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8 抱きしめる腕、その正体は
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レディバード・ベルべットに到着した頃にはすっかり日が暮れていた。
この店は比較的遅くまで開いているが、馬車を路肩に停める頃には店の灯りが消えていた。
今まさに従業員たちが店の中から出てきて、施錠をしているところだった。
その中にはグレイスの姿もある。
お針子仲間たちと笑顔で二言三言交わし、一人で小道の方へと歩いて行く。
目を閉じて彼女を見ると、魔力の気配が濃くなっているのが見えた。
――いや、違う。
彼女に糸くずのようにこびりついていた禍々しい魔力と同じものを、小道の先に感じる。
グレイスはまるで導かれるように、軽い足取りでそちらへと向かっていた。
「……つけるわ。エミリー、あなたはここで待ってて」
「私も行きます。……と言いたいところですが、私では足手まといになってしまいますよね」
エミリーが沈んだ声音で言う。
私が魔物狩りに出かける時のエミリーはいつもそうだ。
自分を責めているような表情をしている。
「どうかご無事で。怪我の手当の準備くらいはしておきます」
「不吉なことを言わないでちょうだい。私が怪我をすることなんてそうそうないでしょう? 武器もちゃんと持ってきてるから。魔物も不審者も撃退できるわ」
脚にベルトを巻き、そこに魔力を通したナイフや銃を仕込んできた。
おかげで体が重いことこの上ないが、これが私の仕事の際の標準装備だった。
クリノリンは付けていないから、しゃがめば素早く武器を取り出すことができる。
私はエミリーを安心させるように微笑むと、一人で馬車を降りた。
なるべく音を立てないようにしながら、エミリーの後を追う。
エミリーは何度か角を曲がり、路地裏へと踏み込んだ。
大通りから近いとはいえ、もう一本路地へ入れば一気に物騒な場所になる。
ロンドンは至るところに闇が潜んでいるのだ。
それは必ずしも魔物ではなく、人の悪意や害意である場合だってある。
こんな場所に何の用があるのだろう。
グレイスは突き当たりで足を止めた。
そこにはすでに先客がいるようだった。どうやらここが逢い引きの場所らしい。
あの男は……?
私は壁に背をつけ見つからないよう気を付けながら目を懲らした。
ルーファス様ではない。
あと数日で満ちるだろう明るい月が、暗い路地に男の姿を浮かび上がらせる。
長めの茶髪をひとつにくくり、シャツのボタンを開けている。
遊び人のような恰好をした男だった。シャツに付いている青は絵の具だろうか。
グレイスは花のような笑顔を浮かべて男に駆け寄る。
私は姿を隠したままその様子を伺った。
確かに魔力は男の方から漂ってくる。目を閉じると、
グレイスに付着していたものと同じ、禍々しく赤い魔力が男の側を取り巻いているのが見えた。
魔物はどこにいるのだろうか。
まさか、あの男が……?
いや、そんなことはない。私はすぐに自分の考えを否定した。
完全に人間に化けられる魔物もいるが、それは相当に強い魔力を持つ魔物に限られる。
そうそう出会えるものではないし、魔力の質も普通の魔物とは違うだろう。
ふいに男の背後の闇が蠢き、音もなく曖昧な人の形を取った。
慌てて再び目を閉じ、その正体をはっきりと視る。
そこには腰を曲げた老人の姿が見えた。
――レッドキャップ。母の手帳にも記述があった。
血の滴る帽子を身につけた老人の姿をしている魔物だ。
レッドキャップは男の周囲に漂っていた魔力を自分のうちに取り込むように吸収しながら、月灯りの下で徐々にその姿を濃くしていった。
私は目を開けて現実世界でのその醜い姿を捉える。
「ひっ……!」
グレイスが男の背後を見て悲鳴を上げる。
彼女にも見えているのだ。
実体を得た魔物は普通の人間にも見える。
しかし魔物の存在が人間に認知されることはほとんどない。
人が実体化した魔物を見る時は、たいていその人間の死に際だ。
