リア=リローランと黒の鷹

橙乃紅瑚

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第二章

32.堕落 ★

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 「んう……」

 薄暗い冬の朝。リアはきっかり朝の四時に目を覚ました。隣を向けば、ゼルドリックが穏やかな寝息を立てて眠っている。彼を起こさないように、リアはそっとベッドから降り、浴室の扉を開けた。

 リアは湯を浴びたかった。汗やら唾液やら、愛液や精液やらで酷くべたべたとした身体を早く洗い流したかったし、身体の奥底を無理やり揺り動かされるような熱もどうにかしたかった。

 リアは昨夜もゼルドリックと褥を共にした。夕食後、彼は湯を浴びたリアを待ち構え、当然かのようにリアのベッドに寝転がり、リアの身体に手を伸ばした。リアは近づいてくる大きな身体を退けようとしたが、熱で頭が働かず腕にも力が入らない。朦朧とした意識のまま、ゼルドリックに再び抱かれてしまった。

(ゼルと同じベッドで寝る生活が……これからも続くのかしら)

 リアは甘い接触を思い出して身体を震わせながらも、心が切なく締め付けられるのを感じた。彼のことが好きだから、触れられること自体は嬉しい。けれど、何ともいえない曖昧な関係であるという事実が自分の心に影を落としている。

 今のまま、何の遠慮もなく触れられるのは悲しく、怖い気持ちもある。リアは深く息を吸い、心の内の靄を晴らそうとした。そして、リアはふと鏡を見て、そこに映る自分の身体に呆然とした。

「……え?」

 首から肩、胸、腹、そして腿にまで、たくさんの赤い花びらが散っている。湿疹にも見える赤い瘢痕にリアは戸惑った。ゼルドリックは、こんなに自分に痕を残しただろうか……?

「何、これ……」

 ふと、リアの脳裏にあの夢が蘇る。

 現実のゼルドリックと熱を分かち合った後に見た淫らな夢。自分は黒の王子様に丹念に愛されながら、様々な場所にキスを落とされた気がする。頭の中で警鐘が鳴る。黒の王子様は、どこに痕を残した? 確か、内腿に……。

(私の記憶が確かなら……。ゼルは、内腿にはキスをしなかったはず)

 自分の内腿を割り開き、そこに痕を残したのは黒の王子様だけ。止めてと叫んでも自分の腰を掴んで離さず、秘所を何度も舐め上げ、うつろを貫いた……黒の王子様だけ。リアはどくどくと跳ねる胸のまま、自分の内腿を見た。

 そして、出来たばかりと思われるくっきりとした赤い痕に、ざっと頭が冷えたのを感じた。

 ――大体あれは、本当に夢なのだろうか?

 再びの問いが頭の中で響く。

 ――魔法を使える彼なら、夢と見せかけて自分に触れることも可能ではないだろうか?

「あ、あ……」

 リアはくたりと、その場に座り込んだ。

(ち、違うわ……。きっと、気のせい。私は、熱で意識が朦朧としていたから……。だからきっと、この痕はゼルが残したのよ。ありえないわ……)

 リアはそう無理やり自分に言い聞かせたが、一度暗雲が立ち込めた心が楽になることはなかった。

 かたり。

「あ……」

 浴室の扉が開かれた。座り込んだリアを見てゼルドリックは何を思ったのだろうか。薄い笑みを浮かべて、ゼルドリックは腰を落としリアの顔に頬を添えた。優しげな振る舞いなのに、リアはそれを少し怖く感じた。

「どこに逃げたのかと思えば……。リア、君はこんなところにいたのか。全く驚かせるな」

「あ、……ゼ、ル……」

「どうしたんだ? こんなところに座り込んで……。冷えてしまうぞ?」

「……腰が、抜けて……」

 リアが目を逸らしながらそう言うと、ゼルドリックは納得したようにああ、と漏らした。

「そうか……。俺たちは昨日も熱い夜を過ごしたからな。仕方ない、俺が湯浴みに付き合ってやろうか。さあ、赤い髪の姫君。共に湯を浴びような……」

 ゼルドリックはリアを軽々と抱きかかえた。黒く滑らかに光る筋肉質の硬い身体に抱き寄せられ、リアは焦った声を出した。

「あっ……ゼル、一人で! 一人で浴びられるから……!」

 リアは一人になりたかった。一人で考える時間が欲しかった。今はゼルドリックに触れられたくなかった。

「くくっ……。何を焦っている? 君の身体はもう隅々まで見ているのだ、恥ずかしがることはないだろうに……」

「う、あっ!?」

 ゼルドリックは魔法で湯を張り、きらきらとした温かい湯の中にリアの身体をそっと沈めた。そして暴れるリアを緩やかに押さえつけ、薔薇の香りがする滑らかな泡を、丁寧に彼女の肌に滑らせた。リアは羞恥と恐怖で身を硬くした。ゼルドリックは、手ずから自分の身体を洗うつもりだ。リアは必死で身を捩らせた。

