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11 魔女と妖精
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翌朝。目覚めた私は、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
昨夜は混乱のあまり会話を切り上げてルーファスを追い出し、朝も考える時間を確保するために一人で過ごしたいと伝えている。
「妻になれの次は手を組め、そしてその次は使い魔にしろ……。変わった人だとは思っていたけれど、こんなに妙な要求の多い人だとは思わなかったわ」
「……そうですね。私も、まさかあの方が人狼の血を引いているとは思いませんでした」
カーテンを開け、私に朝食を運んできたエミリーが私の言葉に相槌を打つ。
昨夜、ルーファスは部屋を出て行く前にエミリーを呼び戻した。
ルーファスが言っていた通り、別室で待機していただけで、手荒なことなどはされていないようだった。
ほっとする私をよそに、ルーファスはエミリーに小声で話しかけたのだ。
『エミリー。君の秘密も話しておいた方がいいんじゃないか?』
私は耳が良い方だ。
しっかり聞こえてしまったし、エミリーが一瞬だけ珍しく焦ったような反応をしたことにも気づいてしまった。
けれど昨夜はどうしても詳しく聞く気になれず、また、エミリーも私とルーファスの会話の内容を聞かせてほしいとせがんだせいもあって、有耶無耶になっていたのだ。
ルーファスはともかくとして、エミリーにまで秘密があるなんて、正直に言って私の狭い心はどうにかなりそうだった。
でも私の方から切り出すのも気が引ける。
まるでエミリーのことを信じていないみたいで抵抗があった。
そんな葛藤のせいで今朝もタイミングを逃していたのだが、やがてエミリーがあらたまった様子で私に向き合った。
「……ベラ様。実はお話したいことがあります。聞いていただけますか?」
来た。
エミリーの方から口に出してくれたことが少し嬉しかった。
……それなら、私も覚悟を決めて聞くべきだろう。
ルーファスのことはまだ信じていいのか判断が付かないが、エミリーは小さな時から私の側にいてくれた人だ。
「私はエミリーにだけは秘密を作らずに生きてきたわ。あなたは私のどんな話でも受け入れてくれたから」
魔物のことはもちろん、こっそりした悪戯も、使用人の子とケンカしてしまった時の懺悔も、エミリーはなんでも聞いてくれた。
叱られることもあったけれど、エミリーはちゃんと私に注意してくれることも含めて、私の味方だった。
「だから、もしあなたに秘密があるのなら遠慮なく話してほしいの。聞く前から何を聞いても動揺しないという約束をするのは誠実じゃない気がするから、そんなことは言わないけど――でも、どんなことを聞いたとしても、エミリーは私の大切な侍女で、姉で、友達よ」
「ベラ様……」
エミリーが目を潤ませる。こんな表情をする彼女を初めて見た。
今までよっぽど胸に秘めておくのが辛かったのだろう。
覚悟を持って話してくれるからには、私もきちんと受け止めなければならない。
やがてエミリーは静かな声で話し始めた。
「私は……本当は人間ではありません。奥様と契約していた魔物――名もなき妖精です」
予想もしていなかった言葉に、私は目を見開く。
次の言葉が出てくるまでほんの少しの時間が必要だった。
「妖精、って……でも、あなたには触れられるわ。魔力も感じない」
「私は奥様と魔力を共有することで人としての形を保っていました。奥様亡き今、私に残った魔力はこの形を保つためだけに遺されたもので、他にできることはありません。わずかな魔力でしたら普通の人間も持っていますから、ベラ様が目視できるほどの量はないということなのでしょう」
エミリーは私に嘘をつかない。
となれば、これは本当のことだ。
私は意識的にゆっくり呼吸をして心を落ち着けた。
