【完結】魔女と狼伯爵の契約結婚

保月ミヒル

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9 魔女と狼

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 目を開けると、寝室の天井が見えた。
 夜が明けた様子はなく、枕元の明かりが薄闇を心許なく照らしていた。
 意識はいまだぼんやりしていて、一瞬なぜ自分がここにいるのかわからなくなる。

「私は一体……」

 呟いたその時、ドアの向こうから声が聞こえた。

「目が覚めたか」
「っ……!」

 ドアが開き、ルーファス様が顔を見せる。私は手をついて飛び起きると、ベッドの上に膝をついた。
 幸い義足は外されていない。

 そうだ。全て思い出した。なぜ私が気を失ってしまったのか。
 私は騙されていたんだ。
 私も後ろめたいことを隠していた以上、自分を被害者のように語ることはできないかもしれない。
 でも、いくらなんでもこんな事態になるとは思っていなかった。

 ――ルーファス様が人間じゃなかったなんて。

 いや、もう敬称を付ける必要もないだろう。
 私はルーファスが魔物であることに全く気付けなかった。
 こんなに情けないことがあるだろうか。

 スカートの中に隠してあるナイフに手を伸ばす。
 けれどそこにはベルトがあるばかりで、武器の冷たい感触にはたどり着かなかった。

「落ち着いてくれ。あのピリピリするナイフや銃は外させてもらった。付けたまま寝かせると君を傷つけるかもしれなかったからな」

 たいていの魔物には致命傷を負わせられるはずの武器を、この男はただ『ピリピリする』と言い放った。
 普通の魔物なら触れることさえも嫌がるはずだ。
 私の力が及ばないことを実感するには充分だった。

 思い出したのは、幼い頃の忌々しい光景だった。
 辺りに飛び散った血の色と、獣のような魔物。
 恐怖に嫌な汗が滲む。

「……私の脚を見ることさえ躊躇してたくせに、武器を隠していたスカートの中を探ったの? 紳士の風上にも置けない行いなんじゃないかしら」

 内心の怯えを悟られないように、せめてもの憎まれ口を叩く。

「そうだな。緊急事態だったとはいえ、申し訳なかった。どこか痛むところはないか?」

 ルーファスはベッドの側に跪くようにして私の顔を覗き込んだ。
 いつもと変わらない、誠実な態度に見える。でも。

 ――魔物に気を許してはいけない。

 母が話してくれたおとぎ話の魔女は、魔物に気を許し、契約を交わした。
 その結果が今だ。
 ロンドンの街にも魔物が現われ、人知れず人間を襲っている。
 魔物は人を魅了する術を知っている。魔物にとって人は食料のようなものだ。

 人間の血で、魂で、その空腹を満たす。
 花が甘い芳香でミツバチを誘うのと同じだ。

 私はとっさにベッドサイドに置いてあったペンを取り、ルーファスに向かって構えながら残りわずかな魔力を注いだ。
 これだけで対抗できるとも思えないが、身を守るものがないよりもマシだ。

「あまり力を使わない方がいい。その様子を見る限り、しばらく休まないと回復しないものなんだろう?」
「私の正体を知っているの?」
「確信はないよ。でも普通の人間じゃないことは知ってる。君が人に悪さをしていた魔物を倒すのを見たことがあるんだ。……例えば、先日の舞踏会でも。バルコニーから君の姿を見ていた」

 私は舞踏会で水妖を倒しその場を去ろうとした時に魔力のようなものを感じたことを思い出す。
 すぐに消えたそれを錯覚だと思っていたけれど、ルーファスの話が本当なら、あの時バルコニーから私たちを観察し、気づかれないよう魔力を消したのだろう。
 今まで私にその力を隠していたように。

 自分の迂闊さに嫌気が差す。
 けれどまさか、そんなことができるような器用な魔物が人間のふりをして接触してくるなんて。
 私に魔物を退治する力があると知った上で婚約を申し込んできた理由は果たして何なのだろう。
 排除か、それとも利用か。想像できる理由はそのくらいしかない。

 ルーファスを睨むと、彼は私がペンを持っている手に、そっと自分の手を重ねた。
 私は喉の奥で悲鳴を押し殺し、自分の手を引こうとする。
 けれどびくともしない。

「もう未亡人になるつもりか? それで刺されたら、僕もひとたまりもない」
「嘘よ。あなたほど強い魔物がこれくらいで倒せるわけない」
「僕の半分以上は人間だよ。血を流しすぎれば死ぬ。普通の人間と同じように」

 人間と魔物の混血だということ……?
 確かに、今のルーファスから魔力は感じられない。
 目を閉じてもその片鱗は見えなかった。

 意図的に魔力を隠しているのではなく、今は人間としての性質が強く出ているということだろうか。
 実体化し、人間のふりができる魔物は存在する。
 ただし個体数は多くない。
 そんな芸当ができる魔物は、元から恐ろしく強大な力を持った魔物か、限られた方法で大量の魔力を保有することができるようになった魔物だけだ。