「お願い、お願い、ゼル……。私を一人にして? お風呂まで見られると思うと、本当に恥ずかしいの、お願い……! 自分で身体も洗えるから!」

「暴れるな。溺れてしまうぞ?」

 ゼルドリックの手が固く閉じた足の間に差し込まれ、ひだをなぞる。一切の遠慮のない行動に、リアは悲鳴を上げた。

「いやっ……! いや、いや! やめてよっ、放してよゼル! 一人にしてってば!」

 リアは手足をばたつかせた。リアにとって入浴は安らげる時間であり私的な時間だった。いくらゼルドリックであろうとも、立ち入って欲しくはなかった。だが、ゼルドリックは身を捩らせるリアの顔を一瞥し、その後冷たい声で言い放った。

「……気に入らないな」

「え……?」

「何だ? なぜ今日の君はそんなに暴れる? 俺がせっかく洗ってやろうというのに。……俺を拒絶するというのか」

 拒絶。その言葉を殊更冷たい声で吐き捨てた後、ゼルドリックは昏い瞳を向けた。リアはその昏い瞳に身体を強張らせた。ぞわぞわとした恐怖が、リアの背筋を震わせる。

「ち、違っ……」

「違う? なら黙って君は俺に身体を洗われていろ。そんな役立たずの腰だ。君を放っておいたら転んで怪我でもするかもしれないだろう。もう暴れるな……跳ねっ返りが」

 ゼルドリックは低く唸るような声を出した。それは威圧のようなものが込められていて、リアは堪らなく不安になった。彼は、自分に甘かった。今まで意地悪ながらも、甘く、そして……尊重してくれた。自分の意思をないがしろにされるような言動に、リアは目を潤ませた。

(どうしちゃったの? 今までなら、今までのゼルなら……。きっと、私をひとりにしてくれたのに)

「ゼル……。どうしたの? あなた、何だか怖いわ……」

「怖い?」

 ゼルドリックは目を瞬いた。そして昏くもどこか恍惚の色を含んだ視線をリアに向けた。

「……怯えた顔も可愛らしい。その顔を切り取って、いつまでも取っておきたい」

 震えるリアを前に、ゼルドリックはごく優しく微笑んだ。異常さが滲む表情と言葉にリアは顔を強張らせた。頭の中で響く警鐘が大きくなる。

「君が俺を素直に受け入れないからだ。怖い思いをしたくないのなら、俺を拒絶する真似はよせ。リア、君は俺が見張っておかないと逃げてしまう気がする。だから俺がこうして世話をして、誰のもとへも行かせないようにしないと……」

(な、何を……? ゼルは何を言ってるの? ……見張る? 逃げる?)

「やっと君を堂々と味わえるようになったのだ。君のその身体を見て、俺がどれだけの劣情を催したか……もっと食べたい。骨の髄までしゃぶって、俺から離れられないように躾けないと。逃げても無駄だと理解させないと。このいやらしい身体に、たっぷりとな……」

 独り言のように呟かれた言葉。リアはゼルドリックの一方的で支配的な言葉に大きな戸惑いを覚え、口を噤んだ。リアの心が、どろどろとした汚泥のような感情に塗れていく。

 ――私は、モノ扱いなの? 

(……あ)

 ――今まで優しくしてくれたのは、もしかして私の身体目当てだったの?

(い、いや……)

 ――好きだって言ってくれたことはないのに、なぜ私を縛り付けるようなことを言うの?

 ゼルドリックの同僚が自分に向かって言った「愛玩動物」という言葉を思い出す。

(……ゼルは、私を飼うつもりでこんなことを?)

 心が急速に冷えていく。リアは自分の身体から力が抜けるのを感じた。ゼルドリックは自分に身体を委ねたリアを愛おしそうに抱きしめた。

「いい子だ。俺を受け入れるなら優しくしてやれる」

 大人しくなったリアの額にキスを落とし、ゼルドリックはリアの肌を洗い始めた。ゼルドリックの黒い指が、リアの身体を滑らかになぞっていく。乳首や肉芽を擦られ、リアが思わず声を上げてしまうと、ゼルドリックは嬉しそうに指を動かした。ゼルドリックの柔らかな泡を付けた指が、リアの陰核を洗う。包皮を剥かれ、敏感すぎるそこを丁寧に磨かれ、リアはがくがくと足を震わせた。リアの喘ぎ声が浴室に反響する。

「あ、あっあっ……、ああああっ……! ゼル、ゼルぅ……ぐちゅぐちゅしないでっ……そこ、お願いっ!」

「駄目だ。敏感で辛いだろうが、ここは皮を被っているから、よく洗わないと汚れが溜まるだろう?」

「ひっ、やだ、いやああっ! あ、いくっ、いっちゃ……!」

「くくくっ……リア、ぬるぬるした液が次から次へと溢れてきて……。これではいつまで経っても洗い終わらんな」

「お願い……手を、手を止めて! お風呂場で、こんなことなんてしたくないっ……」

「駄目だ。したい。それに……君がいやらしく喘ぐせいで俺はこんな風になってしまった。責任を取れ」

「ひっ……」

 ゼルドリックの黒く割れた腹に付くくらいに剛直がそそり勃っている。リアは暴力的なそれを見て、頭をくらくらとさせた。結局身体を洗うというのは名目で、ゼルドリックはリアを浴室でも抱いた。ぬかるんだ秘所に執拗に男根を擦り付けられ甘い極みを迎えさせられる。リアは、浴室でも気は抜けないのだと思い知った。

