婚約破棄されたので、ミドリアイランドの住人を買収して国を統合します

常野夏子

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第一話 婚約破棄の日、私は国を失い、そして得ることを決めた

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 婚約破棄というものは、もっと劇的で、もっと感情的なものだと思っておりました。
 怒号が飛び、涙が落ち、誰かが皿を割る——そういった場面を、私は想像していたのです。

 しかし現実は、あまりにも静かでした。

「……以上が、我が国王家としての結論です」

 重厚な会議室に響いたのは、第三王子エドワード殿下の抑揚のない声でした。
 磨き抜かれた長机、壁に掲げられた歴代国王の肖像画、窓から差し込む午後の光。そのすべてが、まるで他人事のように整っておりました。

 私は紅茶のカップを両手で持ったまま、微笑みを崩さずに頷きました。

「左様でございますか。つまり、私との婚約は——本日をもって破棄、という理解でよろしいのでしょうか?」

 自分の声が、驚くほど落ち着いていたのが不思議でなりません。
 喉が震えることもなく、心臓が早鐘を打つこともなく、ただ淡々と事実を確認している自分がおりました。

「ええ。あなたの家系が、もはや政治的価値を持たない以上、この縁談を継続する理由はありません」

 そう答えたのは、殿下ではなく、その背後に控えていた宰相でした。
 老獪な笑みを浮かべながら、彼は“合理的判断”という言葉を免罪符のように掲げておりました。

 なるほど、と私は内心で頷きました。
 価値がないから切り捨てる。実に分かりやすく、そして王国らしい判断です。

「ご丁寧なご説明、痛み入ります」

 私はそう言って、ゆっくりと立ち上がりました。
 椅子が床を擦る音が、やけに大きく響いたのを覚えております。

「それでは、私はこれにて失礼いたしますね。エドワード殿下」

 彼は一瞬だけ、こちらを見ました。
 その瞳に浮かんだのは、罪悪感でしょうか。それとも安堵でしょうか。

「……幸運を祈る」

 それが、彼の最後の言葉でした。

 王城を出た瞬間、冷たい風が頬を打ちました。
 春のはずなのに、やけに身に沁みる風でした。

 私の名は、リリアーナ・ヴァルディス。
 没落貴族ヴァルディス家の長女であり、つい先ほどまで王子の婚約者でした。

 そして今は——何の後ろ盾も持たぬ、一介の女です。

 馬車に揺られながら、私は静かに目を閉じました。
 悲しみが込み上げてくるかと思いましたが、不思議と涙は出ません。

 代わりに、頭の中では計算が始まっておりました。

 ヴァルディス家の資産。
 残された土地。
 債権と負債。
 そして——ミドリアイランド。

「……ふふ」

 思わず、小さく笑みが零れました。

 ミドリアイランドとは、王国の西端に位置する半自治領。
 形式上は王国に属しておりますが、実態は住民自治に近く、中央の影響力は極めて弱い土地です。

 貧しい。
 辺境。
 価値がない。

 ——少なくとも、王国にとっては。

「価値がない、ですか……」

 私は小さく呟きました。
 先ほど宰相が口にした言葉が、頭の中で反芻されます。

 価値とは、誰が決めるのでしょう。
 王でしょうか。貴族でしょうか。
 それとも——金でしょうか。

 答えは、あまりにも明白でした。

 屋敷に戻ると、執事のヨハンが深く一礼しました。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 彼は何も聞きません。
 聞かずとも、すべてを察しているのでしょう。

「ヨハン」

「はい」

「ミドリアイランドの件、以前調べさせていた資料をすべて持ってきてください」

 一瞬だけ、彼の眉が動きました。
 しかしすぐに、いつもの無表情に戻ります。

「……かしこまりました」

 書斎に籠り、積み上げられた資料に目を通しながら、私は確信しておりました。

 王国は、私を切り捨てました。
 ならば私は、王国を必要としない道を選ぶまでです。

 ミドリアイランドの住民は、貧しいが聡明です。
 不満も、不安も、希望も、すべて抱え込んで生きております。

 そこに、金と秩序と未来を提示したなら——。

「買収、という言葉は下品ですが……」

 私はペンを走らせながら、静かに宣言しました。

「要するに、彼らに選択肢を与えるだけの話です」

 婚約を破棄された女が、辺境の民を味方につけ、国を統合する。
 なんとも滑稽で、そして——胸が高鳴る筋書きではありませんか。

 恋を失った私は、代わりに世界を手に入れる。
 そしていつか、本当の意味で誰かに選ばれるために。

 窓の外では、夕暮れの空が赤く染まっておりました。

 その色は、終わりではなく——始まりの色に見えたのです。
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