幸い、先に昨夜の衝撃があったおかげで、なんとか持ち堪えられそうだった。
「もしかして、お母様との契約というのは……侍女として私の世話をすることを命じられたの?」
「いいえ。ベラ様の侍女になりたいと申し出たのは私の方なのです」
エミリーがどこか懐かしそうな微笑みを浮かべる。
「私がまだ妖精としてフェーンベリーのお屋敷の周囲を漂っていた時、幼いベラ様はよく私にクッキーとミルクをわけてくださったんですよ。覚えていらっしゃらないと思いますが」
「えっ……でも、その頃の私はまだ魔女の魂を受け継いでいないはずよ。あなたのこともきっと見えないわ」
両親を亡くすまで、私は自分の力に気づくことなく生きてきたはずだ。
私の疑問を汲んで、エミリーが静かに頷いた。
「ええ。でも、小さな子どもはまれに私たちの姿を見ることがあるんです。たいていは成長するにつれて忘れてしまいますけどね。
その頃の私は、本当に弱い妖精でした。人から何かを奪うこともできず、妖精が度々するように植物の精気を吸って凌ぐこともできず……ただ、消えゆく時を待つだけの存在でした。
その時、あなたの笑顔とささやかな贈り物に身も心も救われたのです。私は我ながら義理堅い妖精でした。恩を忘れることができずにあなたの周りをうろうろとしていたところ、奥様に見つかったというわけです」
そんな経緯があったなんて知らなかった。
「奥様は私の話を聞いて、そんなに役に立ちたいなら使い魔にしてあげると言ってくださいました。魔女の使い魔になれば、名もなき妖精であった頃からは想像も付かないほどの魔力を得られます。実体化して、人間と変わりなく生活することもできました。
奥様と交わした契約内容は、魔物の存在を知る者として奥様のサポートをすることでした。奥様が一人で外出するのは怪しまれますけど、使用人と一緒なら何かと言い訳ができますからね。
そうやって人間の暮らしに慣れた頃、ベラ様付きの侍女になる条件として人間のふりをすることを課せられました。必要であれば、奥様の秘密を知る者として外出に付き合うこともありましたが」
……もしかして。
記憶の中の母と、その後ろに付き従う金髪の従者のことを思い出し、私は声を上げそうになった。
「昔、お母様と一緒に時折屋敷を抜け出していた従者って――」
「ええ、私です。あの頃は男の姿を取っていました。その方が奥様にとっても役に立てたので。今はもう、この姿以外のものになることもできませんけど」
「……そう、だったの……? でも、あの従者は男性だったわ」
「妖精は性別を持ちません。『エミリー』になったのは、あくまでもベラ様の侍女としての役目をいただいてからのことです。今は魔力不足で姿を変えられませんが、魔力さえがあれば見た目の性別を変えることくらいはできますよ。もちろん、本来の姿に戻ることも」
エミリーは当然のことのようにそう言う。
これは私にとって受け入れがたいことのはずだった。
けれど、エミリーが母の側にもずっと寄り添ってくれていたことは、なんだか嬉しく感じた。
両親が亡くなったその時、エミリーは一緒に心の底から悲しみ、同時に私の無事を喜んでくれた。
なぜこんなに寄り添ってくれるのかと考えたこともあったが、きっと同じ思いを共有してくれていたからだろう。
エミリーにとって、母はきっと家族にも等しい特別な人だった。
「今まで本当のことを明かせずに申し訳ございませんでした、ベラ様」
「……確かに驚いたし、まだ心の整理がついていないわ。エミリーは、私に『秘密を作らないでほしい』と言っていたのに、自分はそんなに大きな秘密を隠してたなんて」
つい責めるような口調になってしまい、エミリーが黙り込む。
弁解の余地はないということなのだろう。
「でもエミリーはずっと私の側にいて、支えてくれたわ。私が魔物狩りに向かう時にも必ずついてきて、できる限りのことをしてくれた。エミリーはエミリーよ。黙っていたのも、きっと私のためを思ってのことでしょう?」