 身体を清めた後は、薔薇の香油や蜜をじっくりと塗られた。首筋から胸元、背中、腰、尻にまで、ゼルドリックの手がぬるぬると這い回る。ただ快感を植え付けようとする手の動きに、リアは快楽と強い恐怖を感じた。その後は手ずから朝食を与えられ、首元にチョーカーを着けられ、肩を抱かれながら大通りを歩く。為す術もなく、また外で深い口付けをされる。身体を震えさせるリアを、ゼルドリックは熱の籠もった目で見た。

 自分に関わることを自分でさせてもらえない。飼い犬を世話するようなゼルドリックの行動が怖い。リアは鍛冶場で、誰にも分からないように静かに涙を流した。

(いや、やだ……。こんなのおかしいよ、ゼル。私はゼルの恋人じゃないよ。……なのに、どうしてこんな、縛り付けるようなことをするの……? ねえ、気が付いてる? 外でキスをする私たちを、中央政府の役人さんたちがどんな目で見ているか……。私の首のチョーカーを、どんな風に見ているのか……)

(どうして……。上手く、行ってたでしょう? 今まで穏やかに過ごしてきたじゃない。……あの日、あんなに優しく私に触れてくれたでしょう? なのにどうして急に、私を蔑ろにするような真似をしたの? 何がいけなかったの? 好きなのに……あなたが怖いよ、ゼル……)

 リアはゼルドリックが怖ろしかった。このまま過ごしていては、いずれ彼にすっかり支配されてしまう気がした。

(どうにかしなきゃ……!)


 ――――――――――


 ある日、リアはこっそりと王都の物件情報を入手した。工場に食材を卸しに来た八百屋のオークにたまたま会えた際、リアは謝罪の言葉と共にオークに金貨を渡し、空き家の情報を集めてくれないかと頼み込んだ。オークの男はリアの様子に何か感じるものがあったらしく、すぐに物件の情報を集めて渡してくれた。

(私はゼルと距離が近すぎたのかもしれない。私なら飼うのに手頃だと思わせてしまったのかもしれない……。やっぱり、男性とひとつ屋根の下で暮らすのは良くなかったのよ)

 リアはゼルドリックの屋敷を出て一人で暮らすことを考えていた。ファティアナからは充分な給金を受け取っている。これだけ貯蓄があるならば、ゼルドリックに今までの恩を返した上で、王都で一人暮らしすることも難しくはないだろうとリアは思った。

 ゼルドリックの行動は日に日に酷くなるばかりで、毎日毎日、自分のものだと言わんばかりに触れてくる。いくら断っても、決して止めようとはしない。昨夜は口を塞がれたまま身体を暴かれた。リアは哀しく、ゼルドリックの行動にうんざりしていた。

(ゼルは、私に取り合ってくれない。こちらの意思を蔑ろにするような感じで、このままだと冷静ではいられない。だから……距離を置くのは必要なことなのよ。距離を置いてからでも話し合うことはできるわ……)

 ゼルドリックの屋敷に初めて足を踏み入れた日、ここでずっと暮らしていくのだと言った彼の瞳の昏さ。それを思い出し、リアは後ろめたい気持ちのまま物件情報に目を通した。適当な物件に目星を付けると、頁を破り、それを大事に胸元に仕舞った。

(今夜もおそらく……ゼルは無理やり私に触れてくる。嫌だって言えば、冷たくされる)

 リアは悲しみの混じる、深い溜め息を吐いた。

(ゼルのことが好きでも……。あんな触れられ方をしたら、心が軋む。もう嫌なの……)

 首元に着けられたチョーカーが苦しい。飼い犬に着ける首輪のように思えてリアは重苦しい息を吐いた。



 翌朝、リアの隠し事はあっさりとゼルドリックに露見した。

 陽がまだ昇らない暗い朝にリアはゼルドリックに叩き起こされた。怖い顔をしたゼルドリックに、これはどういうことだと問い詰められる。リアはざっと顔を青褪めさせ、口を噤んだ。

 確かにクローゼットの中に隠した筈なのに、ゼルドリックは物件情報を手にしている。彼はぎりぎりと紙を握りしめ、憎しみを向けるようにリアを見据えた。

「……ゼル、どうして……? どこからそれを……」

「どうでもいい。答えろ、これはどういうつもりだ? リア、俺から離れようとしただろう!?」

「……あ」

(怖い……)

 リアは唇を戦慄かせた。ゼルドリックの背後から黒い靄が立ち昇り、リアの方に伸びてくる。靄に身体を包み込まれると、ぶわりと熱が身体を巡り、リアは荒い息を吐いた。ゼルドリックは赤い花びらが散ったリアの首に手を掛け、冷酷な声で脅した。

