失敗作は蜜の味

橙乃紅瑚

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初恋を自覚してしまいました - 2

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 昼休憩を挟んで、とろりと眠たい次の授業。ダリルの追及をかわしながらスイカパンをたらふく平らげたルクレーシャは、温室の天井から射し込む心地良い陽射しに誘われ、大きな欠伸をした。

「ふわぁ……。ぽかぽかあったかいわ。このままぐっすり寝ちゃいそう」

 眠たい目を擦る。ルクレーシャは広々とした温室の中を見渡し、ふわりと微笑んだ。

(綺麗ね。お花とちょうちょがいっぱいで、ここにいるとまるで自分がお姫様になった気がするわ)

 薔薇のアーチに胸がときめく。華やかな王立錬金術学校の中でも、ルクレーシャは特にこの温室が気に入っていた。

 温室は色とりどりの植物と、うっとりするような花香に満ちている。豪奢な噴水と、その周りを飛び交う七色の蝶々はとてもロマンチックで、いつ見ても飽きることがない。

 有用な植物が所狭しと植えられた、錬金術士にとっての天国。ルクレーシャは鉢から顔を出すマンドラゴラを手慰みにつつき、今日はどんな植物に出会えるのだろうかと考えた。

 三限目、ポーション調合講座。
 数種類の錬金材料を組み合わせて有用なポーションを作り出すことは、新米から熟練まで、全ての錬金術士が毎日取り組むことになる基本の作業だ。

 授業の課題を確認したルクレーシャは、羽ペンを片手に首を傾げた。

(うーん、心映しの薬……? 初めて聞く薬だわ。いったいどんな材料を使えばいいの?)

 心映しの薬。そんなポーション、見たことも聞いたこともない。ルクレーシャは噴水の縁に腰掛け、分厚い教科書を捲りながら調合手順を確認した。

「あったあった、心映しの薬……うわなにこれ、三元素の上級調合じゃない! これは厄介な薬だわ」

 ルクレーシャは頭を抱え、もう見たくないとばかりに教科書から顔を背けた。

 この世界の全ての物質は、突き詰めれば四つの元素・属性で構成されている。
 
 火、風、水、土。
 錬金術士はこれら四属性の材料を熱したり冷ましたりして元素の配合を変化させ、あらゆる物質を再現してみせるのだ。

 一属性のみの調合は初級、二属性は中級、三属性の上級調合を以て一人前。最上級である四属性の調合を成し遂げられるのは、錬金術学校の教師陣や、長年経験を積み続けたベテランの錬金術士だけだ。

 伝説では、一部の人間に備わった力――魔力を第五の元素と見做し、全属性調合を行うことで、「無から有を生み出す力」を得られると云われているが……。

「どうしたルクス、早くしないと授業が終わってしまうぞ?」

 考え事をしていたルクレーシャの肩に、ぽんと手が置かれる。自分の顔を覗き込む男を見上げ、彼女はぱちぱちと目を瞬いた。

「ダリル。あれ、もしかしてペアの日?」

「ああそうだ。先生の話を聞いてなかったのか? 今日も二人一組で調合する日だぞ。君はどうせ予習してきてないんだろう。俺がしっかりサポートしてやるから、教科書を閉じてついてこい。さあ、材料を集めに行くぞ」

「あっ、ちょっと」

 ルクレーシャの手首が掴まれる。
 優しくもしっかりとしたその拘束に、彼女はほのかに頬を染めた。

(相変わらず強引ね。でも、こうやって私を助けてくれるところが好き)

 ダリルは授業のフォローのみならず、農具が入った重いかごをいつも代わりに持ってくれる。先を歩く男の背に、ルクレーシャはそっと声をかけた。

「まさか、またダリルとペアになるなんてね」

「俺がペアだと何か問題でも?」

「ううん、そういう訳じゃなくて。私たち、いつも一緒にいるって思っただけよ」

 あなたと一緒にいられて嬉しい。その本音を隠しながら、ルクレーシャは何でもないことのように言った。

「ははっ、そうだな。この俺が毎回毎回君とペアになってしまうとは。偶然とは不思議なものだ」

 ルクレーシャに背を向けたまま、ダリルはにやりと笑った。

 これは偶然などではない、全て想定内のことだ。
 調合のペアはくじ引きで決められるが、自分はパペットを操って、毎回必ずルクレーシャとペアになるよう細工をしている。いくら授業とはいえ、この可愛い花の妖精を他の人間と組ませたくない。特に男とは……!

