神人

宮下里緒

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6話

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その家は駅前から車で15分ほどした住宅街から少し外れた場所にある一軒家だった。
移動にはタクシーを移動だった。
栗見綾音の祖母宅はなんの変哲もない一軒家、側から見るだけでは異常なんて見て取れない。
けれど、翼の目にはすでにこの家の異様さが見て取れていた。
「君の言う開かずの部屋ってあの部屋かい?」
翼そう言ってカーテンの締め切られた例の部屋の窓を指さした。
「そう、何か見て取れた?」
翼は目を細めるのは夏空の眩しい日差しのせいだけではない。
例のあの部屋の窓から何か黒いモヤの様なものが漏れ出している。
煙とは違うそれは日差しに当たるとすぐに蒸発する様に消える。
その黒いモヤに似たものを翼は以前見たことがあった。
5日前偶然見かけた人身事故。
その被害者の魂にまとわりついていた黒いモヤに非常によく似ていた。
翼に目に映るということはアレも魂にまつわる何かなんだろう。
正直家宅調査なんて面倒としか思っていなかったけれど、少し興味が出始めた。
「でも、祖母の家なんだろここ?いきなり俺みたいなやつが来たら驚かれるだろうな」
「ああ、それは大丈夫。おばーちゃん今日は老人会の集まりとかで留守ですから」
「合鍵持ってるのか?」
翼がそう尋ねるとし綾音はニタリと笑ってポケットから鍵を一つ取り出す。
「この前の帰省の時、パクったんだよ。抜かりはないですよ」
ガチャリと扉を開ける綾音。
その時、もわりとあの窓と同じように淀んだモヤが微かに漏れ出したのが翼の目に見えた。
こんな経験は初めてだと翼自身も警戒心を高め家の中へと入る。
その家は漏れ出す不穏な空気とは裏腹によく手が行き届いた綺麗な内装をしていた。
けれどやはり、あの不穏なモヤが家中をうっすらと漂っていた。
モヤはゆっくりと階段から降りてきて一階に溜まる。
やはり発生源は例の部屋で間違いない様だ。
「どうします?お茶でも飲みますか?」
そうおどけて見せる綾音に翼は首を振る。
「家主が居ないのにそんなこと出来るか。いいからその部屋に行こう」
そう促す翼に家主が居ない家の上がり込んだ時点で同じではと綾音は思うが、主犯は自分なので黙って部屋へ案内する事にする。
「なぁ。その部屋誰の部屋かわかってるのか?」
階段を登りながら翼がそう尋ねる。
不審な部屋への警戒からかその声はやけに硬い。
「多分叔父のものだと。叔父がいたなんて話は聞いたことなかったですけど、勉強机と学ランが部屋にあったんで」
「なるほどね。君の家族がその叔父の話をしないのは何か訳ありだろうな」
それはそうなんだろうと綾音も思う。
そして兄部屋を見る限り叔父はこの家にもう長いこと帰っていない。
もしかしたらすでに亡くなっている可能性も大きい。
それも考えて翼を呼んだのだ。
「この部屋です」
手すりが錆びついたドアを綾音が開けるとモワッと夏の熱気と埃っぽい空気が部屋から流れ出る。
その不快さに綾音が顔を顰めると、後ろにいた翼が口を押さえてよろけた。
「大丈夫ですか?」
あまり心配そうではない綾音の声が聞こえる。
「何が見えたんですか?」
「淀みが、満ちている」
口を押さえながら辛うじて翼が答える。
あのモヤの濃さがこの部屋は他と場所の比ではない。
モヤというよりは粘着質なスライムに近い。
それが部屋中にへばりついて見える。
「私には何も見えないけれど、やっぱりこの部屋は異常ってことか」
異常どころの騒ぎじゃない。
こんなのは心霊スポットでも滅多いお目にかかれない。
けれどおかげでこのモヤの正体がやっとわかった。
「コレは魂の残骸だな」
「残骸?」
「そう。よくあるだろ人形に魂が宿るって。人の魂は執着によってものに移ることがある。想いが魂を物体に縛りつけるんだ。この部屋もそれ」
