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初恋を自覚してしまいました - 1
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窓から射し込む爽やかな朝日が、散らかった寮の部屋を照らし出す。珍しく早起きしたルクレーシャは、姿見の前で悶々と悩んでいた。
「うーん。二つに結んでみようかな? いや、やっぱりいつも通り一つに結んで、大きなリボンを付けた方が可愛いかなあ」
自分をより良く見せるために試行錯誤する。ふわふわした桃色の髪をいじくり回しながら、ルクレーシャは眉を下げた。
「おしゃれって何だかよく分からないわ。白いシャツと赤いスカートばかり着てたから、他に何を着ればいいのか思いつかないし」
(たまには水色のスカートを履いてみようかな? あっ、爪も塗ってみよ。お化粧して、ブーツも綺麗に磨いて――)
「ああもう、面倒くさい! 世の中の女の子たちはこんな七面倒くさいことばっかりしてるの!?」
ルクレーシャは大声を上げた。
どうしたらダリルに可愛いと思ってもらえるだろうか。どうしたらダリルに意識してもらえるだろうか。初恋を自覚してから考えるのはそればかりだ。
慣れないお洒落に苦労しながら、ルクレーシャはなんとか身支度を終えた。
(あいつの顔が頭にこびりついて離れない。私、あの嫌味男のことを好きになっちゃったの?)
――俺はルクスに褒めてほしいんだ。
自分を抱きしめてきた彼のことを思い出すと、胸がそわそわして居ても立っても居られなくなる。ルクレーシャは目元を緩ませ、小さな叫び声を上げた。
朝食をつまみつつ、ライバルのことを考える。もぐもぐと口を動かしながら、ルクレーシャは薬品棚に目を向けた。
窓から射し込む光を受けて、仲良しの薬がきらきらと桃色の輝きを放っている。飲めばふたなりになってしまう、前代未聞の失敗作。使い途のない薬なのに、なぜか処分できない。自分とダリルを繋いでくれたきっかけだから?
(あーあ、重症……。どうしてよりにもよってあの男を? 自分のことが信じられないわ!)
最初は単なるライバルだった。
意地悪で、高慢な貴族のお坊ちゃまで、いつも自分を困らせる存在。
ムカつく男だと思っていたはずなのに、いつの間にかダリルのことを考えると胸が跳ねるようになってしまった。
本能で分かる。
これはいわゆる「ときめき」というものだ。
(……ま、あいつから嫌味成分を抜いたら、ダリルってすごく魅力的よね。私にはない武器を持ってるわ)
ダリルの長所を思考する。
ルクレーシャは彼を思い浮かべながら、柔らかく口角を上げた。
(まず、あの頭の良さは本当にすごいわ。常に成績トップだし、錬金術の研究だって誰よりも真剣。私みたいに適当にやるんじゃなくて、細かいところまできっちり計算するの!)
(あいつは努力の天才よ。隙あらば参考書を読んでるし、指に大きなたこができるくらいペンを動かして、夜遅くまで難しい魔法式を解いてるわ。あれほど頭が良ければ私なんか相手にしなくてもいいでしょうに、試験前はいつも勉強を教えてくれる)
(リーダーシップもあるし、クラスの人気者だし、新しいことにどんどん挑戦していくところも素敵。手先が器用で、何事もちゃんと計画を立てて取り組むところが尊敬できるわ。ムカつく言い方をするけれど、あいつの言う事は説得力があるのよね)
(ねちねち嫌味を言うけど、常に私を見守ってくれてるわ。私の調子が悪ければすぐ助けてくれるし、小言を吐きながらも私のやり方を認めてくれる。なんだかんだ一緒にいるのは楽しいし、ついでに顔もいいし……。ほんと、あの嫌味さえなければ手放しで褒められるのに!)
在野の錬金術士として生き、素晴らしい学問の神秘を追求し続ける。そう言い切ったダリルの瞳の輝きが、ルクレーシャの心に光明をもたらす。
ダリルは最高の好敵手だ。
彼に認められたい。
彼と共に錬金術の腕を磨いていきたい。
ダリルに近付けるなら、苦手な勉強だって頑張れる。
「……なによ。私ってば、あいつのこと大好きじゃない。今まで気が付いていなかっただけ?」
ルクレーシャは椅子の背にだらりともたれかかり、私の完敗ねと呟いた。
(大体、ダリルの言動って思わせぶりじゃない? 俺だけの専属錬金術士になれだの、可愛いだの、恋人になればいいだの。あんな風に迫られたら意識しちゃうのは仕方ないわ! 大方、私をからかって遊んでるだけでしょうけど)
好きな男の子ができた。
しかし、どうアピールしたらいいか分からない。
(誰かに相談してみようかな。お父さんとお母さんに手紙を出してみる? ううん、好きな人ができたなんて書いたら、村に連れてこいってしつこく言われそう。それじゃ、クラスの女の子に相談してみる? うーん……そんな話をしたらすぐクラス中に広まりそうよね)
(うじうじ考えてないで、素直に好きって伝える? ああだめだめ、絶対に無理! だって、ダリルとはずっとライバルの関係だったのよ? いきなり告白しても断られるに決まってるわ! それに……)
ダリルは貴族出身だ。自分が彼のことをいくら好きでも、身分差がある以上、この初恋は叶わない。
(……そう、叶わないのよ)
つきりと胸が痛んで、ルクレーシャは寂しさに目を潤ませた。
「あーあ、やだやだ。実らぬ恋のためにお洒落するなんて。私っていじらしいわね」
ダリルは貴族で、自分は平民。
彼と自分の将来が重なり合うことはない。
だが、せめて。一緒にいる間は少しでもダリルに可愛いと思ってもらいたい。ルクレーシャは複雑な気持ちで水色のスカートを見つめた。
「ダリル……」
ダリルのことを考えると強烈な淫欲に襲われる。肉棒がスカートの中でむくむくと勃ち上がるのを感じ、彼女はほんのりと頬を染めた。