もし生き延び、周囲に訴えたとしても、悲惨な事件に遭遇したせいで精神に異常を来していると判断される。
もしくはあまりのことに気を失い、悪夢を見たのだと処理される。
「おいおい。どうしたんだよ、グレイス」
男はまだ気づいていない。グレイスが後ずさり、震える手で男の背後を指さす。
男も振り向き、そして一瞬固まった。
「う、うわあああ!」
私が銃を取り出し終えるよりも早く、男が悲鳴を上げて一目散に逃げ出す。
グレイスを置いて。
どうやらろくでもない男に捕まっていたらしい。
「あなたも逃げなさい。早く!」
銃を構えた私が叫ぶと、グレイスがびくりとこちらを向く。
「ブラッドワース夫人!? なぜここに……」
「店の前に馬車が止まっているわ。私の侍女がいるから、家まで送ってもらってちょうだい」
照準をレッドキャップに合わせたまま、早口でそう告げる。
「でも、あなたは――」
「大丈夫、不審者の撃退は得意なの」
私が浮かべた笑みを見て、グレイスは決意したように頷き馬車の方へと走っていった。
「……さて。あなたはどうしてここにいるの?」
レッドキャップに問いかける。
レッドキャップは虚空から斧を取り出し、ふらりと私に歩み寄った。
その双眸にはぽっかりと真っ暗な闇がある。
感情というものがあるようには見えない様子で、また一歩私の方へと進んだ。
「レッドキャップは人間の血を求める魔物。たいていは凄惨な事件が起きた現場を住処にするわ。ということは、この近くですでに事件が起きているということかしら。それとも、あの男が連れてきた? あの男の側にいると血にありつけるのかしら。ねえ、どうなの?」
私は銃を構えながらレッドキャップに問いかける。
少しでも情報が得られればいいと思ってのことだったが、レッドキャップは私と対話する気はなさそうだ。
たいていの魔物はそうだから仕方がない。
所詮違う生き物だ。
彼らにとって、私たちはきっとローストビーフになる前の牛のようなものだろう。
「おしゃべりは嫌いなようね。残念だわ」
引き金を引くと、あらかじめ魔力を込めておいた銃弾がレッドキャップへと迫る。
魔力の閃光を残して、レッドキャップは霧散する……はずだった。
けれどレッドキャップは一瞬足を止めただけで、また私の方へと近づいてくる。
続けざまにもう1発。
駄目押しでさらに魔力を込めてあと2発。
魔力を使ったせいで体から力が抜ける。
――おかしい。
レッドキャップは、ある程度名前が知られていて、それなりに力を持つ魔物だが、手帳の記述を見るかぎりこんなにしぶとくないはずだ。
血を求めて事件現場を住処にするこの魔物とは、以前も出会ったことがある。
個体差があるとはいえ、同じ性質を持つ魔物はだいたい同じ強さを持つ。
魔女の魔力を込めた弾丸があれば、2,3発で倒せるはずだった。
それなのに――まだ、向かってくる。
間近に迫ったレッドキャップが斧を振り上げた。
私はとっさに身を沈めた。頭上を斧が通り過ぎていく。
ぞっと寒気がした。
左足で強く地面を蹴って距離を取る。
着地した時に、負荷をかけすぎた義足が嫌な音を立てた。
一瞬の間に身を沈めてスカートの下から取り出したナイフを構える。
けれどそれよりも早く、レッドキャップが再び振りかぶった斧が眼前へと迫っていた。
――嘘。
人が死に呑み込まれる瞬間はいつも一瞬だ。
まるで夢の中にいるような心地がした。
覚悟を決める間もなく、ぎゅっと目を瞑ったその時。
「ベラ、伏せろ!」
聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。
その意味を理解するよりも先に、言われた通り地面に倒れ伏す。
誰かが私の後ろから手を伸ばし、レッドキャップの腕を掴んでいた。
何者かのするどい爪がレッドキャップのしなびた腕に食い込む。
『ギャァ!』
レッドキャップは耳をつんざくような悲鳴を上げてよろめいた。
斧を持っていた方の手から煙が上がり、まるで爛れたようになっている。
「よかった、間に合ったようだな」
後ろに、私を助けてくれた誰かがいる。
