妖怪でこぼこヒーロー組、異世界で子育てします~むしろ、国民全員の育成始めました~

色彩和

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第一章 妖怪でこぼこヒーロー組、異世界へと召喚され認識を改めます

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    Ⅰ

    時は少し前に遡る――。

    現代、日本。
    その中心部、東京のとある道路にて、一人の老人が煙草をポイ捨てしたことから始まった。それをある男は目撃し、一冊の黒き手帳に目をやると、一つの内容が追加されていることに目を細める。
    男は老人へと静かに声をかけた。
「失礼」
「……なんじゃ、お主は」
「何か、忘れ物・・・をしておられるのでは?」
    老人は首を傾げた。目の前にいる男は身長が高く、自然と見上げる状態となる程だ。老人は自分の周囲を確認し、さらに自分の持ち物も確認したが、はてと首をさらに傾げたのだった。
「何も忘れておらんがの」
「言い方が悪かったかな。落し物をしていると言っているのだが」
「落し物?    いや、だからな――」
「それ、先程捨てられただろう」
    男は煙草の吸殻を綺麗な指で示した。老人はそれを聞いて、むっとする。
「なんじゃ、若造が。年配に説教でもすると言うのか」
「……貴方の行動一つで、地球が汚れていく。貴方がここに住めなくなってから、文句が言える立場となるのか?」
「余計なお世話じゃ!」
    老人は憤った後、背を返して歩き始めた。しかし、男はそれを良しとはしなかった。
「……全く、どうしてこうも老人とは人の話を聞かないのか。いや、人間・・に言えることか」
    男は一言呟くと、老人に向かって言葉を投げかける。
「……忘れ物だと言っておるのだぞ、ほら」
    男は一つ指をパチンと鳴らした。すると、一瞬で老人が炎に包まれたのだった。
「な、なんじゃと!?」
「貴様が落とした炎が貴様を燃やし尽くす。後悔しても遅いぞ。恨むなら、数分前の自分を恨むのだな」
    男は高笑いをして、興味が無くなったように去っていく。この二人以外に誰もいない。老人を助ける者がいない中、別の男が現れた。先程の男よりも身長が低い彼は、老人を見やった後、去っていく男の背に言葉を投げかける。
「おい、白鉛はくえん!    お前、いつもやり過ぎだって言ってるだろ!      爺さん、落ち着け!   それは幻覚・・だ!」
    先程の男よりも高い声が、老人を落ち着かせる。すると、老人を纏っていたはずの炎は消えていったのだ。炎の中にいたはずの老人も、怪我の一つもなく、呆然と立っているだけだった。
「大丈夫か、爺さん!」
「な、なんじゃ、今のは……」
「……爺さん、夢でも見たのか・・・・・・・?    一人で慌ててさ」
「いや、確かに炎に――。それに、あの男――」
    老人はキョロキョロと辺りを見渡すが、目の前の男以外に誰もいない。彼はにこりと笑った。
「なんともないって。けどさ、皆見てないようで、いろんなこと見てるってことだよ。だから、自分の行動には気をつけないとな」
    男はパチンと片目を瞑ってみせると、そのまま走り去っていく。老人はしばし呆けていたが、やがて自分の行動を見直し、反省しながらとぼとぼと歩き始めるのだった。



