失敗作は蜜の味

橙乃紅瑚

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意地悪陰険腹黒ダリルの告白 - 4

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 季節は移ろい、入学の儀から一年の歳月が流れた。

 花香漂う王立錬金術学校の中庭。桃色の髪が、春風にふわふわと揺れている。ダリルは木陰から、ルクレーシャの姿をこっそり見つめていた。

(可愛い。今日も俺のルクスは美しい)

 ルクレーシャは相変わらず可愛らしく、ダリルの目を惹きつけて止まない。しかし、彼女の姿には微かな変化が見て取れた。

 少女らしい丸みを帯びた顔立ちに、僅かながら大人の影が差し始めている。伸びた身長と相まって、ルクレーシャの美しさは一段と磨きがかかったように思われた。

 春のそよ風が、桜の花びらをルクレーシャのもとに運んでいく。花々に囲まれた彼女の姿はまるで妖精のようだ。一年前、初めてルクレーシャと出会った時の衝撃が鮮明に蘇る。

(ああ、君は本当に麗しいな。好きだルクレーシャ。今この景色を、絵画として残したい。きっと歴史に語り継がれる名画になるぞ)

 胸の内で、変わらぬ想いが燃え続けている。ダリルが食い入るようにルクレーシャを見つめていると、突然、彼女が男子生徒に取り囲まれてしまった。

「むっ……」

 愛しいルクレーシャの姿が見えなくなり、ダリルは慌てて木陰から飛び出した。彼女はどうやら、上級生から食事の誘いを受けているようだ。ルクレーシャは怯えた顔で首を横に振るが、彼らの誘いはしつこい。

 少女の手首がぐいぐいと引っ張られるのを見て、ダリルは急いでルクレーシャに駆け寄った。

「失礼ッ! 嫌がるレディの手を引っ張るなんて、紳士にあるまじき行いですよ!」

「あっ……ダリル?」

「ルクレーシャは俺と遊ぶ予定がありますので、貴方がたに付き合う暇はありません。もう二度と彼女に話しかけないでください! それでは!」

 ルクレーシャの手首を掴む上級生の手を勢いよく振り払い、少女の手を握って足早に校舎へ向かう。生意気だぞと声を荒げる上級生を無視し、ダリルはルクレーシャの手首をさすさすと摩った。

(くそ、あの男共。俺のルクスに触るなんて! ええい、消毒だ消毒。ルクスの手首を触るのは俺だけでいいんだ!)

「ダリル、あの……助けてくれてありがとう。あの先輩たち何だか怖くて。ふふっ、あなたはいつも来てくれるわね。なんだか、ずっと私のことを見てるみたい」

 ルクレーシャから感謝の微笑みを向けられ、ダリルの体温が上がる。ぶわりと顔に熱が集まるのを感じた彼は、強烈な嬉しさを誤魔化そうとしてちぐはぐな言葉を吐いた。

「べっ、べべべべっ、別に、これはたまたまだ。君を助けてやった訳じゃない、偶然視界に入ったからそうしたんだ! 勘違いするなよっ、この俺が、君を意識してる訳ないだろ! がさつ女のくせに自意識過剰だぞ!」

「……がさつ女?」

「そうだ! がさつ! がさつどころか、じゃじゃ馬でいい加減で破天荒で勢い任せの荒っぽい生意気な田舎女! 君のようなちんちくりんを、この俺がずっと見ている訳ないだろうが! 勘違いも程々にしろ!」

「…………」

 ルクレーシャは黙り込んだ後、柔らかな眉をきゅっと寄せ、ダリルの手を勢いよく振り払った。

「そこまで言うことないじゃない! もう、自意識過剰で悪かったわね。私だって、意地悪陰険腹黒ボンボンお坊ちゃまのことなんか何とも思ってないわ。あなたなんか嫌いよ!」