(ダリルのばか。私があなたのことを考えてこんなにも苦しんでるだなんて、きっと想像してないんでしょうね)
雁首に嵌められた銀の輪。その輪はダリルの魔力でしか制御できず、いくら取り外そうとしても全く緩まない。この輪がある限り、自分はずっとダリルに翻弄されてしまうのだ。
輪の存在を意識するたび、複雑な気持ちになる。ダリルに堂々と触れてもらえる名目が得られて嬉しいし、肉棒を人質に取られて体を捧げるのは、対等な触れ合いじゃない気がして切なくなる。
こんな輪がなくたって、ダリルが望むのならいくらでも彼の部屋に行くのに。
「……はあ」
壁掛け時計を見る。そろそろ寮を出なければいけない時間だ。
(今日も朝から授業詰め詰めの日よ。ダリルに負けないように頑張らなくっちゃ)
頬をぱんと叩き、ルクレーシャは気合いの入った顔で教室に向かった。
*
一限目、錬金料理。
水と塩。最低限の材料を調合や魔力で他物質に変化させ、それを用いて料理を作るという内容の授業だ。
作る料理は各生徒の選択に委ねられる。不器用なルクレーシャが辛うじて得意と言える料理は、錬金鍋で作る巨大プリンだった。
プリンは素晴らしい。使う材料も少なく、すぐに出来上がる。水と塩に己の魔力をぶつけ、卵と砂糖、牛乳を無理やり作り出す。全ての材料を乱雑に鍋に放り込んだ後は、猛烈な炎で炙ってやればすの入ったプリンの完成だ。
いそいそと錬金鍋を自席に運ぶルクレーシャを見ながら、ダリルはにんまりと笑った。
「どうしたルクス、またプリンか? まったく、君の料理は代わり映えがしないな」
「うっさいわよ! あなたみたいにあれこれ作るより、ひとつの料理を極めた方がいいでしょうが!」
「ふっ。まあ、やり方は人それぞれだがな。いつもプリン、常にプリン、毎年プリンの君を差し置いて、今日も俺は先生の舌を唸らせる高度な錬金料理を作るぞ。ふふ、一限目は俺が貰ったからな!」
「何ですってぇ!? あなたの無駄にお上品なコース料理には負けないんだから! 私だって先生を虜にする美味しいプリンを作ってやるわよ。あぐらかいて見てなさい!」
ルクレーシャはふんと鼻を鳴らし、早速プリンの作成に取り掛かった。
今日はどうした、珍しく化粧をしてるじゃないかと話しかけてくる隣の男を無視し、水と塩に向けて魔力を放つ。ルクレーシャが纏う桜の花びらのような魔力が収束し、物体に不可逆的な変化をもたらしていく。周囲の生徒が、ルクレーシャを見て関心の息を吐いた。
「ふふっ、今日も順調ね!」
自分の魔力で水が牛乳に、塩が卵と砂糖に変わっていく光景はいつ見てもいいものだ。掌から桃色の魔力を放ちつつ、ルクレーシャは自信に溢れた笑みを浮かべた。
(相変わらず私の魔力制御は素晴らしいわ。このまま錬金鍋に全部放り込んで、炎の玉をぶつけちゃえば特製・超どデカプリンの完成よ! ……でも、たまには。ダリルの言う通り、丁寧に材料を量ってみようかな?)
隣にいるダリルをちらと見遣る。彼は天秤に塩を乗せ、錬金材料の分量を丁寧に確認しているようだ。
「…………」
ルクレーシャはしばらく沈黙した後、道具置き場に天秤を取りに行った。
(名家の錬金術士になるためには、しっかり材料を量らないといけないだろうし)
――馬鹿ルクス。君は錬金術学校に入学してからいったい何を学んできたんだ? 指定の材料を規定量通り使うということは初学年の生徒でも知っていることだろうが!
――錬金術というのはな、魔力で全部どうにかできるほどいい加減な学問じゃないんだ! 君には繊細さというものがないのか!?
(……ダリルに、いつまでもいい加減な女だって思われたくないし)
愚か者、頭空っぽ、考えなし。ダリルに言われた言葉を思い出し、ルクレーシャは拳を握り締めた。
私だってやればできる。
それを証明したくて、ルクレーシャは自席の机にどかりと天秤を置いた。
「お、おい。ルクス。何をしてるんだ?」
「……? 何って。材料を量ろうと思って」
「なっ、なんだと!?」
ルクレーシャの発言にどよめきが起こる。ダリルは大きく目を見開き、彼女の華奢な肩をがっと掴んだ。
「どうしたんだルクス! いい加減な君が材料を量るだなんてっ、そんなの天地がひっくり返ってもあり得ないだろ! 体調が悪いのか? いったい何があったんだ!?」
「うぅ、なによその言い方、失礼ね! 材料を量らなければがさつって言うし、量ろうしたらそんな風に言うし。私にどうしろってのよ!」
ルクレーシャは顔を赤らめながらダリルの手を振り払った。
「しつこく言ってくるじゃない、真面目に学問に向き合えって! 私はダリルの言う通りにしてやったのよ。私がきちんと錬金術に取り組むのはいいことでしょ!」
「……そ、それは、そうだが……」
「もう、邪魔しないで。私は完璧なプリンを作るの。私にちょっかいかけてないで、あなたはあなたの調合に集中して!」
ダリルからふいと顔を背け、ルクレーシャは天秤の上に卵を置いた。
錬金術学校に入学してからおよそ六年。魔力ひとつに頼ってきた優等生が天秤を使うという初めての光景に、ダリルのみならず、周囲の生徒や教師も物珍しそうにルクレーシャを見る。
首を傾げながら分銅を乗せる彼女を、ダリルは自分の作業そっちのけで見つめた。
……ルクレーシャが変だ。
いつもの彼女なら、材料を量るなんてことは絶対にしない。
それに、今日の彼女は見た目も違う。
いつも一つに結ばれていた桃色の髪は、束を二つに分ける形で綺麗に編み込まれているし、今日は赤いスカートではなく、爽やかな水色のスカートを履いている。
煌めくぱっちりとした目に、ほんのりと色づいた爪先。ぴかぴかに磨かれたブーツ。着飾ったルクレーシャはとっても可愛い。可愛いが、こんなお洒落をするだなんて彼女らしくない。
いったいどんな心境の変化があったのだろうか。
(ま、まさか。他の男のために化粧を!?)