    Ⅱ
    老人を助けた男は、高身長の男を追いかける。すでに、周囲の人間には姿が見えなくなっていた・・・・・・・・・・・。彼は閉まっていた黒き翼をばさりとはためかせて、空へと飛び立つ。辺りを見渡しながら飛行していれば、目的の人物を見つける。彼はそちらに向かって飛んでいく。
   探していた男は、東京タワーの展望台の上にいた。トップデッキの上に立つその男を怒る者は誰もいない。人間の目にはまず映っていないし、なんと言っても人目につかない場所だ。姿が見えていたとしても、なかなか気づかれることはないだろう。
「やっぱりここか、白鉛!」
「……また貴様か、黒曜こくよう
    「白鉛」と呼ばれた男は、彼の姿を見て、綺麗な眉をひそめた。不機嫌そうな顔である。
    彼は先程とは違い、和服に身を包んでいた。一冊の黒き手帳を手にしているのは変わっていない。しかし、背後には白銀の尻尾が九つ、ゆらゆらと揺れており、頭にはこれまた白銀の尖った耳がついていた。見るからに毛並みが良さそうであった。
「お前、良いことやってるはずなのに、どう見ても悪役にしか見えないんだよな。さっきもあそこまでやることないだろう」
「やかましい。それと、俺は『ヒーロー』ではなく、『裏ヒーロー』と呼ばれる者だ。良いことをやって目立ちたくはないからな」
「どういう理論、それ。毎回フォローしているこっちの身にもなれって」
    黒曜はため息をついた。白鉛の隣へとゆっくり降り立つ。黒曜は「やれやれ」と続けた。
「『裏ヒーロー』なんて、初めて聞くんだけど。ヒーローになりたくないなら、やらなきゃいいのに」
「……我ら妖怪の住む世界を奪ったのは、他でもない人間だ。我らがずっと見てきた世界は、今や便利という言葉だけではすべてを語れない程、たくさんのことができるようになっている」
    白鉛は目の前にに広がる世界を見つめつつ、静かに語る。黒曜は口を挟まなかった。
「しかし、奴らは自然を破壊していくばかりだ。見よ、毎日記載され続けていく、この閻魔帳を!」
「出たー、白鉛のブラックリスト」
「聞いておらんかったのか、閻魔帳だと言っている!」
「はいはい、『自称』な」
    黒曜は、彼が持つ黒き手帳をちらと見た。彼が持つこの手帳は、悪行をした者の名前や行った場所、具体的に何をしたのかが自動で記載されていく代物だった。わざわざ地獄にいらっしゃるという、閻魔大王まで作り方を聞きに行ったらしい。
    行動力がありすぎるのは、白鉛の利点であり、欠点であった。
    黒曜は言葉を選びつつ、彼に話しかける。
「……さっきのは、煙草のポイ捨てだろう?   そんな小さなことまで気にしてたら――」
「その小さなことが後々大きくなるのだ。『些細なこと』と馬鹿にしていれば、後で痛い目を見る。自然など、簡単に破壊できてしまうのだぞ」
    白鉛が言っていることを、黒曜はよく理解していた。言っていることは間違っていない。そんなことはよく分かっていた。何百年以上も自分たちはこの日本という国を見守ってきたのだから。
    だが、彼はやはり、目の前にいる男のやり方は間違っていると思うのだ。
「けど、いくらなんでもあそこまでやることはないだろう。いくら幻覚とはいえ、相手は人間だ。俺たち妖怪とは違う。ましてや、お前の、『九尾の狐』の幻覚など、レベルが違いすぎる。現実か幻覚か分からない状態で、本当に死んでしまうことだってある。それに、お前の行動があまりに酷いと、俺もお前を捕らえなければいけなくなる」
    黒曜が拳を固く握って話す中、白鉛は冷たく言い放った。
「――好きにするがいい。俺は自分の信じる道を行くのみだ。お前だって、『烏天狗』としての道を進む、そうだろう?」
    白鉛はすっと目を細めた。射抜かれたその視線を、黒曜は怯むことなく受け止める。
    二人は妖怪だった。だからこそ、何百年以上という長い時間を生きていくことができる。
    白鉛は、人間の世界で「九尾の狐」と呼ばれていた。幻覚が得意で、彼はその能力を使って、人を成敗する。
    黒曜は、「烏天狗」と呼ばれていた。黒き翼を持ち、たくさん数がいることもあって、妖怪の世界を見守り、人間に酷いことをする奴がいれば、捕らえて地獄へ送ることもあった。