「リア。愚かだな……。ただの忠告では足りなかったか。王都で君のような女が一人暮らししたらどうなるのか……身を以て教えてやる必要があるらしい」

「う、あっ!?」

 ゼルドリックはリアの髪を掴み、顔の前に己の剛直を突き出した。リアは大きく目を見開き顔を背けようとしたが、ゼルドリックの大きな手がそれを許さなかった。

「咥えろ」

 冷酷な声が落とされる。リアは恐怖に、涙をぶわりと溢れさせた。

「ど、どうして……? ゼル、こんなの嫌だよ……。私、そんなこと、したくなっ……んうっ」

「リア……俺は咥えろと言ったんだ」

「っ……」

 ゼルドリックの陰茎が、リアの唇に押し付けられる。生々しい感触と匂いにリアは頭をくらくらさせた。

「如何なる理由があろうと関係ない。俺から離れようとした罰だ……。手は使わず、君の口だけで俺を達かせてみせろ。ああ、心優しい君ならそんなことはしないだろうが……決して噛むなよ」

「ふ、ぐうっ……!」

「なあ、俺以外の奴にこんなことをされるのは嫌だろう? そうだよな? 一人で暮らしていたら、もっと酷いことをされるかもしれないのだぞ? 俺の傍にいるのが一番安全なんだ、リア……」

 リアは震えながら、ゼルドリックの男根を咥えこんだ。唾液を絡ませ、えづきそうになりながらも彼を受け入れる。涙を流しながら己に奉仕するリアを、ゼルドリックは恍惚と見つめた。

「あ、いいっ……気持ちいいぞ、リア……」

「んっ! むううっ……!」

「は、はあっ、君の口の中……ぬるぬるして、温かくて……実に良い……」

 頭を優しく撫でられつつも、彼の行動は容赦がない。ゼルドリックはリアの後頭部を掴み寄せ、腰を動かした。自分の口を自慰に使われるような乱暴さに、リアの心が酷く軋んでいく。

「くうっ……出すぞ、リア……!」

「んんんんっ、んむううううっ!」

 リアは大きく目を見開いた。喉に絡みつくような大量の白濁が放たれる。ずるりとゼルドリックの陰茎が引き抜かれて、リアはごほごほと大きく咳き込んだ。

「あ、あ……」

 口の端からぼたぼたとゼルドリックの精液が流れ落ちる。リアはシーツの上に滴ったそれを、呆然と見つめた。涙が次々に溢れてくる。一方的で、自分を性の捌け口に使うようなゼルドリックの行動に、リアは静かに絶望した。

「ねえ、どうして……こんなことするの……?」

「君が俺から逃げようとしたからだ。言ったよな? 怖い思いをしたくないのなら俺を拒絶する真似はよせ、と」

「ふ、ううっ……」

 リアはしゃくり上げた。涙を流してゼルドリックを縋るように見つめる。ぼやけた視界で捉えたゼルドリックの口角は弧を描いていて、リアは尚更心を軋ませた。

「リア……君は俺のものだ。その身体は決して他の男に触れさせない。君が俺から離れようとするならば、俺は決してそれを許さない。覚えておけよ……。離れようとするなら、もっと酷いことをしてやるからな」

(……優しいあなたはどこに行ってしまったの?)

 口の端から精液を溢すリアを、ゼルドリックは満足げに見た。耳を噛まれ、首に新しく痕を付けられる。リアは力の抜けた身体で、彼からの一方的な愛撫を受け入れた。

(こんなのおかしい……)

 リアは決心した。すぐ彼と話をしようと。
 彼が心の内を話してくれるまで待とうと思っていたが、もうそんなことは言っていられなかった。彼の縛り付けようとする言動と行動に、とうとうゼルドリックへの不信が溢れてしまった。







 それから、リアはゼルドリックと共に朝食を取った。目の前に美味しそうな食事が並んでいるというのに、リアは手を付ける気になれなかった。あんなことをされた後では、とても食欲は湧かない。

 頭の中の警鐘が鳴り続けていて、消えてくれない。それでも無理やり手を動かして口に料理を運ぶ。美味しいとは感じられなかった。

「リア? 飲まないのか?」

 ゼルドリックは笑って、リアにココアを飲むように促した。リアは返事を返さず、カップをきゅっと握りしめて、ゼルドリックに切り出した。

「ゼル。話があるの」

 リアは下を向いて、ゼルドリックに切り出した。平常とは異なる硬い声に感じるものがあったのか、ゼルドリックは椅子に深く腰掛け、リアの話を聞く姿勢を取った。

「何だ。言ってみろ」

「単刀直入に言うわ。近頃のあなたはおかしい。どういうつもりなの?」

 リアは強張った顔でゼルドリックに言った。彼は腕を組み薄い笑みを浮かべた。

「漠然とした問いだな。俺のどこがおかしいと言うのだ?」

(あんなことをしておいて、よくも……)

 リアは冷静になろうと息を吸った。口下手な自分が、このダークエルフにどこまで食いつけるか不安だった。

「おかしいと思うところはたくさんあるの。ゼル、あなたは私を縛り付けようとしているように思える。私の服も、アクセサリーも、化粧品も、服も……。選んでくれるのは嬉しいけど、身に着けるのを強制されるのは納得がいかないわ。前に、私がルージュを唇に差さなかった時、外に出してくれなかったでしょう……」