綾音は部屋をゆっくりと見渡す。
まるで何かを探すかの様に。
「私には翼さんみたいに何か見えるわけじゃないけれど、この部屋の不穏な空気くらいはわかる。その原因が魂の残骸ってこと?」
翼が頷く。
「この部屋のどこかに君の叔父さんが執着したものがあるはず。それがこの淀みのもとだ。・・・それにしても、これだけの魂の残骸君の叔父さん本当に人間かい?」
「さぁね。とりあえずこの部屋調べてみよ。おじさんの事何かわかるかもですし」
とりあえず二手に分かれ捜索を始める。
綾音は本棚を、翼は机周りを。
机には本(小説)の他に参考書がいくつかある。
高校生のものの様だ。
開いてみるとお世辞にも綺麗とはいえない字で数式が書かれていた。
ノートをみると名前が書かれている。
『蓮木昼夜』
それがどうやらこの部屋の主の名前の様だ。
「綾音、これ」
ノートを綾音に見せると彼女は首を振る。
「やっぱり知らない名前ですね。昼夜それが叔父の名前、写真とかないですかね?」
そう言いながら綾音は机の引き出しをてたり次第に開け出す。
彼女が開け閉めするたびにガタガタと乱暴な物音が部屋に響く。
そして中段の引き出しを開けたところで綾音の動きが止まった。
「見つけた」
取り出したのは卒業アルバム。
表紙には絆という大きな文字と、君園学園六十七期生と書かれていた。
「年は今から四十年前、叔父さんは生きてたら58歳か。母さんとはまぁまぁ歳が離れてたんだ」
めくられる古ぼけたアルバムには当時の学生たちの校内活動の姿や部活紹介の写真が載せられ。
先生たちの写真に続き、クラスごとに生徒の写真が載せられていた。
その名前を順番に見て行く。
学ランとセイラー服を着た男女がぎこちない笑顔で並んでいる。
綾音はその一人一人を指で刺しながら確認して行く。
決して見逃すことがないようにとゆっくり動く細い指。
その指が止まったのは三年三組のクラス写真だった。
「この人が蓮木昼夜」
彼女が指差す写真を覗き込む。
蓮木昼夜。
そう書かれた名前の写真に映る少年はふくよかな体型に無造作に伸びた髪。
目にかかるほど伸び切った前髪の隙間から見える細く睨みつける様な視線が印象的だった。
「兄妹なのにあまり似てない。地味な顔立ち。母さんはどちらかと言うと派手だから」
翼は綾音の母親の顔を知らなかったが、確かに写真の人物は綾音とも似ていない。
強いていうなら細い目だけが鋭い目つきの綾音に近いくらいだ。
翼の目は写真ではその魂を見ることができない。
だから蓮木昼夜が一体どんな魂を持つ人物なのかはわからないか。
けれど、じっとりと湿気を帯びる様な視線がまるでこちらを妬ましく思っている様に見える。
そして確実なのは少なくとも蓮木昼夜は高校の卒業までは存命だったということ。
最後のページの寄せ書きを見ると何も書かれていない白紙。
もしかしたら友達が少ない人物だったのかもしれない。
「他に目につくものはなさそうだな。そっちはどうだい?何かあった?」
翼がそう聞くと綾音は楽しそうに不気味にニタリと笑う。
まるでその言葉を待ってましたという様に。
「はい。とても興味深いものが、そもそもコレを見てもらいたくて翼さんを呼んだんですが」
どうやら綾音には元から目星のものがあった様だ。
ならすぐにそれを見せればいいのにと翼は言いたくなる。
「この本、翼さんの目にはどう映ります?」
手に持つのは黒い表紙の本。
その本を目にして翼は後退りする。
彼の目は捉えた。
本からモクモクと立ち上る黒いモヤを。
「それだ。それが魂の残骸の大元。間違いない」
「ああやっぱり、だと思った」
綾音はわかりきった様にそう呟く。
「なぜコレが怪しいと思った?」
翼がそう聞くと綾音は本の内容を読み出す。
それは一つの呪いの話だった。
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