    そんな二人の、妖怪の本来の姿はまた違うが、人間に近い姿で過ごすことが多かった。それは動きやすいのと、話がしやすいことからだった。他の妖怪も人間に近い姿でいることが多い。今や、妖怪の本来の姿を見せることのが少なかった。それは時代の流れのせいでもあった。現代では、妖怪を信じる人間より、信じない人間のが多いだろう。物語では出てくる妖怪が、見えないだけで実在する、と考える人間がどれだけいるのか――。彼ら妖怪は、その儚い想いをすでに手放していた。
    白鉛は、人間に恨みを持っているわけではなかった。だが、人間によって壊されていくこの日本の姿を見ているのが嫌になったのだ。そして、作られたのが、彼が言う自称「閻魔帳」と「裏ヒーロー」という存在だった。
    彼が言う「裏ヒーロー」とは、彼の持つ自称「閻魔帳」に名前が刻まれた者を成敗すること。相手が行った悪行を、彼の幻覚によって苦しみとして与えることにより、味わうこととなる。ただし、彼は苦しめるだけ苦しめて、その場を後にしてしまう。だからこそ、「ヒーロー」を名乗らずに、「裏ヒーロー」を名乗っているらしい。ヒーローになりたくない、というのも理由の一つではあったが。
    幻覚を使うことを得意としている彼だが、炎も自由自在に操れるらしい。もっとも、黒曜は見たことがなかったが。
    黒曜は白鉛が行っていることを良くは思っていなかった。だが、彼の言い分が分かる以上、あまり強く言えないのも事実だった。だから、最初は軽いつもりで、彼のフォローをすることにした。しかし、それは始まりとなってしまい、知らないうちに彼が「ヒーロー」扱いになってしまったのだった。彼自身、ヒーローになりたいわけではない。だが、白鉛によって行われる成敗が、人間の目に悪く映るのは嫌だった。方法が間違っているだけで、やっていることは間違っていないと思っていたからだ。だが、自分が礼を言われるのは、違うと思うから、いつもすぐにその場を後にはしていた。
    乗り掛かった船を今更降りるのも変な感じがして、結局今まで白鉛のフォローをしていた。それ故に、長い付き合いとなっていたのである。
    人間に近い姿だからか、余計に二人はなんだかんだと言葉を交わした。それが、文句であろうとも、不満であろうとも。もっとも、恐らくだが本来の姿でも言葉は交わしたとは思うのだが。
    黒曜はいろいろと思い出した中で、白鉛に改めて伝えることにした。
「白鉛。人間は確かに間違えることもあるよ。けど、悪い奴らばかりじゃない。環境を良くしようとしている人間もたくさんいる。悪いことばかりに注目していては――」
「我らの住処を奪ったのは、事実だ。今更我らが奴らからこの世界を奪おうなどとは思わん。しかし、ならばこそ何故この世界を人間全員が大事に扱わない?    それでは、我らが浮かばれん」
    白鉛は黒曜の言葉を冷たく否定した。黒曜は何も言えなかった。白鉛の言うことがもっともだと思うからだ。
    人間からしたら、そんなこと言われても困るのは重々理解していた。しかし、なんと言っても、彼らは妖怪の立場だ。住処を奪われた立場なのである。人間全員に非があるとは言えないが、妖怪の中に怒りを持っている者がいるのも確かだった。
    白鉛は人間に怒りを持っているわけではない。この世界を、自分たちが住む世界を大事に扱わない人間に怒りを向けているのだった。
「いまだに残り続ける我ら妖怪は、まだ奴らの動向を見ている。たとえ、奴らの目に映ることはないとしてもだ。このままでは、この世界は住めなくなる。奴らは何故それに気が付かない」
「気が付いている人間もいる!    現に俺たちの世界は、全部がそうではなかったと言えるじゃないか!    人間すべてを受け入れろとは言わない。けど、苦しみや痛みを与え続けるだけでは何も解決しないぞ!」
「――くどい。ならば、止めてみろ、黒曜。俺は何を言われても、やり方を変えるつもりはない」
    二人が対峙したその時だ。急に足元が眩く光ったのである。二人は何事かと目を見張ったが、一瞬の出来事に何も出来ず、ただ眩い光から目を瞑って逃れたのだった。