いや、私はこの声の持ち主を知っている。
「……ルーファス様」
強烈に嫌な予感がする。振り向きたくなかった。
「下がっていてくれ」
私がグレイスにかけた言葉と同じものをかけられ、よろよろと壁に背をつける。
私と入れ替わるようにして、ルーファス様がレッドキャップの前に進み出た。
月に照らされた横顔は、いつもと違うものだった。
黒髪は風に乱れ、口元からは鋭い牙が覗いている。
青みがかったグレーの瞳は、今は月をそのまま写し取ったような黄金に変わっていた。
彼を取り巻く魔力も黄金で、レッドキャップは気圧されたように後ろに後ずさった。
その姿は徐々に薄れ、実体化を解いて暗闇に溶け込もうとしている。
「駄目だ。逃がさない」
低く静かな声は、絶対的な支配者のそれだった。
ルーファス様の体が獣のようにしなやかに跳躍し、レッドキャップに向けて無造作に腕をなぎ払う。
その途端、レッドキャップはガラスがこすれるような耳障りな音を出してかき消えてしまった。
もうどこにもその存在は見えない。
ただわずかな魔力の痕跡が残るのみだった。
私はその光景を呆然と見ていた。
寒気がする。
カチカチというかすかな音を聞いて、自分が歯の根が合わないほど震えていることに気付いた。
ルーファス様がこちらを振り向く。
金色の瞳が私を捉える。月の光に晒された美貌は、間違いなく魔性のものだった。
「イザベラ。無事か?」
「近寄らないで!」
私は反射的にそう鋭く叫んだ。
あれは私が太刀打ちできる魔物じゃない。
魔女の魂が、いますぐここから逃げるよう私に訴えかけている。
「違うんだ。話を聞いてほしい」
悲しみを帯びた表情でルーファス様が言う。
その口調も、穏やかな表情も、全く変わっていない。
だからこそ余計に恐ろしかった。
頭がぐらぐらする。銃弾に渾身の魔力を込めてしまったせいで、今にも体が崩れ落ちそうだった。
「ベラ!」
伸ばされた手を拒絶するべきだった。
けれど体が思うように動かない。
視界が暗くなり、意識が遠ざかる。
倒れる寸前、私を抱き留める腕の温もりを感じた。
この店は比較的遅くまで開いているが、馬車を路肩に停める頃には店の灯りが消えていた。
今まさに従業員たちが店の中から出てきて、施錠をしているところだった。
その中にはグレイスの姿もある。
お針子仲間たちと笑顔で二言三言交わし、一人で小道の方へと歩いて行く。
目を閉じて彼女を見ると、魔力の気配が濃くなっているのが見えた。
――いや、違う。
彼女に糸くずのようにこびりついていた禍々しい魔力と同じものを、小道の先に感じる。
グレイスはまるで導かれるように、軽い足取りでそちらへと向かっていた。
「……つけるわ。エミリー、あなたはここで待ってて」
「私も行きます。……と言いたいところですが、私では足手まといになってしまいますよね」
エミリーが沈んだ声音で言う。
私が魔物狩りに出かける時のエミリーはいつもそうだ。
自分を責めているような表情をしている。
「どうかご無事で。怪我の手当の準備くらいはしておきます」
「不吉なことを言わないでちょうだい。私が怪我をすることなんてそうそうないでしょう? 武器もちゃんと持ってきてるから。魔物も不審者も撃退できるわ」
脚にベルトを巻き、そこに魔力を通したナイフや銃を仕込んできた。
おかげで体が重いことこの上ないが、これが私の仕事の際の標準装備だった。
クリノリンは付けていないから、しゃがめば素早く武器を取り出すことができる。
私はエミリーを安心させるように微笑むと、一人で馬車を降りた。
なるべく音を立てないようにしながら、エミリーの後を追う。
エミリーは何度か角を曲がり、路地裏へと踏み込んだ。
大通りから近いとはいえ、もう一本路地へ入れば一気に物騒な場所になる。
ロンドンは至るところに闇が潜んでいるのだ。
それは必ずしも魔物ではなく、人の悪意や害意である場合だってある。
こんな場所に何の用があるのだろう。
グレイスは突き当たりで足を止めた。
そこにはすでに先客がいるようだった。どうやらここが逢い引きの場所らしい。
あの男は……?
