メシアの原罪

宮下里緒

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最終話 解放されし神

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綺麗に塗装され草木など一切見えない人工的な道、走るたびに足音が耳にこだまし自分が今どんなに不格好な走り方をしているのかが容易に想像できた。
だがそれも仕方がないのかもしれない自分の足で走るなんて事一体いつぶりだろうか?
それは恐らくヒルと共にこの星へくる以前、彼女がまだ神ではなくヒトとして故郷で暮らしていたあの懐かしい日々までさかのぼる。
っと今はそんなことを思い出している暇はない、ナキはさらにスピードを上げる。
地面をける足の感覚、風を切る肌の感覚、まぶしすぎる太陽。
そのすべてがナキにとっては初めての感覚。
透からの見た世界ではない己が味わう初めての世界。
その真新しさについ足が止まりそうになるがそんな誘惑を振り切りながらナキは走る。
真っ黒なフードをかぶり民家街を疾走する人物の姿はひどく人目を引くものであったが幸い今日は祭りのため周囲に人の気配はない。
そのことまで透の計画のうちだったのだろう、街に出た彼女がスムーズに動けるようにと。
そんなナキの頭の中には透の声が響いている。
島の地理に詳しくないナキの案内役を務めるのは今那岐と戦っている透だが感覚を共有している故にこのような離れ業も可能としている。
『あとは次の角を右に曲がって先にあるトンネルを抜けると港に着く。そこに明理が待機しているから一緒に島を出るんだ』
そこはこの島と外界をつなぐ唯一の場所。
この場所を利用できるのはほんの一握りの島民たちだけ。
普段は監視員がいて用のないものは立ちれないようになっているが今日はその姿はない。
だからナキはすんなりとトンネルをくぐることができる。
トンネルの暗闇による一時的な安らぎを抜けると海と空二つの青色が混ざり合う圧倒される程の輝
く世界。
『『広い、知らない世界だ』』
望みに望んだその世界の始まりを見て二人の声がそう重なる。
その声が届いたのは祭りを抜け出しあらかじめ監視員に退去を命じてナキの到着を待っていた明理だけ。
「ナキ様」
『明理、久しぶりだな。ずいぶんと老け込んだように見える』
ナキのその言葉に明理は力なく笑う。
「ナキ様はお変わりませんね。・・・行きましょう、早く島を出ないと」
数年ぶりのあいさつは実に淡泊でさみしくあるような気もするが二人にとってはそれで十分だった。
今ここにこうしてお互いに会えるそれだけで十分だった。
それに時間がないのも事実。
『船は明理が操縦するのか?』
明理はうなずく。
「私は島の外に行く機会もあったのでもしもの時のためにと父が教えてくれました。大丈夫ですよ子船ですが本土までならこれで十分です」
船旅には心もとないモーターボートだが明理の言うように本土までは約五分ほどそう遠くはない距離であるためこんな小舟でもなんとか向かうことができる。
『この星に降りてから数百年穴蔵で過ごしこの数年で子供たちを産んだ。気づけば母星よりこの島が私の故郷とも呼ぶべき場所となったな』
「戻りますか?今なら二人で透の下へ駆けつけることができます」
明理のその提案にナキは首を振る。
『いや、もう間に合わないよ』
その答えに明理は息をのみ、ナキは声を出さず涙を流す。
「そ、そうですか。・・・・船を出します。危ないので座っていてください」
ボートが発信し島を出てから本土を渡るまでの間二人は無言で明理は一度もナキの方を見なかった。
けれど心を読めるナキには顔を見なくとも自分と同じように涙を流していることが分かった。
ただそれをわざわざ言及することはない。
二人の涙は波風にさらわれて海原と一体となる。
二人の心とはまるで正反対な穏やかな海は船旅日和、本土へと上陸するその数分間を彼女たちはあい等に捧げるのであった。