    Ⅲ

    ――そして、現在に至る。

    目の前の少年は、ぱちくりと目を瞬かせる。怒り続ける白鉛をなだめ、黒曜は少年の目の前に膝をつけて視線を低くした。少年と同じくらいの視線になったところで、ゆっくりと優しく聞いてみる。
「少年、名前は?」
「まひろー」
「まひろくんか、どのイントネーションかは分かんねえな。俺は黒曜って言うんだ、あっちは白鉛な。よろしく」
    黒曜が差し出した右手を、小さな手が握り返す。黒曜はほっとした後、もう一回尋ねた。
「まひろくん、漢字は書けるか?」
「……かんじって、なに」
    少年は首を傾げた。小さな身体全体で傾げるかのような動作はなんだか可愛らしい。しかし、純粋に聞いてくる少年に、妖怪二人は一瞬何を言われたか理解が出来なかった。
    黒曜は少し考えてから、地面に指で自分の名前を書いてみた。いつもの書き方では少年が読めない可能性もあるため、できる限り読みやすいように書くのを心がける。少し達筆気味な「黒曜」という字が地面に記憶された。
「これ、なーんだ」
    黒曜が元気に問いかけてみるが、少年は悲しそうな、困ったような顔でぽつりと呟いた。
「……よめない。これ、なんてかいてあるの」
「待て、小童。貴様、書ける文字はどれだ」
    急に口を挟む白鉛。「まひろ」と名乗った少年は、気を悪くした様子もなく、地面に文字を書いた。妖怪二人は上から地面を覗き込む。達筆な文字の隣に、幼く書くことに慣れていない文字が増える。そこには、「あいうえお」と拙いながらも書いてあった。
「……平仮名だな」
「他には?」
    白鉛がぽつりと呟いた後、黒曜は少年に再び問うた。まひろはさらに地面に文字を追加した。追加されたのは、「アイウエオ」。
「片仮名……」
「これだけか?」
    また白鉛がぽつりと呟く中、三度黒曜はまひろに尋ねた。まひろはこくんと頷いた。
「うん。ぼくのくにでは、ひらがな、かたかなしかまなばないよ」
「……うーん、このイントネーションのなさ、確かに気になる」
    黒曜が静かに告げると、聞き逃さなかった白鉛が、「そうだろう」と返す。まひろはそれを聞いても、ただ首を傾げるだけである。
    ふと白鉛は気がついた。
「……待て、『イントネーション』の意味は分かるのか」
「わかる。えいご、はつかうから。けど、はなしてることはわかっても、どれについていってるかわかんない」
「……どういうことだ」
   白鉛は長く綺麗な指を、顎にかける。考え込む白鉛をよそに、黒曜は閃いたとばかりに「あ!」と声を上げた。
「日本人もカタカナ英語使ってたじゃん!それと一緒じゃね!?」
「……なるほど、馬鹿もたまには役に立つな」
「うるせーよ!」
    白鉛はふむと頷いた。まひろと名乗った少年は、二人が話していることを理解出来ずにいたようだったが、だんだんとその視線は白鉛の優美な尻尾へと移っていく。少年はゆらゆらと揺れる尻尾へゆっくりと手を伸ばした。もちろん、白鉛が触らせるわけもなく、尻尾を自在に操って、まひろが触る前に避けてしまう。
「あー」
「触らせると思うか、小童。俺の尾を触ろうなどと、二〇〇年は早いな」
「また微妙。というか、人間は二〇〇年も生きないぞー」
「やかましい。何故そういうことにばかり頭が働く」
「そりゃどうも」
    黒曜は肩を竦めた。何としても白鉛の尻尾を触りたいまひろと、尻尾を巧みに動かし絶対に触らせない白鉛の攻防が始まってはいたが、もはやそれすら可愛く見えてきてしまう。
    黒曜はまひろへ何度目か分からない質問を投げかけた。
「まひろくん、この世界のこと、もう少し教えてくれねえ?    後さ、気になってたんだけど、俺たちを召喚したって言った?」
「いったー。おにいさんたち、しょうかんしたのぼくだよー」
    まひろはそれからゆっくりと話し始めた。時折、イントネーションがまったくないため、二人が口を挟むことはあったが、要約すると内容はこうであった。
    この国の名前は、「わほんこく」と言って、森林が多く、海に囲まれた国であること。言葉は話している言語が主流で、文字は平仮名と片仮名を使っていること。外の国が使っている、「英語」も多少ながら使っていること。
    聞けば聞く程、現代の日本に近い国であることが分かり、二人は親近感が湧く。しかし、言葉に困ることは無いものの、自分たちが何故ここに来たのかはいまだに分からなかった。方法はまひろが召喚したと言っていることから、何らかの術を使ったことが分かるが、召喚された意味は分からずにいる。
    白鉛は疑問をそのまま口にした。
「小童、我らを召喚した意味はなんだ」
「お前さー、子供にそんな威圧的にならなくても……」
    呆れる黒曜の言葉の後、小さなまひろの声が、二人にはやけに大きく聞こえた。
「……ぼく、たぶんさみしくて」
    白鉛は上からまひろを覗き込むように、黒曜は呆れつつもまひろと視線の高さを変えずに、その言葉を受け止めた。俯く少年へ、黒曜は優しく問うた。