子供の頃からエミリーのことを知っているからこそ、そう断言できた。
きっと、両親が魔物に殺されてすぐにエミリーが人間ではないことを知っていたら、きっともう何も信じられなくなってしまっていた。
そんな私のことをわかっていたから、エミリーは自分の正体を話すことなく側にいてくれたのだろう。
「本当は、私もベラ様を守りたかったんです。今の私には何もできないと知っていても、奥様の大切な宝物を他の魔物に傷つけられたくなかった。でも今の私にはなんの力もない。ベラ様を庇おうとしても、かえって足手まといになってしまいます。そのことがずっと、歯がゆかった」
エミリーは私を送り出す時にいつも苦しそうな顔をしていた。
その理由が今わかったような気がした。
「それじゃあ、そうやってずっと苦しんでくれていたことが、あなたが私に嘘をついていたことへの罰っていうことでいいんじゃないかしら」
「ベラ様……。ありがとうございます」
エミリーが湧き上がってくる感情を堪えるように目を伏せた。
その様子を見て、私も改めてエミリーが家族のように大切な存在だと思い知る。
「あなたが人間ではないと知っても、あなたへの信頼は揺るがないわ。……でも、魔物を信じるかどうかは別よ。今まで恐ろしい魔物をたくさん見てきたし、ましてルーファスの理想――人と魔物の共生が、本当に人間にとって良いものなのかはわからない」
人ならざるものであっても、人に害意があるとは限らないということは理解した。
でも、私にとって魔物はずっと敵だった。
長い時間をかけて関係を築いていったエミリーと違って、ルーファスの言うことは信用していいのかどうか判断が難しい。
「それには私も同意します。ルーファス様の性格は確かに害があるタイプには見えませんが、警戒するに越したことはありません」
エミリーは低い声で言って、わずかにその眉根を寄せる。
「……もしかしてだけど、私怨が入っていない?」
「入っています。ええ。もちろん」
エミリーは素直に頷いた。やはりルーファスを嫌っているようだ。
「けれどベラ様。念のため確認しておきたいのですが、ルーファス様が言った『契約』がどんなものだか知っていますか?」
「さあ……。さっき、ルーファス様から契約は二種類あるというようなことを聞いたけど」
具体的にどういった行為で、どんな効果があるのかどうかは、いまいち想像がつかない。
「契約は、魔物と命を共有すると言ってもいい行いです。現に契約者である奥様を亡くした私は魔力のほとんどを失い、本来の姿に戻ることさえ叶いません。それに、正しい契約を結ぶことができれば互いの力を増幅させますが、誤った形で契約を結べば、互いを破滅へと導きます」
「誤った契約というものがあるの?」
「ええ。契約は互いを想う心がなくては成立しないものです。どちらかが私利私欲のために一方を騙したり、利用したりするつもりであれば、誤った契約が結ばれます。つまり――契約を結んでいる二者間の関係性によって、共に利益を受け取る形になるか、一方的に搾取される形になるかが決まるのです」
そういえばルーファスもそんなことを言っていた。
もし彼に私を利用する気持ちがあれば、なんらかの形で私の力も奪われてしまうことになるということだろうか。
彼は器用なタイプには見えないから、話してくれたこと全てが嘘だとは思えない。
けれどやっぱりまだ迷いがあった。
同じ魔物でも、自然の中を漂う無害な妖精とはわけが違う。
ルーファスが月明かりの下で力を現した時の、あのぞっとした感覚を思い出すだけで今も震えてしまいそうになる。
私が見たあれは、人も魔物も等しくねじ伏せることができる存在だった。
人としてのルーファスは善良な人物だったとしても、この先もずっとそうだと言い切れるのだろうか。
自らが持つ魔物の側面に飲まれるようなことはないのだろうか。
……でも、それを言うなら私だってそうだ。
私にはいくつか戦う理由があるが、それとは別に戦いたい理由もある。