 醜い独占欲を秘めながら、ダリルは薔薇のアーチを次々とくぐり抜けた。

「ルクス、心映しの薬とは何なのか知っているか」

「ん? んー……。人の感情によって色が変わるポーションだっけ?」

「ああ、正解だ。心映しの薬は、調合した人間の感情によって色が変わるんだ。赤は怒り、青は寂しさ、黒は悲しみといった具合にな」

 ダリルはルクレーシャの手を引き、楽しそうな声で続けた。

「調合者の感情を魔力で抜き出し、それを凝縮させて液体にする。心映しの薬を調合する際は、その他一般的な薬とは違い、強力な魔力塊が必要なんだ」

「ふぅん。つまり?」

「つまり、この授業では君の力が大いに役立つ。三属性の調合くらい、俺にとっては容易いことだが……材料をきっかり計量し、錬金炉アタノールで素早く物質変化を起こす。そういったいつものやり方では、決して頂点にいけないということだ」

 ダリルが振り返る。
 薔薇の花びらが降る中、彼は嬉しそうに口角を上げた。

「魔力一辺倒の君に頼るのは癪だが、この授業では手を組もうじゃないか。土台は俺が作ってやるから、仕上げはルクスに頼んだぞ。君の魔力で、最高の薬を作り出してくれ」

 少し意地悪さを感じるその言葉。だが、ダリルの表情はとても優しい。爽やかな笑顔に親しみを覚えたルクレーシャは、彼にしっかりと頷きを返した。

「任せなさい。こっちこそ、ねちねち細かいあなたと組むのは癪だけど、仕方ないから一緒に頑張ってやるわよ。気合い入れなさいよダリル、何としても私たちが一位を取ってやるんだから!」

 ダリルに頼ってもらえることが嬉しい。彼から剪定ばさみを受け取ったルクレーシャは、最高の薬を作ってみせようと決意を固めた。

 幾つもの薔薇のアーチをくぐり抜け、一際植物生い茂る場所へ。誰もいない温室のはずれには、品質の良い花やベリーが大量に植わっている。

 調合に必要な薬草をはさみで切りながら、ルクレーシャはそっと欠伸をした。

(なんか、穏やかね。ダリルと静かに作業しているのが変な感じ。いつも言い合いばっかりしてたから)

 ぱち、ぱち。
 人気のない温室の外れに、はさみの音だけが静かに響く。鼻をくすぐる花香を愉しみながら、ルクレーシャは剪定ばさみが奏でるリズムに耳を傾けた。

(ダリルが私をからかうようなことを言わなければ、喧嘩も言い合いもせずに一緒にいられるのよ。ほんと、他の女の子と話す時みたいに、もうちょっと私を丁寧に扱ってくれたらいいのに。王子様みたいに紳士的に接してくれたら、私もお淑やかになれるのに……)

 もどかしさを感じつつ、調合に使う薬草やベリーの枝をかごに入れていく。ふと、ルクレーシャは自分に視線が向けられているのを感じた。

 ダリルが、ちらちらとこちらの様子を窺っている。

「なに? どうかした?」

「ああ、随分と熱心に取り組むものだと思って」

 一束一束丁寧に分けられた薬草を見て、ダリルは訝しげに眉を寄せた。

「君の心境の変化が気になるな。その化粧も、プリンとパペットも……。ルクス、いったい何があった?」

 剪定の手を止め、ダリルが小声で訊ねてくる。複雑な表情を浮かべたライバルの男に、ルクレーシャは内心首を傾げた。

(なんだかダリルってば、不機嫌? いや、悲しそうにも見えるわ)

 午前中の授業でも見たその表情。時間が経つ毎に、悲しみの色は強まっていく。どうしてだろうか。ダリルはいつも、真面目に学問に取り組めと口酸っぱく言ってくるのに。自分が丁寧に授業を受けるのはいいことだろう。