「……何か、あったのか?」
「……おとうさんも、おかあさんも、なくなっちゃったんだ。おじちゃんから、きいた」
「おじちゃん」
「うん、しんせき」
    両親が亡くなった――。
    まだ小さな子供の彼が受け止める真実としては、何よりも大きすぎた。
    しかし、白鉛は疑問が湧いてくる。少年は「寂しい」と確かに言った。その割には、ぐずったり、泣いたりなどいっさいしていないのだ。さらに、彼はこうも言った、「たぶん」と――。
    涙が、枯れ果てたとでも言うのか――。
「それで、俺たちを?」
「……さみしいって、このことをいうんだろうな、って。ぽっかりこころにあながあいたきがするの。こころがいたいきがする。でも、どうしたらいいのか、わからなくて――」
「待て、まひろとやら」
    白鉛はそこで止めた。黒曜もまひろも驚いたように彼を見る。白鉛は気にすることも無く、静かに続けた。
「寂しいと、自分で気が付いたわけではないのか。何故そのような曖昧な言い方をする。貴様にも感情はあるはずだろう」
    まひろはそれを聞いて、顔を俯かせた。ふるふると首を横に振る。それから、首を傾げたのだ。
「わからないよ。ことばのいみはしっていても、それがそうなんてわからない」
「――!  まさか……」
    白鉛は言葉を飲み込んだ。しばし沈黙する。黒曜は白鉛の異様な雰囲気を感じ取ったが、彼へと言葉を投げかける。彼には皆目見当もつかないのだ。
「白鉛、どういうことだ!」
「……嫌な予感はしていたが、まさかここまでとはな」
    白鉛はぽつりと呟いた後、初めて少年の前に片膝をついた。それから、ぽすりと自分の手に収まってしまう頭へ、静かに手を置く。撫でるわけではないその手を、まひろは何を言うでもなく、静かに受け入れた。
    白鉛はそのまま黒曜へ先程の問いに答えた。
「……恐らくだが、この世界の人間は、感情を持たないのだろう」
「……はあ!?」
    思わず驚きで、黒曜の声は大きくなった。急な大声だったからか、まひろは一度肩をびくりと震わせた。しかし、それ以外何も反応はなかった。恐らく、それは本能的な行動だろう、と白鉛は思った。この少年は、自分が何に反応したのかよく分かっていないはずだ、とも考える。
    白鉛は一つため息をつくと、「仕方がない」とまひろを抱き上げた。何事かを理解していない少年を、そのまま自身の九つの尾の上にゆっくりと置く。九つの尾は、しっかりと少年を受け止めた。
「わー」
「大人しくしていろ。暴れたら落とすぞ」
「さわっていい」
「……少しなら、な」
    まひろが白鉛の尻尾で遊び始めたのを確認し、それから黒曜へと向き直る。しかし、彼は何故か口元を抑えて泣いていた。白鉛は綺麗な眉を歪める。
「……何をしている」
「白鉛、お前、やっぱり良い奴だったんだな……!   俺、感動して涙が……!」
「くだらん。――それより、この世界に漢字がないことと関係しているかもしれん」
「……どういうことだよ」
    黒曜は至極真面目な顔を白鉛へと向けた。彼は腕を組みつつ、一つ息を吐き出した。
「漢字を書かなくても、言葉の意味が分かれば理解できるからだろう。現に、あの少年がそうだ」
    白鉛は自身の尻尾で遊んでいる少年をじっと見た。少年は気がつくことも無く、尻尾に夢中である。
    確かに、先程まひろは自分で言っていた、「言葉の意味は知っている」と。さらに、「それがそうとは分からない」とも言っていた。
「話をしても、言葉の意味が分かっていれば、わざわざ漢字を覚えることも無い。同様の発音があるとするなら、意味を教えれば相手が理解するだろうしな」
「けどよ、それならイントネーションがまったくないことはどうなんだよ」
「俺がそこまで分かると思うか。今のもあくまで推測でしかない。知りたいのなら、この世界の人間に聞くことだな」
    白鉛の言葉に、黒曜は頭を抱えた。先程のまひろとの会話を思い出し、気が遠くなる。自分でも、ここまでイントネーションが重要なものだとは思っていなかった。
「まひろくんと会話しただけで、あんなに疲れるとは思わなかったな……」
「……もう一つ、推測でしかないが、ここは俺たちの言う『日本』で間違いないだろう」
    その言葉を聞いて、黒曜は嬉しそうに声を上げた。先程まで気分が下がっていた者とは思えない。
「そうなのか!    いや、確かに似ているとは思ってたけどさ……」
「馬鹿はどこまでいっても馬鹿だな」
   喜ぶ黒曜へ、ため息混じりに白鉛は告げる。呆れている、と物語っていた。しかし、黒曜はにかっと笑った。
「なら、これ以上馬鹿にならねえってことじゃん!」
「前向きに考えるにも程がある」
    ばっさりと言い放った白鉛は、何度目か分からないため息をついた。
    それから、ゆっくりと黒曜へ自分が考えた推測を説明し始めたのだった。