魔物と対峙しているときに、高揚感を覚える時がないと言えば嘘になる。
魔女の魂が巣くっているからこそ、私はその本能に基づいて戦うことができた。
魔の側面に飲まれる可能性があるのは、私自身も抱えている問題ではないのだろうか。
ふいにそのことに気付いてしまい、愕然とする。
「私は、ルーファス様のことを危険な方だと思っています」
エミリーの言葉に、私ははっと我に返った。
「けれど……正直にお話すると、これは力の弱い妖精としての本能でもあります。私も魔力により存在を成り立たせているという意味では魔物と同じですし、魔物が自分よりも力の強い魔物に逆らうのは容易なことではありません。
昨夜だって、気を失ってしまったベラ様とルーファス様を二人きりにはしたくなかったのに、どうしても逆らえなかった。奥様からわけてもらった魔力がまだ残っていても、私はこの程度の存在です。魔物と戦うベラ様の手伝いがしたくても、足手まといにしかなりません。
でも……ルーファス様は違います」
エミリーがなにを言おうとしているのかはわかる。
でも、この先の決断は私自身がしなくてはならない。
もしルーファスのように魔物の血を引く人間や、強い力を持つ魔物そのものが人間社会に紛れ込んでいるとしたら――いずれきっと、私一人では限界が来る。
加えて、私だってただの人間とは言いがたい。
異質さで言えば、エミリーやルーファスに近しいものだろう。
人間ではないから、あるいは魔物の血を引いているからと言って、人に害をなすものと決めつけていいのだろうか。
もちろんこれは責任ある決断だ。
私の油断が、思わぬ危険を招くことだってあるだろう。
周囲の大切な存在を巻き込んでしまう可能性もある。
私は目を閉じ、両親を襲った悲劇を思い出した。
けれど――
「ベラ様ならきっと、正しい決断を下すことができます」
私をずっと側で見てくれた人が、こう言っている。
「……ええ。決めたわ。エミリー、話してくれてありがとう」
昨夜は混乱のあまり会話を切り上げてルーファスを追い出し、朝も考える時間を確保するために一人で過ごしたいと伝えている。
「妻になれの次は手を組め、そしてその次は使い魔にしろ……。変わった人だとは思っていたけれど、こんなに妙な要求の多い人だとは思わなかったわ」
「……そうですね。私も、まさかあの方が人狼の血を引いているとは思いませんでした」
カーテンを開け、私に朝食を運んできたエミリーが私の言葉に相槌を打つ。
昨夜、ルーファスは部屋を出て行く前にエミリーを呼び戻した。
ルーファスが言っていた通り、別室で待機していただけで、手荒なことなどはされていないようだった。
ほっとする私をよそに、ルーファスはエミリーに小声で話しかけたのだ。
『エミリー。君の秘密も話しておいた方がいいんじゃないか?』
私は耳が良い方だ。
しっかり聞こえてしまったし、エミリーが一瞬だけ珍しく焦ったような反応をしたことにも気づいてしまった。
けれど昨夜はどうしても詳しく聞く気になれず、また、エミリーも私とルーファスの会話の内容を聞かせてほしいとせがんだせいもあって、有耶無耶になっていたのだ。
ルーファスはともかくとして、エミリーにまで秘密があるなんて、正直に言って私の狭い心はどうにかなりそうだった。
でも私の方から切り出すのも気が引ける。
まるでエミリーのことを信じていないみたいで抵抗があった。
そんな葛藤のせいで今朝もタイミングを逃していたのだが、やがてエミリーがあらたまった様子で私に向き合った。
「……ベラ様。実はお話したいことがあります。聞いていただけますか?」
来た。
エミリーの方から口に出してくれたことが少し嬉しかった。
……それなら、私も覚悟を決めて聞くべきだろう。
ルーファスのことはまだ信じていいのか判断が付かないが、エミリーは小さな時から私の側にいてくれた人だ。
「私はエミリーにだけは秘密を作らずに生きてきたわ。あなたは私のどんな話でも受け入れてくれたから」
