藤堂海来探偵社

蜉蝣

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第十五話 ウィメンズオフィス

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 中央文理学院大学を離れると、午後からは別件で痴漢で困っているという女子高生の親からの依頼案件についての聞き取りと、ストーカー被害を受けている女性からの依頼案件の調査打ち合わせで、その半日は潰れた。何れの案件も、実務は他社に回して報告書のみをうちでやる手筈。利益の殆どはなくなってしまうけど、数をこなさないと名目上の売上が上がらない。

 夕刻七時過ぎに事務所に戻ると、三島は既に帰社していた。デスクには「仲西麗華さんに着手金を返却しました」との三島からのメモが貼ってあった。

「あーあ、大金を失ったなぁ……」

 と思わず声に出る。あの子は報酬だけはものすごい額を貰っているので、こちらからは結構高い調査料金を提示したのだけど、「お支払いできます」との即答だった。あの仕事からの報酬は一円たりとも使っていないらしかった。それがせめてもの彼女なりの抵抗だったのだろう。

 それでも頭の中は、仲西麗華の案件が離れなかった。どうにかして助けてあげたい――、しかし世の中には私如きではどうにもならないことだっていっぱいある。その二つの矛盾した思いがずっと往復を繰り返している。多分その背後には、もっと多くの女性が彼奴等の被害に今もあっているのだ。

 そうした、人身売買的組織が世界中にはたくさんあるということを私は知っている。貧困国では子供や女性が親に売られることなど当然にように行われているし、もちろん誘拐も普通にある。そして強制労働や、強制売春、もっと酷いものになると臓器売買の提供者にまでさせられている。他にも児童結婚やポルノ制作等、世界はそうした人を奴隷扱いするような人身取引が今も多くあるのが実情だ。そのターゲットになるのが主に子供や若い女性である。

 大学時代の恩師である、桑田真由美くわたまゆみ教授には何度かその活動のお手伝いをさせてもらったことがある。先生は性犯罪研究とともに、国連を通じたそうした人身取引に関する調査研究活動のエキスパートだった。……あ、電話だ。

「はい、藤堂海来探偵社です。お電話――」
「藤堂さん、お疲れ様」

 その桑田先生からの電話だった。

「あ、先生、先生にはお詫びしないといけないことがありまして」
「聞いたわ、仲西さんから。無理強いをするつもりはなかったし、あの子も何処にも頼るところがなかったから、私も何も出来ないし、藤堂さんならと思っただけだからね。だから私に詫びなくてもいいのよ」
「でも、先生……、あたし、悔しくて……」
「藤堂さん……」

 我慢していた涙が、止めどなく溢れた。仕事で憤りを感じることも多いけど、これほど憤りを感じた仕事はかつてなかったし、自分の非力さにただ悔しさだけが募っていた。

「……すみません、突然泣いたりして」
「大丈夫よ、藤堂さん。あなたのその優しさが私は好きだわ。でもね、藤堂さんも知ってる通り、世界にはどうにもならないことが数え切れないくらいある。私だって、ほんとに毎日悔しい思いをし続けている。私はあんな活動やってるけど、一人だって救えたことはない。だから、実際に人を救っているあなたのほうが私の何倍も偉いのよ。自信を持ちなさい」
「せ、先生……」

 そのまま言葉が詰まって、涙が止まるまで数分間沈黙が続いた。受話器の向こう側には黙って私の嗚咽を聞いている先生がいるのだけど、こうやって事務所に一人いるとほんとに孤独を感じる。カンナ……。

「いいかな、藤堂さん。落ち着いた?」
「あ、はい。すみません。せっかく先生からお電話いただいてて……」
「仲西さんは、すごくあなたに感謝してたわ。今まで誰も全く動いてもくれなかったけど、藤堂さんだけが自分のために動いてくれたって。だからお礼を言っておいて欲しいって。私からもお礼を言うわ。ありがとう」
「そ、そんな先生、私は何もしてないのと同然です。たったの一日動いただけですし」
「ああ、そうそう、それね。相手が警察だから難しい案件だってことは分かっていたんだけど、少し聞かせてくれない? 諦めた理由は何?」

 諦めた理由……、か。それが簡単な話ではないから、諦めたことに対してすらも後悔しているのだけど。そういやお父さん「後悔だけはするな」って言ってたなぁ……。

「それがその、先生には言い難いんですけど、先生のところに最初に相談に行ったのって、京極さんですよね?」
「ええ、そうよ。京極さんは人権活動団体のNPOを通じて私のところに」
「そのNPOって、ウィメンズオフィスですよね?」
「そうだけど? そこは私が理事を務めているから。理事と言っても名前だけで」
「やはり……、でも先生は、今仰ったとおり、名前だけなんですね?」
「そうよ。私は頼まれてもあまり名義貸しはしないんだけど、そこはね、私が研究している性犯罪の方で協力して頂いた方が代表でね、どうしても私に名前を、って言われたから……」
「分かりました。先生、諦めた理由については言えません。ですが、私、やっぱり諦めません」
「えっ? 藤堂さん、どうして?」
「やります、仲西麗華さんの案件。先生にはご心配かけて申し訳ありませんでした」
「藤堂さん、大丈夫? 無理しなくていいのよ?」
「いえ、やります。大丈夫です。先生色々お気遣いありがとうございました。それでは失礼します」