 喜んでもらいたかったのに、そんな顔をするなんて。ダリルの考えていることが分からない。

 ルクレーシャは潤む黒曜石の瞳をじっと見つめた。

(ダリルのことが好きだから、少しでも意識してもらうために頑張るって決めたのよ)

 そう言えたら、どんなに良いだろうか。

 あなたのことが好き。
 迸る感情が口から飛び出しそうになって、ルクレーシャはそっと唇を噛んだ。

(私は細かいことを気にするタイプじゃないわ。目標に向かって一直線に突っ走るのが性に合ってる。ダリルのことが好きだって気が付いたのなら、何も考えず、すぐに好きって伝えたい。……でも)

 ダリルの胸元にある貴族の記章が目に入る。
 ルクレーシャは視線を逸らし、込み上げる本当の気持ちを押し留めた。

「私たち、もうすぐ卒業でしょ。将来を見据えて、本気で錬金術に取り組もうと思ったのよ」

 錬金術学校は八年制だ。十二歳で入学し、八年後に一人前の錬金術士として学校から巣立っていく。来年からは就職活動で勉強どころではないから、内申点を稼ぐのは今年がラストチャンスだ。

 半分ごまかしで、半分本音。ダリルはルクレーシャのそれっぽい理由を信じたようで、今更頑張ることにしたのかと小さく呟いた。

「名家の専属錬金術士になりたい、か。君のその夢は、よほど強いものらしいな」

 ぱち、ぱち。ダリルが再び剪定ばさみを動かす。彼はベリーを摘みながら、ルクレーシャに質問をした。

「なあ、ルクス。君はなぜ錬金術に興味を持ったんだ? 君のいた村は、錬金術が全く普及していなかったんだろう。そんなところから、どうして君は錬金術士を志したんだ」

「ああ、あなたに言ってなかったっけ? 私の村にね、旅の錬金術士さんが立ち寄ったことがあったの」

 初めて錬金術に触れた時のことを思い出し、ルクレーシャは顔を綻ばせた。

「その錬金術士さんは、村に生えている薬草を求めて、はるばる国外からやって来たって言ったわ。髪を短く刈った、恰幅のいいおばちゃんでね。たくさん質問をぶつける私に、何でもはきはき答えてくれる気持ちのいい人だったわ。錬金術士になろうって決めたのは、そのおばちゃんに影響を受けたからなの」

 何もない山奥の村。滅多に人が訪れない村。
 退屈を持て余していた子供の私に、彼女は輝いて見えた。

 背中には大きな木箱。たくさんのフラスコを腰から提げ、つんとした薬草のにおいを漂わせた異国の錬金術士。彼女は急ごしらえの研究小屋の中で、いつも楽しそうに調合をしていた。

 日焼けた顔を崩し、私に手招きをする彼女の姿をよく覚えている。

 ――レーシャ。あんたに錬金術の神秘を見せてあげよう。

 熱された土が砂金となる。お気に入りだった猫のぬいぐるみが、魂を吹き込まれ自由に動き出す。枯れた作物は彼女の手の中で生き返り、ただの水と塩が美味しい料理へと変化した。彼女は錬金術の力で、鄙びた村を豊かにしてくれた。

 奇跡。この人は、奇跡を起こせるんだ。
 錬金術とはこんなにも素晴らしいものなのか。この力さえあれば、きっと世界だって変えられる。

「おばちゃんはね、私にとっても良くしてくれたわ。畑仕事を頑張った子にご褒美だって、井戸水と塩から、うっとりするほど美味しいプリンを作ってくれたの。私も錬金術士になりたい。錬金術士になって、美味しいお菓子をたくさん作りたい。それが私の最初の夢だったわ」

 ダリルが小さく吹き出す。ルクレーシャは微笑み、異国の錬金術士との思い出を続けて語った。

「ある日、私もプリンを作ってみることにしたの。彼女のように水晶フラスコや錬金釜は使えなかったから、物質に魔力を注ぎ込む工程だけを真似してね。初めて作ったプリンは酷い出来だったけど、おばちゃんは私を抱きしめて、たくさん褒めてくれたのよ。『驚いた、あんたはエーテルの祝福を受けてるんだ』って!」

