KreuzFeuers Zwielicht(クロイツフォイエル・ツヴィーリヒト)

比良沼

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序章

Report.000:ユーリア、幼少の記憶

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「儂もそろそろ寿命じゃな……」
 そう言って、曾祖父フリッツは完全な木になった両足を見つめると、しゃがれた声で、そう呟いた。
「そんな……曾祖ちゃん、死んじゃうの? なんとか助かる方法、あるよね?」
 彼女――ユーリアは、指先・手先が木へ変貌した曾祖父の腕を強く握りながら、大きな空色の瞳に涙を溜め、周りの大人らを見回した。
 大人達は、皆、目線を外す中で、彼女の母親ヒルデだけはユーリアの顔を真正面に捉えると、声を振り絞るように言った。
「あのね、ユーリア。これは木質化現象といってね、決して死ぬわけじゃないのよ。ほら、街の外れに森があるでしょ? 彼たちはみんな木質化した、私たちの祖先なのよ」
 おかっぱに切りそろえたはちみつ色の金髪を撫でながら、困った顔をして説明する。
「でも……お話もできなくて、身体も動かせない。そんなの、本当の木になったのと同じじゃない!」
 ぶんむくれた顔をして、周りに集まった大人達を見渡す。彼らの表情一様に複雑さを増して、どう説明してよいのか、悩んでいる様子だった。
「ユーリア、ちょっと外へ出てみるか。曾々爺ちゃんも、木質化が始まってまだ間もない。車いすに乗せる位はできるだろう」
 見た目で言うと青年位の男は、腕を組み溜め息をついて、ユーリアを説得しようとする。
「なあ、母さん。ユーリアはまだ八歳だが、白エルフ族の生い立ちを教えておく必要があるんじゃないかな?」
「そうねぇ……二十歳になったら、と思っていたけど、曾爺さんがこの状態だと、遅かれ早かれね……」
 実際に二十四、五歳ほどに見えるヒルデは少し悩むと、仕方がないといった感じで、首を縦に振った。
「車いすは公民館で貸していたわね。あなた、取ってきて下さる?」
「ああ、すぐに取ってくる。ちょっと待っててくれ」
 青年は軽く頷くと、急いで玄関から出て行った。

 白エルフという存在は、寿命や老化など普通の人間――ここではヒトという――に比べると、実に異質であると言わざるを得ないだろう。
 大体二五歳ほどまでは、エルフとヒトは同じように成長をする。体格はやや痩せ型だが、皆美しい金髪をして眉目秀麗、一見するとモデル集団か何かと勘違いしそうだ。だが、一番の違いは見た目ではなく、寿命の長さにある。大体一千歳くらいまでは老化現象が出るわけでもなく、長い時間をただ普通の若者のような身体で過ごすのだ。
 ただ、その時を過ぎると身体は急激に老化が進行していく。その過程は、手先・足先から徐々に木のように堅くなり横隔膜が固まり、その現象は最終的に心臓や脳へと伝わって、やがて全身が木そのものになって死を迎える。
 しかし、死してもなお、白エルフとヒトとは、明らかに違う結末をたどる。それは、ヒトが火葬なり土葬なりして遺体を変質させる代わりに、白エルフの遺体は穴を縦に掘り下半身だけを埋め、上半身を露出させて死者を弔うのだ。
 ここに「木質化」と呼ばれる所以がある。近年の研究で分かったことだが、エルフの木質化は通常、動物には無く植物には存在する「細胞壁」が四肢の先から生まれ、木質化が始まってゆくのだ。
 そして、最終的には身体全体が「木」そのものになる。
 そうして「木質化」した遺体は、根を生やし幹を延ばし葉を付け、大木のようになり、文字通り「第二の人生」を始めるのだ。

「爺ちゃん、どっか痛いところ、ないか?」
 車いすを取ってきた青年は、木質化が進む老人をゆっくり抱え上げると、車いすへそっと座らせた。
「あぁ、大丈夫だ……木になる前に、先輩方の成長ぶりとイザベルを目に焼き付けとかんとな……」
 曾々祖父は軽く笑うと、長年連れ添い、先に木質化した妻の名前を口にした。
 今ではユーリアの血縁も戦争によりだいぶ減ってしまった。生き残っている直系の祖先と言えば、曾々祖父のフリッツ、祖母のラウラ、レナータ二人、そして父のベルンハルトと母のヒルデくらいしかいない。
 ベルンハルトもヒルデも見た目は二十四か二十五歳程度だが、実際は二人とも二百歳弱である。それ相応の先人の知恵も持ち合わせていたのだが、戦争により、こんなにも早く肉親が亡くなるとは思いもよらなかった。
「さ、『先人の丘』へ行こうか」
 ベルンハルトは車いすを押しながら、努めて笑顔で娘のユーリアへ話しかけた。