「ほぁっ……。き、嫌いって言うな!」

「どうして嫌いな人に嫌いって言っちゃいけないの」

「俺が傷付くからだ!」

「何よそれ? それなら最初っから酷いこと言わなければいいでしょ!」

 大声で言い合う少年と少女を、周囲の学生がちらちらと見遣る。またやってるよと呆れ顔で呟かれているのを知らず、ダリルとルクレーシャは限界まで互いの顔を突き合わせた。

「ルクス! とにかくっ、嫌いって言うのだけは無しだ、分かったか!? あんまり嫌い嫌いって言われると流石の俺も泣くぞ! 貴族の俺を大泣きさせてみろ、ひどい騒ぎになるからな……!」

「わ、分かった。分かったってば。そこまで言うなら、あんまり言わないようにする……」

 ダリルの必死な懇願に気圧され、ルクレーシャは渋々頷いた。

「分かればよし! さ、今日は君に大きなプリンをご馳走してやるからな。楽しみにしてろ」

 機嫌をよくしたダリルはルクレーシャと手を繋ぎ、意気揚々と彼女を自分の家に連れ込むのだった。





 その日の深夜。
 薄暗い図書室で、ダリルは悶々と考えていた。

 ずらりと並ぶ黒檀の書架、艷やかなマホガニーの机。この広い図書室は、両親が自分のためにと用意してくれたものだ。ダリルは分厚い錬金術の書籍を本棚に並べて、思う存分読書や調合に打ち込んだ。

「はぁ……ルクスに近づく奴が多すぎる。どうしたらいい?」

 机の上のオイルランプを見つめながら、上級生に声を掛けられていたルクレーシャの姿を思い出す。ああして彼女の周りに人集りができるのは珍しいことではない。ルクレーシャの可愛さに魅了された人間が、彼女と親しくなろうとしつこく声を掛けるのだ。

 その度に自分が追い払ってきたが、ルクレーシャに近づく人間は増えるばかりだ。奴らが花の妖精に声を掛ける前に、あらかじめ潰しておけたら良いのだが……。

「基本的にルクスが校外に出ることはまれだ。ルクスは寮暮らしだし、材料を集める時くらいしか町に行かない。となると、やはり敵は錬金術学校の中に溢れかえっている。ううん、どうすれば? どうすればルクスに興味を持った男を潰せる……?」

 とんとんと机を叩きながら思考する。
 ふと閃いたアイディアに、ダリルはあっと声を上げた。

「それなら、俺がルクスのファンクラブを作ればいいのではないか!?」

 ダリルはにやりと笑った。

「一般的に、クラブというものは様々な人間が集まってくる。自分一人では得られなかった情報も、人脈を辿れば簡単に手に入れることができるだろう。くくっ、貴族のサロンと同じだな」

 ルクレーシャに思いを寄せる男を集め、彼女に興味を持った男の情報を効率的に収集する。そうすれば、ファンクラブに所属している人間も、そうでない人間もまとめて簡単に処分できるかもしれない……。

「よしっ、これは名案だ! それなら早速準備をしなければ!」

 ダリルは図書室の真ん中に設置された錬金鍋に駆け寄り、丹念に調合し始めた。火、水、風、三属性の錬金材料を丁寧にすり潰し、鍋でかき混ぜながら不純物を取り除いていく。そうして一時間後、「成りすましの薬」が出来上がる。錬金術学校の上級生でも調合に苦戦する薬を軽々と作り上げ、ダリルは充実感にふうと息を吐いた。

「成功だ。この薬を飲めば、俺の姿は一時的に他の男のものに変わるはず」

 出来上がった成りすましの薬を少しだけ舐める。すると、ダリルの姿はふくよかで優しそうな少年のものに変わった。

「おおっ、これはいい。無害な男を装って情報を集め、ルクスを狙う奴を突き止めてやる。俺がファンクラブを作ったら、花の妖精に話しかけるなという鉄の掟を敷いてやるぞ。くはははっ、やっぱり俺は天才だな! ふふふっ、ふははははははっ!!」

「……坊ちゃま。そんな遠回りなことをしなくても、レディと両想いになってしまえば彼女に近づく男は減りますよ」

「ひぃえっ!?」

 書架の陰からいきなり現れた老爺に、ダリルは飛び上がった。

「じ、じいや! いつからそこにいた!?」

「坊ちゃまが図書室に入られた時からです」

「何だと? いるならいると言え! 俺を驚かせるな!!」

 ぼん、と音を立ててダリルの姿が元に戻る。真っ赤な顔で慌てふためくダリルを見下ろし、老執事は面白そうに笑った。

「こんな深夜まで熱心に勉強をしているのかと思えば、あなたはレディを囲い込むための悪巧みをしていましたね。それほど恋い焦がれているのなら、早く彼女に告白すればいいのでは?」