「エーテル?」

「そ、エーテル。おばちゃんの国の言葉で、魔力を表す言葉らしいわよ」

 ルクレーシャは己の桃色の髪を、くるくると指に巻いた。

「私はとっても珍しい魔力エーテルの持ち主なんだって。この髪と目は、その魔力の色が透けているんだって言ってたわ。あんたは絶対に錬金術士になるべきだ、その魔力さえあれば、いつか世界を変えられるくらいの素晴らしい薬を作り出せるって」

 レーシャ、錬金術士になりなさい。錬金術のちからで、人々を幸せにしなさい。彼女は頻繁にそう口にし、村を発つ日まで熱心に錬金術を教えてくれた。

 この子は生ける錬金釜だ。道具を使わずとも、魔力ひとつで物質に変化をもたらせる。レーシャには、天から与えられた素晴らしい才能がある!

 それを聞いた両親が、一生懸命入学資金を用意してくれて。そうして自分は、王立錬金術学校の門を叩いたのだ。

「ダリルが知ってる通り、私は難しいことを考えるのは苦手よ。細かい作業も、道具をあれこれ使うのも嫌いだわ。そんな私が錬金術士になれるのか、今でも不安に思ってるけど……私の才能を信じてくれた錬金術士さんの期待に応えたいと思ったのよ」

「私の夢は変わった。稼げるだけ稼いで、苦労をかけたお父さんとお母さんに恩返しをしたい。いつか村に帰って、私のように錬金術に憧れる子供の手助けをしたい。あのおばちゃんのように、私も誰かを幸せにしたいわ」

 それが、私が錬金術士を目指した理由。

 そう呟いたルクレーシャに、ダリルは頷きを返した。

「なるほど、生ける錬金釜か。道具を使わなくても調合ができる……素晴らしい才能だ。君はその体の中に、乳鉢や遠心分離機などの道具を、すべて隠し持っているのだな」

 ダリルは目を細め、ルクレーシャの姿をじっと見つめた。桜の花びらのような魔力が、女の周囲を美しく舞っているのが見える。

 彼女の力の源泉、魔力エーテルだ。第五元素とも呼ばれる不定形のそれに、ダリルはそっと手を伸ばした。

「俺は錬金術を愛している。貴族の生まれゆえに、幼い頃から様々な本を読まされたが……殊更俺を魅了したのは、市井の錬金術士の暮らしについて触れた本だった。水を薬に、鉄を金に変える。それは俺にとって魔法のように思えたんだ。いつかは、無から有を生み出すという伝説の霊薬――賢者の石を作り出してみたい。それが、幼い俺が抱いた夢だった」

 掴もうとしても、掌をすり抜けてしまう桃色の魔力。淡く気配を残す魔力を愛おしいと思いながら、ダリルはルクレーシャに微笑んだ。

「俺は入学前からひたすら研鑽を積んできた。このダリルほど錬金術という学問に真摯に向き合い、錬金術材料の知識を蓄えた生徒はいないはず。だから当然、いつも俺が一位を取るものだと思っていた。だが、その余裕は呆気なく打ち砕かれてしまった」

 ダリルが指を差す。
 自分に向けられた人差し指を見て、ルクレーシャは首を傾げた。

「この俺が……。田舎出身の、がさつでじゃじゃ馬でいい加減で破天荒で勢い任せの荒っぽい生意気な女に負けるとは、ちっとも思わなかったんだ!」

「む、なにそれ。言ってくれるじゃない」

「既存の錬金術工程を経ず、道具も使わない。いきなり魔力で物質変化を起こす。なんて型破りな女だと思った。ずっと努力してきた俺が、いきなり現れた田舎者の女に負ける……それが信じられなかったんだ」

 私を虐めないで。からかわないで。
 ルクレーシャは、いつもそう言って自分を遠ざけようとした。

 告白めいた言葉を囁いてもかわされる。
 からかって気を引こうとすれば、尚更嫌われてしまう。

 逃げるな、逃げないでくれよ。俺の心を奪っておいて、君は簡単に俺を引き離して先に行ってしまうのか?

 俺が一位になれば、俺が勝てば。
 この女の子は俺のことを見てくれるだろうか?