手元の袋から塩をどばどばと溢れさせ、ダリルは愛しの少女を奇異の目で見つめ続けた。
三十分後。
大皿の上に乗せられたプリンを見て、ルクレーシャは喜びの声を上げた。
「よーし、できた! 私ってば天才ね!」
丁寧に蒸し上げたプリンにはひとつの亀裂もなく、滑らかな黄色の輝きを纏いながらぷるぷると揺れている。
プリンが、プリンの形をしている。信じられない光景に、クラスメイトたちはひそひそと内緒話をした。
「ねえ、レーシャちゃんてばすっごく変じゃない? 天秤を使うし、お洒落してるし。いったいどうしちゃったの!?」
「さあ? 毒キノコでも食べたんじゃね」
「こりゃ天変地異が起きるぞ。レーシャが突然まともなプリンを作るだなんて! いつも名状しがたい形をしているのに!」
喜びを露わにするルクレーシャを観察しながら、クラスメイトたちは好き勝手に囁きを交わした。教師にレードルひと掬いのプリンを提出する女を、ダリルが唖然とした顔で見つめる。
自席に戻ったルクレーシャは、ダリルにずいっと大皿を突きつけた。
「ダリル。余ったプリンはあなたにあげるわ」
ダリルは驚いた。今までルクレーシャのプリンを無理やり頂戴してきたが、彼女からプリンを差し出されたのはこれが初めてのことだったからだ。
「……俺にくれるのか?」
「そうよ。今まででいっちばん上手に出来たから、あなたに食べさせてあげるのよ! 私のプリンの素晴らしさを思い知るがいいわ。はい、あーん」
ルクレーシャはにこにこしながら、ダリルに口を開けるよう促した。照れた顔で口を半開きにするダリルの腔内に、自慢のプリンをどんどん突っ込んでいく。
まさか愛しの女の子からあーんしてもらえるとは。ダリルは幸せそうな顔で口をもごもごと動かした。
「うん、うん……。美味い! 繊細な甘味の素晴らしいプリンだ! 舌触りが絹のように滑らかで、芳醇なカラメルの風味が鼻から抜けていく! すごい、今までに食べたプリンの中で一番美味いぞ!」
「わっ、本当? それなら全部食べなさい。たっぷりあるわよ」
「むぐぐっ……。こんな大きなプリン、全部食べたら昼飯が食べられなくなるだろ」
「ふふっ、あなたの胃袋を私のプリンでパンパンにしてやる作戦よ。残念だったわねダリル、あなたが大好きなスイカパンは私が買い占めてやるわ! ひとつたりともあげないんだから!」
「ぷふっ。ふふふっ……あははは! そうか、それは君にしてやられたな! 今日の俺の食事は、君が作ったプリンって訳か!」
ダリルは困った振りをしながらも、でれでれと顔を蕩けさせた。
購買の名物、スイカパン。
瑞々しいスイカの果汁を生地に混ぜ、上から砂糖を振りかけてこんがりと焼いた人気のパン。
ルクレーシャとの勝負に勝った際、自分は彼女にスイカパンを買ってこいと頻繁に命じた。
しかし、それは自分がスイカパンを好むからではない。スイカパンを食べて嬉しそうな顔をするルクレーシャを見るのが好きだからだ。
スイカパンはルクレーシャのお気に入りだ。安いから彼女の家計を圧迫することはないし、一緒に昼食を取れと言っても、スイカパンさえあれば機嫌を損ねることはない。
自分はスイカパンよりも、ルクレーシャが食べさせてくれるプリンの方がずっとずっと好きだ。それに気が付かず、得意げな顔をする彼女がとても愛おしい。
「困ったなあルクス、まさか君にスイカパンを奪われてしまうとは! 全く仕方ないな、仕方ないから、このプリンは俺が平らげてしまおう」
嬉しそうにプリンを掬う女と、幸せな顔でスプーンを咥える男。甘ったるいカラメルの匂いを漂わせる二人を、クラスメイトたちは温かく見守った。
*
二限目、パペット作り。
糸と布で作った人形に適量の魔力を込め、自動するパペットを作りだす。作ったパペットは調合の手伝いをさせてもいいし、買い出しや家事を頼んでもいい。魔力で動くパペットは、全錬金術士にとっての心強い味方だ。
パペット作りの授業では、手先の器用さと繊細さが求められる。どちらも持たないルクレーシャにとって、最も苦手な授業のひとつだった。
「ルクス。魔力を込めすぎてゴーレムを作るなよ。前みたいに教室を破壊されたらたまったものではないからな」
ルクレーシャの隣にダリルがどかりと座り込む。どうして私の隣に来るのよとルクレーシャが呟くと、彼は呆れ笑いをした。
「先生に頼まれたんだ。もしルクスが怪我したら手当てしてやってくれって」
「ええ? 私が怪我する訳ないじゃない」
「いいや、不器用な君のことだ。何があるか分からない。安心しろ、君が怪我したらすぐ治療してやるさ」
ダリルがにやりと笑う。ときめきと情けなさが同時に込みあげてきて、ルクレーシャは急いで彼から顔を背けた。
「ちゃ、ちゃんと注意すれば大丈夫。ダリルの世話にはならないわ」
ルクレーシャは素っ気なく答えた。寂しそうな顔をするダリルに気付かず、魔法針にそっと糸を通す。怪我をしないよう慎重に手を動かし、目の前の布をちくちくと縫っていく。
懸命な顔でパペットを作る女を、ダリルは横目でちらちらと見た。
(おかしい。やっぱり、今日のルクスはおかしいぞ)
彼女は裁縫が大の苦手だ。
針と糸と布、ルクレーシャはいずれも使わない。
彼女はいつも校庭の土を一掴み持ってきて、己の魔力で巨大な泥人形を作り上げてみせる。それがルクレーシャにとって慣れ親しんだやり方のはずだ。
(な、なんだ? 化粧といい、一限目のプリンといい、君は本当にどうしてしまったんだ!? 誰かに何かを言われたのか? それとも、他の男を意識してやり方を変えることにしたとか……?)