「はあ……じいや、お前は分かっていないな。俺があいつに何度『嫌い』と言われてきたか知っているか」

 ダリルは胸元から手帳を取り出し、盛大に溜息を吐いた。

「この手帳の印を見ろ。ルクスと出逢ってから一年、俺があいつに『嫌い』と言われた回数はなんと六百五十二回だ! いいか、反対に『好き』と言われたことは一度もないんだぞ!」

「それは坊ちゃまが酷いことばかりするからです。レディには優しくしなさいと言ったでしょう?」

「分かってる! でも、逃げるルクスを見るとからかってやりたくなるんだ。嫌がるあいつの頬を伸ばして、つねって、泣かせたくなる。ルクスが俺を拒絶しなければ、優しくしてやれるのに……」

 知っているか、あいつの頬はスライムみたいにもちもちなんだ。そう呟くダリルに、馴染みの執事は優しい笑い声を溢した。

「確かに、坊ちゃまはレディの柔らかな頬に特別の関心を抱いていらっしゃるようですね。ですが、そのような乱暴な行いを続けては、いつか徹底的に遠ざけられてしまいますよ。二度と話すことができなくなるかもしれません」

「…………」

「坊ちゃま、難しいことを考えるのはおやめなさい。好きなら好きだと、そう素直に伝えればよいのです」

「伝えられる訳ないだろ」

 ダリルはぎゅっと拳を握った。

「俺はルクスに嫌われてるんだぞ? 父上は常々言っている、勝てる争いしかするなと。このまま告白をしたって、ルクスに振られるに決まってるじゃないか」

「拒絶されても何度だって告白するしかありません。坊ちゃま、女性の成長は早いのです。あなたがいつまでもそんな風に振る舞っていると、愛しのレディはあなたの前から去ってしまいますよ」

「分かってるよ、俺だってルクスに告白したい。大好きな女の子と出逢えたんだ、見合い結婚なんてしたくない。彼女と両想いになりたい!」

 馴染みの執事を見上げ、ダリルは大声を上げた。

「でも俺はっ、やっぱり告白するのが怖いんだ! あいつに嫌いって言われると頭が真っ白になって、どうしたらいいか分からなくなる。全力で好きだって伝えて、ルクスに馬鹿にされてしまったら? 気持ち悪い、もう近づくなと言われてしまったら? ……そうなったら、きっと俺は立ち直れない……」

 ――常々言っているだろう、我々の世界では第一印象が全てなのだと。お前はもう、彼女に好きになってはもらえない。

「俺は、失敗してしまったんだ。今さら何をしたって無駄。ちょっかいをかける以外に、どうせ関わる方法なんてないんだから……」

 父の重苦しい声を思い出し、ダリルはどんよりとした溜息を吐いた。

「嫌い。坊ちゃまはレディにそう言われることを、何よりも怖れているのですね」

「ああ」

「それなら、これから好きになってもらう努力をしなければいけませんね。想いを伝えられなくても、できる限りレディに優しくするのです。坊ちゃまが丁寧に接すれば、あのレディも決して嫌な顔はしませんよ」

「…………」

「坊ちゃま、じいやはあなたの味方でございます。いつか坊ちゃまが、その想いを素直に伝えられますように」

 理解者の言葉に目が潤む。
 ダリルは執事から顔を背け、ゆっくりと頷いた。





 定期試験が近づいた、ある日の放課後。
 ダリルは空き教室で、ルクレーシャに勉強を教えていた。

「いいか、ルクス。魔法式は君が思うほど難しくない。落ち着いて、分かるところから数を当てはめていけば必ず解ける。さあ、やってみろ」

「うーん……。えっと、こう? 合ってる?」

「凄いぞルクス、正解だ! 君もやればできるじゃないか、ようやく復習の効果が出てきたな!」

(優しく、優しく。じいやが言った通り、できる限りレディに優しくするんだ)