 ルクス、君を逃さない。
 ずっと抱いてきた激烈な感情を秘め、ダリルはルクレーシャの頬に触れた。

「君と違い、俺は殆ど魔力を持たない。魔力の天才である君に勝つために、手先の器用さと知識量で対抗しようとした。君に負けた時も、同点だった時も悔しくて堪らなかった。俺の目標は、君をこてんぱんに打ち負かして俺の専属錬金術士にしてやることだからな」

「そんなに張り合わなくたっていいじゃない。あなただって凄いわよ。私が魔力の天才なら、あなたは努力の天才だわ」

「努力の天才だって? ははは! 君にそう思ってもらえるのは嬉しいな」

 ダリルが笑い声を上げる。彼の爽やかな笑みに、ルクレーシャはつい見惚れてしまった。

「ライバルに勝つためにはどうすればいいか? 君と競い合ううちに、ふと気が付いたんだ。君が調合した物は、四元素のバランスが著しく崩れているにもかかわらず、魔力によってその形を保っている。その発見は、俺に新しい世界を見せてくれた。君のあり方が俺に変化をもたらしてくれたんだ。……あの研究発表は、君あってのものだった」

 ダリルはルクレーシャに顔を寄せ、彼女の耳元で囁いた。

「俺の夢を叶えてくれた存在。俺に錬金術の神秘を見せてくれた女性。ルクス、君に逢えてよかった。君は俺の宝物だ」

「うぇっ!?」

「がさつで浅ましい行動をする時もあるが……。錬金術が好きで、これだと決めたことには一直線に突き進むその姿勢はとても好ましい。ルクスには、いつまでもそのままでいてほしいと思ってる」

 耳にふっと息を吹きかけられる。
 ルクレーシャが顔を真っ赤にして飛び上がると、ダリルは一気に距離を縮めてきた。

 手に持つはさみを取り去られる。腰に腕を回され、首に顔を埋められる。突然の接触に困惑の視線を向けると、ダリルは美しい黒曜石の瞳をうっとりと蕩けさせた。

「ルクス。ルクレーシャ。ずっとずっと見ていたんだ、君だけを」

「わ、私を見てたですって?」

「ああそうだ。いつも見てるぞ。二十四時間三百六十五日……な」

 冷気が肌を刺す。
 ほの暗い男の声に、ルクレーシャはぞくりと背が震えるのを感じた。

 ダリルの雰囲気が、少し怖い。

「っ、あなたもねちっこいわね。どうせ私の弱みでも握ろうと思って、いつも粗探ししてたんでしょ。もう、冗談言うのはやめてよ」

 ルクレーシャは笑ってダリルから離れようとしたが、男の腕の力は少しも緩まない。戸惑うルクレーシャに、ダリルはわざとらしい笑みを向けた。

「冗談? 冗談ではない。ライバルの動向を探るのは当然のことだろ? ずっと、ずっと、俺は一日も欠かさず君を見ていたんだ。だから全部知っているぞ。君がどこにいて、何をして、誰と話していたのか」

「っ……!」

 男の暗い目に捕らわれる。息を呑むルクレーシャに顔を近づけ、ダリルは早口で彼女を問い詰めた。

「ずっと見ていたから分かる、君と親しい男はこの俺を除いていなかった。だからいくら考えても分からないんだ、君が好きな男が誰なのか! なあ、君はいったい誰に恋をしたんだ? 下級生か? 教師か? それとも校外にいる男か? 視界に入るだけの男に心を捧げて満足なのか!?」

「な、なにっ……。いきなりどうしたのよダリル。あなた、何か変よ……?」

「俺の大切なライバルの心を、穢して奪い去った男がいる。俺はそいつを見つけ出し、もうルクスに近づこうという気が起きないくらい制裁してやらなければならない! ……なのに、毎日考え続けてもそいつが誰なのか分からない。もやもやした気分のまま教室に来てみれば、様子がおかしい君がいる。ああ、一緒にいた俺を無視して、他の男の影響でそんな格好をするとはな。苛立ちのあまり気がおかしくなりそうだ! その化粧も、水色のスカートも。誰を想ってそんな格好をしたんだ? なあルクス、答えろよ」

