リア=リローランと黒の鷹

橙乃紅瑚

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After.花図鑑

Aft9.紫雲英 ★

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「リア、おはよう」

 骨と塩で埋め尽くされた道の向こうに、ミーミスが立っている。白皙のエルフは美しい銀の髪を靡かせながらリアに挨拶をした。

「ミーミス様?」

 リアは辺りを見渡した。見渡す限りに荒涼とした地が広がっている。うず高く積まれた骨の山、石膏の花畑、水晶の太陽、塩の河、白化した樹々、骨によって作られた白い砂漠。見たことがない不思議な光景に、リアは首を傾げた。

「……ここは一体?」

「私の精神世界だ。君と話をしたくてね。魔力を同調させ、寝ている君を無理やり引き摺り込んだ」

 リアは驚きに息を呑んだ。自らの精神世界に他者を招くのは非常に難しいことであるのに、ミーミスは涼しい顔で平然と言ってのけた。

(こんな世界、見たことない。これは夢?)

 リアは天に輝く水晶の太陽を見上げた。
 無機質かつ死に埋め尽くされた世界は、自分が知る精神世界の様子と全く異なっていた。

「夢ではないよ。混乱するのも分かるが、落ち着いてくれ」

 ミーミスはリアの思考を見透かすかのように答えた後、ぱちりと指を鳴らした。
 辺りに強い薔薇の芳香が漂う。現れた大量の白い花びらが、勢い良く渦を巻きながらリアを取り囲む。リアの視界が、薔薇の花びらによって白く染まる。

 白薔薇の渦が消え去った後、リアは巨大な塔の中にいた。

「悪いね。ゼルドリックが創り上げた世界ほど、私の世界は綺麗じゃない。あれらも悍ましく思うだろう?」

 ミーミスは苦笑いしながら壁を指差した。塔の壁沿いに人形が何千も並べられている。
 異様な光景だったが、リアは不思議とそれに対して嫌悪感を覚えることはなかった。

「あの人形……。もしかしてミーミス様ですか?」

「ああ。私を模した人形だ。不気味だろう」

「いえ……。驚きはしましたが、別に悍ましく感じたりはしません。踊っていたり、本を読んでいたり……。何だか、あの人形にはミーミス様に対する愛のようなものを感じます」

「ふふっ、愛か」

 ミーミスは笑い、紫水晶の猫目をおかしそうに細めた。

「リア、君をここに呼んだのは、君と愛の話をしたかったからだ。そこに掛けなさい。紅茶でも飲みながら、ゆっくりと話をしようじゃないか」

 ミーミスはリアの手を引き、骨の椅子に彼女を座らせた。リアは差し出された紅茶に口をつけながら、ゆっくりと辺りを見た。塔の中心には、椅子と同じように骨で作られた家具が並べられている。大きなベッドに二人分の椅子と机。リアは静かな声でミーミスに尋ねた。

「ここで誰かと暮らしているのですか?」

「ああ、恋人とね」

 ミーミスは微笑み、胸に手を差し入れた。彼女の美しい手が光る胸に飲み込まれていき、そしてそこから一輪の薔薇が取り出される。ミーミスは咲き誇る漆黒の薔薇を、慈しむようにゆっくりと撫でた。

「この薔薇を創った者と共に住んでいる。まったく仕方のない奴でね、外に出すとどんな悪さをするか分からないから、私の精神世界に閉じ込めているんだ」

 ミーミスは満ち足りた笑みを浮かべた。
 見たことのない師の顔に、リアは胸が締め付けられるような心地がした。

「羨ましい。愛するひとといつも一緒。それはとても、幸せなのでしょうね……」

 それきりリアは黙り込んだ。胸に込み上げる悲痛がリアを苛む。堪らえようとしたが、閉じられたリアの目からは次々と涙が溢れ落ちていく。ミーミスは流れる雫を優しく拭い、ひんやりとした手でリアの頬を摩った。

「リア、君は禁呪に手を出したね」

 ミーミスの透き通る声に、リアはゆっくりと目を開けた。

「ゼルドリックの胸から蜜の匂いがした。甘い蜜の匂い。咲いた契りの薔薇が放つ、特有の魔力香だ。ゼルドリックが禁呪に手を出してどんな怖ろしいことになったか、君が一番知っているだろうに。なぜ薔薇を創ったんだ?」

「……彼への想いを、止められなかったのです」

 ――仔よ。胸に花を宿した仔よ。

「薔薇を介して伝わるゼルの感情。彼から向けられる愛は甘く、とても嬉しいものでした。大好きな王子様と家族になることができて、私はずっと幸せでした。幸せだからこそ、彼を遺して逝くことが心残りだった。私もゼルのように薔薇を創り出して、自分の愛を彼に伝え続けたかった」

 ――妾は母。闇の太母。全ての命、そして夜の淵源よ。

「私はゼルと同じ時を過ごせる命を手に入れた。でも……ゼルと離れている間、ずっと不安でした。彼が逃げていかないか、誰かのものにならないか怖くて堪らなかった。ゼルを再び私のものにしたい。支配したい。引き摺り込んでしまいたい。縛り付けたい……。私の胸に、そのような感情が込み上げてきて止まらなかったのです」

 ――蜜の集め仔。汝、花を咲かせよ。

「許せない。憎い。殺したい。ゼルを愛している。私は心の底から聞こえる声に従い、込み上げてきた感情と向き合いました。その時、私の胸に花が宿った……」

 ――妾に甘美な蜜を味わわせよ。

 リアの赤い瞳が揺らめく。
 炎を宿す赤い瞳を、ミーミスはじっと見つめた。

(リア自ら禁呪を唱えた訳ではないのか? であれば……。君が咲かせた赤い薔薇は、女神オーレリアが根付かせたのか……)

 ミーミスは改めてリアのことを不思議な女だと思った。
 ゼルドリックの祈りをそのまま具現化した姿。前の姿と記憶を引き継いで生まれ変わってきた奇跡。呪文無しで契りの薔薇を創り出した不可思議。

 偶然というにはあり得ない、神秘の力が働いている表れ。

(リア。やはり君はオーレリアに祝福されているのだね。面倒なことだ、オーレリアはただ優しいだけの女神ではない。恨み、妬み嫉み。穢い感情の動きを何よりも好む女神だ。オーレリアは、君たちを弄ぶことでその感情を愉しもうとしているのかもしれない)