「ほう。田舎者の君が王都で過ごしても、格好を馬鹿にされ恥をかくことがないようにと、洗練された一級品を揃えただけなのだがな。聞け、王都では年頃の女が化粧なしで出歩くことは滅多にないのだよ。だから俺は君を止めたのだ」

 ゼルドリックは片眉を上げた。その仕草を気に入らないが続けろという意味に取ったリアは、そのまま言葉を紡いだ。ゆっくりと話すことを心がけている分、自分の鼓動が耳裏によく響く。

「そう。でも……。あなたは、私が他の人と話すことも極端に嫌がっているように思える。私は……。私の話したい人と、自由に話す権利があるのよ、ゼル。レントさんとも、パルナパ様とも、あなたの同僚とも、あなたの知らない人とも。庇ってくれるのは嬉しいけど過剰に思えるわ。私は大人なの。暴言をぶつけられてもある程度は上手く受け流せる」

 そう言った途端に、ゼルドリックの纏う空気が変わった。冷たい部屋の空気が、なお一層冷えた気がする。組まれた腕に、ぎりぎりと力が籠もったのをリアは見た。昏く強い瞳が自分を見据えるが、リアはその瞳を正面から真っ直ぐと見返した。彼の深層に触れるために、ここで退く訳にはいかなかった。

「ふん。髪を染めようとし、痩せ細るまで食事を取らなかった繊細な君が暴言を受け流せるだと? 面白くもない冗談だ。俺の親切心を蔑ろにするとはな」

「ゼル、ごめんなさい。あなたを怒らせるつもりはないの。……なるべく冷静になって聞いて」

 リアはココアを一口含んだ。甘さを舌に感じても、気分は全く晴れなかった。

「ゼルに負担をかけてると思うの。私はこれから先、誰かに心無いことを言われるかもしれない。でも、パルナパ様やレントさんが何かと私を気遣ってくれる。私を守ってくれるのはあなただけじゃない。つまり……、あなたの立場を危うくしてまで、私を庇う必要はないって伝えたいのよ……」

「……」

「それから、工場には一人で行こうと思うの。もうゼルの付き添いは必要ない。誰に何を言われても大丈夫よ。それに……手を繋ぐだけならまだしも、腰に手を回されたり、首や髪に顔を押し付けられたり……。人目を憚らずキスされたりするのは、はっきり言って限度を超えているわ。……あんなことをされるのは嫌なの……」

 嫌。その言葉がゼルドリックの気に障ったらしい。
 ゼルドリックはとうとう、拳を強く握り締めた。

「ねえ、何度も言ってきたけど中央政府の役人としての立場を考えて。ゼルの立場が危うくなる。そしてその原因が私であって欲しくない。あなたの同僚や、昨日の女性は、おそらくあなたの様子を見に来たのではないの?」

 リアはゼルドリックの瞳を見ながらゆっくりとそう言い含めた。しかし、ゼルドリックの瞳の昏さはなお強まるばかりで。リアは、獰猛な獣が潜む隘路に迷い込んだような心地がした。

「ゼル。あなたと私は対等のはずよ。あなたが私を縛る権利はない。……逆も、そう。私が誰のもとへ行くにも、あなたが誰のもとへ行こうにもそれは自由よ。あなたと私は……恋仲ではないから」

 リアは胸を酷く軋ませつつ、痛みを堪えながら言葉を紡いだ。

「だから、今朝のような……あんなことはもうしないで。勘違いしたような行動を取らないで。私は、あなたのものじゃないわ……」

「リアッ!!」

 ゼルドリックが吼えた。ぎりぎりと歯を食いしばり、食って掛からんとリアを見ている。優しかった彼をとうとう怒らせてしまったことに、リアは頭の中が冷えていく感覚がした。

「いい加減にしろ、君は相当俺を怒らせたいみたいだな。そんなに仕置きされたいか?」

「ゼル……。お願い、聞いて。……私が、何を言いたいか分かる?」

「さっぱり分からん。不愉快だ。朝からこんな話を聞かされる俺の気持ちを考えろ! 縛るだと!? 誰のもとへ行くにも自由だと!? ふざけるな……。ふざけたことを言うな! 混ざり血の女が不届き者の毒牙にかからない様に、丁寧にこの俺が庇護しているというのに!」

「ゼル……。聞いて。私はあなたと過ごしたあの素敵な夜を大事にしていきたい。あなたに抱かれたことに対して後悔はない。そして、できればこれからも穏やかに過ごしていきたいの。だけど、だけど無理やりなのは嫌よ……。あなたは急に一方的になった。まるで、私のことを蔑ろにするような行動ばかりして……」

 リアはカップを握りしめた手が、かたかたと震えるのを感じた。いくら温かいカップを持っても、悴んだ手が良くなることはなかった。

「あの夜があったからと言って、それからもあなたが私に好き勝手に触れ続けるのは変でしょう? 私は曖昧な関係を続けるつもりはない。この関係は行き過ぎているわ……。友人の関係を超えている。そうでしょう?」

 リアは俯いた。最後の方は声が震えてしまった。涙を流しそうになりながら話す自分を、ゼルドリックはどう思ったのだろうか。自分は彼の心の内に踏み込めるだろうか?