 ルクレーシャに対する独占欲と強烈な愛情が、ダリルの中で渦巻いている。ルクレーシャの首に何度もキスを落としながら、ダリルはどろどろした声で囁いた。

「そいつは見目がいいのか? それとも錬金術の腕がいいのか? いずれにしても――この俺には敵わないだろ。俺がいる限り、君の恋は決して実らない。叶わぬ恋に身をやつすなど、そんな無駄なことはやめろ」

「……無駄だなんて。どうして意地悪なことを言うの?」

 異様な雰囲気を滲ませる男に目が潤む。
 ルクレーシャは身を捩らせながら涙目で抗議した。

「夢を見るくらい、別にいいじゃない! がさつな私だって、好きな人のためにお洒落したいって思うことはあるわよ」

「下らん。そんなことをしたって駄目だ。絶対に、絶対に男は作らせない……! 君のファンクラブに入っている愚かな男共も、俺が潰して回ったんだぞ!」

「なっ、なにそれ。どうしてそんなことするの?」

「俺のライバルなら錬金術だけに集中しろ。男などいらないだろ」

 ダリルがふんと鼻を鳴らす。彼の身勝手な言動に、ルクレーシャはふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じた。

「人の気持ちも知らないで、随分と好き勝手に言うじゃないの。無駄とか、私の恋が実らないとか、そんなの私が一番分かってるのよ! それでも、その人と話せるうちは少しでも可愛いと思ってもらいたいの! その人に近づくために頑張るって決めたのよ!」

 必死なルクレーシャの様子に、ダリルの胸の痛みが一層強くなる。

 健気だ。愛らしい。その可愛らしい努力が、俺に向けられるものであったら良かったのに。

「あなたみたいなお貴族様は女の子を侍らせ放題かもしれないけど、私は十八年間、ろくに男の子と接したことがないの! 初めての恋に一生懸命になりたい気持ちだってあるわ。意地悪言わないで、もう放っておいて!」

 ルクレーシャはダリルの胸をどんどんと叩いた。しかし彼は、ルクレーシャの拘束を少しも緩めようとしない。黒い瞳に悲しみを宿し、無表情で女を見下ろす。

「……意地悪なのは、君だ。俺がどんな気持ちでいるか知らないで、そんなことを言うのだから」

「え?」

 濡れ光る黒い目に口を噤む。
 言葉を失ったルクレーシャの唇を、ダリルは勢い良く塞いだ。

「んっ!?」

 顎を掴まれ、唇をねっとりと舐め回される。驚きに口を開けてしまえば、すぐさまダリルの舌が腔内に入り込んできた。

「んん、んはあっ……。ぁ、だめぇっ……」

 横から舌を掬い取られ、そのまま敏感な舌先まで舐め回される。濃厚な肉の接触に、ルクレーシャは淫欲が急激に込み上げてくるのを感じた。

「ん、ひいっ!?」

 突然、雁首に嵌められた銀の輪が震えだす。ごく僅かな振動だったが、敏感すぎる肉棒はそれを確かな快感として認識してしまう。口を貪られながら性的な快楽を与えられ、ルクレーシャはくたりとダリルの方にもたれかかった。

「ぁ、んあっ! ま、まってだりるっ、お願いだからまって……!」

 こんなことをされたら、また発作が起きてしまう。ルクレーシャは弱々しい声で一生懸命懇願した。

「…………」

 最後に唇を塞ぐだけのキスを数秒し、ダリルはようやくルクレーシャを解放した。荒い息を吐く女を一瞥し、錬金材料を持ったかごを持つ。

 感情が読めない顔で、ダリルはルクレーシャに戻ろうと促した。

「これだけ材料が集まれば充分だ。そろそろ調合場所に行くぞ」

「な、ななっ……。なんで、授業中にこんなことするのよ……。誰かに聞かれてたらどうするつもり!?」

「心配要らない。ここには俺たち以外に誰もいない」

 ダリルはぎゅっとルクレーシャの手を握りしめた。

「恋にかまける君を見ていたらひどく苛立った。俺の機嫌を損ねるなよ、ルクス。君の体には、俺の輪が取り付けられているのだからな。輪がある限り、君はどこにもいけない。……それを忘れるな」