魔物のことはもちろん、こっそりした悪戯も、使用人の子とケンカしてしまった時の懺悔も、エミリーはなんでも聞いてくれた。
叱られることもあったけれど、エミリーはちゃんと私に注意してくれることも含めて、私の味方だった。
「だから、もしあなたに秘密があるのなら遠慮なく話してほしいの。聞く前から何を聞いても動揺しないという約束をするのは誠実じゃない気がするから、そんなことは言わないけど――でも、どんなことを聞いたとしても、エミリーは私の大切な侍女で、姉で、友達よ」
「ベラ様……」
エミリーが目を潤ませる。こんな表情をする彼女を初めて見た。
今までよっぽど胸に秘めておくのが辛かったのだろう。
覚悟を持って話してくれるからには、私もきちんと受け止めなければならない。
やがてエミリーは静かな声で話し始めた。
「私は……本当は人間ではありません。奥様と契約していた魔物――名もなき妖精です」
予想もしていなかった言葉に、私は目を見開く。
次の言葉が出てくるまでほんの少しの時間が必要だった。
「妖精、って……でも、あなたには触れられるわ。魔力も感じない」
「私は奥様と魔力を共有することで人としての形を保っていました。奥様亡き今、私に残った魔力はこの形を保つためだけに遺されたもので、他にできることはありません。わずかな魔力でしたら普通の人間も持っていますから、ベラ様が目視できるほどの量はないということなのでしょう」
エミリーは私に嘘をつかない。
となれば、これは本当のことだ。
私は意識的にゆっくり呼吸をして心を落ち着けた。
幸い、先に昨夜の衝撃があったおかげで、なんとか持ち堪えられそうだった。
「もしかして、お母様との契約というのは……侍女として私の世話をすることを命じられたの?」
「いいえ。ベラ様の侍女になりたいと申し出たのは私の方なのです」
エミリーがどこか懐かしそうな微笑みを浮かべる。
「私がまだ妖精としてフェーンベリーのお屋敷の周囲を漂っていた時、幼いベラ様はよく私にクッキーとミルクをわけてくださったんですよ。覚えていらっしゃらないと思いますが」
「えっ……でも、その頃の私はまだ魔女の魂を受け継いでいないはずよ。あなたのこともきっと見えないわ」
両親を亡くすまで、私は自分の力に気づくことなく生きてきたはずだ。
私の疑問を汲んで、エミリーが静かに頷いた。
「ええ。でも、小さな子どもはまれに私たちの姿を見ることがあるんです。たいていは成長するにつれて忘れてしまいますけどね。
その頃の私は、本当に弱い妖精でした。人から何かを奪うこともできず、妖精が度々するように植物の精気を吸って凌ぐこともできず……ただ、消えゆく時を待つだけの存在でした。
その時、あなたの笑顔とささやかな贈り物に身も心も救われたのです。私は我ながら義理堅い妖精でした。恩を忘れることができずにあなたの周りをうろうろとしていたところ、奥様に見つかったというわけです」
そんな経緯があったなんて知らなかった。
「奥様は私の話を聞いて、そんなに役に立ちたいなら使い魔にしてあげると言ってくださいました。魔女の使い魔になれば、名もなき妖精であった頃からは想像も付かないほどの魔力を得られます。実体化して、人間と変わりなく生活することもできました。
奥様と交わした契約内容は、魔物の存在を知る者として奥様のサポートをすることでした。奥様が一人で外出するのは怪しまれますけど、使用人と一緒なら何かと言い訳ができますからね。
そうやって人間の暮らしに慣れた頃、ベラ様付きの侍女になる条件として人間のふりをすることを課せられました。必要であれば、奥様の秘密を知る者として外出に付き合うこともありましたが」
……もしかして。
記憶の中の母と、その後ろに付き従う金髪の従者のことを思い出し、私は声を上げそうになった。
「昔、お母様と一緒に時折屋敷を抜け出していた従者って――」