「ああもう、ほんと難しいわね。クラスの女の子はどうして裁縫が得意なのかしら。うぅ、こればっかりは好きになれないわ。こんなみみっちい作業、何が楽しいのよ!」
型紙に沿って布を切る。ルクレーシャの危なっかしい手つきにダリルがつい口を出すと、彼女は赤らんだ顔で微笑んだ。
「なによダリル、まだ怪我してないわよ」
「珍しいこともあるものだ。まさか、君がそんな風にパペットを作ろうとするとはな」
ダリルの驚いた顔にいい気分になる。
ルクレーシャは想いを寄せる男に笑顔を向けた。
「尊敬できる人の、尊敬できるところを真似してみようと思っただけ。決められた手順に沿って、指定の材料を規定量通り使うこと。それが錬金術士にとっての心掛けでしょ?」
名家の専属錬金術士になりたいのなら、真面目に学問に向き合えとダリルは言った。これからも彼のライバルであるために、そして少しでも意識してもらうために。自分なりに努力してみようと決めたのだ。
今の自分の姿勢を、ダリルは好ましく思ってくれているだろうか?
ルクレーシャがにっこり笑うと、ダリルは怒りと悲しみが混じったような複雑な表情を浮かべた。
「君がそんなことを言うなんて。ルクス、君にそこまで思わせた奴はいったい誰なんだ?」
「え? ひみつ」
ふわふわと笑うルクレーシャを見て、ダリルはぎりと歯を食いしばった。
「るぅぅぅくぅぅすぅぅぅ……。おい、まだ秘密の一言で済ませるつもりか!? そろそろ諦めて全部俺に話せ!」
激しさを増した「教えろ」攻撃が始まる。ダリルの執拗な追及を意に介さず、ルクレーシャはひたすら目の前の布と糸に向き合った。時には指に針を刺し、時には隣の男の力を借りて。ルクレーシャは自分の脳内にあるイメージを、なんとかパペットで表現しようと試みた。
そして、授業終了十分前。
ルクレーシャはとうとう、初めての布人形を作り上げた。
「できたぁ! パペットくんの完成よ!」
作り上げたばかりの小さな布人形を両手で持ち、ルクレーシャは歓喜の声を上げた。できあがったパペットは少し歪だが、しっかりと人の形を保っている。
ルクレーシャの努力を間近で見ていた生徒たちが集まってきて、次々と労いの声をかけてくれる。己に向けられる賞賛を得意げな顔で聞いていた彼女だったが、ある言葉に余裕を崩した。
「なあ。その人形、なんかダリルに似てね?」
「へ?」
「おいおいレーシャ、マジかよ! お前らほんと見せつけるぜ」
ルクレーシャはパペットを見てぱちぱちと瞬きをした。
黒い髪に黒い目。
そしてどこか気品を感じさせる黒い服。
言われてみれば、確かにダリルに似ている気がする……。
「う、うわあああああああああああ!」
ルクレーシャは大声を上げ、勢い良く立ち上がった。パペットの姿を見せないよう抱きしめ、ぶんぶんと首を横に振る。
「ちっ、ちちちち違うもん。これはダリルじゃないもん。ダリルな訳ないでしょ!? どっからどう見ても違う人じゃない!」
「じゃあ誰だと言うんだルクス!!」
ダリルも勢い良く立ち上がる。彼は必死の形相でルクレーシャに迫り、胸元のパペットを奪おうとした。
「愛情籠もった目で丁寧にちくちくちくちく作りおって! 好きな男を想像しながらそいつを作ったのか!? おい、パペットの顔を見せろ! 似た奴を片っ端から探し出してやる!!」
「大声出さないでよ恥ずかしい! とっ、とにかく誰だっていいでしょ。私のパペットくんに手を出さないで」
ルクレーシャはパペットを胸元に仕舞った。
無意識のうちにダリルに似せてしまったパペット。小さな布人形は、初めて作った割にはよく出来ている。
これは後で魔力を込め、きちんと動くようにしてあげよう。
嬉しそうに胸元を撫でるルクレーシャを見て、ダリルは頭を抱えながら呻いた。
「ぐうっ、羨ましい……ルクスの胸にあいつがぁぁ……! くそ、寝取られた気分だ!」
机の上に突っ伏す男に哀れな目が向けられる。見かねた教師に注意されるまで、ダリルはずっとそのままだった。
「うーん。二つに結んでみようかな? いや、やっぱりいつも通り一つに結んで、大きなリボンを付けた方が可愛いかなあ」
自分をより良く見せるために試行錯誤する。ふわふわした桃色の髪をいじくり回しながら、ルクレーシャは眉を下げた。
「おしゃれって何だかよく分からないわ。白いシャツと赤いスカートばかり着てたから、他に何を着ればいいのか思いつかないし」
(たまには水色のスカートを履いてみようかな? あっ、爪も塗ってみよ。お化粧して、ブーツも綺麗に磨いて――)
「ああもう、面倒くさい! 世の中の女の子たちはこんな七面倒くさいことばっかりしてるの!?」
ルクレーシャは大声を上げた。
どうしたらダリルに可愛いと思ってもらえるだろうか。どうしたらダリルに意識してもらえるだろうか。初恋を自覚してから考えるのはそればかりだ。
慣れないお洒落に苦労しながら、ルクレーシャはなんとか身支度を終えた。
(あいつの顔が頭にこびりついて離れない。私、あの嫌味男のことを好きになっちゃったの?)
