婚約破棄されたので、ミドリアイランドの住人を買収して国を統合します

常野夏子

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第二話 辺境の民は、金よりも疑い深い

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 ミドリアイランドへ向かう馬車は、想像していたよりも揺れました。
 舗装などという概念は、どうやらこの辺境には存在しないようです。

「王国の地図では、一本道で示されていましたが……」

 私がそう呟くと、向かいに座るヨハンが静かに答えました。

「地図は、中央に都合の良いよう描かれるものです。現実はいつも、少々荒れております」

「ええ、まったくです」

 窓の外に広がるのは、痩せた大地と低い丘、点在する古い石造りの家々。
 豊かさの欠片もありませんが、不思議と荒廃した印象はありませんでした。

 ——生きている土地。

 そう感じたのです。

 やがて馬車は、小さな広場の前で止まりました。
 噴水は枯れ、掲示板には古い張り紙が重なり合っております。

「ここが、ミドリアイランドの中心部……?」

「名目上は、でございます」

 ヨハンの言葉通り、王都の「中心」とはあまりに異なる光景でした。
 しかし、私の胸は高鳴っておりました。

 ここからすべてが始まるのです。

 広場に足を踏み入れた瞬間、視線が一斉にこちらへ集まりました。
 警戒、好奇、そして——露骨な不信。

「よそ者だ」

「貴族……?」

 ひそひそとした声が、風に混じって耳に届きます。

 当然でしょう。
 王国から来る人間など、税を取り立てるか、命令を押し付ける存在でしかなかったのですから。

 私は立ち止まり、ゆっくりと頭を下げました。

「はじめまして。リリアーナ・ヴァルディスと申します」

 ざわめきが一瞬、止みました。

「本日は、皆様にお願いがあって参りました」

 沈黙。

 誰も拍手などしませんし、歓迎の言葉もありません。
 それで良いのです。むしろ、健全です。

「私は、王国の命令で来たわけではありません。
 また、皆様から何かを奪いに来たわけでもありません」

 人々の表情が、わずかに変わりました。

「私は——投資家として来ました」

 この言葉には、意図的なざらつきを込めました。

「この土地に、金と雇用と、未来を持ち込みたいと考えております」

 次の瞬間、笑い声が上がりました。

「はっ、貴族の冗談か?」

「今まで何人、同じこと言って消えたと思ってる」

 私は、慌てませんでした。
 むしろ、納得していたのです。

「ええ。信用されないのは当然でしょう」

 そう言って、私は一歩前へ出ました。

「ですから、条件を提示いたします」

 懐から取り出したのは、契約書の写し。
 紙の音が、妙に大きく響きます。

「土地の権利は、皆様のものです。
 私はそれを奪いません。
 ただし、開発と管理は私に委ねていただきたい」

「見返りは?」

 低い声が、群衆の奥から響きました。

 声の主が前へ出てきたとき、私は一瞬、言葉を失いました。

 ——若い。

 二十代半ばでしょうか。
 無造作に束ねた黒髪、日に焼けた肌、そして、鋭い灰色の瞳。

 彼は、労働者の服を着ていながら、不思議と場に立つ“重さ”を持っていました。

「俺は、カイル。ここの代表みたいなもんだ」

「リリアーナです」

 私たちは、互いを測るように見つめ合いました。

「で、貴族のお嬢さん。
 俺たちが、あんたを信じる理由は?」

 その問いは、正しかった。
 そして——私が最も待っていた問いでもありました。

「信じなくて結構です」

 私は、即答しました。

 カイルの眉が、わずかに上がります。

「その代わり、契約で縛りましょう。
 私が約束を破れば、即座に撤退。
 損害賠償も、お支払いします」

「……正気か?」

「ええ。正気です」

 私は、彼の目をまっすぐに見つめました。

「私は、捨てられた身です。
 失う信用など、もう持っておりません」

 一瞬、風が吹き抜けました。

 カイルは黙り込み、やがて小さく笑いました。

「面白い」

 その笑みは、嘲りではありませんでした。
 むしろ——興味。

「いいだろう。話だけは、聞いてやる」

 彼はそう言って、私に手を差し出しました。

 その手は、硬く、温かく、そして——驚くほど正直でした。

 私は、その手を取りました。

 この瞬間、私は理解しておりました。

 ミドリアイランドを動かす鍵は、金ではない。
 誠実さでもない。
 ——覚悟だ、と。

 そして同時に、胸の奥に、ほんの小さな違和感が芽生えておりました。

 彼の手を離したくない、という——理屈に合わない感情。

「……困りましたね」

 心の中で、私は苦笑しました。

 これは国を統合するための交渉。
 恋など、計画には入っていなかったはずなのに。

 夕暮れの空の下、私は初めて知ったのです。

 この土地は、私の野心だけでなく、
 私の心までも試そうとしているのだと。
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