「ええ、私です。あの頃は男の姿を取っていました。その方が奥様にとっても役に立てたので。今はもう、この姿以外のものになることもできませんけど」
「……そう、だったの……? でも、あの従者は男性だったわ」
「妖精は性別を持ちません。『エミリー』になったのは、あくまでもベラ様の侍女としての役目をいただいてからのことです。今は魔力不足で姿を変えられませんが、魔力さえがあれば見た目の性別を変えることくらいはできますよ。もちろん、本来の姿に戻ることも」
エミリーは当然のことのようにそう言う。
これは私にとって受け入れがたいことのはずだった。
けれど、エミリーが母の側にもずっと寄り添ってくれていたことは、なんだか嬉しく感じた。
両親が亡くなったその時、エミリーは一緒に心の底から悲しみ、同時に私の無事を喜んでくれた。
なぜこんなに寄り添ってくれるのかと考えたこともあったが、きっと同じ思いを共有してくれていたからだろう。
エミリーにとって、母はきっと家族にも等しい特別な人だった。
「今まで本当のことを明かせずに申し訳ございませんでした、ベラ様」
「……確かに驚いたし、まだ心の整理がついていないわ。エミリーは、私に『秘密を作らないでほしい』と言っていたのに、自分はそんなに大きな秘密を隠してたなんて」
つい責めるような口調になってしまい、エミリーが黙り込む。
弁解の余地はないということなのだろう。
「でもエミリーはずっと私の側にいて、支えてくれたわ。私が魔物狩りに向かう時にも必ずついてきて、できる限りのことをしてくれた。エミリーはエミリーよ。黙っていたのも、きっと私のためを思ってのことでしょう?」
子供の頃からエミリーのことを知っているからこそ、そう断言できた。
きっと、両親が魔物に殺されてすぐにエミリーが人間ではないことを知っていたら、きっともう何も信じられなくなってしまっていた。
そんな私のことをわかっていたから、エミリーは自分の正体を話すことなく側にいてくれたのだろう。
「本当は、私もベラ様を守りたかったんです。今の私には何もできないと知っていても、奥様の大切な宝物を他の魔物に傷つけられたくなかった。でも今の私にはなんの力もない。ベラ様を庇おうとしても、かえって足手まといになってしまいます。そのことがずっと、歯がゆかった」
エミリーは私を送り出す時にいつも苦しそうな顔をしていた。
その理由が今わかったような気がした。
「それじゃあ、そうやってずっと苦しんでくれていたことが、あなたが私に嘘をついていたことへの罰っていうことでいいんじゃないかしら」
「ベラ様……。ありがとうございます」
エミリーが湧き上がってくる感情を堪えるように目を伏せた。
その様子を見て、私も改めてエミリーが家族のように大切な存在だと思い知る。
「あなたが人間ではないと知っても、あなたへの信頼は揺るがないわ。……でも、魔物を信じるかどうかは別よ。今まで恐ろしい魔物をたくさん見てきたし、ましてルーファスの理想――人と魔物の共生が、本当に人間にとって良いものなのかはわからない」
人ならざるものであっても、人に害意があるとは限らないということは理解した。
でも、私にとって魔物はずっと敵だった。
長い時間をかけて関係を築いていったエミリーと違って、ルーファスの言うことは信用していいのかどうか判断が難しい。
「それには私も同意します。ルーファス様の性格は確かに害があるタイプには見えませんが、警戒するに越したことはありません」
エミリーは低い声で言って、わずかにその眉根を寄せる。
「……もしかしてだけど、私怨が入っていない?」
「入っています。ええ。もちろん」
エミリーは素直に頷いた。やはりルーファスを嫌っているようだ。
「けれどベラ様。念のため確認しておきたいのですが、ルーファス様が言った『契約』がどんなものだか知っていますか?」
「さあ……。さっき、ルーファス様から契約は二種類あるというようなことを聞いたけど」
具体的にどういった行為で、どんな効果があるのかどうかは、いまいち想像がつかない。