「くくっ……」

「ゼル?」

「くく、くくくっ……あはははっ……」

 ゼルドリックは笑った。机に肘を付き、大きな手で目を隠しながら笑い声を上げた。手で隠されているため瞳から彼の気持ちを窺い知ることはできない。肩を震わせ笑い続けるゼルドリックに、リアは諦めの感情が込み上げた。自分の言葉は、きっと彼に跳ね除けられてしまったのだと感じた。

「触れられるのは嫌、曖昧な関係を続けるつもりはない。挙句の果てに君と俺は友人、か……。」

 ゼルドリックはぼそりと呟いた。リアは背筋がぞっと冷えた。彼らしくもなく言葉の断片のみ拾い上げ、悪い方向に解釈しているように思える。

(ゼル。私は……。別にあなたと友人のままいたい訳じゃない。叶うのならば、恋仲になりたい。恋仲になって、あなたと愛を交わしたいのよ)

 いっそここで、あなたが好きと言ってしまおうか。
 境界を踏み越えるつもりなら、私の恋人になってよと言ってしまおうか。

 だが、かつてのゼルドリックの言葉が引っかかる。である彼は……。自分の抱えているこの感情を、その手で掬い上げてくれるだろうか? 
 呆気なく打ち捨てられてしまったら、自分は彼の前できっとみっともない姿を晒してしまう。彼との温かな暮らしを、泥に塗れさせてしまう。リアはもどかしさから下唇を噛み締めた。

「リア……」

 ゼルドリックは目を覆っていた手を取った。彼の顔を見て、リアは目を見開いた。てっきり昏い瞳のままだと思っていたのに。そこには傷付いた様な、繊細に揺れる青があった。リアはその心細げな瞳を見て、心を鋭く突かれた。

「ゼ、ル……」

 思わず、彼を慰めようと手を伸ばすと、がしりとその手を掴まれた。手首の骨を折ってしまいそうな一切の遠慮のない掴み方に、リアは小さく悲鳴を上げた。彼が瞳に悲しみを宿したのは僅かな間で、今は憎しみのような感情がリアに向けられている。

「なあ、リア……。今まで君が、俺を強く拒否しなかったから……俺はここまで来たとも言える」

「え……?」

「君も受け入れていただろう。友人にしては行き過ぎた関係を」

 ゼルドリックは暗く笑った。

「俺からの贈り物を大人しく受け取り、求められるがまま俺を愛称で呼び、共にべったりと過ごし……。抱擁も、口付けも、君が嫌だというのなら、俺からの接触を跳ね除けてしまえば良かったのだ。力の強いハーフドワーフがろくな抵抗もせず、あんなに頬を染め誘うような顔をしたら……。長く生きてきた俺でも勘違いをする」

「ゼ、ル……?」

「君も期待していたのだろう? 俺から与えられる熱を。そうでなければ、あんなに蕩けた女の顔を見せる訳がないのだ。男に気を許した女の顔。それを今まで俺に散々見せておいて、いざ一線を超えたら曖昧な関係を続けるつもりはない、だと……? ふざけるな。悪女が」

「あ……」

 リアは話を切り出したことを後悔した。ゼルドリックは深く傷付き、そして怒っている。

「リア。君の言うことは聞かない。君が俺との間にどんな身勝手な境界線を引こうが、俺の知ったことではない」

「ゼルっ! お願い、話を――」

「話は終わりだ」

「っ……。終わりじゃない! 勝手に打ち切らないで!」

 リアは声を張り上げた。内気な自分が、他人に対してこれほど声を荒げられるのかと思った。だが、ここでゼルドリックを逃しては彼と話をすることは叶わない気がした。何としても食いつきたかった。

「あなたの心の内に抱えているものを教えてよ! それが知りたいの! 何を考えているのか、何を不安に思っているのか! それが分からないの。分からないからこの関係が不安なのよ!」

「君に俺の抱えているものを話したとて、理解できるはずがない」

 ゼルドリックは冷たい視線をリアに向けた。

「お願い……! 話して? あなたは私に、嫌わないでって繰り返し言ってきたでしょう。なぜなの? なぜそんなことを言ったの? あなたは私に嫌われるような何かをしたの?」

「はっ……」

 ゼルドリックは短く息を吐いた。青い瞳が揺れ、強い視線が逸らされる。何かを後ろめたく思っているようだった。

「君に……。それを教えてどうする。俺に触れられるのは嫌だと言った君に……」

「あ、あれは人前だからで――」

「別にその先の話を聞きたくもない! リア。詰まるところ、君は友人という関係の中に今の生活を収めておくのが不満なのだろう?」

 ゼルドリックは長い腕をリアに伸ばした。リアの頬が、黒い両手に摩られる。

「なら新しい関係を作ってやろうか?」

 青い瞳が煌々と輝いている。リアは寒々しい空気に震えながら、その昏い瞳に捕らわれた。

「それ、は……なに?」

 リアは問いかけた。彼は、自分との関係を改めて模索してくれるだろうか。

「支配だ」

「っ!?」

 きん、と何かが頭の中で響く。夥しい数の何かが、自分の肌を這い回る。そして身体の奥底から熱が湧き上がる。リアはじっとしていられなかった。胸に手を当てて、荒く短い息を吐いた。頭の中をかき回される。自分の身体が作り変えられる。