戦いの決着は三分ほどのものだった。
いやよく三分も続いたというべきか。
それほどまでに力の差は圧倒的だった。
透の体はすでに死に体ではあったが、それはつまりそれだけ彼の体が神の肉体に近づいているということを示唆している。
いかに那岐が武術の達人だと言えどしょせんは人の身、神に近づいたものとの力の差は歴然であった。
まるで未来でも読んでいるかのような回避能力、打ち出される拳や蹴りは直撃すればそれだけで骨を砕くほどの威力を持っていた。
そんな力を持つ相手に那岐は紙一重で攻撃をかわしながらなんとか戦い抜いた。
これは長年透を鍛えていた故に彼、いや彼らナキと透の動きを把握していたのが功を制した。
それがなければ数秒と持たなかったかもしれない。
そうして防戦一方で戦い抜いた決着は実にあっけなく最期は力を使いすぎた透の自滅で終わった。
いや、彼の目的は時間稼ぎこうなることは想定内だったんだろう。
閉ざされた扉を背もたれにして座りこむ透は意識を失っているのだろうか?
それでも、ここを通すまいという意思を感じられる。
「ここまでだな透。悪いが通らしてもらうぞ」
返事はない。
まだかろうじて生きてはいるようだが、恐らくは体の浸食はもう致命的なまでに進んでしまっているのだろう。
外傷はない。
那岐は座り込む透の体をゆっくりと観察した後、手を伸ばす。
そこには攻撃の意思などない相手を労わるような優しい手つきだ。
その手がもう少しで透の肩に触れようとしたところで那岐の額から頬にかけてドすりと叩かれたかのような衝撃が走った、と同時に熱した鉄線でも張り付けたかのような熱さもだ。
「ぐぅ!」
反射的に右目を抑えて後退する。
「言ったろ那岐、ここは通さない」
抑えてた右目から手を放し手のひらを確認しようとして異常に気付く。
目を見開いているはずなのにどうしても右目が見えない、それに左目で見る手のひらにはおびただしい血が付着していた。
顎に水がつたうような感覚があり手で拭うとそこにも血が付着していた。
出血している?
それに右目が潰れている?
痛みに片膝をつきながら透の方に目を向けると彼の右手にも血が付着していた。
まさか手刀で切ったのか?
今の透の体はまさに全身凶器、彼の体力の問題がなければ倒れ伏せていたのは那岐だろう。
しかし彼の攻撃ももはやこれが最後だろう。
それが分かるほどに透の顔は全てをやり切ったような満足げな穏やかな顔をしている。
「何度も手合わせをしたけど、一度も勝つことは出来なかった。俺みたいに人間であることを捨てたわけじゃないのに強い那岐は俺にとってはいつまでも憧れだったよ。けど今日は俺の勝ちだ」
勝敗の決着が命のやり取りだったのならこの戦いは那岐の勝ちだろう。
けれど透の目的は時間稼ぎ。
ナキたちがこの屋敷を出て行ってからまだ五分ほど、追いかければ追いつけない距離ではないだろうが那岐の切り裂かれた顔の傷の深さと出血をから追跡はもはや不可能、那岐の敗北が蹴ってした瞬間だった。
「最後の最後に大技くらわしやがって。狙ってたのか?・・・透?」
呼びかけるも返事はもはやない。
先ほどまであった生きている者の気配がもうそこから消えていた。
「勝利宣言して勝ち逃げか、クソ」
ずるりと痛みに体を引きずりながら透へと近づいた那岐は動かない透の体を背負い立ち上がる。
「このまま、終わらせてりしないからな透」
それは独り言なのかそれとも透に言い聞かせたのか、那岐はそう呟くと傷の治療もせず己の屋敷から出て行った。


立崎港とよばれるその港は港と呼ぶには実に寂しいもので、あたりには漁船すらなくどうにか小さな船一隻だけが停泊できるのが関の山と言ったところだろう。
そもそもここの港を利用するということは天鳴島へと向かうということ。
あの半ば閉ざされた島へと向かうものなどほとんどおらず、申請しなければ船が出ることもない。
そんな静かな港は少年のお気に入りの場所だった。
誰もいない、場所でただ波の音だけを聞くこうするととても心が落ち着いた。
けれど今日はどうやらいつもとは違うようだ。
静かな波音に紛れる耳障りなモーター音。
不快そうに少年は音の方向へ目を向ける。
とそこには湖に浮かべるのがお似合いと思う貧相なボ―トが一隻港に着いたところだった。
珍しい。
少年は素直にそう思う。
ボートから降りるのは二人の人物。
一人は若い女でもう一人は顔まで覆うフード付きのマントをかぶる怪しい人物。
そんな謎の二人組がまっすぐにこちらへとやってくるものだから少年は得体のしれない恐怖を感じてしまう。
「ごめんなさい。町の方へはどう行けばいいのか教えてもらえない?」
訪ねるのは若い女。
若いといっても少年よりも確実に年上の女性に少年の口はこわばる。
もう一人の人物は口を開かない。
ただマントから見える地肌は異様に白くて病気なのかと思うほど不気味で気持ちが悪い。
何なんだ一体?
町ってどこの事を言ってるんだろうか?
市街地の事ならこの先にあるけどそれでいいんだろうか?
そんなことを考えていると妙な声が頭の中で響く。
『町はこのまままっすぐ進めばあるらしい。行こう、コイツにとって私らは迷惑の様だ』
聞いたことのない女の声。
その訳の分からない状況に少年は周囲を見渡す。
けれどそんな少年の様子など気にもしないように二人組は少年を置き去りにして歩き出す。
「わかりました。とりあえずはそこへ向かいましょう。今後の事は歩きながら考えていきということで。あ、君ありがとね教えてくれて」
若い女は最後に少年お礼を言ってフードの人物と共に去っていく。
そんな二人の後ろ姿を少年は訳が分からないとただ茫然とけれど理解不能なその非現実な体験に少しの笑みを漏らすのだった。


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