――俺はルクスに褒めてほしいんだ。
自分を抱きしめてきた彼のことを思い出すと、胸がそわそわして居ても立っても居られなくなる。ルクレーシャは目元を緩ませ、小さな叫び声を上げた。
朝食をつまみつつ、ライバルのことを考える。もぐもぐと口を動かしながら、ルクレーシャは薬品棚に目を向けた。
窓から射し込む光を受けて、仲良しの薬がきらきらと桃色の輝きを放っている。飲めばふたなりになってしまう、前代未聞の失敗作。使い途のない薬なのに、なぜか処分できない。自分とダリルを繋いでくれたきっかけだから?
(あーあ、重症……。どうしてよりにもよってあの男を? 自分のことが信じられないわ!)
最初は単なるライバルだった。
意地悪で、高慢な貴族のお坊ちゃまで、いつも自分を困らせる存在。
ムカつく男だと思っていたはずなのに、いつの間にかダリルのことを考えると胸が跳ねるようになってしまった。
本能で分かる。
これはいわゆる「ときめき」というものだ。
(……ま、あいつから嫌味成分を抜いたら、ダリルってすごく魅力的よね。私にはない武器を持ってるわ)
ダリルの長所を思考する。
ルクレーシャは彼を思い浮かべながら、柔らかく口角を上げた。
(まず、あの頭の良さは本当にすごいわ。常に成績トップだし、錬金術の研究だって誰よりも真剣。私みたいに適当にやるんじゃなくて、細かいところまできっちり計算するの!)
(あいつは努力の天才よ。隙あらば参考書を読んでるし、指に大きなたこができるくらいペンを動かして、夜遅くまで難しい魔法式を解いてるわ。あれほど頭が良ければ私なんか相手にしなくてもいいでしょうに、試験前はいつも勉強を教えてくれる)
(リーダーシップもあるし、クラスの人気者だし、新しいことにどんどん挑戦していくところも素敵。手先が器用で、何事もちゃんと計画を立てて取り組むところが尊敬できるわ。ムカつく言い方をするけれど、あいつの言う事は説得力があるのよね)
(ねちねち嫌味を言うけど、常に私を見守ってくれてるわ。私の調子が悪ければすぐ助けてくれるし、小言を吐きながらも私のやり方を認めてくれる。なんだかんだ一緒にいるのは楽しいし、ついでに顔もいいし……。ほんと、あの嫌味さえなければ手放しで褒められるのに!)
在野の錬金術士として生き、素晴らしい学問の神秘を追求し続ける。そう言い切ったダリルの瞳の輝きが、ルクレーシャの心に光明をもたらす。
ダリルは最高の好敵手だ。
彼に認められたい。
彼と共に錬金術の腕を磨いていきたい。
ダリルに近付けるなら、苦手な勉強だって頑張れる。
「……なによ。私ってば、あいつのこと大好きじゃない。今まで気が付いていなかっただけ?」
ルクレーシャは椅子の背にだらりともたれかかり、私の完敗ねと呟いた。
(大体、ダリルの言動って思わせぶりじゃない? 俺だけの専属錬金術士になれだの、可愛いだの、恋人になればいいだの。あんな風に迫られたら意識しちゃうのは仕方ないわ! 大方、私をからかって遊んでるだけでしょうけど)
好きな男の子ができた。
しかし、どうアピールしたらいいか分からない。
(誰かに相談してみようかな。お父さんとお母さんに手紙を出してみる? ううん、好きな人ができたなんて書いたら、村に連れてこいってしつこく言われそう。それじゃ、クラスの女の子に相談してみる? うーん……そんな話をしたらすぐクラス中に広まりそうよね)
(うじうじ考えてないで、素直に好きって伝える? ああだめだめ、絶対に無理! だって、ダリルとはずっとライバルの関係だったのよ? いきなり告白しても断られるに決まってるわ! それに……)
ダリルは貴族出身だ。自分が彼のことをいくら好きでも、身分差がある以上、この初恋は叶わない。
(……そう、叶わないのよ)
つきりと胸が痛んで、ルクレーシャは寂しさに目を潤ませた。
「あーあ、やだやだ。実らぬ恋のためにお洒落するなんて。私っていじらしいわね」
ダリルは貴族で、自分は平民。
彼と自分の将来が重なり合うことはない。
だが、せめて。一緒にいる間は少しでもダリルに可愛いと思ってもらいたい。ルクレーシャは複雑な気持ちで水色のスカートを見つめた。
「ダリル……」
ダリルのことを考えると強烈な淫欲に襲われる。肉棒がスカートの中でむくむくと勃ち上がるのを感じ、彼女はほんのりと頬を染めた。
(ダリルのばか。私があなたのことを考えてこんなにも苦しんでるだなんて、きっと想像してないんでしょうね)
雁首に嵌められた銀の輪。その輪はダリルの魔力でしか制御できず、いくら取り外そうとしても全く緩まない。この輪がある限り、自分はずっとダリルに翻弄されてしまうのだ。
輪の存在を意識するたび、複雑な気持ちになる。ダリルに堂々と触れてもらえる名目が得られて嬉しいし、肉棒を人質に取られて体を捧げるのは、対等な触れ合いじゃない気がして切なくなる。
こんな輪がなくたって、ダリルが望むのならいくらでも彼の部屋に行くのに。
「……はあ」
壁掛け時計を見る。そろそろ寮を出なければいけない時間だ。
(今日も朝から授業詰め詰めの日よ。ダリルに負けないように頑張らなくっちゃ)