 ぞっと背筋が冷え、根源的な恐怖からリアはぼたぼたと涙を流した。

「あっ!? はっ、はっ、はっ、はあっ……ぜ、るぅっ……あなた、私に何をっ……」

「いつも原因不明の熱に苦しんでいるかわいそうな君に、少し治療を施してやっただけだ」

「はっ、ああっ……。ち、りょう……?」

「君の顔はずっと赤かった。君は、身体の奥底を無理やり揺り動かされるような、不思議な熱に苦しめられているといったな? だから俺は魔法でその熱を冷まそうとした」

 ゼルドリックは口の端を曲げる、特徴的な笑みを浮かべた。それは嗜虐に塗れた笑みに見えてリアは心を震えさせた。

「だが……。中途半端に熱を取ったせいで。止められていた熱が一気に巡り始め、君の身体を苛んでいるのだろうな。さぞ苦しいだろう?」

「うあっ、あっ、あつ、いっ……いやあああっ……」

 リアが苦しんでいるというのに、ゼルドリックは嬉しそうに笑った。

「なあ、リア。病にはな、エルフの魔力を注ぎ込むのが一番良く効くのだ。そして魔力は体液によく滲み出す……」

 涙を掬い取り、ゼルドリックは慈しみを込めた声でリアに言った。

「リア。俺が何を言いたいか分かるか?」

「わからなっ……分からない、わっ……」

 ゼルドリックはわざとらしく深い溜息を吐いた。そして昏い昏い瞳で、リアに提案をした。

「……リア、俺に飼われろ」

「あ、あっ、あうっ、うああっ……」

「俺は君の身体を貪る。君の拒絶など関係なく、俺は好きな時に君に触れる。リア。君に一切の拒否権はない。……その代わり、俺に飼われる対価としてその熱を治療してやる。……魔力の滲み出した体液をあげよう。たっぷりとな」

 リアは熱に苛まれながらも、目を見開いて首を横に振った。彼との生活を、そんな悍ましい関係に堕としたくなかった。

「いや、いやよっ、そんなのっ……!」

「ああ……飼うと言っても、君の身体を傷付けるような真似はしない。とことん優しくしてやろう。君を身綺麗にして、甘やかして、欲しがるもの全てを与えてやろう。君はただ、俺が与える快楽を素直に受け取っていればいい。どうだ? 悪い提案ではないだろう?」

 ゼルドリックは良い考えだと手を叩いた。その顔は紅潮し本当に嬉しそうで、リアは彼の言葉にはらはらと涙を流した。

「い、いやっ……。そんなの、ぜったいに、いや……」

「ちっ……。強情な女だ」

 リアの否定に、ゼルドリックは不機嫌そうに顔を歪めた。

 リアに一気に魔力を注ぎ込み、一時的に強い魔力酔いを引き起こさせた。彼女の反応を見るに、相当辛いはずだ。それなのに首を縦に振ろうとしない。
 リアが自分から距離を置こうとしている。自分から離れようとしている。

 ゼルドリックは強く絶望した。冷静でいられなかった。

(リア……。そんなに、俺が嫌なのか。……駄目だ、俺から離れないでくれ……)

 ゼルドリックは苛立ちと悲しみのまま、なお魔力をリアに纏わせた。リアはとうとう悲鳴を上げて机の上に倒れ込んだ。彼女の持っていたカップが倒れ、ココアが勢い良く溢れていく。

「君が頷かなくともいいが。熱はそのままだぞ……? 相当辛いだろうに。君に耐えられるのか?」

「あ、あっ……うう……」

「かわいそうに、こんなに泣いて……。なあリア、俺に縋れ。俺は君を癒やしてやれるし、贅沢もさせてやれる。中央政府の役人という立場もあるのだ。それに、俺たちは身体の相性も実に良い。君は何度も何度も、俺の手の中で絶頂を迎えたものな……?」

「ああっ、あうっ、ぐ、ううっ……。ゼルっ……!」

「君にとって俺以上の男はいない。さあ……」

 悪魔の囁きだった。絶対に受け入れるべきではない提案だと分かっていた。しかし身体の熱は止まらない。骨が軋み、皮膚が焼け落ちてしまいそうな苦しみに、リアはとうとうゼルドリックに縋り付いた。

「う、うあっ……ぜ、るぅっ……おねがい、おねがい……たすけてっ……」

 リアの必死の懇願に、ゼルドリックは唇を歪めた。

「リア……良い子だ。君は俺のもの。俺だけのものだ……」

 さすり、と頭を撫でられる。すると自分を苦しめていた熱が忽ち消えて、リアは気を失った。








「ふ、あっ……」

 リアは目を覚ました。しっとりとした上質な黒いシーツの上に寝かされていたようだった。自分を苛んでいた恐ろしい熱が少し引いている。朦朧とした頭で、リアは無理やり周囲を見渡した。

(ここは……?)