 薔薇を巡って起きた痛ましい出来事の数々を思い出し、ミーミスは静かに息を吐いた。

「リア、よく聞きなさい。禁呪それ自体に手を出すことはこの国では罪には問われない。だがね、禁呪指定を受けた魔術というものは面倒なものなのだ。弱きエルフが手を出していいものでは決してない。契りの薔薇は愛と狂気の魔法。女神オーレリアが構築した、怖ろしきいにしえの魔法だ。契ろうが、そうでなかろうが、薔薇を創り出した者は誰一人として無事ではいられない。相手への愛に狂っていくのだ」

 ミーミスはリアの滑らかな頬を摩りながら、透き通る声で続けた。

「君に言ったね、契ることもまた怖ろしいと。時に、薔薇が生み出す狂気は悲劇を引き起こす。胸の奥から、絶えず誘惑の声が囁いてくるのだ。これでは足りない。相手を手に掛けてしまえ、相手を取り込んで一つになってしまえ、相手と溶け合ってしまえと。その声は段々と強くなり、そして声に負けた時、薔薇を生み出した者の魂は喰われる」

「……喰われる?」

「ああ。自制心を失い、ただ欲望のまま振る舞う人形となる。自他境界が曖昧になり、やがては自我すら失い死に至る。私はそうなってしまった同胞を幾つも見てきた」

 リアは衝撃に目を見開いた。

「それでは……。私も、ゼルも、いずれは?」

「薔薇に魂をすっかり喰われてしまえばね」

「……っ」

 不安にリアの心臓がどくどくと跳ねる。ミーミスは胸に黒い薔薇を戻し、顔を強張らせるリアの頭を撫でた。

「君は泣いていたね。ゼルドリックと上手くいっていないのかい?」

「……はい。近頃、ゼルはずっと強い不安を感じ続けているのです。私が死んでまた遺されることが怖くて堪らないと、泣きそうな顔をしながら縋ってくる。どんなに慰めても、彼は安心してくれないのです。昨日も様子がおかしくて……」

 ミーミスは泣きながら話すリアを抱き寄せ、静かな声で言い聞かせた。

「リア。ゼルドリックは、君への愛と狂気の狭間で苦しんでいる。彼は強い蜜の匂いを放っていた。危うい匂いだ。ゼルドリックは胸奥から聞こえる、抗いがたい声に誘惑されているはずだ。このままでは魂をすっかり喰われてしまうだろう」

「そんな! どうすればゼルを――」

「聞きなさい、リア。愛と狂気の均衡が保たれている限りは、魂を喰われることなく過ごしていける。私も恋人も、薔薇から生み出される狂気をやり過ごして生き延び続けてきた」

 リアは縋るように紫水晶の目を見つめた。

「胸奥から声が聞こえるのは、己の魂が薔薇に喰われかけている時だ。不安、怒り、憎悪、嫉妬。それらが薔薇から生み出される狂気を加速させていく。いいかい、リア。狂気に対抗できるのは契りを交わした相手からの愛だ。彼の心を、君の愛で満たしなさい。ゼルドリックを救いたいと思うのなら、彼の不安と真っ直ぐに向き合いなさい」

「向き合う……」

「ゼルドリックが抱える狂気は、また君を酷く傷付けるかもしれない。あるいは頑なに自分の悩みを話そうとせず、君を突き放すような真似をするかもしれない。それでも、ゼルドリックを救えるのは君しかいないのだ。彼と契りを交わした君しかいないのだ」

 ――奴は貴様の話に納得できない理由を抱えているはずだぞ。それを聞いたのか?

(……馬鹿ね)

 リアは目を瞑った。
 嫌わないで、離れていかないでと懇願する、かつての痛ましい姿を思い出す。

(私はなぜ気がつけなかったのだろう? あなたが魂を喰われかけてしまうほど悩んでいたなんて思わなかった。ゼル。あなたはきっと、悩みを打ち明けたことで私が離れていくことを、今も怖れているのね……)

 ――君が俺から離れていくことが怖かった。離れていくかもしれないと思うと想いを告げるのが怖かったんだ。

 自分たちはまたすれ違ってしまったのだと、リアは後悔に涙を流した。

(ゼル、不安にさせてごめんなさい。私があなたより強いと言ってしまったから……。私がゼルを焦らせてしまったから、あなたは余計不安を感じたのでしょう? あなたから離れるなんて、絶対にそんなことはないのに)

「薔薇を受け取ったことを後悔したかい?」

 ミーミスの言葉に、リアは首を横に振った。

「いいえ。彼と契ることは私の望み。今までも、これからも変わりません」

「そうか。君がゼルドリックから逃げたらどうしようかと思った」

「まさか」

 リアはその言葉に笑った。

「ミーミス様、狂っているのは私も同じです。ゼルを狂うほど愛しているから、女神は私の胸に赤い薔薇を植え付けたのだと思います」

 城の壁中に貼った何十万枚もの写真。
 ゼルドリックにかかわる品を陳列した硝子箱。
 彼の身体に巻きつけた幾百もの赤い糸……。

 自分もゼルドリックと同じなのだ。
 彼と同じくらいにおかしくて、彼と同じくらいに相手を愛しているのだ。

 胸に手を当て、リアはゼルドリックのことを真っ直ぐに想った。

「薔薇が私の想いをゼルに伝えるのだとしても、本当に大切なことは私自身が口にして伝えなければいけないのに。そうしなかったから、私はまたゼルとすれ違ってしまった」

 ゼルドリックの悲しみと不安が込み上げてくる。
 リアは胸の悲痛を堪えながらも、真っ直ぐにミーミスを見つめた。

「ゼルを受け止めてきます。やっと彼のもとに戻ってこれたのです。これからもずっと傍にいます……。今の私には、ゼルがどうなっても受け止められるだけの力がありますから」

「ふふっ、それでこそ私の教え子だ。君を鍛え上げた甲斐があったよ」

「ミーミス様。私たちも、ミーミス様たちと同じように長い長い時を共に生きていけるでしょうか?」

「ああ、生きていけるさ。助け合いつつ、支え合いつつ。君の胸奥から声が聞こえ始めたら、今度はゼルドリックに救ってもらえばいい」

 ミーミスはリアの髪を撫でながら話した。

「契りの薔薇は怖ろしくも素晴らしき魔法だ。相手の何もかもが手に入るこの甘美。この甘さを味わえるならば、多少狂気に蝕まれても構わない。そう思えるほどに素晴らしい。私は愛の女神オーレリアに感謝をしているよ。人の感情を『蜜』として啜る、何とも不気味で面倒な女神だがね」