 ダリルがルクレーシャの頭を撫でると、彼女は照れくさそうに微笑んだ。

「なんか、最近のダリルって優しいね」

「そ、そう思うか」

「うん。何か悪いものでも食べたの?」

 ルクレーシャはにやにやと笑った。

「意地悪なあなたがいきなり優しくなるなんて、ほんと不思議なこともあるものね。高慢なお貴族様もとうとう心を入れ替えたのかしら? むふふ、きっともうすぐ隕石が降ってくるわよ」

 いたずらっぽく笑うルクレーシャに苛立ちを覚えたダリルは、思わず彼女の頬に手を伸ばした。

「君って奴は本当に。俺がどんな気持ちでいるか知らないで……!」

「ひょっ、わたひのほっぺ伸ばひゅのやめへ」

「うるさい、ルクスが生意気なことを言うのがいけないんだ! お仕置きにもちもちしてやる!」

 頭を撫でて微笑まれ、頬を伸ばして怒られる。不器用な少年の姿を、老執事は窓の向こうからこっそり見守っていた。


 *


 ルクレーシャとの勝負を続けながらも、ダリルは密かに彼女を狙う男たちを突き止めていった。

 ダリルの予想を超えるほど、ファンクラブには大勢の男子生徒が集まってきた。創設者がダリルだと知らずにクラブに入った彼らは、『アイドル』との接触を禁ずるという鉄の掟を叩き込まれた後、散り散りになった。

 厳しい掟に異を唱えた者たちは、離反して新たなファンクラブを作った。だがダリルはその存在を決して許さず、目障りだからという理由で片っ端から潰してまわった。

 成りすましの薬を使ってありとあらゆる者に化け、ルクレーシャに想いを寄せる男を探し出す。そしてその後は、各々のに応じて様々なを与えた。

 ルクレーシャのブロマイドを隠し持っていれば、しつこく追いかけ回して全ての写真を没収した。ルクレーシャに話しかけようとしていたら、密かに喉つぶしの霧を散布して妨害した。ルクレーシャに告白しようとする輩がいれば、何十日にも渡って酷い悪夢を見続ける呪いをかけた。

 月日を経る毎に、ルクレーシャへの愛情は深まるばかり。ダリルは愛しい少女に手を出そうとする男たちを、深く深く憎んだ。

(ルクスに想いを寄せるのは俺だけでいい。世界中でたったひとり、俺だけがルクレーシャを愛していればいいんだ。他の男が、あいつを好きになることすら許さない!)

 あいつはおかしい。あいつは『黒い悪魔』だ……周囲からそう囁かれても、ダリルの暴走は止まらなかった。彼の机の引き出しには、男子生徒から没収したブロマイドが何十枚も入っている。錬金レンズで撮影された鮮明な写真は、見る者にルクレーシャの愛らしさをそのまま伝えた。

 桜咲く中、ほわほわと柔らかく微笑む顔。一生懸命勉強に取り組む姿。スイカパンを食べている時の満足そうな表情。自分と言い合っている時のしかめっ面。気持ちよさそうに空を飛ぶ後ろ姿。過去の姿をそのまま切り取ったかのように、写真の中のルクレーシャは活き活きとしている。

 ……このまま仕舞っておくにはもったいない。

 そう考えたダリルは、部屋の壁にルクレーシャの写真を貼ることにした。他人から見えないよう、巧妙に己の魔力で隠しておく。

「愛しいルクレーシャ」

 その言葉を鍵として、隠されていた写真が露わになる。ダリルはうっとりとした目で、一枚一枚の写真を食い入るように見つめた。

(錬金レンズで写真を撮る、か。悪どいことを考える奴もいるものだ。音がしないから、密かに撮っても気付かれにくい。『アイドル』の写真を集めるにはいい方法かもしれないな)

 自分には滅多に向けてくれない笑顔も、写真の中のルクレーシャなら惜しげもなく見せてくれる。嬉しい。ルクレーシャの笑顔をもっと見たい。笑顔だけじゃない。怒り、泣き顔、困惑、その他彼女が取りうる表情の全て。まだ自分が見たことがない表情も手に入れたい。ダリルはやがて、そのような欲望に取り憑かれるようになった。