    IV

    白鉛が上げたのは、二つの事柄だった。
    一つは、まひろが言った、この国の名前「わほんこく」。
   そして、もう一つは、自分の手帳、閻魔帳に次々と内容が記載されていくこと。
    黒曜はぱちくりと目を瞬かせた。白鉛はまず最初の事柄、「わほんこく」について説明を始めた。
「恐らく、正しくはこう書くのだろう」
   白鉛は地面へと綺麗な指で「和本国」と記載した。地面にはまた文字が増え、賑やかになっていく。黒曜は地面を覗き込んだ。
「日本は『和』を象徴している部分がある。元々の国名、『日本』と合わさった言葉なのだろう。それに、平仮名と片仮名を使う国は他にない」
「確かに。メインで使っている国は、俺たちが知る中でも、日本だけだ」
    黒曜が納得したのを確認し、白鉛は二つ目を解説する。しかし、解説すると言っても、すでに結論は出ていた。
「閻魔帳が記載されているって、まじ?」
「嘘を言ってどうする。基本的な法律や刑罰は日本と一緒のようだ。日本で記載されていた内容とほぼ変わらない。だが――」
    白鉛はそこで言葉を切った。黒曜は何事かと首を傾げる。白鉛はまたため息をついた。
「……俺の手帳自体もバグが生じているのか、平仮名と片仮名のみで記載されている。まったく読みにくいにも程がある。まあ、法律自体も漢字が使われていないだろうが。まず、漢字がないという話だからな」
    「仕方がないとは分かっていても、こうも読みにくいとは」と白鉛はぼやいた。手帳とにらめっこしている白鉛を見つつ、黒曜は閃いたとばかりに声を上げた。
「……大日本帝国憲法!」
「やめろ。まだあちらのが幾分かマシだ。なんと言っても漢字が使われているし、片仮名が混じっているだけで読みやすい」
「……電報!」
「やめろと言っている。貴様、俺を怒らせたいのか」
    怒りを込めて言う白鉛へ、黒曜はいやー、と笑って見せた。まったく詫びるつもりがない。
「なんか懐かしいじゃーん。でもさ、言葉はそうかもしれないけど、他のことは進んでそうだよな、この世界」
「とりあえず、この世界のことを知る必要がある。それに、まだ少年が俺たちにどうして欲しいのか、分かっていない」
    白鉛は目を細めた。黒曜も頷く。
    今彼らに帰る方法はない。まず、召喚された方法すら分かっていないのだ。この世界でどう生きていくか、どうする必要があるのかを考えなくてはいけない。
   そして、まひろと名乗った少年のことも――。
   二人はもう一度まひろと話すことにした。尻尾に夢中になっていたまひろは、二人が近づいてきたことに気が付き、顔を上げた。
「まひろとやら。我らを、妖怪を召喚した理由は何故だ?    お前が言う、召喚とはどういう方法だ?」
    まひろは聞かれた内容を理解した後、首を傾げた。二人は思わず少年がどんな方法を用いたのか覚えていないのでは、と焦る。しかし、思っていた言葉とは違う言葉が出てきた。それもイントネーションはまったくなかった。
「……ようかいって、なに」
「……は?」
    二人が声を揃えて聞き返した言葉は、風にかき消されそうな程、とても小さなものだった――。
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