私は壁に背をつけ見つからないよう気を付けながら目を懲らした。
ルーファス様ではない。
あと数日で満ちるだろう明るい月が、暗い路地に男の姿を浮かび上がらせる。
長めの茶髪をひとつにくくり、シャツのボタンを開けている。
遊び人のような恰好をした男だった。シャツに付いている青は絵の具だろうか。
グレイスは花のような笑顔を浮かべて男に駆け寄る。
私は姿を隠したままその様子を伺った。
確かに魔力は男の方から漂ってくる。目を閉じると、
グレイスに付着していたものと同じ、禍々しく赤い魔力が男の側を取り巻いているのが見えた。
魔物はどこにいるのだろうか。
まさか、あの男が……?
いや、そんなことはない。私はすぐに自分の考えを否定した。
完全に人間に化けられる魔物もいるが、それは相当に強い魔力を持つ魔物に限られる。
そうそう出会えるものではないし、魔力の質も普通の魔物とは違うだろう。
ふいに男の背後の闇が蠢き、音もなく曖昧な人の形を取った。
慌てて再び目を閉じ、その正体をはっきりと視る。
そこには腰を曲げた老人の姿が見えた。
――レッドキャップ。母の手帳にも記述があった。
血の滴る帽子を身につけた老人の姿をしている魔物だ。
レッドキャップは男の周囲に漂っていた魔力を自分のうちに取り込むように吸収しながら、月灯りの下で徐々にその姿を濃くしていった。
私は目を開けて現実世界でのその醜い姿を捉える。
「ひっ……!」
グレイスが男の背後を見て悲鳴を上げる。
彼女にも見えているのだ。
実体を得た魔物は普通の人間にも見える。
しかし魔物の存在が人間に認知されることはほとんどない。
人が実体化した魔物を見る時は、たいていその人間の死に際だ。
もし生き延び、周囲に訴えたとしても、悲惨な事件に遭遇したせいで精神に異常を来していると判断される。
もしくはあまりのことに気を失い、悪夢を見たのだと処理される。
「おいおい。どうしたんだよ、グレイス」
男はまだ気づいていない。グレイスが後ずさり、震える手で男の背後を指さす。
男も振り向き、そして一瞬固まった。
「う、うわあああ!」
私が銃を取り出し終えるよりも早く、男が悲鳴を上げて一目散に逃げ出す。
グレイスを置いて。
どうやらろくでもない男に捕まっていたらしい。
「あなたも逃げなさい。早く!」
銃を構えた私が叫ぶと、グレイスがびくりとこちらを向く。
「ブラッドワース夫人!? なぜここに……」
「店の前に馬車が止まっているわ。私の侍女がいるから、家まで送ってもらってちょうだい」
照準をレッドキャップに合わせたまま、早口でそう告げる。
「でも、あなたは――」
「大丈夫、不審者の撃退は得意なの」
私が浮かべた笑みを見て、グレイスは決意したように頷き馬車の方へと走っていった。
「……さて。あなたはどうしてここにいるの?」
レッドキャップに問いかける。
レッドキャップは虚空から斧を取り出し、ふらりと私に歩み寄った。
その双眸にはぽっかりと真っ暗な闇がある。
感情というものがあるようには見えない様子で、また一歩私の方へと進んだ。
「レッドキャップは人間の血を求める魔物。たいていは凄惨な事件が起きた現場を住処にするわ。ということは、この近くですでに事件が起きているということかしら。それとも、あの男が連れてきた? あの男の側にいると血にありつけるのかしら。ねえ、どうなの?」
私は銃を構えながらレッドキャップに問いかける。
少しでも情報が得られればいいと思ってのことだったが、レッドキャップは私と対話する気はなさそうだ。
たいていの魔物はそうだから仕方がない。
所詮違う生き物だ。
彼らにとって、私たちはきっとローストビーフになる前の牛のようなものだろう。
「おしゃべりは嫌いなようね。残念だわ」
引き金を引くと、あらかじめ魔力を込めておいた銃弾がレッドキャップへと迫る。
魔力の閃光を残して、レッドキャップは霧散する……はずだった。
けれどレッドキャップは一瞬足を止めただけで、また私の方へと近づいてくる。