 他の男に撮られるくらいなら、自分が撮ってやる。そんな歪んだ思考で、ダリルはそっとルクレーシャを盗撮し始めた。ルクレーシャの一日、一分、一秒を決して見逃さないように、写真で彼女の姿を切り取っていく。ダリルは甘い背徳感に駆り立てられ、日々ルクレーシャを隠し撮りすることに没頭した。

(ルクス、大好きだ。スイカパンを頬張っている時の笑顔を、いつか俺にも向けてくれ)

 微笑む顔。泣きそうな顔。赤らんだ顔。不機嫌な顔。満足気な顔。大量の顔、貌、姿。

 ルクレーシャの写真が増えるたび、彼女の一部が自分のものになった気がした。


 *


 入学の儀から、二年が経ったある日のこと。
 自室の天井に取り付けられたシャンデリアを見上げ、ダリルはうっとりと呟いた。

「綺麗だ。いつまでも、いつまでも見ていられる」

 十四歳の誕生日プレゼントに贈ってもらった宝石のシャンデリア。きらきらと輝く桃色のそれは、ダリルが愛してやまない少女をイメージしたものだ。

「ふふっ。国内にふたつとない特注のシャンデリア。この素晴らしいシャンデリアを見れば、きっとあいつは驚くぞ! あの女が口を開けて驚くところが見たい。だからルクスを俺の部屋に呼ぶしかないな。うん、絶対にそうするしかない。次はシャンデリアを口実に誘いをかけよう」

 満足げな顔で呟いたダリルは顔を下ろし、せかせかと筆を動かす画家に命令した。

「おい待て、ルクスの瞳はそんな色じゃない! あの紅水晶ローズクォーツのシャンデリアを見ろ、あのようにルクスの目はきらきら輝いてるんだぞ! 絵の具でべったり塗り潰すな!」

 ダリルはキャンバスを覗き込み、あれこれうるさく口出しをした。

 大きなキャンバスに描かれているのは、桃色の髪の少女だ。ダリルは母親にねだって腕のいい画家を呼び、愛しのルクレーシャを描かせているのだった。

 玄関ホールの壁に取り付けられた、ふたつの空の額縁。大きなそれは、いずれ家を継ぐダリルと、その妻のために用意されたものだ。ダリルはその額縁に、勝手にルクレーシャの絵を入れようとしていた。

「ああもう、その頬のラインも気に入らない。ルクスの頬はもっともちもちしてるんだぞ。そう、たとえばスライムみたいにな。やわらかさが伝わるように描いてくれ」

「……はあ」

 絶え間ないダリルの駄目だしに、忍耐強い画家もとうとう溜息を吐く。彼は筆をくるくると回し、「それじゃあ、そのルクスとやらをここに連れてきてくださいよ」と言った。

「ルクスを連れてこいだと? それは無理だ。あのじゃじゃ馬女が長時間大人しく座っていられる訳ないだろう! まあ、とにかく。今度はルクスの写真を持ってくるから。取り急ぎ、その目の色だけは直してくれ」

 ダリルは一方的にそう言い放ち、今日はここまででいいぞと画家を追い出してしまった。

 シャンデリアの絢爛な光から離れ、薄暗い図書室に閉じこもる。自分を研鑽するための部屋、そして愛おしい錬金工房。つんとした薬剤のにおいが漂う一室で、ダリルは書架の前にずらりと並べられたドレスを見た。

 薔薇の赤、玲瓏の青。純潔の白に、夜闇の黒。ルクレーシャを想って作った、繊細な意匠が施されたドレスたち。それは、ルクレーシャの体型を模したトルソーに丁寧に着せられていた。

 魔蚕の糸、人工宝石、ありとあらゆる材料から作った染色液。それらをふんだんに用いたドレスは、ダリルが錬金術によって生み出したものだ。部屋の真ん中から発される薬液のにおいが染み付かないよう、ダリルは一枚一枚のドレスを確認しながらカバーを掛けた。