 先生との電話を切ってすぐ、私は仲西麗華に電話をかけた。

「仲西麗華さん、ですよね?」
「はい、そうですが?」
「藤堂です。今日はすみませんでした。三島の方から着手の方を打ち切ると連絡してしまいまして」
「いえ、そんな……」
「それで、申し訳ないのですが、もう一度、着手させていただけませんか?」
「え……、着手、ですか?」
「はい、なんというか、私、少し勘違いをしてしまいまして……、でも、是非やらせて下さい。結果は前にもお話したとおり、確約は出来ませんけど、……麗華さん、私、やっぱりあなたを助けたいんです」
「藤堂さん……、あ、ありがとうございます!」
「そ、そんな麗華さん、そこで泣かなくていいよ。大丈夫。確約は出来ないって言ったけど、私頑張るから!」
「……うぅ、ほんとに、ありがとうございます」
「じゃぁね。……あ、それとお金の方、申し訳ないんですけど、いいですよね?」
「はい! スマホで振り込めますから、今すぐやっておきます」
「助かるわ、じゃぁ、また報告しますからね」
「はい」

 仲西麗華との電話を切ると、給湯室へ行き、グラスを取って冷蔵庫の製氷室から製氷パックを出して割り、その二欠片を入れる。それを持ってデスクに戻ると、デスクの一番下の引き出しの奥に隠してあった、I.W.ハーパーを取り出し、グラスに注いだ。

 「あたしってば、最悪の状況を想定しすぎたみたいね」

 と、誰もいない事務所でそれをチビリながら一人頭をかく。さっきの桑田先生との電話で、その最悪ではなかったことが分かった。桑田先生が自分の研究をまさか……、と思った私が悪かったのだけど、とは言うものの、ウィメンズオフィスが絡んでいるのではあろう。渡辺二瓶と香西雪愛のあの会話……。

 よし、そこから調査を始めるか。

 ……しかし、人が足りない。三島くんは、抱えてる仕事が多すぎるしなぁ。私一人では……、って、あいつか。いつでも呼んでくれっつってたし、無料奉仕すると息巻いてたけど、どんなもんかねぇ。確かに使える男ではあるけど、問題もある。どうしよっかなぁ。……まぁ、それはまた考えよう。

 グイっとそのバーボンを一息で飲むと、テーブルにグラスを置いて、事務所をあとに……、と思ったが、グラス見つかったらバーボンも見つかってしまうので、再び給湯室でグラスをきれいに洗ってから事務所を離れた。三島、あいつうるさいんよな――。



 次の日。早めに出社した私は、三島が出勤してくるとすぐに、あの動画を三島と確認し、あの二人の会話の一部、三上佳代子さんの読唇術によって解読したその一部を説明した。

「これが、そうなんですか?」
「ああ、「ウィメンズ」と言ってるだろ?」
「たしかにそう言われれば……、でも、たったこれだけですか?」
「そうよ。これはNPO法人のウィメンズオフィスのことを言っていると見て間違いないわ」
「え、でも、ウィメンズ、だけでしょ? ウィメンズなんて言葉、他にもいくらだって……」
「いいえ、前後の文脈から明らかなの」
「じゃぁ、そこを確認させて下さい」
「それは……、三島くんにはまだ教えられない」
「えっ? それはどうして?」

 私だって言えるものなら言いたい。一緒に仕事する仲間なのだから、出来る限り全ての情報を共有しておく必要があるし、信頼という問題もある。だから隠すべきではないことは分かっているのだが……。

「駄目よ。中央文理学院大学の坂東先生にも三上佳代子さんにも、絶対誰にも言わないように口止めしたわ。あなたにも、これ以上はまだ教えられないの」
「そう、……ですか。それじゃぁ仕方ないですね」
「ごめんね。そのうちきっと言うからさ。あなたもこの案件はやばいって知ってるわけだからさ」
「分かりました。で、僕は何をしますか?」
「それよね。ちょっと、ウィメンズオフィスのサイト、開いて見るから――」

 特定非営利活動法人NPO団体、ウィメンズオフィスの活動内容は多岐にわたる。いわゆる夫婦間や恋人間のDV被害相談や一時保護、雇用差別に関する相談や支援、性被害相談、母子家庭支援といった多くの女性に関する問題だけでなく、高齢者の支援や、引きこもりの自立支援、災害に関する援助等、かなり幅広くやっている。但し、それだけの事業を本当にやっているかと言えば、話は別だ。法人設立時の申請でそのように事業内容を行政に申告したに過ぎない。その辺は普通の株式会社と似たようなもので、例えばペーパーカンパニーとして様々な不正に使われていることも多い。

「うーん、社長、でもこのNPO結構真面目に活動してるみたいですけど。色んな活動報告もブログ形式でしっかり載ってますし、写真もいっぱいありますよ? 何処にも不審な点はなさそうに見えますが」
「私もそう思ったわ、最初はね。坂東先生のところで、先生もサクッと検索して調べてくれたんだけど、特に何も問題はなさそうだったの。流石にさぁ、名義貸ししてるだけとは言え桑田先生もここの理事してるわけだし、問題のある法人なはずはない。だけど、このページを……」

 と、私は、そのサイト内のあるリンクをクリックした。

「三島くん、ここを見て」
「ここって……、あっ、これってまさか」
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