婚約破棄されたので、ミドリアイランドの住人を買収して国を統合します

常野夏子

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第三話 契約とは、信頼の代替物である

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 ミドリアイランドの集会所は、石造りの簡素な建物でした。
 かつては倉庫として使われていたのでしょう。天井は高く、窓は小さく、冬の寒さを逃がす気遣いなど一切感じられません。

「正直に言えばな」

 長机の向こう側で腕を組み、カイルは言いました。

「あんたがここに来た理由が、いまだに信じきれない」

「ええ。健全な反応だと思います」

 私は椅子に背を預けることなく、背筋を伸ばして答えました。
 この場では、姿勢ひとつが交渉材料です。

 集会所には、ミドリアイランド各地区の代表者が集まっておりました。
 農民、鍛冶職人、交易商、そして元傭兵。
 共通しているのは、王国に期待することを、すでにやめた人々だという点です。

「まず確認させてください」

 私は資料を机に広げました。

「皆様は、王国に対して税を納めていますが、その見返りを受け取っていない」

「その通りだ」

「街道の整備も、治安維持も、自分たちでやってきた」

「徴税官だけは、毎年きっちり来るがな」

 皮肉混じりの笑いが、室内に広がります。

「つまり」

 私は、わざと一拍置きました。

「皆様はすでに、“国家機能の大半を自前で賄っている”」

 ざわめきが止まりました。

「これは事実の確認です。評価ではありません」

 私は続けます。

「それにもかかわらず、皆様は“国家ではない”。
 法的地位が曖昧なため、外部との契約が不利になり、資金も流れない」

「だから金を出す、ってわけか」

 カイルが、じっと私を見据えました。

「正確には、“流れを作る”ために、最初の重りを置くだけです」

 私は指で資料の一部を示しました。

「初期投資は、農地改良、簡易水路、倉庫の建設。
 利益は三年目から、確実に出ます」

「三年……」

 誰かが、小さく呟きました。

 長い。
 それが、彼らの本音でしょう。

「ええ、短くはありません」

 私は頷きます。

「ですが、その間、私は撤退できない契約に自ら署名します」

 そう言って、私は別の書類を差し出しました。

「撤退条項付き、かつ違約金は——」

 数字を見た瞬間、数人が息を呑みました。

「……本気だな」

 カイルが、低く言いました。

「はい。本気です」

 私は、迷いなく答えました。

「私が欲しいのは、一時的な利益ではありません。
 “統治の実績”です」

 空気が、張り詰めます。

「統治、だと?」

「ええ」

 私は、あえてその言葉を使いました。

「ミドリアイランドは、すでに国の形をしています。
 足りないのは、“名”と“後ろ盾”だけです」

 誰も、すぐには反論しませんでした。
 それほどまでに、この土地が抱えてきた矛盾は、皆の心に根付いていたのです。

 会議は、日が暮れるまで続きました。
 条件、責任、裁量権。
 一つ決まれば、二つ問題が生まれる。

 それでも、交渉は前に進んでいました。

「最後に一つだけ」

 カイルが言いました。

「もし、王国が介入してきたら?」

 私は、その問いを待っていました。

「その場合、私は前に立ちます」

 即答でした。

「表向きの責任者は、私です。
 皆様は“契約相手”。
 圧力は、すべて私が引き受けます」

「……あんた、命が惜しくないのか」

「惜しいですよ」

 私は、微笑みました。

「ですから、無謀なことはしません。
 王国が“合法的に”手を出せない形を、最初から作るだけです」

 その言葉に、何人かが小さく笑いました。
 理解したのです。この女は、感情で動く人間ではない、と。

「……分かった」

 カイルは、深く息を吐きました。

「試してみようじゃないか。
 あんたが言う“未来”ってやつを」

 契約書に、次々と署名が入ります。
 その一つ一つが、ミドリアイランドの意思でした。

 私もまた、最後に署名をしました。

 リリアーナ・ヴァルディス。

 その名は、もはや王国の庇護を示すものではありません。
 ——賭けに出た者の名前です。

 集会所を出ると、夜風が心地よく感じられました。
 空には星が浮かび、王都よりもずっと近く感じられます。

「今日は、疲れただろう」

 隣を歩きながら、カイルが言いました。

「ええ。でも、悪くありません」

 私は正直に答えました。

「あなたは、怖くないのか?」

「怖いですよ」

 私は、立ち止まりました。

「でも、婚約を破棄された日の方が、よほど不確かでしたから」

 カイルは、一瞬驚いたように目を見開き、やがて静かに頷きました。

「……あんた、強いな」

「いいえ」

 私は、首を振ります。

「私はただ、選ばれなかっただけです。
 だから今度は、自分で選ぶのです」

 ミドリアイランドを。
 この道を。
 そして——まだ名付ける必要のない、未来を。

 政治は冷たく、数字は嘘をつきません。
 ですが、その冷たさの中でしか、人は本当に対等にはなれない。

 私はそう信じて、星空を見上げました。

 この契約が、国の始まりになるのか。
 それとも、私の終わりになるのか。

 答えは、まだ出ておりません。
 ですが一つだけ、確かなことがありました。

 ——もう、誰かに捨てられるだけの立場ではない、ということです。
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