「ふふ。ルクスにはどの色が似合うかな。やはり桃色だろうか? いや、黒が一番いいな。だって俺の色だからな」

 かつては、貴族のために贅沢品を生み出す錬金術士たちを軽蔑していた。だが今の自分は彼らと同じようなことをしている。ルクレーシャを想うがあまり、こうしてドレスや装身具を作り続けているのだから。

「俺も変わった。ドレスだの宝石だの、錬金術でそんな軟弱なものを作るのはごめんだと思っていたのに」

 ルクレーシャのことを考えると、ドレスやイヤリングを作るのが楽しくて仕方ない。一生懸命作った物を贈ったら、彼女は喜んでくれるだろうか。できれば、物に込めた自分の想いに気が付いてくれたらいいのだが……。

 棚の中の宝石箱には、桜の花の形をしたイヤリングが煌めきを放っている。明日、勇気を出してこのイヤリングを渡してみよう。ダリルがそう考えていた時、図書室の扉が乱暴に叩かれた。

「ダリル! ダリル、ここにいるのだろう? 入るぞ!」

 ノックの返事も待たず、扉が勢いよく開かれる。図書室に入ってきたのは、怒気を発するダリルの父だった。彼は眉間に皺を寄せ、息子を険しい目で見据えた。

「ダリル。お前、勝手に見合いを断ったらしいな?」

「勝手にではありません、母上の承諾を得た上で断りを入れたのです。言ったでしょう、俺はルクレーシャしか見ていないと。俺は彼女と結ばれるのです」

 きっぱりと言い切った息子に、ダリルの父親は盛大な溜息を吐いた。

「何をふざけたことを。彼女と知り合って二年経っても、お前はあの子から何とも思われていないのだろう? それなのに夜な夜なドレスやネックレスばかり作って、いったい何を考えている!? いいか、こんなことは今すぐにやめろ。俺はお前のためを思って言ってるんだ!」

「嫌です。お言葉ですが父上、あなたも母上のために、夜な夜なプレゼントを買い集めていたそうですね? 自分も同じようなことをしておいて、どうして俺にはやめろと仰るのですか」

「ぐっ……」

 息子の反抗的な態度に、ダリルの父親は唇を噛んだ。彼は手近な椅子に座り、ダリルに向けてゆっくりと言い聞かせた。

「いいか、何も意地悪でこんなことを言っているのではない。ダリル、本当にお前のためなんだ」

「俺のため?」

「そうだ。彼女と結婚したところで、お前たちは死ぬまで出自の格差に苦しむことになる。お前たちがいくら愛し合っていても、社交界がそれを許さない。その子を家に迎え入れたなら、お前たちはずっと他の貴族たちから攻撃されるだろう」

「…………」

「お前もよく知っているだろう。社交界の中には、酷く悪辣な者も潜んでいると。平民として生きてきた純朴な女性が、彼らの鋭い棘に耐えられる訳がない。お前の我儘が、愛する女性の笑顔をくすませることになるかもしれないんだよ」

 父親のその言葉に、ダリルは眉を下げた。

「……それでも俺は、ルクスしか考えられません。ルクスを守るためならこの家を出るし、ルクスと結婚できないなら死んでやる」

「ダリル!」

「それくらい俺は本気なのです。父上は分かってない、俺がどれだけルクスのことが好きなのか! どうせ子供の戯言だと思っているんでしょう? 違う、俺は本当にルクレーシャを愛しているんだ!」

 毎夜丹念に縫い続けたドレスを指差しながらダリルは叫んだ。

 一歩も退かぬ息子を前に、どうするべきかと思考する。ダリルの父親はしばらく沈黙した後、静かな声で問いかけた。

「ルクレーシャ。彼女のことを調べさせてもらったよ。確かに、評判通りの可愛らしいお嬢さんだ。だが座学の成績に不安があり、淑やかさに欠ける。今まで顔合わせしてきた令嬢たちの方が、余程条件がいいだろう。なぜお前は、彼女にそこまで熱を上げるんだ?」