「警戒されるのも仕方がないが、どうか話を聞いてもらえないだろうか。こんなことは言いたくないが……君が僕に勝つのは無理だ。少なくとも、今この状態では」

 ルーファスは私の手をやんわりと掴んだまま、優しく穏やかにそう告げる。
 弱いものを慈しむような声音を聞いて、目の前の相手に対する恐怖よりも苛立ちが勝った。
 私にも、ずっと一人きりで魔物と戦ってきたプライドがある。

「……そうかもしれないわね」

 ペンを握った手を緩め、床に落とす。
 するとルーファスはほっとしたように私の手から自分の手を離した。

「でも、甘く見ないでちょうだい」

 相手が油断した隙に、ベッドについた左膝を軸にして蹴りを放つ。
 ルーファスは驚いたような顔をして身を引き、私の蹴りを避けた。

「……!? そんなことができるのか」
「こんなこともできるのよ」

 私はベッドを飛び降りてルーファスとの距離を縮め、その顎を狙ってこぶしを繰り出す。
 けれど私のこぶしは、ルーファスの手に難なく受け止められてしまった。
 当たったとしても大したダメージは与えられないとわかっていても、こうも余裕で受け止められてしまうと悔しい。

 改めて今この場で自分は無力なのだと思い知る。
 悔しさに唇を噛む私をよそに、ルーファスはなぜか感心したように目を輝かせていた。

「すごいな。君は強いみたいだ。油断していたらきっと食らっていたな」
「嬉しそうね。被虐趣味でもあるの?」
「ない。君が落ち着くなら一発食らってもいいが、話し合いの機会を逃したくない」

 ルーファスは私の挑発に取り合わず、なだめるようにこう言った。

「君にこんなことを言うのは気が進まないが……もし僕が君に危害を加えるつもりなら、とっくにしてる。それが可能ということはわかるだろう?」

 魔物の恐ろしさや狡猾さを、私ではなく、魔女の魂が知っている。
 容易に信用すれば痛い目を見ることになる。
 けれど私は、少なくとも今はルーファスが嘘を言っているようには見えなかった。

 もし私を騙そうとしているとしても、反撃の時は今じゃない。
 いったん暴れたおかげで、私は多少冷静さを取り戻していた。
 恐怖もいくぶん落ち着いてきている。

「……わかったわ。とりあえず話を聞く」
「ではベッドに戻ろう。君がいつまた倒れるか気が気じゃない」

 大人しく言うことを聞くのは癪だったが、確かに魔力を使いすぎたせいでまだ足元がふらつく。
 義足の調子も悪いみたいだった。
 魔力を意識的に使うことは、私の体力と気力を大幅に奪う。
 睡眠を取れば回復するのだが、今は眠れるような状況ではない。
 できる限り大人しくしていた方が良さそうだった。

 私は渋々ベッドに腰掛ける。
 ルーファスは私を警戒させないようにしたいのか、少し距離を取って椅子に座った。
 そして気遣うような眼差しで私の様子を見る。

「必要ならこのまま手足を縛ってくれても構わない」
「……遠慮しておくわ」

 縛ったところで、この男に対してどれほどの効果があるのかわからない。
 それに万が一いま使用人が入ってきたら、新婚早々夫を縛り上げて尋問している恐ろしい妻として噂になりかねない。
 私は一呼吸置いて気持ちを落ち着かせると、今一番気になることから聞くことにした。

「まず、エミリーはどこ?」
「あのお針子を送り届けた後、屋敷に帰ってきて、今は別室にいる。君と大事な話があるから二人きりにしてほしいと頼んだんだ」
「エミリーがあなたの言うことを聞いたの?」

 今までのエミリーの態度からして考えづらい。
 私は思わず疑いの眼差しでルーファスを見た。

「安心してくれ。危害は加えていないし、きちんとすぐに君に会わせると約束してある。……確かに殺意は向けられたが」

 よくよく見れば、ルーファスはどことなくくたびれている。
 襟元がよれているところを見るに、エミリーに胸倉くらいは掴まれたのかもしれない。
 エミリーとのやりとりについてもう少し詳しく聞きたいような気がしたが、今はそれどころじゃなかった。

「あなたは一体何者なの?」
「……僕は、人狼の血を引いているらしい」

 人狼。
 満月の夜に獣の姿になり、人を襲うといわれている恐ろしい魔物だ。
 各地の伝承に残っている『確かな存在』であり、名前のない魔物はもちろん、レッドキャップなどとも一線を画す存在だ。
 伯爵家の息子が人狼の血を引いているとは、一体どういうことなのだろう。

「『らしい』というのは?」
「わからないんだ。孤児だから」
「孤児? まさか、ブラッドワース伯爵の一人息子を殺して成り代わったわけじゃないでしょうね」
「いいや、違う」

 ルーファスは首を横に振った。

「僕は伯爵家に拾われた。表向きは親戚から養子を取ったということになっているが、本当は田舎の孤児院の生まれだ」
「伯爵はあなたの正体を知っていたの? なぜ養子に?」
「いや……父は知らなかったはずだよ」

 ルーファスは首を横に振り、静かに過去を語り始めた。
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