 ミーミスは何かを考えるように上を向いた。

「灰色の女神は、何を思ってこの魔法をもたらしたのだろうね」

 蜘蛛を思わせる複腕の女神。
 パルシファーの花冠を頭に乗せた、奇怪な声の女神。
 冥府の河で出会ったオーレリアの姿を思い浮かべつつ、リアはミーミスに尋ねた。

「ミーミス様。あなたはオーレリアについて詳しいのですね?」

「まあ、長く生きていれば祖について詳しくもなるさ」

「あなたは……。あなたも、オーレリアを見たことがあるとか?」

 その問いにミーミスはにやりと笑ってさあね、と言った。

「君に話したいことは話せた。そろそろゼルドリックを迎えに行きなさい。彼は君を待っているだろうからね」

 ミーミスは紫の目を柔らかく細め、リアの耳元で祝福を込めたまじないを囁いた。

「君たちに再び幸あらんことを」

 白薔薇の渦が再びリアを取り囲む。
 リアは師に笑みを返し、ミーミスの精神世界から抜け出した。


 ――――――――――


 精神世界を抜け出したリアが目にしたものは、己の墓の前で項垂れるゼルドリックだった。
 しんしんと雪が降る中、ゼルドリックは冷たい墓石に縋り付き涙を流している。リアは静かに彼の隣に座り、その広い背を摩った。

「……そんな薄着で外にいたら冷えるわよ、ゼル」

 ゼルドリックはリアの声掛けにびくりと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。ゼルドリックの青い瞳は深い悲しみに満ち、嗚咽を堪える唇は痙攣している。彼はリアから逃げるように後ずさり、切羽詰まった大声を出した。

「こ、来ないでくれっ! お願いだ!」

「ゼル……?」

「俺はおかしいんだ! また君を傷付けてしまう! だからそれ以上近寄らないでくれ!」

 夫からの拒絶に眉を下げながらも、リアは構わずゼルドリックへと手を伸ばした。だが彼は伸ばされた手を払い除け、リアを勢い良く突き飛ばした。降り積もった雪の上にリアが倒れ込むと、ゼルドリックは青い瞳を罪悪感に揺らした。ゼルドリックは済まないと繰り返し口にしながらもリアから逃げようとした。

「待って……待ってよ、ゼル! ねえ、私と話をして!」

「やめろ! 来るな、頼むから! 今すぐ俺から逃げろ! でないと俺はまた君を……!」

 ――罪人の首枷を引き千切れ。そしてリアの魂を今度こそ精神世界に閉じ込めてしまえ。

(くそっ、また胸から声が……!)

「……ゼル、ねえ? どうしたの?」

「来る、な……」

 ゼルドリックは唇を強く噛み、胸奥から聞こえる誘惑の声から必死に逃れようとした。
 無意識のうちに首枷へと手が伸びる。リアを目の前にして、冷えた肌が熱く滾る血によって温められていく。ゼルドリックは恐怖に脂汗を滴らせた。

 ――弱くなった自分に愛想を尽かし、リアが逃げ出そうとしたらどうする? 決して自分から逃げられないようにしておくべきではないか?

(やめろ、やめてくれっ! 俺はもうリアを傷付けたくないんだ!)

 抗いがたい誘惑の声。胸に巣食う空虚から聞こえるもう一人の自分の声。
 その声は己の声から、金属が擦れ合うような奇怪なものへと変わっていく。

 ――いっそ、リアをこの手にかけてしまおうか。あの柔らかな肌を噛んで、血肉を味わい、同一の存在となってしまおうか。

(いやだ! この幸せを失いたくない! 妻も! 子供も! 誰も裏切りたくない!)

 ゼルドリックは必死に家族たちの顔を思い浮かべ、己の狂気を押し殺そうとした。

 だが、なお声は強くなる。
 彼の頭が、心が、魂が、獣欲を囁く声に埋め尽くされていく。

 ――奇跡はそう何度も起きない。今すぐに首枷を千切って、リアの全てを俺のものにしてしまえ!

「う、くっ……ぐ、あああああああああああああああっっ!!」

「っ、ゼル!」

 ゼルドリックは胸の苦しみを解放するかのように絶叫した。ゼルドリックの叫びと共に、彼の身体から黒い靄が放たれる。他者を威圧するような冷たく刺々しい靄。漏れ出たそれは確かにゼルドリックの魔力で、リアは衝撃に息を呑んだ。

(魔力!? どうして――)

 ぱきり、ぱきりと音を立てて、罪人の首枷にひびが入っていく。首枷はもはやゼルドリックの力を抑えられない様だった。彼の魔力は何十羽もの黒い鷹を形作り、リア目掛けて襲いかかった。

「くっ……ぜる、ゼル! だめよ、止まって! お願い!」

 リアは鷹から逃れながら必死にゼルドリックへ呼びかけたが、彼は己の魔力を抑えることをしなかった。ダークエルフから漏れ出る凄まじい魔力の奔流がリアを酔わせていく。リアはその場に蹲り、魔力酔いに苦しみの声を上げた。

(私はゼルの強さを見誤っていた……。私が彼と並んだ? 彼より強い? 嘘よ……。ゼルは私より遥かに強い! こんな魔力の持ち主を止められる訳がない!)

 静かな絶望がリアの胸に込み上げる。同じエルフだからこそ、夫の怖ろしさが真に解った。靄が辺りを覆い隠し、リアを暗闇の中に引きずり込んでいく。黒い靄が手を形作り、リアの首や手を撫で回す。黒い鷹がリアに群がり抵抗する意志を奪っていく。ゼルドリックの魔力から逃れることが出来ず、リアは小さく悲鳴を上げた。

「くくっ、あははははははっ! あははっ……誰も俺を止められない! 先生はもっと俺に頑丈な枷を付けるべきだったな? くくく……ふふ、リア、リア……」

 ゼルドリックは雪の上に力無く倒れ込んだリアに近づき、彼女の上に覆い被さった。
 愛情、憎悪、孤独、恍惚。暗闇の中で、魔力を宿した青い瞳が激情に煌めく。ゼルドリックの様子は異常だった。今までに見たどの表情よりも怖ろしいその顔に、リアはただ震えることしかできなかった。

「可愛いな、リア。逃げろと言ったのに、言うことを聞かないから俺に捕まってしまった……。聞こえる声の通りに君を喰らってしまおう。こんなに苦しい思いをするのなら、いっそ君を俺の中に取り込んでしまおう、そしたらずっと一緒だ! 冥府の神に渡すくらいなら、俺が全部喰らってやる!」