 戦後の大改革で、各村のインフラが急速に整備され、ユーリアの村にも舗装道路が敷かれるようになった。その舗装された道路は、「神聖な場所」とされた『先人の丘』へも通じている。
 自然と森を愛する白エルフにとっては屈辱的な改革だったが、唯一車いすを押しやすくなったのが、利点と言えば利点だろうか。昔なら負ぶさってでこぼこ道を汗水垂らして登るのが通例だったのだが、今となっては昔の話である。ものの十分程度で、『先人の丘』を見渡せる高台へ到着した。
 素晴らしい光景だ。放射円上に道路が敷かれ、その間を綺麗に区画整理されたように白エルフの祖先達が大木となって、大きな枝葉を揺らしていた。
 上空はその清らかさを表すかのように雲ひとつ無い晴天で、耳を澄ますと小鳥のさえずりが薄く聞こえてくる。
「これ、みんな白エルフの人たちなの?」
 ユーリアは手すりに乗りかかり、辺り一面の綺麗に生えそろった木々を見渡した。
「ああ、そうだよ。みんな、父さん達のご先祖様だ」
 少し誇らしげにベルンハルトは語る。
「昔はな、祖先達の守護の結界のおかげで、いろいろな災難からこの村を守ってくれたもんさ……まあ、それも飛行機ができてからは、後手後手に回ってしまったけどな」
 最後は冗談めいたのか、投げやりな口調になってしまった。
「ふーん……あ、そうだ! フリッツ曾々祖父ちゃん、ここのみんな、昔の記憶って持ってるのかな?」
 父親の回顧録が閉じる前に、ユーリアはフリッツに話を移した。肩すかしを食らったようで、ばつの悪そうな顔をするベルンハルト。
「ん? んん……そうじゃなぁ……もしかすると、あるのかもしれんが……」
 最後はうやむやな口調になる。当たり前だ。木を指さして「何を考えているの?」と訪ねているようなものなのだから。
「そっかぁ……もしそうだったら、凄いことだよねー……あ、そうしたらイザベル曾々祖母ちゃんにも会えるかも!」
 きらきらと輝いた目でベルンハルトとヒルデを見るユーリア。
「ねぇねぇ、もし戻せるとしたら、どんな方法があるのかな? 記憶まで戻せるよね? そうしたら、何年前まで大丈夫なのかなぁ?」
 わくわくした声色で、ユーリアは周囲の大人達に矢継ぎ早に質問する。
「まったく……ユーリアの『知りたがり』は、治らないわねぇ……」
 少し頭を振るヒルデ。
「将来のことに役立てば良いんだけど……」
「あらあらぁ~、好奇心旺盛なのはぁ、良い事よ~」
 不意に、ユーリアの祖母であるラウラは、にっこりと笑ってヒルデに言った。見た目が同年齢に見えるからだろう、とても親子とは思えないが、やはり年の功というものだろうか。
 ラウラはバッグの中からあめ玉を出すと、ユーリアへ声をかけた。
「はい、ユーちゃん。あめ玉あげるからぁ、質問は後で、ねっ」
 最後に、軽くウインク。この茶目っ気さは、生来からの性格なのだろう。
「よし、フリッツ爺さんの植樹予定地もみられたことだし、そろそろ帰るぞ。冷えてもきたしな」
 あめ玉をほおばっているユーリアに向かい、ベルンハルトは優しく声をかけた。
「えー、もうー!」
「もうー、じゃありません。そろそろ帰る時間よ。閉園時間なんだから、ぐずらないの」
 ユーリアの文句も、母親のヒルデの前には、まったく歯が立たなかった。

 そして、その夜、久しぶりに家族全員が集まって、食事会が催された。
 先の戦争で随分の兵士や民間人が死亡する中、生き残ってこれた曾々祖父エアハルト。両方とも夫に先立たれたユーリアの血縁である祖母ラウラとレナータ。ユーリアの父母であるベルンハルトとヒルデ、そして一人娘のユーリア。
 全員で六人集まっての食事会。これほどに賑やかなのは久しぶりのことだ。しかも、エルフは死の数十年前まで全くといって程、肉体的には老化はしない。既に木質化が進んでいるフリッツは仕方がないとしても、祖母二人の思い出談義ともとれる掛け合い話が、時に茶の間に笑いを提供する。
「あいっ!」
 そんな中、突然ユーリアが席を立ち片手を上げて宣言をした。
「ユーリアはまがくしゃになって、もくしつかしたしろエルフをもとにもどします!」
 突然のことに、一瞬、場が凍る。
 が、しかし好奇心旺盛なユーリアのことである。こんな事は過去に何度もあったのだ。その度にこうやって宣言をしている。
「あっはっはっ、そうかそうか! それならまず、勉強を頑張らないとな! なっ!」
 ベルンハルトは場の沈黙を吹き飛ばすように、努めて陽気な声を出す。
「そうね、ユーリアはもっと科学と魔学の成績を伸ばさなきゃ、良い大学へは行けないわよ?」
 ヒルデも、ベルンハルトの話に乗っかかる。
「うん! がんばる!」
 両親の声に、ユーリアは最高の笑顔で、そう答えた。
 まさか、それが本心からの誓いだったとは、当時は誰も夢にも思わなかったであろう。
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