頬をぱんと叩き、ルクレーシャは気合いの入った顔で教室に向かった。
*
一限目、錬金料理。
水と塩。最低限の材料を調合や魔力で他物質に変化させ、それを用いて料理を作るという内容の授業だ。
作る料理は各生徒の選択に委ねられる。不器用なルクレーシャが辛うじて得意と言える料理は、錬金鍋で作る巨大プリンだった。
プリンは素晴らしい。使う材料も少なく、すぐに出来上がる。水と塩に己の魔力をぶつけ、卵と砂糖、牛乳を無理やり作り出す。全ての材料を乱雑に鍋に放り込んだ後は、猛烈な炎で炙ってやればすの入ったプリンの完成だ。
いそいそと錬金鍋を自席に運ぶルクレーシャを見ながら、ダリルはにんまりと笑った。
「どうしたルクス、またプリンか? まったく、君の料理は代わり映えがしないな」
「うっさいわよ! あなたみたいにあれこれ作るより、ひとつの料理を極めた方がいいでしょうが!」
「ふっ。まあ、やり方は人それぞれだがな。いつもプリン、常にプリン、毎年プリンの君を差し置いて、今日も俺は先生の舌を唸らせる高度な錬金料理を作るぞ。ふふ、一限目は俺が貰ったからな!」
「何ですってぇ!? あなたの無駄にお上品なコース料理には負けないんだから! 私だって先生を虜にする美味しいプリンを作ってやるわよ。あぐらかいて見てなさい!」
ルクレーシャはふんと鼻を鳴らし、早速プリンの作成に取り掛かった。
今日はどうした、珍しく化粧をしてるじゃないかと話しかけてくる隣の男を無視し、水と塩に向けて魔力を放つ。ルクレーシャが纏う桜の花びらのような魔力が収束し、物体に不可逆的な変化をもたらしていく。周囲の生徒が、ルクレーシャを見て関心の息を吐いた。
「ふふっ、今日も順調ね!」
自分の魔力で水が牛乳に、塩が卵と砂糖に変わっていく光景はいつ見てもいいものだ。掌から桃色の魔力を放ちつつ、ルクレーシャは自信に溢れた笑みを浮かべた。
(相変わらず私の魔力制御は素晴らしいわ。このまま錬金鍋に全部放り込んで、炎の玉をぶつけちゃえば特製・超どデカプリンの完成よ! ……でも、たまには。ダリルの言う通り、丁寧に材料を量ってみようかな?)
隣にいるダリルをちらと見遣る。彼は天秤に塩を乗せ、錬金材料の分量を丁寧に確認しているようだ。
「…………」
ルクレーシャはしばらく沈黙した後、道具置き場に天秤を取りに行った。
(名家の錬金術士になるためには、しっかり材料を量らないといけないだろうし)
――馬鹿ルクス。君は錬金術学校に入学してからいったい何を学んできたんだ? 指定の材料を規定量通り使うということは初学年の生徒でも知っていることだろうが!
――錬金術というのはな、魔力で全部どうにかできるほどいい加減な学問じゃないんだ! 君には繊細さというものがないのか!?
(……ダリルに、いつまでもいい加減な女だって思われたくないし)
愚か者、頭空っぽ、考えなし。ダリルに言われた言葉を思い出し、ルクレーシャは拳を握り締めた。
私だってやればできる。
それを証明したくて、ルクレーシャは自席の机にどかりと天秤を置いた。
「お、おい。ルクス。何をしてるんだ?」
「……? 何って。材料を量ろうと思って」
「なっ、なんだと!?」
ルクレーシャの発言にどよめきが起こる。ダリルは大きく目を見開き、彼女の華奢な肩をがっと掴んだ。
「どうしたんだルクス! いい加減な君が材料を量るだなんてっ、そんなの天地がひっくり返ってもあり得ないだろ! 体調が悪いのか? いったい何があったんだ!?」
「うぅ、なによその言い方、失礼ね! 材料を量らなければがさつって言うし、量ろうしたらそんな風に言うし。私にどうしろってのよ!」
ルクレーシャは顔を赤らめながらダリルの手を振り払った。
「しつこく言ってくるじゃない、真面目に学問に向き合えって! 私はダリルの言う通りにしてやったのよ。私がきちんと錬金術に取り組むのはいいことでしょ!」
「……そ、それは、そうだが……」
「もう、邪魔しないで。私は完璧なプリンを作るの。私にちょっかいかけてないで、あなたはあなたの調合に集中して!」
ダリルからふいと顔を背け、ルクレーシャは天秤の上に卵を置いた。
錬金術学校に入学してからおよそ六年。魔力ひとつに頼ってきた優等生が天秤を使うという初めての光景に、ダリルのみならず、周囲の生徒や教師も物珍しそうにルクレーシャを見る。
首を傾げながら分銅を乗せる彼女を、ダリルは自分の作業そっちのけで見つめた。
……ルクレーシャが変だ。
いつもの彼女なら、材料を量るなんてことは絶対にしない。
それに、今日の彼女は見た目も違う。
いつも一つに結ばれていた桃色の髪は、束を二つに分ける形で綺麗に編み込まれているし、今日は赤いスカートではなく、爽やかな水色のスカートを履いている。
煌めくぱっちりとした目に、ほんのりと色づいた爪先。ぴかぴかに磨かれたブーツ。着飾ったルクレーシャはとっても可愛い。可愛いが、こんなお洒落をするだなんて彼女らしくない。
いったいどんな心境の変化があったのだろうか。
(ま、まさか。他の男のために化粧を!?)