「ん、あっ!?」

 リアの首に歯が突き立てられる。柔らかな肉を噛まれ、滲んだ血を舐め取られる感覚にリアは身を強張らせた。ちゅ、ちゅ、と首に口付けられた後、強く肌を吸われたりまた噛まれたりする。ゼルドリックは白い首についた歯型を見て満足そうに笑った。リアは必死に抵抗したが、ゼルドリックの大きな身体から逃れることはできなかった。

「ふうっ、く、ううっ……! いや、待って! 待ってゼル!」

「はあっ、美味しい。ずっとこうしたかったんだ。もっと早く声に従っておけば良かった! ゆっくりゆっくり味わってやるからな。もう離れ離れにならないように、俺とひとつになってしまおうな……」

 ゼルドリックはぶつぶつと呟き口角を上げた。濁る目には、はっきりとした狂気が滲んでいる。
 恐怖の中でリアはミーミスの言葉を思い出した。

 ――胸の奥から、絶えず誘惑の声が囁いてくるのだ。これでは足りない。相手を手に掛けてしまえ、相手を取り込んで一つになってしまえ、相手と溶け合ってしまえと。その声は段々と強くなり、そして声に負けた時、薔薇を生み出した者の魂は喰われる……。

(ゼル、負けないで。魂を喰われないで! あなたの魂は私のものでしょう!?)

「ぜ、る……戻ってきて! うあっ!」

 ゼルドリックは大きく口を開け、またリアの首をがぶりと噛んだ。首に走る甘い痛みがリアの全身を駆け巡っていく。快楽によく似た痛みにリアは目を潤ませたが、夫からの接触にそのまま溺れたいとは思えなかった。

(このままではいけない、枷が外れる前にゼルを止めなきゃ! 彼を再び罪人にしたくない!)

 ゼルドリックが浮かべる表情は歪だった。唇は恍惚に弧を描きながらも、青い目からはぼたぼたと涙が溢れ落ちていく。喜色と悲痛がないまぜになったその顔に、リアは胸が衝かれる思いをした。

「ゼル、やめなさい! 私たちには大切なものがあるでしょう!? 戻ってきて!」

 リアはぐっと奥歯を噛み締め、震えながらも糸を操った。リアの胸から伸びた赤い糸が靄を切り裂き、ゼルドリックの身体を縛り上げる。リアはゼルドリックの両頬に手を添え、狂気の瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。

「胸の声に耳を傾けないで! 私の声を聞きなさい! ゼルドリック!」

 ゼルドリックはリアの呼びかけにはっとした表情を浮かべた。

「……リア?」

 靄が霧散し暗闇が晴れていく。
 灰色の空を見上げ、リアはふうと息を吐いた。

「良かった……戻ってきてくれて。枷はまだ壊れていないわね。あなたをまた罪人にする訳にはいかないから」

 リアはゼルドリックの首に付けられた首枷をなぞりながら安堵の笑みを浮かべた。糸を解き、黒髪についた雪をリアが優しく払うと、ゼルドリックは震えながら俯いた。

「違う。俺は罪人だ。君を傷付けた」

「……ゼル」

「痛かったよな? 怖かったよな? 君の綺麗な肌に血が滲んでいるっ……。何よりも大切にすると、誰よりも愛すると誓ったのに、また俺は君を殺しかけてしまった! まただ。また! う、うぅっ……」

 ――弱くなった自分に愛想を尽かし、リアが逃げ出そうとしたらどうする? 決して自分から逃げられないようにしておくべきではないか?

(ああ、まだ声が止まらない。どうしてだ……?)

 ゼルドリックは絶望した。奇怪な声がまだ頭の中に響き続けている。声が秘められた欲望の炎を燃え上がらせていく。リアの傷に目を遣り、ゼルドリックは啜り泣いた。

「君の首を噛んだ時、これでひとつになれると思うと心から嬉しかった。今も傷から滲む血を舐め取りたくて仕方ない。こんな奴が君の傍にいていい訳がなかったんだ! 殺してくれ、リア。今度こそ薔薇を握りつぶして俺を殺せ! でないと俺は君を苦しめた挙げ句殺してしまう! もう限界だ。辛い、苦しいっ! 君への想いを止められない! う、あああああっ……」

 リアは声を上げて泣くゼルドリックをしっかりと抱きしめ返し、彼の耳元で囁いた。

「ゼル。あなたは声が聞こえると言ったわね。ねえ、胸からどんな声が聞こえるの? 私に話して……」

「……っ」

「どんなことを言われようとも、あなたから離れることはないわ。私を信じて」

 揺れる青い瞳を覗き込みリアは優しく微笑んだ。
 ゼルドリックは口を噤んでいたが、やがてどろどろとした声で話し始めた。いつもの深みのある声とは違い、狂気に濁る怖ろしい声だったが、リアは彼に寄り添い話を聞き続けた。


 不安を感じる度、胸奥からもうひとりの自分が囁いてくる。

 リアを食い荒らせ。手にかけてしまえ。逃げ出せないように縛り付けろ。
 罪人の枷を外して、その魂を精神世界に捕らえてしまえ……。

 声は日毎に強くなる。

 食べたい。どんなに身体を重ね合わせても心の空虚が埋まらない。
 無理やり犯してしまいたい。感情を抑えられない。寂しい、苦しい、辛い。

 大切にすると誓ったのに。家族のためにも罪を犯す訳にはいかないのに。
 穏やかに愛していきたいのに、それが出来ない。
 自分は狂っている。幸せなはずなのに強い不安を感じてしまう。

 不安を感じる度、声に支配される。
 声はなお不安を強くさせる。この循環から抜け出せない……。

「ははっ……気持ち悪いだろう? 俺は君の薔薇を手にしたのに、まだこんなことを考えている」

 ゼルドリックは自嘲的な笑い声を上げた後、リアに不安の根を話した。

「……俺は、君の死が怖いんだ」

 苦悩、愛欲、狂気、偏執……。
 リアの胸に、ゼルドリックの感情が伝わってくる。魂に食い込む薔薇の蔓がリアの心に冥闇を流し込む。

「君を喪ったあの日、俺の魂は欠けてしまった。君が亡くなってから、俺は喜びらしい喜びを感じたことがなかった。やっと一緒になれたのに、またあの喪失がやって来るかもしれないと思うと正気でいられなくなる! リア……。君なしでは生きていけないんだ。今度こそ、ずっと一緒にいてほしいんだ……」

 ゼルドリックはリアの赤い髪を撫で、腕の中の温もりを確かめるように強く抱きしめた。

(ああ、そうか……)