続けざまにもう1発。
駄目押しでさらに魔力を込めてあと2発。
魔力を使ったせいで体から力が抜ける。
――おかしい。
レッドキャップは、ある程度名前が知られていて、それなりに力を持つ魔物だが、手帳の記述を見るかぎりこんなにしぶとくないはずだ。
血を求めて事件現場を住処にするこの魔物とは、以前も出会ったことがある。
個体差があるとはいえ、同じ性質を持つ魔物はだいたい同じ強さを持つ。
魔女の魔力を込めた弾丸があれば、2,3発で倒せるはずだった。
それなのに――まだ、向かってくる。
間近に迫ったレッドキャップが斧を振り上げた。
私はとっさに身を沈めた。頭上を斧が通り過ぎていく。
ぞっと寒気がした。
左足で強く地面を蹴って距離を取る。
着地した時に、負荷をかけすぎた義足が嫌な音を立てた。
一瞬の間に身を沈めてスカートの下から取り出したナイフを構える。
けれどそれよりも早く、レッドキャップが再び振りかぶった斧が眼前へと迫っていた。
――嘘。
人が死に呑み込まれる瞬間はいつも一瞬だ。
まるで夢の中にいるような心地がした。
覚悟を決める間もなく、ぎゅっと目を瞑ったその時。
「ベラ、伏せろ!」
聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。
その意味を理解するよりも先に、言われた通り地面に倒れ伏す。
誰かが私の後ろから手を伸ばし、レッドキャップの腕を掴んでいた。
何者かのするどい爪がレッドキャップのしなびた腕に食い込む。
『ギャァ!』
レッドキャップは耳をつんざくような悲鳴を上げてよろめいた。
斧を持っていた方の手から煙が上がり、まるで爛れたようになっている。
「よかった、間に合ったようだな」
後ろに、私を助けてくれた誰かがいる。
いや、私はこの声の持ち主を知っている。
「……ルーファス様」
強烈に嫌な予感がする。振り向きたくなかった。
「下がっていてくれ」
私がグレイスにかけた言葉と同じものをかけられ、よろよろと壁に背をつける。
私と入れ替わるようにして、ルーファス様がレッドキャップの前に進み出た。
月に照らされた横顔は、いつもと違うものだった。
黒髪は風に乱れ、口元からは鋭い牙が覗いている。
青みがかったグレーの瞳は、今は月をそのまま写し取ったような黄金に変わっていた。
彼を取り巻く魔力も黄金で、レッドキャップは気圧されたように後ろに後ずさった。
その姿は徐々に薄れ、実体化を解いて暗闇に溶け込もうとしている。
「駄目だ。逃がさない」
低く静かな声は、絶対的な支配者のそれだった。
ルーファス様の体が獣のようにしなやかに跳躍し、レッドキャップに向けて無造作に腕をなぎ払う。
その途端、レッドキャップはガラスがこすれるような耳障りな音を出してかき消えてしまった。
もうどこにもその存在は見えない。
ただわずかな魔力の痕跡が残るのみだった。
私はその光景を呆然と見ていた。
寒気がする。
カチカチというかすかな音を聞いて、自分が歯の根が合わないほど震えていることに気付いた。
ルーファス様がこちらを振り向く。
金色の瞳が私を捉える。月の光に晒された美貌は、間違いなく魔性のものだった。
「イザベラ。無事か?」
「近寄らないで!」
私は反射的にそう鋭く叫んだ。
あれは私が太刀打ちできる魔物じゃない。
魔女の魂が、いますぐここから逃げるよう私に訴えかけている。
「違うんだ。話を聞いてほしい」
悲しみを帯びた表情でルーファス様が言う。
その口調も、穏やかな表情も、全く変わっていない。
だからこそ余計に恐ろしかった。
頭がぐらぐらする。銃弾に渾身の魔力を込めてしまったせいで、今にも体が崩れ落ちそうだった。
「ベラ!」
伸ばされた手を拒絶するべきだった。
けれど体が思うように動かない。
視界が暗くなり、意識が遠ざかる。
倒れる寸前、私を抱き留める腕の温もりを感じた。
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