手元の袋から塩をどばどばと溢れさせ、ダリルは愛しの少女を奇異の目で見つめ続けた。
三十分後。
大皿の上に乗せられたプリンを見て、ルクレーシャは喜びの声を上げた。
「よーし、できた! 私ってば天才ね!」
丁寧に蒸し上げたプリンにはひとつの亀裂もなく、滑らかな黄色の輝きを纏いながらぷるぷると揺れている。
プリンが、プリンの形をしている。信じられない光景に、クラスメイトたちはひそひそと内緒話をした。
「ねえ、レーシャちゃんてばすっごく変じゃない? 天秤を使うし、お洒落してるし。いったいどうしちゃったの!?」
「さあ? 毒キノコでも食べたんじゃね」
「こりゃ天変地異が起きるぞ。レーシャが突然まともなプリンを作るだなんて! いつも名状しがたい形をしているのに!」
喜びを露わにするルクレーシャを観察しながら、クラスメイトたちは好き勝手に囁きを交わした。教師にレードルひと掬いのプリンを提出する女を、ダリルが唖然とした顔で見つめる。
自席に戻ったルクレーシャは、ダリルにずいっと大皿を突きつけた。
「ダリル。余ったプリンはあなたにあげるわ」
ダリルは驚いた。今までルクレーシャのプリンを無理やり頂戴してきたが、彼女からプリンを差し出されたのはこれが初めてのことだったからだ。
「……俺にくれるのか?」
「そうよ。今まででいっちばん上手に出来たから、あなたに食べさせてあげるのよ! 私のプリンの素晴らしさを思い知るがいいわ。はい、あーん」
ルクレーシャはにこにこしながら、ダリルに口を開けるよう促した。照れた顔で口を半開きにするダリルの腔内に、自慢のプリンをどんどん突っ込んでいく。
まさか愛しの女の子からあーんしてもらえるとは。ダリルは幸せそうな顔で口をもごもごと動かした。
「うん、うん……。美味い! 繊細な甘味の素晴らしいプリンだ! 舌触りが絹のように滑らかで、芳醇なカラメルの風味が鼻から抜けていく! すごい、今までに食べたプリンの中で一番美味いぞ!」
「わっ、本当? それなら全部食べなさい。たっぷりあるわよ」
「むぐぐっ……。こんな大きなプリン、全部食べたら昼飯が食べられなくなるだろ」
「ふふっ、あなたの胃袋を私のプリンでパンパンにしてやる作戦よ。残念だったわねダリル、あなたが大好きなスイカパンは私が買い占めてやるわ! ひとつたりともあげないんだから!」
「ぷふっ。ふふふっ……あははは! そうか、それは君にしてやられたな! 今日の俺の食事は、君が作ったプリンって訳か!」
ダリルは困った振りをしながらも、でれでれと顔を蕩けさせた。
購買の名物、スイカパン。
瑞々しいスイカの果汁を生地に混ぜ、上から砂糖を振りかけてこんがりと焼いた人気のパン。
ルクレーシャとの勝負に勝った際、自分は彼女にスイカパンを買ってこいと頻繁に命じた。
しかし、それは自分がスイカパンを好むからではない。スイカパンを食べて嬉しそうな顔をするルクレーシャを見るのが好きだからだ。
スイカパンはルクレーシャのお気に入りだ。安いから彼女の家計を圧迫することはないし、一緒に昼食を取れと言っても、スイカパンさえあれば機嫌を損ねることはない。
自分はスイカパンよりも、ルクレーシャが食べさせてくれるプリンの方がずっとずっと好きだ。それに気が付かず、得意げな顔をする彼女がとても愛おしい。
「困ったなあルクス、まさか君にスイカパンを奪われてしまうとは! 全く仕方ないな、仕方ないから、このプリンは俺が平らげてしまおう」
嬉しそうにプリンを掬う女と、幸せな顔でスプーンを咥える男。甘ったるいカラメルの匂いを漂わせる二人を、クラスメイトたちは温かく見守った。
*
二限目、パペット作り。
糸と布で作った人形に適量の魔力を込め、自動するパペットを作りだす。作ったパペットは調合の手伝いをさせてもいいし、買い出しや家事を頼んでもいい。魔力で動くパペットは、全錬金術士にとっての心強い味方だ。
パペット作りの授業では、手先の器用さと繊細さが求められる。どちらも持たないルクレーシャにとって、最も苦手な授業のひとつだった。
「ルクス。魔力を込めすぎてゴーレムを作るなよ。前みたいに教室を破壊されたらたまったものではないからな」
ルクレーシャの隣にダリルがどかりと座り込む。どうして私の隣に来るのよとルクレーシャが呟くと、彼は呆れ笑いをした。
「先生に頼まれたんだ。もしルクスが怪我したら手当てしてやってくれって」
「ええ? 私が怪我する訳ないじゃない」
「いいや、不器用な君のことだ。何があるか分からない。安心しろ、君が怪我したらすぐ治療してやるさ」
ダリルがにやりと笑う。ときめきと情けなさが同時に込みあげてきて、ルクレーシャは急いで彼から顔を背けた。
「ちゃ、ちゃんと注意すれば大丈夫。ダリルの世話にはならないわ」
ルクレーシャは素っ気なく答えた。寂しそうな顔をするダリルに気付かず、魔法針にそっと糸を通す。怪我をしないよう慎重に手を動かし、目の前の布をちくちくと縫っていく。
懸命な顔でパペットを作る女を、ダリルは横目でちらちらと見た。
(おかしい。やっぱり、今日のルクスはおかしいぞ)
彼女は裁縫が大の苦手だ。
針と糸と布、ルクレーシャはいずれも使わない。
彼女はいつも校庭の土を一掴み持ってきて、己の魔力で巨大な泥人形を作り上げてみせる。それがルクレーシャにとって慣れ親しんだやり方のはずだ。
(な、なんだ? 化粧といい、一限目のプリンといい、君は本当にどうしてしまったんだ!? 誰かに何かを言われたのか? それとも、他の男を意識してやり方を変えることにしたとか……?)