 ゼルドリックは赤い髪の姫君と出逢うために、女神オーレリアに百年以上祈り続けた。
 姫君と出逢ってからは、誰かに奪われないかずっと心配していた。
 契ってからは、姫君の老いと死に怯え続けていた。
 そして姫君の死が、彼の魂に深い傷を付けた……。

(ゼルは幸せだと口にしながらも、内心では空虚を抱え続けていたのね。だからこんなにも私の喪失を怖れるのだわ)

 ――狂気に対抗できるのは契りを交わした相手からの愛だ。彼の心を、君の愛で満たしなさい。

 リアは夫の胸元に唇を寄せ魔法を発動させた。
 ゼルドリックとリアの精神が共鳴していく。

「……リア?」

「王子様。あなたの胸にある空虚を埋めてあげるわ」

 ゼルドリックの視界が赤く赤く染まる。辺りに強い薔薇の芳香が漂う。
 リアはゼルドリックを強く抱きしめ返し、己の精神の中へと彼を引き摺り込んだ。


 ――――――――――


 薔薇の花吹雪が消えた後、ゼルドリックは大きな寝台の上にいた。
 吹き抜けの向こうに見える銀河や星雲、天から降り注ぐ薔薇の雨。広間、階段、噴水、絵画、つる薔薇、白い柱、輝くシャンデリア。絢爛な光に満ちた幻想的な城。

 リアの精神世界。
 自分のためだけに創られたどこまでも優しい世界に、ゼルドリックは胸の不安が和らいでいくのを感じた。

「……なぜここに連れてきたんだ?」

「忘れたの? 今日は私とあなたの休日が合う貴重な日よ。素晴らしい日となるように、二人だけの世界でゆっくりと過ごそうと思って」

 リアは可愛らしく笑い、ゼルドリックに抱きついた。
 二人はありのままの姿だった。リアは寝台の上にゼルドリックを押し倒し、彼の黒い胸に手を這わせた。ゼルドリックは覆いかぶさるリアの裸体から目を逸らそうとしたが、リアは無理やり彼の顔を自分の方に向かせた。

「リア、待ってくれ。裸を見せられると困るんだ」

「私に欲情してしまうから?」

「……ああ」

「ふふっ、可愛いひとね」

 ゼルドリックは羞恥に目を瞑った。
 リアはくすくすと笑い、彼の顔に自分の胸を押し付けた。

「くっ……! なあリア、大体なぜ俺たちは裸なんだ?」

「一緒に温まろうと思ってね。外でずっと話してたから冷え切ってしまったでしょう?」

 リアがぱちりと指を鳴らすと、寝台は浴槽へと形を変えた。浴槽に張られた湯が二人の身体を清め、温めていく。天から降り注ぐ薔薇の雨を見上げリアは笑った。

「綺麗ね。魔力消費が激しいから、二人揃って精神世界で過ごすのは頻繁にできないけれど、この美しい世界であなたと過ごせるのは幸せね」

「……ああ。本当にな……。ここは心地がいい。ずっとこの城に居たくなる……」

 ゼルドリックはぼんやりと薔薇の雨を見ながら胸に手を当てた。
 胸の空虚から聞こえる声が小さくなっている。代わりに、魂を甘く震えさせるような声が聞こえてくる。好き、大好き、愛していると。

 リアはゼルドリックの首に腕を回し、彼の耳元で囁いた。

「ゼル。私の声が聞こえるでしょう? 胸の声ではなく、私の薔薇から伝わる声に耳を傾けて」

 胸に咲く赤い薔薇から、リアの真っ直ぐな愛情が伝わってくる。
 リアの声が奇怪な声を掻き消し、心に巣食う空虚を満たしていく。

「薔薇を贈っても、大事なことは言葉にしないといけないわね。ねえ、ゼル。改めて言うけれど、私はあなたの傍にいたくて戻ってきたのよ。あなたを守るために今までずっと頑張ってきたの。逃げたりしない。あなたを嫌ったりもしない。契りの薔薇が無かったとしても、私はあなたの傍で生きることを選んだわ。ずっとゼルのことが好きだったの。ゼルの隣で生きることこそ、私の幸福よ……」

 リアの真っ直ぐな言葉が胸を打つ。
 ゼルドリックは歓喜に唇を震わせながらも、沈んだ声でリアに尋ねた。

「リア……。君の気持ちが嬉しくて堪らない。だからこそ……怖いんだ。俺の狂気を目の当たりにしただろう? また君を殺しかけてしまうかもしれないぞ? それでも俺の傍にいてくれると言うのか?」

「ええ、勿論。殺されそうになったら次も止めてみせるわ」

「胸の声は、もう一人の俺の声だ。君を喰いたい、無理やり犯してしまいたい。縛り付けたい。あれが俺の本性だ。俺は君を、壊してしまうかもしれない……」

「あなたに壊されるなら本望だわ。ねえ、見て? あなたの胸から赤い糸が伸びているでしょう」

 ゼルドリックは目を凝らして自分の胸を見た。朧げながらも一本の太い糸が伸びているのが見える。そしてその糸はリアの胸へと伸びていた。リアは糸を引っ張りながら嬉しそうに微笑んだ。

「赤い糸は愛の糸。この胸の糸だけは、私でも断ち切ることができないわ。糸で結ばれた私たちはずっと一緒。離れたくても離れられないのよ? ふふ、素敵ね。薔薇でも糸でも私たちは繋がっているわ! ゼル、愛しいゼルドリック。私は穢い糸を全部切って捨ててしまった。私たちに不幸が訪れることはないわ。死すら私たちを引き裂くことはできない。この愛は、誰にも邪魔させない!」

 リアはゼルドリックに口付けた。触れている箇所から、リアの記憶と精神が強く流れ込んでくる。指に絡みつく黒と灰の糸を全て断ち切ったこと、糸を操って円卓を壊滅させたこと。驚きに固まるゼルドリックに構わず、リアは情熱的なキスをし続けた。赤い瞳が狂気に煌めく。リアは荒い息を吐きながら嬉しそうに言った。

「食べたいなら食べればいい。縛り付けたいならそうすればいいわ。王子様になら何をされたって構わない。あなたの狂気も愛も、私が全部受け止めてあげるわ。どんなあなただって受け入れる。だって、私も狂っているから!」

 リアの愛が、狂気が、魂に深い安らぎを与えていく。
 ゼルドリックは胸の空虚がリアによって埋められていくのをはっきりと感じた。

「私もあなたと同じことをしてあげる。その黒い肌に歯を突き立てて、糸で縛り付けて、あなたを犯してあげるわ。もう不安にさせないように……。ゼル、あなたから決して離れはしない。おかしくなってしまった私を、ずっとずっと愛してね」