 わざと意地悪な笑みを形作って、ダリルは呆然とする女の手を引っ張った。


 *


 大きな錬金釜が並べられた温室の一画。ルクレーシャとダリルは手頃な錬金釜を選び、すぐさま心映しの薬の調合に取り掛かった。

 ダリルが三属性の錬金材料を用いて基材を作り、ルクレーシャが魔力で仕上げを施す。ふたりの連携は難なく進んだが、ルクレーシャの思考は上の空だった。

(ダリル、なんであんなことしたんだろ)

 いくら人気のない場所とはいえ、今までのダリルならいきなりキスをしたり、銀の輪を震わせてくることはなかったはずだ。

 なんだか、最近のダリルはおかしい。上機嫌になったり、先程のようにいきなり不機嫌になったり。随分と感情に振り回されている。

 彼がおかしくなったのは、定期試験の掲示を見た時からだ。
 好きな男がいる。それは、ダリルにとってそんなに重要な問題なのだろうか?

(君は俺の宝物だ、なんて。どきどきするような甘い言葉を言ってくれるじゃない。意地悪なのにあんなことを言ってくるから、私はダリルのことばっかり考えちゃうのよ)

「――い、おいルクス、聞いてるのか!」

「うえっ? な、何?」

「きっちり十回かき混ぜた。これで心映しの薬は完成だ。いくら俺がいるとはいえ、調合中に呆けるのは感心しないな」

「……誰のせいよ」

 ルクレーシャは頬を膨らませ、錬金釜から薬を掬い取った。溢さないように気をつけながら、二つのフラスコへ慎重に液体を入れていく。

「はい、これ。ダリルの分。あなたの感情はどんな色になるんでしょうね」

「ふっ、きっと美しい色になるはずだ。君の感情を見るのが楽しみだな、ルクス」

 目の前のライバルを見ながら、心映しの薬が入ったフラスコに触れる。ダリルもまた、ルクレーシャを見つめながらフラスコに触った。

 薬に込められた魔力が共鳴し、ふたりの感情を映し出していく。まず変化が起きたのは、ルクレーシャが手に持つ薬だった。

「わ、なにこれ……。急に色が変わったわ!」

 フラスコの中の液体が、あっという間に鮮やかなピンク色へと変わる。ハート型の結晶を揺蕩わせる心映しの薬を見て、ルクレーシャは驚きの声を上げた。

「やった、成功よ! きっと私たちが一番だわ! ねえダリル、これって上手くいってるんでしょ? ……あれ? ね、ねえダリル?」

 ルクレーシャはおそるおそるダリルに声をかけた。

 どういう訳か、自分のペアは大きく目を見開いて硬直している。その視線の先にあるものは、桃色の液体が入ったフラスコだ。

 歯を食いしばったダリルは、怒りを押さえ込んだような低い声を出した。

「……ルクス。ピンク色が何の感情を表すか知っているか」

「へ? よ、喜びとか?」

「違う、喜びは黄色だ! 君のその色は恋だ、愛情だ! 大方、好きな男のことを考えながらフラスコに触れたのだろう! 心映しの薬が、そんなに濃い色になるとは。そんなに、そんなにそいつのことが好きなのか……?」

「そ、そんなに好きじゃないと、この色って出ないの?」

「俺に聞くなバカ!」

 ルクレーシャは照れながらフラスコを見つめた。

 ダリルが好き。そんな自分の感情を映し出した液体は、濃い桃色の輝きを放ちながらきらきらと輝いている。オスの実の魔力とよく似た、甘く、どこか淫靡な雰囲気を持った輝きだった。

 フラスコを手に持ちながら微笑むルクレーシャを見て、ダリルは心がずたずたに傷付いていくのを感じた。

 怒り、悲しみ、嫉妬、恐怖。ルクレーシャに対する愛情、それが報われないかもしれないという絶望。すべてがないまぜになり、ダリルの狂気を加速させていく。彼の心の中に渦巻く感情が、心映しの薬に変化を起こす。

 血を思わせる怒りの赤、おどろおどろしい嫉妬の緑。タールのようにどろりとした悲しみの黒……。
 
 ダリルの薬は、優等生が作り出したものだとは思えないほど、醜く、穢いものに変わった。
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逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

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