 見慣れない部屋だ。ただ、マホガニーの机の上に積み重なった書類や、微かに漂うミントの香りから、ここはゼルドリックの部屋ではないかとリアは思った。

「っ!!」

 リアは悲鳴を上げそうになった。自分は服を着ていない。そして、自分の両足が柔らかい布で縛られ、左右に割り開かれている。腕を上げようとすると、不自然に後ろに引っ張られた。どうやら腕も縛られているようだった。

「なによ、これ……」

「気が付いたか?」

「ゼル……!」

 ゼルドリックがリアの上に跨った。青い瞳ばかりが煌々と輝いて、リアをじっとりと湿度のある目で見つめている。

「ゼル……。これは一体、どういうつもりなの?」

「君の治療を始めようと思ってな。体液には魔力が良く滲み出る。つまり俺の唾液やら精液やらを君に纏わせてしまえばいいわけだ。そうすれば君は楽になる」

「ぐっ……」

 リアは身を捩ったが、力の入らない腕では布を千切ることができそうになかった。

「あまり暴れるな。君はまだ苦しい筈だ。そんなに暴れるとまた辛くなるぞ」

 ゼルドリックは優しげにリアの頬に手を添え気遣わしげに言ったが、リアは大きな赤い瞳から涙を溢しつつ、ゼルドリックを睨んだ。

「ゼル、放して! あなた何をしようとしているのか分かっているの?」

「ああ、よく分かっている。俺は君を貪り、君は俺の治療を受ける。リア……君は俺に助けを求めただろう? 今から俺がすることを大人しく受け入れろ」

「嫌よ。ゼル、こんな関係は嫌。話を聞いてちょうだい。あなたはいつでも優しかったでしょう? 優しいあなたがこんなことをする訳――」

「黙れ! 君に俺の何が分かるというのだ!」

 ゼルドリックは激昂した。リアは男の怒声にびりびりと肌を震わせながらも、決して目を逸らさなかった。彼の目は傷付き、揺れていた。リアは彼を苦しめているものの欠片を掴もうとした。

「丁寧に丁寧に目をかけ、害する者から守ってやろうと庇護してきた女に裏切られた気分だ。それで何だ? 君は俺を拒絶して、他の男のもとに行くのか? 例えばレント=オルフィアンのような奴のもとに? 奴は君と歳が近いものな。俺が見ていない間にあんなに仲良くなって……」

「ゼル……。その、黙って離れようとしたことは謝るわ。私はどこにも行かないから、だからこれを解いて」

「どこにも行かないだと? 信頼できない。信頼できないから君を縛り付ける。大体、言葉ではどうとも言えるのだ。言葉ではなくその身を以て証明してみせろ」

「証明……?」

「君のその熱は継続的な治療が必要だ。交わりを増やそう。朝も夜も、休みの時は日がな一日触れ合うのだ。もっと、もっと……俺を拒絶するな。君が俺を受け入れてくれれば、俺はやっとその言葉を信頼できる」

 ゼルドリックは項垂れ、甘えるようにリアの胸に顔を埋めた。彼の黒く尖った耳が萎れたように下を向いている。リアは心を切なく震わせた。支配や飼うという一方的な言葉を吐いておきながら、彼は自分に懇願するような仕草を見せる。だから自分は彼を突き放しきれない。

 飼われるのは絶対に嫌だった。「愛玩動物」になるつもりは一切なかった。だが、このまま彼に話をしようと持ちかけても彼は聞き入れてくれない。ならば、一時的にでも彼の支配を大人しく受け入れようとリアは決めた。

「……分かったわ。ゼル。今は抵抗しないから、布を解いて」

 リアがそう言えば、ゼルドリックはリアをじっと見た後に、腕と足の布を解いた。リアは解かれた腕を、ゼルドリックの背に回し、大きな背中を摩った。

「ゼル……。私は、一時的にあなたの提案を受け入れる。でも私は諦めない。あなたが私と冷静に話をしてくれるまで。あなたが心の内に抱えている不安を打ち明けてくれるまで……」

 リアの言葉を聞いて、ゼルドリックは眉を下げた。泣いてしまいそうな顔だった。そしてリアを優しく横たえ、縛られたせいで赤くなったリアの手首にキスを一つ落として、哀しそうな、空虚な声を溢した。

「君は内気なくせに強情だ。頑固だ。ドワーフの血を引いている者らしい。君のそういうところが、……好きで、嫌いだ」

「……ゼル」

 ゼルドリックは自らの服を脱いだ。黒く美しい肉体が、窓から差し込む穏やかな冬の陽の光に照らされる。そういえばこんな明るいうちに身体を重ねたことはなかったとリアは思った。ゆっくりとゼルドリックの顔が近づいてくる。リアは目を閉じ、伸し掛かる重みと温かさに溺れた。
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