としてたらお前、留年してたぞ」
そう言われて、俺はあの日のことを思い出した。
あの時、確かに危なかった。教科書もなくて、結局最後まで勉強を放棄しようとしていた。あの時は本当にギリギリで、あれを落としてたら間違いなく留年していた。そのことを思い出して、今、こうして卒業を迎えられることが信じられなかった。
「そうだよな。あの時、俺…教科書買って」
「そうだっけか?俺がノート渡したんじゃなかったっけ?」
「ちげーよ。ちげーんだよ…俺、そこの古本屋で…俺…俺…」
蒼真は思い出しかけたその懐かしい記憶を前に、思わず涙が止まらなくなってしまう。この二年で無くしてしまったもの。無くしたくなかったもの。ある一夏の、身体中が焼けそうになるほどに恋焦がれたあの体験を、心臓が破裂しそうになりながら"夜に駆けた一夏"の思い出を、俺は!!
ドタンッ!!
蒼真は机を強く叩き立ち上がる。それに驚く聡だったが、その強い眼差しをみて、ただ一言背中を押してやるだけだった。
「行ってこいよ、蒼真」
「ああ!行ってくる!」
店を飛び出した瞬間、冷たい早朝の風が蒼真の熱を帯びた身体を撫でた。夜はすでに明け、空は淡い橙色と薄青のグラデーションを描いている。昨日までの夜と今日の朝の境界線を曖昧にしながら、新しい一日が静かに始まろうとしていた。
蒼真はサンロード商店街へと駆け出す。まだシャッターが下りたままの店が多い中、パン屋からは焼きたてのパンの香りが漂い、新聞配達のバイクが静かに通り過ぎる。通勤のサラリーマンがちらほらと歩き始める時間帯。彼らの間をすり抜けるように、蒼真はひたすら走った。
冷たい空気を肺いっぱいに吸い込み、吐き出す。足元を打つアスファルトの感触が心地よい。昨夜までの迷いも、鈍く重く心を押さえつけていた感情も、すべて振り払うように駆け抜ける。
脇道に入り、商店街の裏路地へと向かう。そこにあるはずの場所――古本屋『縁』。
「もう一度……」
心の中でそう呟きながら、蒼真は最後の力を振り絞り、走り続けた。
「もう一度、彼女に!」
「いらっしゃいませ~、あっ?!」
そこには見知った、しかし見知らぬ時間帯に勤務する白く透き通った肌の綺麗な女性が立っていた…。
「何かお探しの本はありますか?」
それは新しい春の訪れを感じさせる出会いだった。
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