「ああもう、ほんと難しいわね。クラスの女の子はどうして裁縫が得意なのかしら。うぅ、こればっかりは好きになれないわ。こんなみみっちい作業、何が楽しいのよ!」
型紙に沿って布を切る。ルクレーシャの危なっかしい手つきにダリルがつい口を出すと、彼女は赤らんだ顔で微笑んだ。
「なによダリル、まだ怪我してないわよ」
「珍しいこともあるものだ。まさか、君がそんな風にパペットを作ろうとするとはな」
ダリルの驚いた顔にいい気分になる。
ルクレーシャは想いを寄せる男に笑顔を向けた。
「尊敬できる人の、尊敬できるところを真似してみようと思っただけ。決められた手順に沿って、指定の材料を規定量通り使うこと。それが錬金術士にとっての心掛けでしょ?」
名家の専属錬金術士になりたいのなら、真面目に学問に向き合えとダリルは言った。これからも彼のライバルであるために、そして少しでも意識してもらうために。自分なりに努力してみようと決めたのだ。
今の自分の姿勢を、ダリルは好ましく思ってくれているだろうか?
ルクレーシャがにっこり笑うと、ダリルは怒りと悲しみが混じったような複雑な表情を浮かべた。
「君がそんなことを言うなんて。ルクス、君にそこまで思わせた奴はいったい誰なんだ?」
「え? ひみつ」
ふわふわと笑うルクレーシャを見て、ダリルはぎりと歯を食いしばった。
「るぅぅぅくぅぅすぅぅぅ……。おい、まだ秘密の一言で済ませるつもりか!? そろそろ諦めて全部俺に話せ!」
激しさを増した「教えろ」攻撃が始まる。ダリルの執拗な追及を意に介さず、ルクレーシャはひたすら目の前の布と糸に向き合った。時には指に針を刺し、時には隣の男の力を借りて。ルクレーシャは自分の脳内にあるイメージを、なんとかパペットで表現しようと試みた。
そして、授業終了十分前。
ルクレーシャはとうとう、初めての布人形を作り上げた。
「できたぁ! パペットくんの完成よ!」
作り上げたばかりの小さな布人形を両手で持ち、ルクレーシャは歓喜の声を上げた。できあがったパペットは少し歪だが、しっかりと人の形を保っている。
ルクレーシャの努力を間近で見ていた生徒たちが集まってきて、次々と労いの声をかけてくれる。己に向けられる賞賛を得意げな顔で聞いていた彼女だったが、ある言葉に余裕を崩した。
「なあ。その人形、なんかダリルに似てね?」
「へ?」
「おいおいレーシャ、マジかよ! お前らほんと見せつけるぜ」
ルクレーシャはパペットを見てぱちぱちと瞬きをした。
黒い髪に黒い目。
そしてどこか気品を感じさせる黒い服。
言われてみれば、確かにダリルに似ている気がする……。
「う、うわあああああああああああ!」
ルクレーシャは大声を上げ、勢い良く立ち上がった。パペットの姿を見せないよう抱きしめ、ぶんぶんと首を横に振る。
「ちっ、ちちちち違うもん。これはダリルじゃないもん。ダリルな訳ないでしょ!? どっからどう見ても違う人じゃない!」
「じゃあ誰だと言うんだルクス!!」
ダリルも勢い良く立ち上がる。彼は必死の形相でルクレーシャに迫り、胸元のパペットを奪おうとした。
「愛情籠もった目で丁寧にちくちくちくちく作りおって! 好きな男を想像しながらそいつを作ったのか!? おい、パペットの顔を見せろ! 似た奴を片っ端から探し出してやる!!」
「大声出さないでよ恥ずかしい! とっ、とにかく誰だっていいでしょ。私のパペットくんに手を出さないで」
ルクレーシャはパペットを胸元に仕舞った。
無意識のうちにダリルに似せてしまったパペット。小さな布人形は、初めて作った割にはよく出来ている。
これは後で魔力を込め、きちんと動くようにしてあげよう。
嬉しそうに胸元を撫でるルクレーシャを見て、ダリルは頭を抱えながら呻いた。
「ぐうっ、羨ましい……ルクスの胸にあいつがぁぁ……! くそ、寝取られた気分だ!」
机の上に突っ伏す男に哀れな目が向けられる。見かねた教師に注意されるまで、ダリルはずっとそのままだった。
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