「ルクスの存在が、俺にとって奇跡だからです」

 ダリルは目を瞑り、入学の儀で目にしたルクレーシャの姿を反芻した。 

「父上はルクスと接したことがないから、彼女がどれだけ特別な存在なのか分からないのかもしれません。ルクスはとにかく驚異的な女性です。通常は目で捉えることのできない魔力が、彼女の場合は形を伴って外に放たれている。それほどに、ルクスの抱える魔力は膨大なのです」

「……ほう」

「魔力。一部の人間だけに備わった不可視の力。全く持たない人間もいれば、俺のように、魔力を少しだけ保持している人間もいる。それがこの世界の普通であり、共通認識です。目に見えるほど大量の魔力を宿した人間なんて、存在自体があり得ない。……ルクスと出逢うまで、俺はそう思っていました」

 ――見てて、ダリルくん。こんなやり方だってあるんだよ。

 目の前で広がった桜色の魔力。神々しく光り輝く錬金鍋を思い出し、ダリルは諦めた笑いを溢した。

「ルクスは本当に、あり得ない存在だったのです。彼女は己の魔力を用いて、錬金術の常識を覆してみせた。……信じられなかった。彼女こそ本当の天才だ。ずっと錬金術に取り組んできた俺が、呆気なく負けてしまった……」

 溜息を吐く息子に、彼の父親は驚きを感じた。錬金術に関しては常に自信満々で、優秀な成績を収めてきたダリルが、そのようなことを言うとは思っていなかったからだ。

「座学の成績など些末なもの。ルクスは、世界を変える力を持っている。彼女ならば、全錬金術士の夢――賢者の石の錬成にさえ手が届くかもしれない。錬金術の面白さを知る俺にとって、ルクスは決して目が離せない存在なんです」

 黒曜石の瞳を輝かせ、ダリルはルクレーシャの素晴らしさを語った。

「不可能を可能にする力。錬金術的禁忌を無視し、自分が望むように物体を作り変える力。そんなことができる人間は、世界中でたったひとり、ルクレーシャしかいません」

 俺は錬金術が好きだ。そして、新しい世界を見せてくれた彼女が大好きだ。彼女と一緒に錬金術の神秘を追求したい……。そう繰り返すダリルの顔をじっと見つめた後、彼の父親はにやりと笑った。

「偉そうに。彼女の可愛さに魅了されたから、お前は彼女と結婚したいのだろう」

「ち、ちがっ……。俺は! 本当にルクスの才能に惚れ込んだのです!」

「まあ、それもあるのだろうがな? くくっ」

 顔を真っ赤にする息子を見て、父親はおかしそうに笑った。

「ダリル。お前は何度諦めろと命令しても、決して俺の言うことを聞かなかったな。聞き分けの良かった息子が、まさかこうなるとは思わなかった。錬金術学校に通わせたのが間違いだったか?」

「まさか! 父上のお陰で、俺は運命の女性と出逢えたのです。これが正解です」

「生意気なことを」

 父親は立ち上がり、ダリルに向けて指を突きつけた。

「ダリル。彼女を守り抜くと言ったな? その覚悟は真か」

「はい、父上」

「ならば、そうしてみせろ。彼女を守り抜く力を身に着けるのだ。具体的に言えば、そうだな。在学中に学長を唸らせる程の、何か大きな成果を挙げてみろ。そうしたらお前の言うことを考えてやらんでもない」