 怖ろしい言葉だったが、ゼルドリックにとっては心から嬉しい言葉だった。

「ありがとう……。ありがとう、リア……!」

 ゼルドリックはくしゃりと顔を歪め、愛しの姫君を掻き抱きながら安堵に泣いた。


 ――――――――――


「はあ、はむっ、んんっ……り、あ……リアっ!」

「はっ、あぁっ……んあっ、ふ、んんっ! ぜる、ぜるぅ……」

 湯浴みをした二人は寝台の上で貪るような口付けを交わした。ゼルドリックの逞しい腕が、黒い胸がリアにぴったりと寄せられる。両頬に手を添えられながら舌を絡め取られ、リアは恍惚の涙を流した。

「ん、んんっ……! あっ、はああっ……」

「リア、リアッ……ん、む……」

 舌のみならず、前歯から唇の内側、敏感な上顎を丁寧に愛撫される。逞しい身体に魔力の糸を絡ませながら、リアは夫に擦り寄った。

「はあんっ……ぜる、きもち、いいよおっ……」

「俺もだ、リア……」

 ゼルドリックの手が後頭部に伸び、なお顔を近づけられる。ちゅく、ちゅくという唾液の音、お互いの息遣いの音だけが静かな世界に響く。リアが青い瞳を見つめながら目を細めると、ゼルドリックはそっとリアの唇から離れた。銀の糸が二人を繋ぐ。ゼルドリックはリアの細い手首を掴み、寝台の上に寝かせた。

「いつ見ても君は綺麗だな……。顔も、胸も、腹も、つま先まで……本当に愛らしい。可愛すぎておかしくなりそうだ」

 白い肌、豊かな曲線を描く裸体。寝台の上に広がるリアの赤い髪は、まるで咲き誇る薔薇の花のようで。ゼルドリックは姫君の美しさに心からの称賛を贈った。リアは紅潮した顔で微笑み、ゼルドリックの頬に手を伸ばした。

「あなたも素敵よ。私の王子様……あなたからこんなに愛されて、幸せだわ」

 ゼルドリックの目から涙がひとつ溢れ落ちる。彼は満ち足りた笑みを浮かべ、リアに覆い被さった。
 リアの足を持ち上げ、その甲に口付けを落とす。つま先、足首、脛、そして腿まで、ゼルドリックは肉の柔らかさを確かめながら白い肌に鬱血痕や歯型を残した。

「んんっ、んあっ……」

「こんなに柔らかくて、いい香りもして……本当に喰らってしまいたくなる」

「んっ、ふうっ……あな、た……つけすぎ、よ」

「いいだろう? どれだけ痕をつけたって。君は俺のものなのだから」

 ゼルドリックの唇が動く度にぴりりとした甘い痛みが走る。いつもとは異なる、僅かに酷薄さを帯びた口付けの痛み。だがその痛みはリアにとって甘いもので、所有痕が刻みつけられる度にリアは喜びの声を漏らした。

(あなたのことが解ったから、乱暴なことをされても怖くない)

 喰われるかもしれないという恐怖は全くなかった。ゼルドリックの不安の根に触れられたこと、そして自分の気持ちを彼に伝えたこと。それがリアの心に安らぎをもたらした。

「ゼル、私にもちょうだい」

 ゼルドリックの頭を抱き寄せ、首に歯を突き立てる。しっとりと汗ばむ黒い肌を吸い上げ、噛み、敏感な耳までを舐めあげる。舌先に伝わる鉄と塩の味が、リアの芯を昂ぶらせていく。がぶがぶと首を噛むリアの頭を撫で、ゼルドリックは嬉しそうに笑った。

「っ……美味いか?」

「ええ、とっても」

「ははっ、君に喰われるのも、いいな……!」

 お互いの肌を噛んで痕を残し、体温を確かめるように手を這わせる。二人は幸せな気持ちで触れ合った。

「はあ、んんっ、ん、ん……! ぜ、るぅ……」

 ゼルドリックはリアの豊かな胸を掬い上げると、優しくその先端を指で愛撫した。隆起した尖りを弾き、乳輪をなぞるように指を這わせる。乳首を捏ねると、リアはびくびくと震えた。

「気持ちいいだろう? ここは優しく触れてやらないとな」

「ひうっ、はぁっ……ふうっ、んああっ! はあっ……ああ、ああああっ……」

「……可愛い。もっと気持ちよくしてやるからな、リア……」

 ゼルドリックはリアの両胸を寄せ、二つの頂きを口に含んだ。乳輪ごと口に含み、円を描く様にころころと舐め回し吸い上げる。両胸から伝わる快楽にリアは切ない喘ぎ声を上げた。

「んっ、はあっ、れろ、んむっ……ちゅっ……美味しい……」

「ああ、ああああっ……あっ、あっ……きもちいいっ……きもちいいよお、ゼル……」

 リアは身を捩らせたが、ゼルドリックはそれを許さなかった。跳ねるリアを縫い付ける様に自分の逞しい身体で押さえつけ、なお胸を苛んでいく。腔内で固くなっていく乳首の弾力を愉しみながら、ゼルドリックは暫くリアの胸を味わい続けた。

「ああっ、ううっ! やあああああっ、もう、もうっ!」

「んんっ、はっ……。くくっ、もう達くのか? 相変わらず堪え性が無いな?」

 ゼルドリックは唇を離し、唾液でぬらぬらと光る胸の先端に優しく爪を立てた。かりかりと柔らかな指先で引っ掻く度、リアの嬌声が上がる。ゼルドリックは熱が込もった目でリアの顔を見つめた。

「あっあっ、やっ……ひっかかないで! つよいっ、ああああっ!」

「いいや、引っ掻いてほしいんだろう? ああ、そうだった……。君は快楽に弱くて、少しだけ乱暴にされた方が喜ぶのだったな? なあ、今の君はとても嬉しそうな顔をしているぞ」

「あ、ひぐぅっ! しげき、つ、よいからあっ……あっあっ、やだ! むねだけでいくうっ……。あ、やあああっ……」

 リアの身がくたりと寝台に沈み込む。荒く息を吐き、蕩ける目を上に向けるリアは美しく、ゼルドリックはその姿を目に焼き付けるようにじっと見下ろした。綺麗だ、美しい。そう囁くゼルドリックは甘い笑みを浮かべていて、リアは照れながらも花の咲くような笑みを返した。