「契約は、魔物と命を共有すると言ってもいい行いです。現に契約者である奥様を亡くした私は魔力のほとんどを失い、本来の姿に戻ることさえ叶いません。それに、正しい契約を結ぶことができれば互いの力を増幅させますが、誤った形で契約を結べば、互いを破滅へと導きます」
「誤った契約というものがあるの?」
「ええ。契約は互いを想う心がなくては成立しないものです。どちらかが私利私欲のために一方を騙したり、利用したりするつもりであれば、誤った契約が結ばれます。つまり――契約を結んでいる二者間の関係性によって、共に利益を受け取る形になるか、一方的に搾取される形になるかが決まるのです」
そういえばルーファスもそんなことを言っていた。
もし彼に私を利用する気持ちがあれば、なんらかの形で私の力も奪われてしまうことになるということだろうか。
彼は器用なタイプには見えないから、話してくれたこと全てが嘘だとは思えない。
けれどやっぱりまだ迷いがあった。
同じ魔物でも、自然の中を漂う無害な妖精とはわけが違う。
ルーファスが月明かりの下で力を現した時の、あのぞっとした感覚を思い出すだけで今も震えてしまいそうになる。
私が見たあれは、人も魔物も等しくねじ伏せることができる存在だった。
人としてのルーファスは善良な人物だったとしても、この先もずっとそうだと言い切れるのだろうか。
自らが持つ魔物の側面に飲まれるようなことはないのだろうか。
……でも、それを言うなら私だってそうだ。
私にはいくつか戦う理由があるが、それとは別に戦いたい理由もある。
魔物と対峙しているときに、高揚感を覚える時がないと言えば嘘になる。
魔女の魂が巣くっているからこそ、私はその本能に基づいて戦うことができた。
魔の側面に飲まれる可能性があるのは、私自身も抱えている問題ではないのだろうか。
ふいにそのことに気付いてしまい、愕然とする。
「私は、ルーファス様のことを危険な方だと思っています」
エミリーの言葉に、私ははっと我に返った。
「けれど……正直にお話すると、これは力の弱い妖精としての本能でもあります。私も魔力により存在を成り立たせているという意味では魔物と同じですし、魔物が自分よりも力の強い魔物に逆らうのは容易なことではありません。
昨夜だって、気を失ってしまったベラ様とルーファス様を二人きりにはしたくなかったのに、どうしても逆らえなかった。奥様からわけてもらった魔力がまだ残っていても、私はこの程度の存在です。魔物と戦うベラ様の手伝いがしたくても、足手まといにしかなりません。
でも……ルーファス様は違います」
エミリーがなにを言おうとしているのかはわかる。
でも、この先の決断は私自身がしなくてはならない。
もしルーファスのように魔物の血を引く人間や、強い力を持つ魔物そのものが人間社会に紛れ込んでいるとしたら――いずれきっと、私一人では限界が来る。
加えて、私だってただの人間とは言いがたい。
異質さで言えば、エミリーやルーファスに近しいものだろう。
人間ではないから、あるいは魔物の血を引いているからと言って、人に害をなすものと決めつけていいのだろうか。
もちろんこれは責任ある決断だ。
私の油断が、思わぬ危険を招くことだってあるだろう。
周囲の大切な存在を巻き込んでしまう可能性もある。
私は目を閉じ、両親を襲った悲劇を思い出した。
けれど――
「ベラ様ならきっと、正しい決断を下すことができます」
私をずっと側で見てくれた人が、こう言っている。
「……ええ。決めたわ。エミリー、話してくれてありがとう」
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「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
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