 いいか、考えるだけだぞ。平民出身の彼女を家に迎え入れることは、血筋の関係上今も大反対だ……。ダリルの父親はそう言いながら、自分とよく似た少年の顔を覗き込んだ。

「ひとりの貴族として、ひとりの錬金術士として。この国に自分の名を轟かせろ。煩い者たちを全員黙らせるくらいの実力を手に入れてみせろ」

 力のある黒の瞳に射抜かれる。重々しい父の声が、ダリルの肩に乗った。

「お前が愛する女性と結ばれたいと願うのなら、それくらい難なくこなしてみせるのだ。彼女を守れるだけの力があると証明してみせろ。……いいな?」

 父親の命令に、ダリルは力強く頷いた。


 *


 錬金術学校に隣接した大きな図書館。
 人もまばらな夜、ダリルは遅くまで残って定期試験の勉強を進めていた。

「一番にならないと、ルクスは俺を見てくれない。一番にならなければ、ライバルという繋がりさえ失われてしまう」

 心が折れそうになった時、唇に乗せるのはいつもその言葉だ。

 ダリルは自分にルールを課した。

 常に一番になること。常に優秀な成績を収めること。ルクレーシャに見てもらうために、彼女のライバルとして君臨し続けること。

 そして、賢者の石に関する研究を進めること。

 在学中に学長を唸らせる程の、大きな成果を挙げる。
 ダリルはそのために何ができるか考え、伝説の赤き霊薬「賢者の石」の錬成に挑戦することにした。

 学業と研究の両立は大変だ。予習復習に時間がかかるし、研究では調合に失敗して酷い怪我を負った。だが、ダリルは執念深く両方の作業に取り組んだ。

 落ちてはならない。少しでも落ちた瞬間に、ルクレーシャは自分を置いて遥か高みへと行ってしまう。自分の世界を変えるためには、絶え間なく努力しなくてはいけないのだ。

 酷い眠気を堪えながら、ダリルは必死にペンを動かし続けた。この勉強が終われば、次は賢者の石の研究に時間を割かなければならない。今日も、ベッドに入るのは午前二時を過ぎた頃だろう。

(眠くて仕方ない……。だが、ルクスと結ばれるためなら何だってやってやる。油断していい日なんて一日もない、こんなの辛くない、俺はまだやれるんだ!)

 険しい顔で魔法式を解くダリルのもとに、そっと近づく者がいた。

「こんな遅くまで根を詰めてたら、頭に入るものも入らなくなるんじゃないの?」

「っ、ルクス! どうしてここに?」

 驚くダリルの隣にルクレーシャが座る。
 彼女は顔色が悪いライバルを気遣わしげに見つめた。

「なんだか眠れなくて外を散歩してたら、窓からあなたの姿が見えたのよ。ねえ、もう休んだ方がいいんじゃない? 隈が酷いわよ」

「まだ大丈夫だ、心配要らない……。君こそ、早く寝た方がいいんじゃないか。夜の散歩は危険だぞ」

 ダリルは無意識のうちに手を上げた後、慌てて自分の手を隠した。

「だ、ダリルっ……。ねえ、それどうしたの?」

 男の手に刻まれた火傷の痕を認め、ルクレーシャの目が見開かれる。彼女はダリルの手を引っ掴み、硬い声で訊いた。

「いったい何があったのよ」

「……調合に失敗したんだ。ああ、くそ。こんな酷い手、君にだけは見られたくなかったのに……!」

 ダリルは傷だらけの手で顔を覆った。

 今の自分の手は醜い。賢者の石の研究によって負った火傷、盛り上がったペンだこ、そしてささくれ。こんなずたぼろの手を見たら、ルクレーシャは嫌がるに決まっている。

 引っ込めようとした手が、ルクレーシャの柔らかな手にぎゅっと握られる。すべすべした女の掌に、ダリルは劣等感と羞恥を感じた。

「……放せよ。こんな手、嫌だろ」

「確かにささくれが刺さってちくちくするけど、別に嫌じゃないわ」

 ルクレーシャはダリルの手をなぞりながら呟いた。

「これは頑張り屋さんの手って言うのよ。私のお父さんもね、こんな手をしてたの」
 
 胸元から傷薬が入った小瓶を取り出し、ルクレーシャはダリルの火傷に薬を塗り付けた。品質の良いルクレーシャの傷薬は、ダリルの酷い傷もたちまち治してしまった。

 頑張り屋さんの手。
 ルクレーシャの優しい言葉と行動に、ダリルは思わず泣きたくなった。

「……そうだ、俺は頑張ってるんだ。だから俺の頭を撫でろ。ほら」

 ルクレーシャに向かって頭を突き出す。
 おかしなライバルの行動に、彼女は不思議そうに首を傾げた。

「変なの、いきなりそんなことを頼むなんて……。でも、こんな時間まで頑張ってるしね。たまにはライバルの言うことでも聞いてあげようかしら」

 小さな手に頭を撫でられる。
 愛おしいその感覚に、ダリルは安堵の微笑みを溢した。
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