「ゼル、もっと欲しい。あなたが欲しいの……。して……?」

 足を擦り合わせながら上目遣いで懇願するリアに、ゼルドリックは優しく接吻をした。

「……そんな可愛いお願いをしたらどうなったって知らんぞ。お望み通り、君の急所を虐め抜いてやる」

「あ、あ……、ああっ……!」

 ゼルドリックはリアの足を持ち上げ割り開いた。目の前には愛液を滴らせる秘部がある。ぬらぬらと光る桃色の真珠はすっかり勃ち上がっていて、ゼルドリックは充血して腫れ上がった陰唇を指で拡げた。

「君のここは変わらないな。下生えがない分滑らかで、陰核はいやらしく尖ったままで、俺を受け入れるところは柔らかくて……」

「や、だ……みないでよっ……ばか……」

「ははっ、奥から雫が垂れてきた。好きだろう? ここを俺にしゃぶられるの。君はここを舐めると何度も達くからな。前みたいに可愛がってやる。泣いても止めないからな……」

「ひうっ!? ひゃあっ! あああああああああんんっ!」

 包皮を剥かれ、敏感な肉芽をいきなり舌で転がされる。鋭い快感にリアは暴れたが、ゼルドリックはリアの股から決して顔を離さなかった。腿を撫でられながら急所を舐め転がされ、優しく吸われる度に勝手に声が出てしまう。舌責めの快楽にリアは溺れひたすら喘いだ。

「あっ、あああっあっ! ひうっ、うううううんんんっ……。おかしくなるっ、あっ、もう、もうっ……ふああああっ!」

 リアは呆気なく達したが、ゼルドリックは責めの手を緩めなかった。じゅるじゅるという愛液を啜る音、ちゅぱちゅぱと陰核を吸う音をリアの耳が捉える。羞恥を煽るその音とゼルドリックの熱い舌が、燃えるような熱と快楽をリアの陰核に残していく。達しても達しても離れない夫の唇に、リアは被虐の笑みを浮かべながら泣き叫んだ。

「ん、ちゅ、れろっ……んんっ…」

「あ、ああっ、あ、そこだめえぇ! またいっちゃうの! うあっ、あああああああっ! ひ、い、くうっ……!」

「ちゅっ、ぷはっ……くくっ、あははっ! 君のここ、男のものみたいに勃ってるぞ?」

「ひんっ……」

 リアの陰核を指で突き、ゼルドリックは意地悪そうに笑った。彼の嗜虐的な笑みがリアに悦びをもたらす。仄暗い被虐の欲望がゼルドリックの前で剥かれ、満たされていく。胸に伝わる熱に気がついたのか、ゼルドリックは獲物を見定めたような鋭い目でリアを見つめた。

「こうしていると、一日中君の陰核を虐めた時のことを思い出すな。なあリア、言っただろう? 俺は君のここが大好きなんだって。この桃色の尖りを指で摩るだけで、君は簡単に絶頂する。どんなに耐えようとしても快楽からは逃げられず、結局俺の指で呆気なく達してしまう様は、本当に下半身に来るって……。俺に弱点を虐められて泣く君は、本当に可愛い。もっともっとその泣き顔を見せてくれ」

「あっ、あっ! あっやっ、やああああっ! いまはむり、無理なのっ! 本当に……!」

 親指と人差し指で肉芽をしつこく捏ねる。リアは切羽詰まった声を上げてゼルドリックから逃れようとしたが、力強い彼の腕から抜け出すことはできなかった。リアの快楽に泣き叫ぶ声がゼルドリックの心を慰む。尖ったそこを辱めながら、ゼルドリックはくつくつと笑った。

「や、やあああっ! いく、いく、いっ……ああああああああああっ!」

「ははっ……本当に弱い、な。ほら、また舐めてやるから……」

「んんんんっ! くうっ……ああああ! ゆるしてっ! おねがっ……また、くるうっ……あああああ!」

「んんっ、ふっ……んくっ……れろっ、んむ……」

「ああっ、あひっ! んあああっ! いまいってる、の! なめるのやめてえっ……! ひゃめっ! こんな、のおっ……たえられないっ! おかしくなるっ……おかしくなるから! おねがい、ぜるぅ……」

 リアはひたすら自分の弱点を責め続けるゼルドリックに懇願した。絶頂を迎えるたびに敏感になっていく肉芽を刺激され続けることは本当に辛かったが、ゼルドリックは構わず舐め続け、リアの奥から溢れ出る雫を啜り続けた。

「あうっ!?」

 慣れそぼったリアの膣を、ゼルドリックの指が貫く。陰核を舐められながら抜き差しされる指の感覚に、リアは腿を慄かせた。

「あっあ、だめ、そこまでっ……ああああっ! あっそこ、こすらないでっ! あつい! あああっ……」

「君のここ、どろどろしてる。分かるか? 糸を引いて、白く泡立って。ざらざらしたこの天井がぷっくりと腫れ上がってる。ここに俺のものを挿れて擦ってやったら、君も俺も相当気持ちいいんだろうな……」

 中に挿れられる指はどんどん増えていく。敏感すぎる芽を吸われ、敏感な箇所を左右に優しく擦られ、リアは何度も何度も絶頂を迎えた。

「お願いっ……ゼル、おねがい! もうむり、もうっ……つらいの! なんどもいってるの……」

「駄目だ。言っただろう? 泣いても止めないって」

 啜り泣くリアに向けて、ゼルドリックは甘い微笑みを返した。黒の王子様の微笑み。少しだけ残酷な支配者の笑み。

「君を甚振るのが楽しくて堪らないんだ」

「もっ……いやあああああああああっ……!」

「リア、綺麗だ……何度でも気持ち良くなってくれ……」

「あああああん、ああああああ……」

 リアの嬌声が響き続ける。ゼルドリックはリアが気を失うまで、気を失ってもしつこく彼女の秘所を愛撫し続けた。
 こうすればリアは喜ぶ。こうした方がリアは喜ぶ。己の残酷さが受け入れられる嬉しさが、ゼルドリックの心を満たす。狂気の声はもう全く聞こえなかった。胸に宿った赤い薔薇から伝わる愛に溺れ、ゼルドリックは幸福に揺蕩った。




「ぁ……あ、はああんっ……」

 半開きになったリアの唇からは唾液が流れ出ている。涙と汗でしっとりと濡れた頬を舐め上げ、ゼルドリックは桃色の唇を優しく奪った。

「何回達した?」

「……ぁ、わからなっ……」

「きちんと数えておけ。ちょうど百回だ。これだけ達かせたのは随分と久しぶりだな」

 快楽に我を忘れ、顔を蕩けさせるリアを見下ろしてゼルドリックは満足そうに微笑んだ。リアの身体は、与えられてきた絶頂の余韻に不規則に痙攣している。ゼルドリックはそそり勃った陰茎をリアのぬかるみにくっつけた。

「リア。俺を受け入れてくれ。君とひとつになりたいんだ……」

「……うん、来て……ゼル……」

 指を絡ませあいながら微笑む。
 リアは大好きよ、王子様と囁いた。

「俺もだ、リア……リアっ……。君と出逢えて、本当に良かった……」

「あっ……あああああああああああっ……!」

 ゼルドリックの男根がリアの内に入り込む。うつろを貫かれ、満たされる感覚にリアは感じ入った声を上げた。ぱちゅん、ぱちゅんとお互いの肌が密着する音が響き、リアの豊かな双丘が揺れる。膝を持たれ、脚をなお割り開かれる。最奥を優しく突かれたり弱いところをずりずりと擦られる度に、リアは淫らな声を上げた。

「んっ! んっ、んんっ、あっ、はあっ! は、あはぁっ……ゼル、ぜるっ……」

「はあっ、はっ……リア、リア……」

「ふっ、あああっ、あああ、ああああっ! ふ、ひうっ、ゼル、ゼル! わたし、すぐにっ……」

「ふっ、くうっ、リア、もう達くのか……? 可愛い、な……」

 疼き続けていたうつろがやっと満たされた感覚。
 髪を優しく撫でられながら可愛いと囁かれ、リアは感極まったように涙を流した。

「……ゼルっ……うれしい……。あなたと、一緒ね……?」

「ああ、一緒だ。ずっと、ずっと……!」

「あ、ああ……んん……ふふ、しあわせ……」

「リア、リア……リア……!」

 ひたすらに名前を呼ばれながら触れ合うことに、リアは心から幸福を感じた。その幸福がゼルドリックの胸に伝わり沁み渡っていく。リアとゼルドリックは歓喜の涙を流しながら抱きしめあった。
 ゼルドリックは一言リアに断った後、腰の動きを速めた。ぐちゅぐちゅという水音、お互いの肉がぶつかり合う音が響く。

「はっ、あう、ああっ! リア……リア……」

「あ、はあんっ、あっ、ひぐっ、いくうっ! ぜる、ぜる……ゼルぅっ……!」

「リア、リア……リア……!」

 ゼルドリックの身体から汗が滴る。彼の広い背にしっかりと腕を回し、リアはゼルドリックの熱を受け入れるために腰を動かした。

「はっ……あ、うぅ、ああっ……り、あ……! あ、ああっ……」

「あ、ああっ、あぁぁっ……! ああああっ……」

 ゼルドリックの精がどくどくと放たれる。奥を満たすその熱さにリアはうっとりと目を瞑った。

「……まだだ、愛しの姫君。もっともっと君を喰らってやる」

 執着が込められた声が落ちる。猛禽類のような瞳がリアを見据える。ゼルドリックは快楽に目を潤ませながらも、唇を片方だけ上げる皮肉げな笑みを浮かべた。ゼルドリックは深い息を吐いた後、再び腰を動かし始めた。

「ふああっ、あ、あああっ、あ、くうっ! だめ、つ、よいっ……ってば! ひゃあっ……」

「は、あっ、奥がうねってるぞ……! 君は本当に快楽に従順な女だな? 今俺が擦り上げているここも、ああそうだ、このざらざらしたところも! 君は弱くて……ほら、また達くのだろう?」

「いや、だめっ、だめっ、ふあああああんっ……!」

「寂しかった分付き合ってくれよ、リア……!」

「あっ、ふ、ふふっ……よろ、こんで……。あなたこそ、私を満足させてね……わたしを、こわして……。こわして、あなただけのものにして、ずっとずっと一緒にいてね、ゼル……」

「ああ、君を壊してやるっ……俺も、君に壊されたい。リア、今度こそ長い時を過ごそうな……。ずっと、幸せに過ごそうな……!」

 甘く残酷に貪られる喜び。どんなに抵抗しても暴れても、身体を押さえつけられ快楽を与えられる。優しいだけではない接触に、自分の夫はこういう男だったとリアは笑った。

 二人の睦み合いは体力の続く限り続いた。
 時が経たぬ精神世界の中で、ゼルドリックとリアは何度も口付けながら肌を重ね合わせた。


 ――――――――――


「どう? 今も声は聞こえる?」

「いいや。不思議だ、あれだけ苦しめられていたのに……君の想いを聞いてから全く聞こえなくなった」

「そう、良かった」

 リアはゼルドリックの胸に手を這わせながら笑った。

「胸の声が聞こえなくなるまでこの世界から出さないつもりでいたの。ここは私たちの聖域、私の愛に満たされた城。ゼル、あなたが望むのなら……時が経たないこの場所でずっと過ごしてもいいのよ?」

「……それは素敵だな」

 赤い髪の姫君と、精神世界の中で暮らしていくという願い。
 かつての望みを思い出し、ゼルドリックは口角を上げた。

「だが今は、子供たちのことを見守りたい。リリーとウィローは問題ないだろうが、イリスの落ち着きのなさが親としては心配だ。セージとも普通に会えるようになったんだ、あやつを抱きしめてもっと話を聞いてやりたい。リア、君もそう思うだろう?」

「ええ、そうね」

「それに……忌々しくて仕方ないが、ヴィオラの結婚式もあるからな」

「あら? 王子様のことを認めたの? あれだけ嫌がっていたのに」

 リアがおかしそうに笑うと、ゼルドリックは苦い顔をした。

「別にあの眼鏡野郎を認めた訳ではない! 俺は今でも反対だ! だが結婚式を邪魔して……可愛いヴィオラに嫌われたくないからな」

 ゼルドリックは笑い、リアの小さな手を握り込んだ。

「だから、一眠りしたら元の世界に戻ろう。子供たちの成長を喜びながら共に過ごそう」

「ええ。この世界で暮らすのは子供たちの心配が要らなくなってからね」

 ゼルドリックは笑った後、大きな欠伸をした。

「何だか安心したら眠くなった……。悪いが寝かせてくれ」

 横たわりリアの胸にすり寄る。リアが黒髪を指で優しく梳くと、ゼルドリックはすぐに微睡み始めた。

「ふふふっ、甘えたがりね。あなたはずっと眠りが浅かったのでしょう? たくさん寝てね、ゼル……」

 愛しい愛しい夫を抱きしめながら、リアもまた幸せの中眠りに落ちた。
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